16 / 33
居城
しおりを挟む
耳をつんざくような馬のいななき。およそ人間が発し得る声ではない叫び。
まさにそこは戦場であった。一部の人間にしか利が行かぬ、命と命の投げ合いであった。
援軍があったにも関わらず、霧のかかる深い森は、なかなかに突破に苦労していたようだった。
しかし、いつまでも足止めを食らっているわけにはいかない。
彼女が再び耳を澄ませていると、強行突破するという指示が聞こえてきた。そしてそれに応じるかのように、荷台にいても分かる程の勢いで馬車が走り始める。
何匹もの狼をひき殺して、目の前を鬱陶しく覆う霧を裂くように突き抜ける。それはまさに、玉砕覚悟の一手だった。
森の地面は整備されておらずガタガタで、そのひずみに車輪が引っかかる度に馬車が上下に揺れる。
彼女が収容されている荷台はとてつもなく狭いので、彼女は何度も壁や天井に身体をぶつけることになってしまった。それをじっと耐えて、馬車が収まるのを待つ。
風のごとく、いや、風よりも速く走ること、数分間。
彼女らにとってはそれよりもうんと長く感じたが、とにかく、彼女が入れられている一台のみが先に、深い霧のかかる森を破ったのだった。
それと同時に、馬車が大きな音を立てて横に倒れる。
馬が悲鳴ともとれるような耳障りな声で鳴いて、それ以来黙ってしまった。
激しい音が反響し、車輪が、カラカラと空回りしている。
「もっと上手くできなかったのか、無能め…」
そう悪態をつきながら、サヘラベートは倒れた馬車から扉を押し開けて体を起こした。
そして荷台の扉をこじ開け、彼女を荒々しく引っ張り出す。彼女の足を縛っている縄のみを切り、粗雑に立ち上がらせた。
「死んでないな。…早くしろ、愚か者! 手間をかけさせるな!」
縄を引っ張られ、彼女が痛みに顔をしかめるも、サヘラベートはその様子を一瞥もせずに先を歩き始めた。
「今は夫人を救出するのが先だ! さっさと歩け、愚図が!」
「……」
彼女は奥歯をかみしめて、今は黙って言われた通りにすることを選んだ。
フランツブルグの屋敷は、想像以上に大きく、そして、暗いオーラを纏っていた。
時刻はもう早朝四時になろうとしている。雲の上が白みはじめたくらいだが、どうしてか、その屋敷は白みどころか、一片の光すらも通さないような、何物をも寄せ付けない印象を与えるものだった。
庭は広く、しかし、花の一本すらも植えてはいない。
あるのはいくつかの銅像と、ハクセイに、いくつもの飾られた剣や斧などの武器、そして静寂のみだった。
その屋敷を、崖が円を描いて囲っている。崖の下は、底が見えない程の闇が住んでいた。
屋敷の大きな門に続くのは、一本の石造りの大橋のみだ。
そんな、人を極端に寄せ付けない造りは、まさか怪物でも住んでいるのではないかと思わせる。
「趣味の悪い屋敷だ…」
サヘラベートは、彼女を繋ぐ縄を片手に、そうつぶやいた。
そして息を飲んだあと、意を決したように大橋を渡り始める。
橋は大きく長く、数十メートルはあるようだった。そこを、一歩一歩、慎重に歩んでいく。橋の上の者を脅さんとばかりに吹き荒れる風は、どうやら崖下の方から手を伸ばす気流らしい。
その風に身体を揺らされながら、手すりも柵も何もないその大橋を渡りきる。
彼女らの目の前に聳え立つ大きな門は、その威厳とは裏腹に、ギイ、と音を立ててすんなりと開いた。
その先の灰色の庭に、二人は足を踏み入れる。
たくさんの武器。侵入者を嫌うような装飾に、一瞬、足が止まりそうになるのを引っ張る縄が許さなかった。
冷たく見つめてくる銅像は、止まってしまった時を求めるように冷気を帯びた手を伸ばし、突き刺さったままの剣や斧は、その刃を振るう時を今か今かと待ちわびているようだ。
その多くをくぐったその先に、重たく閉ざされた屋敷の扉があった。
まさにそこは戦場であった。一部の人間にしか利が行かぬ、命と命の投げ合いであった。
援軍があったにも関わらず、霧のかかる深い森は、なかなかに突破に苦労していたようだった。
しかし、いつまでも足止めを食らっているわけにはいかない。
彼女が再び耳を澄ませていると、強行突破するという指示が聞こえてきた。そしてそれに応じるかのように、荷台にいても分かる程の勢いで馬車が走り始める。
何匹もの狼をひき殺して、目の前を鬱陶しく覆う霧を裂くように突き抜ける。それはまさに、玉砕覚悟の一手だった。
森の地面は整備されておらずガタガタで、そのひずみに車輪が引っかかる度に馬車が上下に揺れる。
彼女が収容されている荷台はとてつもなく狭いので、彼女は何度も壁や天井に身体をぶつけることになってしまった。それをじっと耐えて、馬車が収まるのを待つ。
風のごとく、いや、風よりも速く走ること、数分間。
彼女らにとってはそれよりもうんと長く感じたが、とにかく、彼女が入れられている一台のみが先に、深い霧のかかる森を破ったのだった。
それと同時に、馬車が大きな音を立てて横に倒れる。
馬が悲鳴ともとれるような耳障りな声で鳴いて、それ以来黙ってしまった。
激しい音が反響し、車輪が、カラカラと空回りしている。
「もっと上手くできなかったのか、無能め…」
そう悪態をつきながら、サヘラベートは倒れた馬車から扉を押し開けて体を起こした。
そして荷台の扉をこじ開け、彼女を荒々しく引っ張り出す。彼女の足を縛っている縄のみを切り、粗雑に立ち上がらせた。
「死んでないな。…早くしろ、愚か者! 手間をかけさせるな!」
縄を引っ張られ、彼女が痛みに顔をしかめるも、サヘラベートはその様子を一瞥もせずに先を歩き始めた。
「今は夫人を救出するのが先だ! さっさと歩け、愚図が!」
「……」
彼女は奥歯をかみしめて、今は黙って言われた通りにすることを選んだ。
フランツブルグの屋敷は、想像以上に大きく、そして、暗いオーラを纏っていた。
時刻はもう早朝四時になろうとしている。雲の上が白みはじめたくらいだが、どうしてか、その屋敷は白みどころか、一片の光すらも通さないような、何物をも寄せ付けない印象を与えるものだった。
庭は広く、しかし、花の一本すらも植えてはいない。
あるのはいくつかの銅像と、ハクセイに、いくつもの飾られた剣や斧などの武器、そして静寂のみだった。
その屋敷を、崖が円を描いて囲っている。崖の下は、底が見えない程の闇が住んでいた。
屋敷の大きな門に続くのは、一本の石造りの大橋のみだ。
そんな、人を極端に寄せ付けない造りは、まさか怪物でも住んでいるのではないかと思わせる。
「趣味の悪い屋敷だ…」
サヘラベートは、彼女を繋ぐ縄を片手に、そうつぶやいた。
そして息を飲んだあと、意を決したように大橋を渡り始める。
橋は大きく長く、数十メートルはあるようだった。そこを、一歩一歩、慎重に歩んでいく。橋の上の者を脅さんとばかりに吹き荒れる風は、どうやら崖下の方から手を伸ばす気流らしい。
その風に身体を揺らされながら、手すりも柵も何もないその大橋を渡りきる。
彼女らの目の前に聳え立つ大きな門は、その威厳とは裏腹に、ギイ、と音を立ててすんなりと開いた。
その先の灰色の庭に、二人は足を踏み入れる。
たくさんの武器。侵入者を嫌うような装飾に、一瞬、足が止まりそうになるのを引っ張る縄が許さなかった。
冷たく見つめてくる銅像は、止まってしまった時を求めるように冷気を帯びた手を伸ばし、突き刺さったままの剣や斧は、その刃を振るう時を今か今かと待ちわびているようだ。
その多くをくぐったその先に、重たく閉ざされた屋敷の扉があった。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
死に役はごめんなので好きにさせてもらいます
橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。
前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。
愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。
フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。
どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが……
お付き合いいただけたら幸いです。
たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!
末っ子王子は貧乏令嬢を見初める ~御令嬢は実は凄腕冒険者でした~
秋月真鳥
恋愛
モンスターを食べながら、恋を育む平和で癒しのスローライフファンタジー!
ナーラライネン王家の末っ子の王子、12歳のエドヴァルドは病弱で学校にもいけない。
王子は実は魔族で、モンスターの血肉から魔力を必要とする体質だったが、肝心のモンスターが手に入らない。
一方、ミエト侯爵家の令嬢、18歳のロヴィーサは負わされた覚えのない借金のかたに所領を取り上げられて、冒険者として家を支えるしかなかった。
エドヴァルドと出会ったロヴィーサは、エドヴァルドのためにモンスター料理を作る!
エドヴァルドは自分のために料理を作り、家庭菜園を作ってくれるロヴィーサにますます惹かれていく!
※脇役のボーイズラブ表現があります。
さよなら、英雄になった旦那様~ただ祈るだけの役立たずの妻のはずでしたが…~
遠雷
恋愛
「フローラ、すまない……。エミリーは戦地でずっと俺を支えてくれたんだ。俺はそんな彼女を愛してしまった......」
戦地から戻り、聖騎士として英雄になった夫エリオットから、帰還早々に妻であるフローラに突き付けられた離縁状。エリオットの傍らには、可憐な容姿の女性が立っている。
周囲の者達も一様に、エリオットと共に数多の死地を抜け聖女と呼ばれるようになった女性エミリーを称え、安全な王都に暮らし日々祈るばかりだったフローラを庇う者はごく僅かだった。
「……わかりました、旦那様」
反論も無く粛々と離縁を受け入れ、フローラは王都から姿を消した。
その日を境に、エリオットの周囲では異変が起こり始める。
【完結】呪言《ことほぎ》あなたがそうおっしゃったから。
友坂 悠
恋愛
「君はまだ幼い、私は君を大事にしたいのだ」
あなたがそうおっしゃったから。
わたくしは今までお飾りの妻でがまんしてきたのに。
あなたがそうおっしゃったから。
好きでもない商会のお仕事を頑張ってこなしてきたのに。
全部全部、嘘だったというの?
そしたらわたくしはこれからどうすればいいっていうの?
子供の頃から将来の伴侶として約束された二人。
貴族らしく、外あたりが良く温厚に見えるように育ったラインハルト。
貞淑な令嬢、夫を支えるべき存在になるようにと育てられたアリーシア。
二人は両家に祝福され結婚したはず、だった。
しかし。
結婚したのはラインハルトが18になった歳、アリーシアはまだ14歳だった。
だから、彼のその言葉を疑いもせず信じたアリーシア。
それがまさか、三年後にこんなことになるなんて。
三年間白い結婚を継続した夫婦は子を残す意思が無いものと認められ、政略的な両家のしがらみや契約を破棄し離縁できる。
それがこの国の貴族の婚姻の決まりだった。
元は親同士の契約に逆らって離縁しやり直すための決まり事。
もちろん、そんな肉体的繋がりなど無くても婚姻を継続する夫婦は存在する。
いや、貴族であれば政略結婚が当たり前、愛はなくても結婚生活は続いていく。
貴族の結婚なんて所詮そんなもの。
家同士のつながりさえあれば問題ないのであれば、そこに愛なんてものがなくってもしょうがないのかも、知れない。
けれど。
まさかそんなラインハルトから離婚を言い出されるとは思ってもいなかったアリーシア。
自分は傾いた家を立て直すまでのかりそめの妻だったのか。
家業が上手くいくようになったらもう用無しなのか。
だまされていたのかと傷心のまま実家に戻る彼女を待っていたのは、まさかのラインハルトと妹マリアーナの婚約披露。
悲しみのまま心が虚になったまま領地に逃げ引き篭もるアリーシアだったが……
夫と妹に、いや、家族全てから裏切られたお飾り妻のアリーシア。
彼女が心の平穏を取り戻し幸せになるまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる