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第四条:深追いはしない。
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「やあ、ハリー」
早朝の事務所前。ボクサー・エンジンの重低音を響かせながら事務所を訪れたのはミリィ・レイスと、彼女の持ってきたいつもの黒いGDB-F型スバル・インプレッサWRX-STiだった。事件現場となった学園前に不可抗力で放置してきた奴を、彼女がわざわざこうして運んできてくれたのだ。
「悪いな、ミリィ」
そんなミリィを、事務所の外に出てきたハリーがラフな格好で出迎える。彼女が来る少し前に寝起きのシャワーを浴びたからかハリーの格好は昨晩とは異なり、下こそ同じジーンズなものの、上は黒いポロシャツに、その上から袖を折った藍色で裾の長いロングコートといった出で立ちだった。
「礼なら冴子に言って欲しいな」と、エンジンを掛けたままのインプレッサから降りながら、ミリィが言う。
「僕はあくまで、運んできただけだから。冴子が言ってたよ? 君のインプ、上手く逃がしておくのに随分苦労したって」
「世話を掛けた、と伝えておいてくれ」
薄く微笑むミリィへ大袈裟に肩を竦めるジェスチャーを織り交ぜながらハリーは返すと、手持ちのリモコンで一階のシャッターを遠隔で開いてやる。ガーッと音を立ててシャッターが電動で開けば、車三台半ぐらいが入りそうな広いスペースを持つ、しかし今はがらんとした寂しい雰囲気な、整備用リフト付きのガレージが姿を現した。
そのガレージへ、ハリーがインプレッサを尻から突っ込んでやる。ガレージの壁を反響するボクサー・サウンドを楽しむ間も無くエンジンを切ったハリーは車から降りて、傍に近寄ってきていたミリィに「珈琲でも飲んでくか?」と問いかけてみた。
「いや、遠慮しておくよ。君の気持ちだけは頂くけれどね」
フッと微かな笑みを浮かべてミリィはやんわりとハリーの提案を断れば、ガレージの隅に停めてあった和葉のNSRの方へと近寄っていく。
「ミリィ」
そんな彼女へ、ハリーがポケットから出したNSRのキーをひょいっと投げてやると。するとミリィは振り向きざまにそれを空中でキャッチし掌の中に収めた。NSRをマンションに戻しておくことは既にオーナーである和葉にも伝えてあり、昨日の内にハリーがキーを預かっていたのだ。
「……ハリー」
キーを差し込み、跨がったNSRのキック・スターターを蹴り飛ばし250ccの二ストローク・エンジンを叩き起こしながら、ミリィがふと声を掛けてくる。
「クララ・ムラサメが敵に回ったというのは、本当かい?」
「何処で知った」と、インプレッサに寄りかかりながら腕を組むハリーが、神妙な顔でミリィへ逆に訊き返す。
「昨日」即答するミリィ。「Nシステムのデータ改竄とかしてる最中、カーチェイスの場面で偶然、クララ・ムラサメが映り込んでた。最後に君たちの前を塞いだ、あの黒いCクラスだ」
「あそこか……」
ミリィの言動を聞く限り、どうやら昨日のバイクチェイスで最後に相手した、ウォードッグがサンルーフからK3軽機関銃を撃ちまくっていたあのメルツェデス・ベンツのCクラスを操っていたのは、他でもないクララ・ムラサメだとハリーは察する。
ともすれば、漏れるのは深々とした溜息だ。あのクララがベンツのコクピットでステアリングを握っていたというのなら、意味不明なまでに弾が当たらない巧みな回避運動も納得というものだった。何せ、ハリーの人並み外れた戦闘技術やドライヴィング・テクニックを彼に仕込んだのは、誰でもない彼女自身なのだから。
「その様子だと、どうやら僕の勘違いというワケではなさそうだね」
そんなハリーの反応を窺い、ミリィもまた小さく肩を落とす。彼女とて、クララ・ムラサメの手強さはよく知っている。味方に付けた時の頼もしさも、そしてそれと裏返しに、彼女を敵に回す恐ろしさも……。
「まあ、いいさ。ひょっとすれば、弟子の君なら勝てるかもしれないし」
「買い被り過ぎだ、ミリィ」
「勝てるさ、君なら」
ミリィは最後にフッと微かな笑みを横目の視線と共にハリーに向けると、そのままNSRに引っ掛けてあった和葉のフルフェイス・ヘルメットを頭に被ってしまった。彼女は小柄ながら頭のサイズは和葉に多少近いらしく、多少余らせながらも一応は被れている。
「じゃあ、僕はこれを彼女のマンションまで運んでいくよ。君は、引き続き彼女のことを」
「分かってる」
「……君なら出来るさ、ハリー」
言いながら、ミリィはヘルメットのバイザーを下ろし。そしてそのままNSRのギアを入れてスタンドを蹴っ飛ばすと、事務所のガレージを飛び出していってしまう。
「俺なら出来る、ね……」
抜けの良い高回転のサウンドが遠ざかっていく中、ガレージに残るのは二ストローク・エンジン特有の仄かな不完全燃焼の匂い。そんな燃え切らぬガソリン臭さを鼻腔に感じながら、残されたハリーが独り、そんな風に呟いていた。
早朝の事務所前。ボクサー・エンジンの重低音を響かせながら事務所を訪れたのはミリィ・レイスと、彼女の持ってきたいつもの黒いGDB-F型スバル・インプレッサWRX-STiだった。事件現場となった学園前に不可抗力で放置してきた奴を、彼女がわざわざこうして運んできてくれたのだ。
「悪いな、ミリィ」
そんなミリィを、事務所の外に出てきたハリーがラフな格好で出迎える。彼女が来る少し前に寝起きのシャワーを浴びたからかハリーの格好は昨晩とは異なり、下こそ同じジーンズなものの、上は黒いポロシャツに、その上から袖を折った藍色で裾の長いロングコートといった出で立ちだった。
「礼なら冴子に言って欲しいな」と、エンジンを掛けたままのインプレッサから降りながら、ミリィが言う。
「僕はあくまで、運んできただけだから。冴子が言ってたよ? 君のインプ、上手く逃がしておくのに随分苦労したって」
「世話を掛けた、と伝えておいてくれ」
薄く微笑むミリィへ大袈裟に肩を竦めるジェスチャーを織り交ぜながらハリーは返すと、手持ちのリモコンで一階のシャッターを遠隔で開いてやる。ガーッと音を立ててシャッターが電動で開けば、車三台半ぐらいが入りそうな広いスペースを持つ、しかし今はがらんとした寂しい雰囲気な、整備用リフト付きのガレージが姿を現した。
そのガレージへ、ハリーがインプレッサを尻から突っ込んでやる。ガレージの壁を反響するボクサー・サウンドを楽しむ間も無くエンジンを切ったハリーは車から降りて、傍に近寄ってきていたミリィに「珈琲でも飲んでくか?」と問いかけてみた。
「いや、遠慮しておくよ。君の気持ちだけは頂くけれどね」
フッと微かな笑みを浮かべてミリィはやんわりとハリーの提案を断れば、ガレージの隅に停めてあった和葉のNSRの方へと近寄っていく。
「ミリィ」
そんな彼女へ、ハリーがポケットから出したNSRのキーをひょいっと投げてやると。するとミリィは振り向きざまにそれを空中でキャッチし掌の中に収めた。NSRをマンションに戻しておくことは既にオーナーである和葉にも伝えてあり、昨日の内にハリーがキーを預かっていたのだ。
「……ハリー」
キーを差し込み、跨がったNSRのキック・スターターを蹴り飛ばし250ccの二ストローク・エンジンを叩き起こしながら、ミリィがふと声を掛けてくる。
「クララ・ムラサメが敵に回ったというのは、本当かい?」
「何処で知った」と、インプレッサに寄りかかりながら腕を組むハリーが、神妙な顔でミリィへ逆に訊き返す。
「昨日」即答するミリィ。「Nシステムのデータ改竄とかしてる最中、カーチェイスの場面で偶然、クララ・ムラサメが映り込んでた。最後に君たちの前を塞いだ、あの黒いCクラスだ」
「あそこか……」
ミリィの言動を聞く限り、どうやら昨日のバイクチェイスで最後に相手した、ウォードッグがサンルーフからK3軽機関銃を撃ちまくっていたあのメルツェデス・ベンツのCクラスを操っていたのは、他でもないクララ・ムラサメだとハリーは察する。
ともすれば、漏れるのは深々とした溜息だ。あのクララがベンツのコクピットでステアリングを握っていたというのなら、意味不明なまでに弾が当たらない巧みな回避運動も納得というものだった。何せ、ハリーの人並み外れた戦闘技術やドライヴィング・テクニックを彼に仕込んだのは、誰でもない彼女自身なのだから。
「その様子だと、どうやら僕の勘違いというワケではなさそうだね」
そんなハリーの反応を窺い、ミリィもまた小さく肩を落とす。彼女とて、クララ・ムラサメの手強さはよく知っている。味方に付けた時の頼もしさも、そしてそれと裏返しに、彼女を敵に回す恐ろしさも……。
「まあ、いいさ。ひょっとすれば、弟子の君なら勝てるかもしれないし」
「買い被り過ぎだ、ミリィ」
「勝てるさ、君なら」
ミリィは最後にフッと微かな笑みを横目の視線と共にハリーに向けると、そのままNSRに引っ掛けてあった和葉のフルフェイス・ヘルメットを頭に被ってしまった。彼女は小柄ながら頭のサイズは和葉に多少近いらしく、多少余らせながらも一応は被れている。
「じゃあ、僕はこれを彼女のマンションまで運んでいくよ。君は、引き続き彼女のことを」
「分かってる」
「……君なら出来るさ、ハリー」
言いながら、ミリィはヘルメットのバイザーを下ろし。そしてそのままNSRのギアを入れてスタンドを蹴っ飛ばすと、事務所のガレージを飛び出していってしまう。
「俺なら出来る、ね……」
抜けの良い高回転のサウンドが遠ざかっていく中、ガレージに残るのは二ストローク・エンジン特有の仄かな不完全燃焼の匂い。そんな燃え切らぬガソリン臭さを鼻腔に感じながら、残されたハリーが独り、そんな風に呟いていた。
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