上 下
1 / 1

過去からのアラーム

しおりを挟む
 ピ、ピ、ピ、ピ、ピ。

 千洋ちひろはいつものアラームとは違う通知音で起こされた。
 布団の中から手を伸ばして音の出所を探る。

「あぁ? なんだこれ」

 ケータイに手を伸ばして音を止めたはいいが、それは通知音だけで何の通知かまでは教えてくれなかった。

「俺、こんなのセットしたっけ?」

 寝起きでボサボサの頭を捻るが思い出せない。
 スマホの時計を確認するとまだ起きるには少し早い時間だったがすっかり目が覚めてしまった。
 仕方がないので千洋は起きることにした。

 シャワーを浴びてから、時間に余裕があるのでいつもより少し丁寧にコーヒーを淹れる。
 青い花柄のマグカップは花の好きなさきが自分用にと買った物だった。
 ほどよい大きさで使い勝手がよく、千洋もついついこれを使ってしまう。
 千尋は朝飯がわりのコーヒーを飲み終えてから、洗ったマグカップを水切りの上に丁寧に伏せて置いておいた。

 テーブルの上のカレンダーを見れば、今日の日付の横に黒のボールペンで小さく丸がつけられていた。
 今日は月に一度の大切なデートの日だ。
 部屋の隅に置いてあるクリーニングの袋からスーツを取り出してネクタイを締める。
 待ち合わせ場所に行く前に、花屋に寄って頼んでおいた花を受け取るのを忘れないようにしなければ。
 花なんて恥ずかしくて買ったことがなかったのに、もうすっかりそれが当たり前になってしまったのがなんだか不思議な気分だ。

「あんなに恥ずかしがる必要はなかったな」

 かつて咲に花が欲しいとねだられた時に思いきり拒んでしまったことを思い出して、千洋は少し胸が痛んだ。

 身支度を終えた千洋は殺風景な部屋をあとにすると車で花屋に向かう。
 受け取った花を助手席に置いて運転席に乗り込むと、ふいに記憶が蘇った。

「あ! あれはあの時の……」

 確かあのアラームは、ケータイの機種変更をした時に咲が設定したものだったはずだ。
 記念日の好きな彼女と忘れっぽい俺。
 千洋がいつも記念日を忘れるので『これなら忘れないでしょ』と咲が新しく買ったばかりのケータイに記念日の通知を設定していたのを思い出す。

「そうか、今日は付き合って十年目の記念日だったか」

 それならこんないつも通りの花じゃなく、もっと小洒落た花を用意すれば良かった。
 千洋は助手席の花を見ながらほんの少しだけ後悔する。
 でもきっと咲ならそんな気が利かない千洋のことも『仕方がないなぁ』と笑ってくれる気がするのだが。

 花束を片手に車から降り、駐車場から咲とのデートの場所に向かう。
 するとそこには先客がいた。
 その女性は千洋に気づくと立ち上がり、会釈をしてから困ったような表情を浮かべる。

「おはようございます、お義母さん」

「千洋さん。毎月、来なくても良いのよ?」

 義母の言葉に気づかないふりをして、千洋は言葉をつなぐ。

「忘れてたんですけど、今日は咲と付き合いはじめて十年目の記念日だったんですよ」

 おどけたように肩をすくめる千尋を見て、義母が小さくため息をついた。

「もう忘れてもいいのに」

「忘れるなって咲に怒られちゃいましたから」

「咲に……?」

 心配するように眉をひそめる義母に向かって、千洋はポケットから年代物のガラケーを取り出した。
 ガラケーを見せながら今朝のことを話して聞かせると、義母は目を開いて驚いた顔をしたあと、口元に手をやりうつむいて肩を震わせる。

 手の中にある十年前のガラケーは、ふたりが付き合ってすぐの頃、一緒に電機屋に行ってお揃いの機種に機種変更した時のものだ。
 ふたり分のガラケーを手に持って、『これで十年後も記念日を忘れないよ!』と咲が二台分の通知の設定をしていた。
 そんな咲に向かって『その前にケータイが壊れるだろ』と千洋が笑って返した日が懐かしい。
 七年前に新しくスマートホンを買ったときも、その時のやり取りを思い出してなんとなく捨てられずに残しておいたのだった。
 買った頃のことを思い出すのが辛くて一度は捨ててしまおうと思ったこともあった。
 それでも中のやり取りまで失うのが恐ろしくて捨てられなかった。
 もう一台の片割れはとうに無くなっていたからなおさらだ。
 ガラケーなんて今ではもう骨董品のようなもので、充電器を見つけるのも難しい。
 今の充電器はわざわざオークションで取り寄せたものだ。
 こんなプレゼントをもらえるなら残しておいて良かった。
 五年ぶりの咲からのプレゼントだ。

 千洋はまだ俯いている義母の横を通り抜けた、
 義母の後ろに立つ冷たい灰色の石の下で、五年前から咲は眠っている。

「もう二度と忘れねーよ」

 千洋はもう二度と話すことのできない咲に向かって花を差し出した。
 今さら花を買ってくる千洋のことを咲はどう思っているのだろうか。
 千洋の耳には『仕方がないなぁ』と笑う咲の笑い声が聞こえた気がした。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

長い片思い

詩織
恋愛
大好きな上司が結婚。 もう私の想いは届かない。 だから私は…

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

旦那様が不倫をしていますので

杉本凪咲
恋愛
隣の部屋から音がした。 男女がベッドの上で乱れるような音。 耳を澄ますと、愉し気な声まで聞こえてくる。 私は咄嗟に両手を耳に当てた。 この世界の全ての音を拒否するように。 しかし音は一向に消えない。 私の体を蝕むように、脳裏に永遠と響いていた。

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

【完結】やさしい嘘のその先に

鷹槻れん
恋愛
妊娠初期でつわり真っ只中の永田美千花(ながたみちか・24歳)は、街で偶然夫の律顕(りつあき・28歳)が、会社の元先輩で律顕の同期の女性・西園稀更(にしぞのきさら・28歳)と仲睦まじくデートしている姿を見かけてしまい。 妊娠してから律顕に冷たくあたっていた自覚があった美千花は、自分に優しく接してくれる律顕に真相を問う事ができなくて、一人悶々と悩みを抱えてしまう。 ※30,000字程度で完結します。 (執筆期間:2022/05/03〜05/24) ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼ 2022/05/30、エタニティブックスにて一位、本当に有難うございます! ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼ --------------------- ○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。  (作品シェア以外での無断転載など固くお断りします) ○雪さま (Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21 (pixiv)https://www.pixiv.net/users/2362274 ---------------------

王女殿下の秘密の恋人である騎士と結婚することになりました

鳴哉
恋愛
王女殿下の侍女と 王女殿下の騎士  の話 短いので、サクッと読んでもらえると思います。 読みやすいように、3話に分けました。 毎日1回、予約投稿します。

幸せだよと嘘をつく~サレ妻の再生計画~

おてんば松尾
恋愛
河津雪乃はメーカーの社員だ。夫の康介は大手の証券会社で債券トレーダーとして働いている。 愛し合う夫婦生活3年目、誕生日の夜、雪乃は夫が女性とラブホテルに入って行くのを見てしまった。 職場の後輩との会話を思い出した雪乃。他に愛情が移ってしまった夫に縋りつくべきではないと考えた。 潔く康介を諦め、離婚しようと決意する。 しかし夫は、浮気はただの遊びで、愛しているのは妻だけだと離婚に応じない。 他サイトにも投稿あり

処理中です...