恋する狼と竜の卵

ミ度

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5.白い背中

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「旦那方、あいにく今夜は一部屋しか残ってねぇんですが……」
「ベッドはふたつあるんだろ?」
「ええ、まぁ……」
「なら構わねえよ」
 と、赤茶色の狼獣人は宿屋の亭主に返事をした。
「承知しました。ところで、女はどうします?」
 亭主が意味ありげに視線を向けた先、客室のある二階へ続く階段には、胸元が大きく開いたドレスを着た女たちがたむろしており、ふたりの客人に向けて秋波を送っている。娼婦を抱える宿屋は、この辺りでは珍しいものではない。
「せっかくだが、今夜はやめとく」
「さようで。そちらの旦那はいかがです?」
 仕事熱心な亭主の営業の矛先が、もう一方の客人へ向けられる。狼のそばに佇むのは、稀な美貌の男だった。
 彼の長い黒髪を見た亭主の脳裡によぎったのは、最近ゴロツキどもの間で噂になっている二人組の傭兵のことだ。ひとりは灰銀色の狼獣人、もうひとりは長い黒髪の人間だという。彼らは稀少品である竜の卵を持ち歩いているらしい。
(だが、違うか)
 美貌の男の頭には、半獣人の証である獣耳が生えている。耳の形からして狼だろうか。亭主は彼が受付に来たときからそれとなく観察していたが、あの細やかな耳の動きは、作り物で再現できるそれではない。本物の耳だ。
「私も遠慮しよう」
 半獣人が短く答えた。
 宿屋の亭主は、ほんの少し肩を落としながら部屋の鍵を差し出した。客が娼婦との同衾を望めば、追加料金を得られるからだ。
「気が変わりましたら、いつでもお声がけくだせえ。旦那方が相手なら、女たちもきっと大喜びでご奉仕しますよ」
「ははは、ありがとよ」
 亭主の言葉は世辞ではない。ふたりが娼婦たちのわきを通りすぎたとき、彼女らが向けた熱っぽい眼差しと、媚を含んだ落胆の吐息は本物だった。気持ちは分かる。女たちからしてみれば、逞しい狼と、見目麗しい半獣に抱かれる機会を同時に失ったのだから。


※※※


「けっこう可愛い子が揃ってたぞ。好みの子がいなかったのか?」
「そういう貴様こそ断っていただろう」
「バッカ、本命のメスがいるのに他のメスを抱く狼がいるかよ」
「女扱いするな、不愉快だ」
「おっ……ちゃんと『オレの本命』の自覚がお前にあってよかったぜ」
「……貴様は外で寝るがいい」
「久しぶりにベッドで寝られんのにそりゃねーだろ」
 部屋に着くなり、バアルは頭に着けていた黒い狼耳のカチューシャを外した。宿屋の前に立ち寄った町で、フェンリルが知り合いの魔女に作らせたものだ。本物の半獣人の耳と見紛うそれは、編み込まれた不可視の術式でバアル本来の耳を隠してくれる。道中の『敵』を欺くためのお手軽な変装アイテムだが、これが意外に効果がある。
 『敵』というのは、ドミニク一派のことではない。シャノンが裏で手を回してくれたらしく、あの強欲商人から訴えは出されていない。
 にも拘わらず、ロスヴァイセを出て二日後、とある山道で男たちから奇襲を受けた。返り討ちにしてみると、ドミニクとは縁もゆかりもない盗賊集団だった。

 ──灰銀色の狼と黒髪の剣士が、竜の卵を持ち歩いている。

 盗賊のひとりに吐かせたところによると、ふたりが竜の卵を持ってオウリュウを目指しているという噂が広まっているらしい。クエレブレの仕業かどうかまでは分からなかったが、これ以降、フェンリルたちは金に目の眩んだ連中に襲われ続ける羽目になった。
 というわけで、無駄な戦闘を避けるために変装を思いついた。バアルは狼耳のカチューシャだが、フェンリルの場合は、特殊な染料で灰銀色の毛を赤茶色に塗り替えている。この染料を落とすには、魔女の作った専用の薬剤が必要になる。
 高い買い物ではあったが、おかげでここまでの道中、自分たちが噂の傭兵コンビとは誰にも気づかれずに済んだ。
(仕事が終わったら、かかった費用はシャノンに請求すりゃいいしな)
 ベッドに横になり、ちらりとバアルの方を伺うと、彼は向かいのベッドに腰かけて、水で湿らせた布で上半身を拭き清めていた。眼福だと眺めていたフェンリルだが、違和感に気づく。
 一流の剣士らしく引き締まった肉体には、傷痕がひとつもない。傷痕を消し去る魔法や薬は高等かつ高価だが存在する。しかし、戦闘による負傷は戦士にとって誉れである。わざわざ消す道理がない。武人気質なバアルなら尚更、自分の身体についた傷を気にするとも思えない。
「……お前、ガキの頃から無敵だったのか?」
「何を言っている」
「もしくは、自分より弱い相手としか戦ったことがねえのか?」
「何故そのようなことを聞く」
「なぁに……お前の身体が、あんまり綺麗すぎるからよ」
 バアルが手を止めてフェンリルを睨む。フェンリルとて、バアルが弱者ばかりを相手にしてきた卑怯者とは思っていない。あの神業とも呼べる剣技は、相当な鍛練をこなし、かつ場数を踏んでいなければ手に入れることができないものだ。なのに言葉に毒を含ませたのは、彼のプライドを刺激して言葉を引き出すためだ。
「……これは体質だ。私は他人よりも傷の治りが早いんだ」
「ふうん……」
 これは何か隠していると勘づくが、問い質さなかった。触れてくれるなという雰囲気を察したからだ。
「……バアル、オレはお前の正体が実は化け物だったとしても、変わらず愛してるぜ」
 傭兵より以前のバアルが、何処にいて、何をしていたのかも、フェンリルは知らない。惚れた相手のすべてを知りたいと思わないわけではないが、無理矢理口を割らせて何になる。
 蒼氷の瞳がじっとフェンリルを見つめる。嫌悪や怒りの色はない。冷静沈着なバアルが、珍しく困惑の表情を浮かべていた。
「何故、貴様はそこまで私に執着する。この顔に惹かれたか?」
「自分でそれ言う? ……まぁ、たしかに一目惚れではあったけどよ、ぶっちゃけこんな無愛想なスカし野郎だとは思わなかった」
「……」
「けど、オレたち獣は本能には逆らえねえ。つがいにするって一度決めたら、ホイホイ乗り換えたりなんかできねぇんだわ」
「難儀な性だな……貴様は、同族の異性からしてみれば好ましい質だろうに」
「おうよ、オレ様モテまくりよ」
 狼獣人の中でも恵まれた体躯や磨かれた戦闘スキルは、同族からは尊敬の対象となる。当然、フェンリルは異性に好意を寄せられた経験も多い。
「だがな、バアル……オレはお前がいい。お前の、一途で情に篤いところが堪らなく好きだ」
「……」
「それに剣の腕も惚れ惚れするし、匂いも極上だ。物静かで仕草に品があって、辛いのが苦手なのも可愛いな。あとは……」
「もういい、この話は終いだ」
 バアルはフェンリルに背中を向けて、身体を拭く手を再開した。表情は見れなくなったが、形のよい耳が朱色に色づいている。フェンリルの誉め言葉を遮った声も心なしか上擦っていた。
(そういうとこが可愛いんだよ、お前は)
 くあああ……と、フェンリルは長い欠伸をひとつかく。久しぶりにまともな寝床にありつけた身体が、本格的に休息を欲しがっているようだった。先ほどから目蓋が重くてしょうがない。
 うとうとしている内に、バアルも寝支度を整えたようだ。普段後ろに束ねている黒髪をおろした姿が色っぽい。
「私は休むが、寝込みを襲おうなどとつまらん考えは起こさんことだ」
「へいへい、おやすみ」
「……」
 バアルがすぐに眠りに落ちたのは気配で察した。傷の回復力が人間離れしている彼でも、疲労は別物として蓄積されるようだ。連日の襲撃と野宿は流石に堪えたのだろう。宿をとってよかったと改めて思う。その無防備な背中を眺め、フェンリルの目が細まる。
(何だかんだ信用してくれてんだよな)
 少しずつだが心の距離が縮まっていくのを実感しながら、フェンリルも睡魔に身を委ねた。

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