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第二章『セカンド・イグニッション/金狼の少女』

Int.14:曇天、降り注ぐ雨と少年の想い

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 その日の、夕暮れ頃のことだった。
「ああ、くそっ! 降って来やがった!」
「ま、待つがよい一真っ!」
 折角時間があるからと校外へ出て、馴染みの"三軒家食堂"で夕餉ゆうげを終えた一真と瀬那が寮へ帰ろうとした矢先、激しい土砂降りが降ってきた。
「とにかく、どっかで凌ぐしかない! 行くぜ、瀬那っ!」
 自分の羽織っていた制服のブレザー・ジャケットを瀬那の頭に被せた一真は、スコールのように激しい雨の中を彼女の手を引いて走り抜ける。そしてたまたま上手い具合に雨を凌げそうな煙草屋の軒先を見つけると、そこに飛び込んだ。
「はぁ、はぁ……。ああ、くそ。急に降ってくるなよな……。瀬那、濡れてないか?」
「う、うむ。其方のお陰で大したことはない。しかし一真、其方は……」
 雨を凌ぎズブ濡れになった一真のジャケットからひょこっと顔を出す瀬那の前で、全身ズブ濡れになった一真が「ははは……」と小さく苦笑いをする。
「これぐらいのこと、どうってことないさ」
「しかし、其方が風邪を引いてしまっては申し訳が立たぬ」
「良いって良いって、割と頑丈な方だし……ぅえっぷしっ!」
 とまあ一真が格好を付けてみた所で不意にくしゃみをしてしまうものだから、思わず瀬那も「ぷっ」と小さく噴き出す。
「う、うるせー! き、聞かなかったことにしろいっ」
 どうにも赤っ恥のような気がして、そっぽを向く一真。その隣で瀬那は一真の濡れたジャケットを胸の前でぎゅっと抱く。
 降りつける雨は、まるで地面を殴るような勢いで降り続けている。長いこと開けていないらしく、すっかり錆び付いたシャッターが閉まりっぱなしの煙草屋。雑にテープで貼り付けられた閉店告知の紙が半ば破れてしまっているその店の軒先、小さく突き出すこぢんまりとした布張りの雨除けに雨粒が当たる音が、妙に心地よく聞こえてしまう。
「この降り方、通り雨であろう。待っておれば、じきに止む」
「……だな。暫く、ここで凌がせて貰うとしよう」
 降り注ぐ雨の中、二人は黙ったまま並び立ち、曇天の空をぼうっと見上げていた。
 こんな時煙草でも吸えれば、少しは気も紛れるのになんて一真は思ってしまう。だが生憎と一真は西條教官のようなヘヴィー・スモーカーではないし、そもそも吸わない。出来ることといえば、ズブ濡れの身体が風邪を引いてしまう前にこの雨が止んでくれるよう、文字通り天に祈るしかないのだ。
「……一真よ」
 としていると、ふとした頃に瀬那がポツリ、と呟くように小さな声色で話しかけてくる。
「先程の試合、其方の眼にはどう映った?」
「……並みの強さじゃない。ステラが言ってた通りだった。エマは並大抵の相手じゃない。正直言っちまえば、勝てるかどうか……」
「で、あろうな」
「でもさ、瀬那」
 頭上を覆う曇天を見上げたまま、一真が呟く。
「俺な、勝ち負けはどうでもよくなっちまってるんだ」
 すると瀬那はフッと小さく頬を緩ませ、「知っておる」と言う。
「あの時の其方の顔を見ておれば、何となく分かっておった」
 少しだけ首をこっちに向けた瀬那にそう言われてしまえば一真も「へっ」と参ったように笑うことしか出来ず。「瀬那にゃ、敵わねえな」と肩を竦めてみせる。
「純粋にアイツと、エマ・アジャーニと戦いたくなった。勝ち負けなんて知ったこっちゃねえ。俺はアイツと、シビれるぐらいに強えーアイツと戦いたい。今はただ、それだけだ」
 突き出した右腕で指を折り、一真は握り拳を形作る。硬く握り締めた拳に雨粒の欠片が滑るのが、なんだか無性に心地よかった。
「俺は優勝を狙う。その前に立ちはだかる壁がアイツだってのなら、俺は迷わず叩き壊す。
 ――――けどな、瀬那。俺はそれ以前に、ただ純粋にアイツと戦いたい。強い奴と、戦いたいだけなんだ」
「……其方らしい言葉だ。私には分からぬことであるが、しかし其方の強い想いは理解できる。一真がそう思うのなら、其方の思い通りにするがい」
「だが瀬那、なんでまたいきなりそんなことを?」
 瀬那の方を振り向いた一真がそう訊けば、彼の顔を仰ぎ見る瀬那は柔らかい笑みを小さく形作りながら「ただ、訊いてみたかっただけだ」と言った。
「其方がどういう男かは、私もある程度は理解しておるつもりだ。無論、私の錯覚やもしれぬが……。
 しかし、私は其方を理解したいのだ。其方という男を、弥勒寺一真という一人の人間が、どういう男なのかを」
 真っ直ぐに一真の顔を見据えるそんな双眸を向けられては。凛とした顔でそう言われてしまえば。一真はフッと小さく笑って、少しばかりセンチメンタルな想いを胸の奥で惑わせてしまう。
「……折角だ。瀬那、少しばかり昔話に付き合っちゃくれないか?」
 だから一真は、自分でも分からぬ内にそんな一言を紡ぎ出していた。
「前に、君と初めて逢った頃。西條教官が言ってたのを覚えてるか? 君と俺が、似たような境遇だと」
「うむ」頷く瀬那。「覚えておるぞ」
「前に忍者連中に襲われた時、瀬那は自分がそういう・・・・家柄だって言ってただろ?
 ――――実を言えば、俺の家も似たようなもんなんだ」
「…………」
 ポツリ、ポツリと一真の紡ぎ出す言葉を、瀬那はその隣で黙って聞いていた。
「霧香みたいな警護役は居なかったけど、それなりの屋敷にそれなりの使用人、それなりに不自由のない生活はあった。徴兵も回避出来る立場にあったし、それだけの人脈や財力も俺の家にはあった」
 だが、俺はそれが嫌だった――――。
「かごの鳥、って言うのかな。屋敷の塀の中に囲われて、守られて。身動きも取れない不自由な身だったけど、しかしそれでも生きていくことは出来ていた」
「……では、其方は何故なにゆえ、そこを飛び出した?」
 久方振りに口を開いた瀬那に問いかけられ、一真は彼女の方に横目の視線を投げると「簡単なことさ」と返す。
「俺は、その無力が嫌だったんだ。誰かに守られっぱなしで、籠の中に飼われた愛玩用の鳥みたいな日々が、どうしても嫌だった。
 そんな無力な自分が嫌で嫌で仕方なかったから、俺は強い物に憧れたんだ。強い兵器たちを眺めている内に、いつしかマニアなんて呼ばれる人種になっちまってた。笑えるだろ?」
 半笑いで言う一真に、瀬那も小さく笑みを作ってみせる。
「俺は、強く在りたかった。今でもそうだ、その為に俺はここにいる」
「それが、其方が家を飛び出した理由わけなのか?」
「ああ」一真は頷いた。「誰よりも強く、何よりも強く。誰にも守って貰う必要の無いぐらい強い力が、こんな俺の唯一望むことだ」
「…………私には、其方の追い求める"強さ"の意味が、よく分からぬ」
 そして瀬那は「だが」と言って、一真の垂れ下がっていた左手に軽く指先を触れさせる。
「其方の気持ちは、何となく分かるやもしれぬ。無力な自分を呪い、家を飛び出し此処にる其方の気持ちぐらいは」
 己の左手に絡まる細い華奢な指先をそっと握り返し、一真は言う。
「君も、同じなんだな」
「うむ……」
「お互い、似たもの同士ってワケか」
 一真がまた小さく笑いながら言うと、「で、あるな」と瀬那もまた笑みを浮かべてみせる。
「教官がわざと俺たちを同室にした意味、何となく分かった気がするぜ」
「うむ。舞依もああ見えて、色々と細かいところにまで思慮を巡らせる女であるからな。全く、あの者には敵わぬよ」
「全く同感だ、教官にゃ逆立ちしても勝てる気がしねえ」
 なんて風に冗談めいた言葉を交わしていると、いつしかあれだけ激しく打ち付けていた雨音は弱まり、天球を覆っていた鬱蒼とした曇天が段々と晴れ、雲の切れ目から夕暮れの茜空が見え始めていた。
「……雨、止んだみたいだな」
「ああ、のようだ」
「帰るか、俺たちの寮に」
「帰るとしようか、我らの住処すみかに」
 雨上がりの道を、二人は並んで歩き出す。微かに漂う心地の良い雨の残香を感じながら、一真は歩く。隣に瀬那を連れ、雨に濡れた帰り路を。
 この先己がどうなっていくかなんて、そんなことは分からない。エマ・アジャーニに勝てるのか、そして己の辿る運命までもが不明瞭で、まるで霧が掛かったように先が見えない。
 しかし、一真にとってそんなことは些事だった。今はただ、隣を歩く彼女に――――瀬那が少しでも己のことを知って、覚えてくれたことが嬉しい。今の一真が思うことは、ただのそれだけだ。
 少しばかり肩の荷が下りたような感覚を覚えながら、一真は帰路を歩く。その先に、辿る道の果ての果てに。武闘大会の決勝の場で彼女が――――エマ・アジャーニが待ち構えていることに、不安と歓喜の入り交じった想いを抱きながら。
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