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第二章『セカンド・イグニッション/金狼の少女』

Int.05:安穏、今日も今日とて常世は泰平なり②

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 身体に張り付いた汗をシャワーで軽くサッと流した一真は、暫くしてから瀬那と共に203号室を出て訓練生寮・一階ロビーへ戻り、ステラ以下さっきの連中と合流。その後士官学校の敷地を出ると、一同がやって来たのは学校からほど近い場所にある顔馴染みの定食屋"三軒家食堂"だ。
「こんちわー」
 ガラガラッと音を立てる引き戸を開け、一真を先頭に食堂の中へ入っていく。するとやはり最初に「らっしゃい」と声を掛けてきたのは、奥の厨房に姿を見せるここの大将だ。
「あーら、いらっしゃい。カズマに瀬那ちゃんにあっくんに、皆お揃いでよく来たわねえ」
 奥から出てきた女将さんが一真ら一行を見るなり、ほほほと微笑みながらそんな風に言ってくる。一真は「あ、どうも」と小さく頭を下げ、瀬那は「うむ、今日も世話になる」と相変わらずな調子。そして一応ここの最常連である白井は「よっ! お姉さん今日も綺麗だねえ!」なんて調子の良いことを言っていた。
「あらやだ、もうあっくんたらぁん! いつの間にかお世辞が上手くなっちゃってからに、もう。こんなおばさんおだてたって、何も出やしないわよ?」
 しかし女将さんの反応は良く。言いながらも明らかに上機嫌な顔になった女将さんに案内され、一真たちは席に着く。流石に白井、ここの常連だけあって色々と心得ているらしい。
 席の配置的には六人掛けの席に丁度六人、左からステラ・一真・瀬那で、その対面も左から白井・霧香・美弥といった具合だ。瀬那はいつものことだから慣れたが、ここ最近は一真の左隣が半ばステラの指定席となりかけている気がするのは一真の気のせいだろうか。
 とにかく、そんな具合で六人は席に着いた。一真は既に何を頼むか来る前から決めてあるので、他の連中が何を注文するかメニューと睨めっこしている間、ふと何の気なしに店の中を見回してみた。
 昼食には遅すぎ、夕食には幾ら何でも早すぎるといった微妙な時間帯だからか、客の数は一真たちの他に二、三組ほどと随分まばらだ。少しばかり寂しげではあるが、下手に混雑しているよりはよほどいい。
 全員の注文が決まり、女将さんが注文を取って暫くすると、全員分の品が揃う。他の皆々は蕎麦や軽い麺類などと軽い具合だったが、流石に一真は試合後で腹が減っているのでがっつりと唐揚げ定食を注文していた。
「……アンタ、ほんとそれ好きよねえ」
 そんな唐揚げ定食を一真がさて食おうとした矢先、呆れた顔のステラにそう言われてしまう。
「まあな」一真は言いつつ、割り箸を割った。「好物だし」
「一真は本当に唐揚げが好きであるからな」
 割った割り箸で摘まんだ唐揚げを一つ、早速口に放り込んでいると、右隣の瀬那がいい加減慣れたように達観した声音でそう言う。
「でもさぁ瀬那、にしたってこう毎度毎度、よく飽きないと思わない?」
「言ってしまえば確かに。であるが、好物というものはそんなものではないか?」
「いや、でもほぼ毎日はやり過ぎよ……」
 呆れたように溜息をつくステラを横目に見ながら「ははは」と一真が笑う。こうして自分の周りの輪にステラが何の違和感もなく入って来れているのが、妙に嬉しく感じた。
「なーによ、ヒトの顔じーっと見ちゃって」
 なんてことを考えていれば、視線は自然とステラの方に向いていたらしく。それに気付いたステラがニッと悪戯っぽく笑って、一真の左頬にちょいと人差し指なんかを突いてくる。
「なっ……!? す、ステラ!?」
「にひひ、このこの」
 慌てる一真の反応を楽しむように、ちょいちょいと突っついてくるステラ。なんか般若みたいなおっそろしい顔になった白井から物凄い視線が突き刺さっているのがチラッと見えた気がするが、それどころじゃないし気にしないでおく。
「やめ、やめろって! あばばば」
「にしし、いやつめ、このこの」
 つんつんつんつん延々とステラに突っつかれるもんだから、一真はてんやわんや。ましてステラがなまじ楽しそうな顔をしているものだから、こうアレなことは一真としても言えるわけがなく。ただ延々と突っつかれるのみだった。
「こ、これ一真! 何をしておるか! それにステラも、いい加減に致せ!」
 それに割って入ってくる瀬那だったが、ステラも「なーによっ、折角だし瀬那もやってみなさいよ。楽しいわよ?」なんて悪びれる節もなく、逆に瀬那を誘う始末。
「た、楽しいのか……?」
「待て待て! 瀬那までやるなよ!? マジで勘弁してくれよ!?」
「百聞は一見に如かず、って言うんだっけ? とにかくやってみなさいよ、楽しいから。ほれほれ~♪」
「う、うむ……」
 困り果てる一真だが相手にならず、ステラは相変わらず左の頬を指先でつんつんつんつん。そして瀬那までもが何やら頬を少しだけ紅くして興味を示しだしているものだから、もう笑えない。
「……こ、こうか」
 ――――つん。
「ほわぁっ!?」
 右の頬につん、と触れる瀬那の細い華奢な人差し指。少しだけひんやりとしたそれが右の頬に触れたものだから、一真は素っ頓狂な声を上げる。
「た、確かに楽しい……のやもし、しれぬな」
 つん、つんつん。
 続けて何度も何度もつついてきて、しかも左のステラは相変わらずのものだから。挟撃を受ける一真はもうなんか反応に疲れるぐらいに物凄い顔になってしまう。
「はわわわ、わわわわ……」
 そんなのを眺めながら、何故か美弥までもがいつもの反応で真っ赤になる。隣の白井は相変わらず鬼の形相で、そして一方霧香といえば。
「……両手に、花だね」
 なんて妙なことを言い出すものだから。
「な……っ!?」
 という具合に瀬那は爆発しそうなぐらいに頬を紅くするいつもの反応を示し、対するステラといえば「男はそれぐらいで上等なのよ。ねー? カズマぁ-」なんて呑気なことを言い出す。
「瀬那! それにステラまで……!」
「ふっ、やるね一真。流石は瀬那の見込んだ男……ふふふ……」
「霧香ァ! それ以上余計なコト抜かすんじゃねェェ!!」
「――――みーろーくーじーぃー……!!」
 ともすれば、般若の如き顔を浮かべ、視線だけで人が殺せそうなぐらいの鬼の形相だった白井が遂に口を開き。
「テメェェェェェェ…………」
「ま、待て白井! 早まるな! 話せば分かるっ!」
 相変わらずステラにつんつんつんつん突っつかれながら一真がなんとか宥めようと試みるが、しかし白井の剣幕は収まるところを知らず。
「なんて羨ましい野郎なんだよ、オメーはよォォォォォ!!!」
 そう叫んだかと思えば、今度は突然机に伏せってオイオイと泣き始める。
「し、白井?」
「白井さん?」
 一真と美弥が困惑しながら同時に話しかけるが、白井は伏せったまま何かをブツブツと恨み言のように呟くのみ。
「大体よお、なんでこう弥勒寺の周りにはさぁ? 選りすぐりのかわいちゃんばっか集まるんだよぉ。綾崎といい霧香ちゃんといいステラちゃんといいその他諸々といい! かぁーっ納得いかねえぜったっくよお!
 かと思えば俺はさ? ネタ扱いかよ、完全に男として見られてねーじゃん誰にもさあ。そもそも俺も悪いよ? こんなキャラだから男として見られないのも無理ないよなあ? そりゃあ弥勒寺の方が良いよなあ? だって男でも惚れちゃいそうになるもんコイツの熱さってーの? たまんねえぜったくよおド畜生めこのヤロー」
 ……最後の方はもう支離滅裂だ。何を言っているのかはまるで分からないが、ともかく自分がまるで女っ気がないのを嘆いているらしいことは分かった。
「ホラ、いい加減鬱陶しい」
 ともすれば、机の下でステラが白井の脚を軽く蹴り飛ばし。さすれば白井も流石に耐えかねて「痛ってえ!」と飛び起きる。
「な、何すんだよステラっちゃーん!?」
「何もへったくれもないわよ、ったくさっきから聞いてりゃメソメソメソメソ……。男がいつまでもだらしないことしてんじゃないわよ! 卑屈になったって何にもならないじゃないの、えぇ!?」
 かと思っていると、今度は何故か熱くなってきたステラが説教を始めた。まあ他の客は少し前に退散しているので、迷惑が掛かる相手が居ないのが幸いだが。
「で、でもよお」
「大体自分とヒトと比べて何になるってのよ。自分は自分! ヒトはヒト! 違う!?」
「ち、違わないです……」
 何故かしゅんとする白井だったが、しかしステラの勢いは止まらない。
「いい? アンタも男ならビシッとしなさい。欲しいなら奪う、気に入らない奴はブッ飛ばす! 我が侭で結構よ、それぐらいで行きなさい!」
「はっ、はいいい!!」
 バッと立ち上がり直立不動になる白井の多種多様な反応は、傍から見ている分には面白くて飽きないものだ。いつの間にか蚊帳の外になっていたものだから、一真はふとそんなことを思ってしまった。いや、今も何故か瀬那は「つん、つん……?」と妙なことを口走りながら、一真の右頬を小さく突っついているのだが。
「軟派も結構、それもそれで生き方だわ。でもね、一つビシッと芯を持ちなさい! 仮に私が欲しいんなら、力尽くでも奪い取ってみなさいな。それぐらいの勢い無くちゃダメよ? いいかしら白井、分かった? 分かったら返事!」
「い、イエス・マムッ!!」
 バッと敬礼をし始める白井の態度は、もう完全にステラが上官みたいな感じだ。
「……ねぇねぇ、霧香ちゃん」
 なんて具合な二人のやり取りを眺めていた美弥が、ふとしたタイミングで隣の霧香に小さく耳打ちをする。
「……なに?」
「なんかこう、ステラちゃんと一真さんって、似てると思いませんかぁ?」
「…………言われてみれば、似てる」
「ですよねぇ。妙に熱いっていうか、そういう所がすっごい似てると思うんですよぉ」
「ふっ、分かるよ……。ある意味、似たもの同士なのかもね……」
「かもですねー。なんだかんだ二人とも、相性良さそうですし」
「瀬那にライバル現る、か……。ふふふ……面白い展開になってきた……」
 何故かほくそ笑む霧香の最後の言葉は、どうやら美弥には意味が分からなかったようで。きょとんとした美弥を差し置いて、霧香が一人でニヤニヤとしていた。
 といった具合に時間は過ぎ、今日も一日が終わっていく。今日も今日とて世は平穏。こんな日々が続いてくれるのが一番だと、そんな彼女らのやり取りを眺めながら一真はふと、思ってしまう。
 ――――それが、このご時世では決して叶わぬ夢だとしても。
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