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6の扉 シャット

新しい、扉

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「依る。……おい、依る。」


痛いなぁ。誰?私のほっぺをつねってるのは。

「しょうがないわね…これで起きるわよ。きっと。」

ザラザラした感触が瞼をさらう。

うひっ。嫌な感じ!こんな事するのは…………

「朝!止めてよ。」

瞼を舐められて、目を開けた瞬間舐められたら堪らない。そっと目を開ける。

ん?

心配そうに私を覗き込んでいるのは気焔だけでなく、エローラ。朝もいるのだろうけど、見えない。

ここは…?


段々思い出してきた。

私達は大きな運び石に乗ってシャットにやって来た筈だ。運び石での移動が思いの外ハードだった事にショックを受ける。気焔に飛んでもらうより、数倍気持ち悪い。

ちょっと移動の度にこれは嫌だな…………。
あれ?でもこんなぐったりしてるの私だけ?

首を傾げつつ、ちょっと横とかを見てみると私は気焔に膝枕をされているのが分かる。
エローラは隣に座って荷物を探っていて、朝は部屋の中を探索していた。
そう、どうやらどこかの部屋に着いたようだ。

そう言えばシャットに着いたらどうしたらいいか、等細かい事は何も聞いていなかった事を思い出す。
エローラは何か知っているだろうか。


ゆっくり起き上がると、何だか魔法陣みたいなものの上に自分達がいる事に気がつく。

「え。凄っ。」

とうとう私も魔法の世界に来てしまった?

ちょっとワクワクしたけれど、今迄も魔法っぽく無かった訳でも、ない。

「??」

ラピスとの違いを考えながら、気焔の手を借りつつ立ち上がった私。
床の魔法陣を眺めると同時に、部屋の隅にある物凄く目立つ物に気が付いた。


何あれ…………。怖…。

床の魔法陣以外に何もない、その部屋にある異質な存在。

それは一言でいうと「ピエロ」。
もしくは道化師だ。しかもここから見てもからくり人形なのだと分かる。
しかし大きさや衣装などが凝っているし、ちゃんと人間らしい色もしている。所々、継ぎ目や隙間から機械的な物が見えてそれがからくりだという事を示している。

あんな物作れるなら、見えないようにできるだろうに。

私はそう思ったが、機械っぽさが見える事でそれが怖さを醸し出し、全体の完成度が高まっているのが見ていると分かってきた。

これ、機械って言うより美術品っぽいんだ…。

何となく納得して、気焔を見る。

「あれ、何だろう?知ってる?」
「いや。吾輩こうして移動したのは初めてじゃ。」

だよね…。

きっと気焔は、白い部屋から普通に扉で移動できる筈だ。
私の為にあの気持ち悪い移動に付き合ってくれたのだろう。

横を見るとエローラが珍しく苦々しい顔をしている。

どうしたんだろう?さっきまで普通だったよね?
 

「あれ。無理、私。あの人形も無理だけど、色合いが無理。」

エローラにその理由を聞いて、私はスッキリ納得した。
分かる。あの、紫とオレンジと緑と、黄色。


どぎつい色合いの服を着たピエロは、それがピエロっぽさたる所以の所をエローラに全否定されていた。「木の棒」との組み合わせが許せなかったエローラにあれはキツいだろう。
そう思い出して、ついつい笑ってしまう。

確かに、あの組み合わせで作った人は強者だね。
私はそんなに嫌いじゃない。まぁ自分ではやらないけど。

「ねぇ、エローラはここに着いたらどうするか知ってる?誰かに聞いてきた?」
「あ、イルクに聞いておいたよ。アレと喋らなきゃいけないんだよ…………。」

「?あれ、喋るの?」

エローラに言われて、もう一度ピエロを見る。
名前があるのか知らないが、私の中では完全にピエロになったその人形は私達に話しかけられるのを待っているように、こちらを見ていた。

まぁ何が喋ろうと今更驚かないけど、あれは確かにちょっと怖いね。

エローラが全然ダメそうなので、私が行く事にする。
既に朝がそばに居て、匂いチェックをしていたのでそんなに怖くなさそうだ。

「朝。そこに居てね?」

ちょっと警戒しつつゆっくり近づくと、ピエロの瞳がくるっと回る。

金の瞳になったピエロは言った。
何だか高い声が意外だ。

「生業の街、シャットへようこそ。修行の方は右の扉へ、それ以外の方は左の扉へどうぞ。」

おお。ホントに喋った。

ちょっとびっくりしたけど、大丈夫。
振り返って、みんなに聞いてみる。

「て事は、右でいいんだよね?修行?なの?」
「そうね。行こうか。早く行こう。」

一刻も早くこの部屋から出たいエローラはさっさと荷物を持って立ち上がり、右の扉へ向かう。
本当に何もないこの部屋は左右の扉、正面のピエロ、床の魔法陣しか無い。
私は気焔が荷物を持ってくれたので、出る前に部屋をぐるっと見渡した。

床の魔法陣はぴったり巨石に合わせて描かれた物だと離れた所から見て初めて分かる。
これも、どのくらい埋まっているのだろう?

森の石を思い出しながら、置いて行かれないように踵を返す。

ピエロを見ると「行ってらっしゃいませ。」とさっきは持っていなかった花を一輪持って、お辞儀をしていた。




「え!何これ!凄い!」

扉から出ると、そこは外だった。

「うわぁ~~~~~~~~~。」
「長いよ。…確かに凄いね。」

エローラに突っ込まれながら、2人で手すりにつかまって景色を見る。

非常階段のような場所に出た私達が進む道は、今来た扉以外だと下るしかなさそうだ。

そういえば言ってた、確かに。ウイントフークさんが。


確かにそこは工業地帯だった。

時差は無い、と言っていたが空は既に橙色。
近く遠くに煙突から煙が見える。ビルなのか、工場なのか建物が沢山乱立していてそれが全て灰色。
日が当たっているところはまだ灰色だが、高い建物の影は暗く、昼間の様子が感じられない。所々に夕方か夜が存在するような感じ。

そして、極め付けがその広大な工業都市の地面が土や石ではなく、大きな橙の川の上にあるという事だった。

どうなっているのか全く分からないが、川の中に立っている様に見える建物たち。
それを繋ぐのは細い橋だ。いろんな建物を繋ぎ縦横無尽に走るその橋は、かなり探検欲をそそられる。
下を走る橋、上に渡っている橋。太さ、材質も様々なそれらはこの異様な世界に不思議とぴったり合っていた。

流れのない、川の様な水面を見ながら「何でこの色なんだろう?」と1人呟く。


ひとしきりエローラとわぁわぁやった後、気焔が何かメモを見ている事に気が付いた。
少し背伸びをして、覗き込む。

なになに?

「着いたら部屋を出て、1番の橋を渡り1ー1から辿って寮に移動するように。そちらに寮母がいるので教えてくれるだろう。」

ハーシェルの字だ。
ちょっと懐かしくなると、それを察したのかパッとメモをしまわれる。

気焔をむっと見上げたけど、構わず茶の瞳を向けて「行くぞ。」と言われてしまった。

ハーシェルさんのメモを持っているなら言ってくれればいいのに。

でも私に渡すと思い出すのが分かっていたのだろう。確かにそれは正しい。

ちょっとスイッチ入りそうになったもん。来て早々、泣くわけにはいかないもんね。


私達は、とりあえず気焔について行く事にした。

て言うか、橋ってどうやって行くの?

沢山の橋は見えるが、それぞれにどうやって行くのか全く考え付かない。
とりあえず気焔を先頭に非常階段を下って行った。



いくつかの扉を開けて建物に入ったり、部屋を移動したりして、1の橋とやらに着いた。

下に橙の川が流れる橋を渡る。この橋は欄干が低くて私の膝くらいしかないので、かなり怖い。

狭いし…。

私の性格を分かりきっている気焔は朝を先頭にして、エローラ、気焔、気焔に手を引かれた私の順で渡る。

うわぁ~、これ落ちたらどうなるのかな?泳げば大丈夫?

アホな事を考えている私は案の定、ふらっとして怒られた。

なんかさ、こういう所って吸い込まれる感じ、あるよね??


そのまま1ー2、1ー3と順に橋を渡り、結局寮に着いたのは1ー8を渡ってからだった。

長いよ、橋が。
でも危なかったのは始めの橋だけで、後はきちんと手すりも高く、何なら上まで落ちない様に覆われているものもあった。何だか滅茶苦茶なところが面白い。
そして私達が目指した寮は普通のビルだった。

うん、ビルだよね…これ。


見慣れた感じの建物を入る。
そんなに大きくないこのビルは横には大きくないが縦に長かった。10階建くらいだろうか?
近くで見ると分からない。

入り口で「呼べばいいのかな?」とやっていると向こうからお出迎えがやってきた。
それも、黒猫の。


「待ってたよ。今年の一番乗りだ。」

喋った。

そっとエローラを見る。

エローラが目を丸くして私を見ているので、これはみんなに聞こえるパターンね。
うん、良かった。

私は一人頷いて、早速黒猫に話しかけた。

「初めまして、こんにちは。あなたが案内してくれるの?私はヨル。よろしくね。」

「…私を見て驚かない人間は久しぶりだ。まぁ入れ。私はエルだ。変わったのを連れているな?」

そう言ってエルが見ているのは気焔と朝だ。

両方バレてるの?

まぁそれなら話が早い。エローラがまだちょっと固まっているのでついでにみんな紹介しておく。

「この女の子はエローラ。こっちが気焔。で、朝よ。あなたと同じね。」

そう言って笑った私を見てエルは「フン」と鼻を鳴らすと、「まぁ似て非なるものだが。」と言いつつ奥へ案内してくれる。


エルの後ろについて行きながら「どういう事?」「あっちはまじないの気配がする。」と朝とコソコソ話だ。

朝を抱いてコソコソ言っているのが聞こえている様で、エルはまた「フン」と言いつつスタスタと先を行くと受付のような所へ着いた。
そのままカウンターに飛び乗り呼び鈴を鳴らす。

出てきたのは少し体格のいい、緩いウェーブの髪を一つにきっちりまとめた優しげな女の人だ。

うちのお母さんと同じくらいかな…………。

緑の瞳を嬉しそうに細めると、その人は私達を歓迎してくれた。

「まあまあ。今年は一番乗りが随分早くて賑やかね。授業が始まるまで、ゆっくり楽しむといいわ。珍しいでしょう、ここは。」

そう言ってみんなの名前を名簿で確認すると、奥へ案内をしてくれる。

突き当たりに多分食堂だろう、沢山のテーブルと椅子がある大きな部屋があるのが見え、その手前に大きな扉と、壁に見取り図が貼ってある。
それを見ながら、私達は館内の説明を聞く事になった。

「この奥が食堂ね。食事は決まった時間内ならいつでも食べられるけど、時間を登録してくれれば温かいものが出せるわ。シャワーは各部屋に付いてるし、大きいお風呂もあるわよ?行ってみるといいわ。あと、お部屋はこれに登録してね。」

む?シャワーがある??

そこに反応した私に構わず、エローラは差し出された板のようなものに、指示通りに手をかざす。

ちょっと光って、登録されたようでこれで部屋に入れるのだそうだ。
個室と2人部屋が選べると言われたが、エローラと相談して一応個室にした。


「ヨル、寂しくない?大丈夫?」

私が泣いていたのを見ていたエローラは心配してくれたが、朝がいるし、なんなら多分気焔もいる。
勿論男女別フロアだから、気焔の分の部屋も登録はしたのだけど。

寝る時どうするのかな?と思いつつ、部屋はエローラの隣にしてもらった。
これなら安心だ。

「最後に私の名前はアマルナ。でも寮の子供達はみんな「母さん」って呼ぶから、多分名前を覚えている人は殆どいないんじゃないかしら?良かったらそう呼んでね。」
「ありがとうございます、母さん。」

早速母さん呼びに馴染んだ私は、生活の場が過ごしやすそうでほっと一息吐いた。

思ったより緊張していたのかもしれない。
落ち着いた所で改めて見取り図を見ると、やはり建物は10階建で1階にはエントランス、食堂、寮母室等。
2階に洗濯室、休憩室、3階は勉強部屋がいくつか、4~7階が男子部屋で8、9階が女子の部屋。

そしてなんと10階がお風呂!

最上階にあるお風呂なんて、入るしかないじゃん!


私が掲示を見て目をキラキラさせていると、母さんは何に惹かれているのか分かったのだろう、「まだ空いてるわよ?」とニッコリしながら教えてくれた。

風呂好きの私が入らないわけにはいかない。
そう、これは義務だ。母さんもそう言っている。

「じゃ、急いで行かなくちゃ!ありがとうございます!」
「いや、言ってないわよ。」

遅れた朝のツッコミを無視して、私はふと我に帰る。
さっき登録した私達の部屋は、8階だった。

え?まさか階段??

すると母さんはそれを予想していたのだろう、食堂の隣の扉を開けて入るように促した。

これ?この大きな扉を開けるの?

「?」「行きたい階を伝えてね。」

そう言って扉を閉められる。因みに気焔は5階だ。
扉が閉まると部屋が喋った。

「何階ですか?」
「?放送?」

館内放送の様に小さな部屋に流れる声。
それに気焔が普通に答える。

「5階と8階だ。」

すると、そのエレベーターみたいな部屋はちょっと揺れた。
ホントに、ちょっと。
椅子に座り直すくらいの感じだ。そして、もう一度同じように揺れると扉が開く。

開いた扉の正面には「5」と大きく書かれていて、そこが5階だという事が分かった。

気焔は一旦私に荷物を渡すと、とりあえず降りた。

「後でな。」

どのくらい後だろう?お風呂入れるかな?

実は気焔は手ぶらだが、その辺エローラは気にして無かった。
エローラが大雑把で良かった!


その後私達が8階で降りると、扉が勝手に閉まる。

エローラと顔を見合わせて何を考えているのか分かり合うと、私は少し待った後また扉を「せいっ」と開けてみた。

すると予想に反して部屋はまだそこにあった。
1階に戻るのかと思ったのに。
相手が一枚上手な様だ。

今度、いきなり開けて何もない所を見てやるんだ。
謎の決意をして、私達はそれぞれの部屋を整えに入る。

「ヨル、お風呂行くんでしょ?じゃあ夕食でね!」

そう言ってエローラは隣の部屋に入って行った。



「やっぱり。」

私が部屋の扉を開けると、そこには気焔が座っていた。
いると思ったけど、いた。

「これからこっちに居るの?ずっと?」
「安全か分かるまではな。今迄と変わらんだろう?」

確かに。

何だかおかしなような、安心したような変な気分だけど今日急に1人で寝る、となると寂しいかもしれない。

「せっかく部屋があるんだから使わないのは勿体無いけどね。」

私の言葉に「寂しくて泣かぬようになったらな。」「吾輩も調べる事がある。居らぬ時もあるだろうが、様子が分かるまでは離れんよ。」と諸々言うと、ベッドの上にゴロンと横になった。


そんな気焔を横目で見つつ、荷物を片付けて行く。
部屋は、1人部屋には十分な広さだ。気焔がいても狭くない。

綺麗な水色の壁紙が爽やかなその部屋はハーシェルの家より少し広いくらいで、真ん中に可愛い丸テーブルと椅子、壁際には勉強机と椅子。反対側にベッドと衣装棚のようなものがある。入り口の扉の横はお風呂だろうか。

開けてみるとやはり洗面室で湯船は無かったがどうしても欲しかったら作ればいいくらいのスペースがある。
シャワー室とトイレがあって、使い方は家と一緒だ。
やった!シャワー、シャワー。


壁際の机にいつもの同じ様にとりあえずお気に入りを並べ、マイスペースを作る。
宝箱もきちんと設置する。いくつかの服を片付け、少しの小物と服を衣装棚にしまう。

私の持ち物はこのくらい。片付けはすぐ終わった。

と、いう事は。


振り返った私は、気焔に訊ねた。

「ねぇ、気焔。お風呂行ってきていい??」
「風呂か…………。」
「え?駄目なの?」
「吾輩入れんからの。」
「え?それは物理的に?男性的に?」
「お主…………。」

何だか頭を抱えているが、見つかったら流石に怒られると思うし、私も気焔とお風呂に入れるほど羞恥心が無いわけじゃない。
元々お風呂について来てもらおうという気が無いだけだ。

「何かあったら、すぐ呼ぶから!大丈夫だよ。」
「お主の大丈夫は全く当てにならん。」

「じゃ、行って来まーす!」

小言は無視して行く事にした。

「朝、行こっ。」

朝について来てもらえば大丈夫だろう。

そうして気焔を部屋に置いてお風呂セットを持つと、私は朝とお風呂へ向かった。
 

試しにエレベーターの扉をそっと開けてみたけど、また、いた。

「ちっ」と笑って言いながら乗ると、何だかエレベーターも楽しそうに「何階ですか?」と聞いてくるので、「お風呂までよろしく!」と言うとちゃんと10階に着いた。

「ありがとう。」「どういたしまして。」

何だか仲良くなった気がして、足取りも軽くお風呂へ向かう。
廊下を歩きながら「そう言えば何処だろう?」と言いつつ歩くがそれらしき物が見えない。

あれ?ホントにどこだろう?

更にキョロキョロしながら歩いていると、向こうからエルが歩いて来た。

「風呂だろう?こっちだ。」

「ありがとう。分かりにくいの?」
「まぁな。あと、俺は寮の案内役だから分からない事があったら呼ぶといい。」
「ありがとう。」

ピコピコ動くしっぽを見つめながら、エルはどこから来たんだろう?と思いつつついて行く。

エレベーターさんには乗ってなかったけど、階段かな?でも階段ってあったっけ?

「ねぇ、エルは階段で来たの?」
「階段?そんなものは無い。」
「え?エレベーターさんしかないの?」
「「エレベーターさん」って何だ?まぁあの運ぶ扉しか無い。」
「え、じゃあ混んでる時は結構待つって事かな?…………?」

私の疑問に答える事なく、エルは「着いたぞ。」とお風呂まで案内するとまたスタスタ何処かへ行ってしまった。

結局どうなんだろう?ま、そのうち分かるか。


目の前のお風呂の方が大事だ。
ゆっくり入りたいし、さっさと行こう。

そうして向き直ると、目の前の扉を見る。
ちょっと周りを見るけれど、他に扉は見当たらない。

「ねぇ。これ、女湯だと思う?」

「さぁね。でも一つしかないわね。」
「まさか…………」
「流石にそれは無いんじゃない?」
「だといいけど。でもこっちの常識は通じないかもよ…………。」

「まぁ、それはあるわね。」

私は朝とそんな話をしながら、とりあえず扉を開けた。
何にしても、きっとまだ誰もいないだろうから。


そして、扉を開けるとそこは硫黄の香りがする赤い暖簾が掛かった脱衣所だった。



「いや、まさかここに来て温泉に入れるとは。」

「思わなかったわね。」
「ふぁ~やっぱり広いお風呂はいいね!」

広すぎないタイルの内風呂。
丸い湯船にお湯が出てくるライオンの口。
シャワーがなくカランのみの洗い場。
低めに作ってある窓。

朝はお風呂が余り好きじゃないけど、流石にここに来て温泉に入れると思わなかった私が無理矢理洗った。
「臭いから早く帰る」と言っていたけど、とりあえず付き合ってくれている。


何故か最上階のお風呂は昭和の香り漂う温泉だった。

なんていうか、昔の洋風?みたいな造りでちょっとインチキっぽい香りがすごく味を醸し出している。
特にこのライオン。今時ライオンの口からお湯が出るとか…………ふふ。

どの位熱いのか、試そうとお湯を手で受けようと両手を出す。

「ね、見て朝。ウケる。」

朝にそう話しかけながらライオンの下に両手をやると、私は目を疑った。

パクン

ウソ。閉まった!

「朝!朝、ライオンの口が閉まった!?そういう仕様?」

横から見たり下から見たりする。
でも継ぎ目も無いし、口を閉じた唯のライオンになってしまった。

え?なんで?

「お主が…がはいを‥じゃ。」

「!…?」

すると間近で見ていたライオンの口が突然開いて喋り出す。そしてお湯が出ているので、イマイチ何を言っているのかが分からない。

ガブガブ言ってる…。

でもとりあえず不機嫌な事は分かるので、笑いたかったけどそれは我慢した。

口を抑えて笑いを堪えつつ、「ごめんね?」と言うと「ガブっ」と多分、頷いてくれたんだと思う。

「これもまじない道具なのかな?でも出てるの温泉だよね…………。誰がこんなの考えたんだろう。」

しかも硫黄。まじまじと見ながら、考える。


なんでよりによって硫黄。いや、好きだけど。朝は匂いに耐えられなくなったのか、いつの間にか居なくなっている。

「まぁ確かにここにずっと居るのは猫にはキツイかもね…。仕方ない、1人でのんびりしようか…。」

静かな湯船に大の字で広がって、ゆったり浸かる。

ライオンの口から流れるお湯の音だけが響く、少し反響するタイルの空間。
私が手足を広げてもかなり余裕がある広さで、2、3人で手足を伸ばしても大丈夫そうだ。

「この丸い形が可愛いよね…………。」

大きく息を吐きながら独り言を言っていると、ライオンが答えた。

「外にもあ…ぞ。」

「え?外?」

さっきより出てるお湯の量が少し少なくなっているので、幾分聞き取りやすくなった。

でもまだハッキリとはしないけど、多分外って言ったよね?
まさかの?

私は期待を込めてお風呂の中をぐるっと見渡す。
そして、入って来た扉と違う小さな扉が隅にある事に気が付いた。

もしや、あれかな?

湯船から上がると、棚に置いてあったタオルを巻く。そしてそっと、その小さな扉を開けた。



「うお。凄い。」

扉は結構小さいので体をかがめてくぐる。

そして顔を上げると、本当にそこは外だった。
シャットの、橙の川が見える、外。
そして屋上のように周りが見える。すぐそこに岩風呂があるのが見えて、「外は岩風呂なんかい!」と突っ込みたかったが、周りが気になる私はとりあえずキョロキョロしていた。


だって、屋上。
周りが見えるという事は周りからも見えるという事だ。

目隠しやちょっとした屋根なども、何も無い。
布一枚で立つには心許なすぎる。とりあえず、お湯に入ればマシかな、と思ってそっと岩風呂に入った。

「湯加減は丁度いいな…………。」

改めて周りを、ゆっくり見る。

相変わらず空は夕暮れのような色で、しかし到着した時よりも濃くなっている。
一応、日が暮れてきているのだろう。

ちゃんと夜になるのかな…?と思いつつ辺りのビルをチェックする。

しかしそこそこ距離があるので、向こうからこちらが見えているのか、人が他にいるのか、全く分からないのだ。
気持ちいいし、露天風呂は大好きだけど如何せん落ち着かな過ぎる。

これ、勉強してまじない道具で見えないようにできないかな…………あの「聞こえないヤツ」の見えないバージョン…。

気持ちいいけど何となく、見られてる感があるので結局リラックス出来ない。
これは風呂好きとしては由々しき事態だ。何とかして改善せねば。


露天から出て、辺りを見渡す。

やっぱり何となく見られてる気がする…………。

ふと髪に手をやって気が付く。

あ。髪留めしてないからまずいかも。

私は急に不安になってキョロキョロした後、すぐに小さな扉に戻った。



そうだよ、お風呂はバレるんだ…………。

てっきりエローラとも来ようと思っていた。
だが、髪留めは勿論眼鏡だってしていない。折角の大きなお風呂に入れないかもしれない…………。これは困った。

ライオンの隣で温まり直しながら、真剣に考えている私に、「ぐごご?」と心配そうにお湯を吐き出すライオン。
可笑しくなって吹き出すと、「ま、何とかしましょ。そのための勉強だし。」と何だか前向きになってお風呂から出た。



持って来ていたどらいやーで髪を乾かし、髪留めを付ける。

「コンタクトかぁ。」

苦手なんだよね…。何かチョチョイのチョイで瞳の色が誤魔化せる方法とか無いかな?

そんな事を考えながら、エレベーターさんで部屋に帰る。

朝はもう部屋で待っていて、気焔はまだゴロゴロしていた。

「あれ。まだゴロゴロしてる。」

「…………。いや、どうであった?」
「お風呂の事?面白かったよ?でもみんなと一緒に入ると、髪と瞳がバレるって事に気が付いたわ…大きいお風呂入りたいんだけどな。」

「うむ。それについては考えよう。部屋に家と同じように造ればいいのではないか?」

「気焔。広いお風呂は正義だよ。」

「…………。」

何だか冷たい目で見てるけど、絶対役に立つ道具作るもんね!

すると、丁度ノックの音がした。

「ヨル?そろそろ下に行ってみない?食堂に行く前に探検しようよ?」
「え!行く行く!」

誘いに来たエローラの提案に飛び付く。
確かに館内探検、必要。
間取りの確認は怠らない。

「ねぇ、その前にエローラの部屋も見たい。こんな感じ?同じかな?」

私は自分の部屋を案内しながら質問する。
洗面室まで見た所でエローラは「少し違うかも。」と言っている。それは是非、見たい。

「じゃ、とりあえず部屋見てから行く?」
「うん。」

私達は揃って部屋を出ると、右隣のエローラの部屋に入った。
何だか扉も少し違う気がする。
私の部屋よりスッキリしたデザインの扉だ。

そしてエローラの部屋は私の部屋と左右対象以外にも違うところが、結構あった。

まず、壁紙の色が違う。私の部屋は空のような水色。エローラの部屋は落ち着いた大人っぽいグレーだ。
置いてある家具もエローラに似合う、モダンなデザイン。スッキリしていて、可愛さ、というよりはかっこいい感じ。

「全然違うね!」

楽しくなった私は洗面室や収納も見せてもらって一頻り確認すると、結局「これって個人に合わせて違うんじゃない?」という結論に達した。
だって、あまりにもお互いに合う部屋に通されたからだ。

「ま、結果オーライだね。たまに遊びに来ていい?」「全然。私も行くし。」

ルンルンしている女子2人に対して、ふと目に入った気焔の表情は何だか厳しかった。

女の子の部屋に入るのが嫌なのかな?でも私の部屋にいつも居るよね?…どうしたんだろう?

そう思っていると、エローラが下に向かう支度をしている時耳打ちしてきた。

「この館はやはり大きなまじない道具だろう。油断するな?多分この壁の色は髪色で変化している。」
「え?じゃあ気焔の部屋って…………。」
「金だ。落ち着かん。」
「それは嫌だね…。じゃあ私の部屋に住んでもしょうがないか…………。」

「それとこれとは違うだろう。」と気焔はごちゃごちゃ言ってるけど、壁紙が金なんて絶対嫌だ。お金に埋もれて死ぬ夢とか見そう。

「とりあえず、エローラ以外は部屋に入れるな?」
「うん。友達できるかなぁ?」

呑気な事を言っている私を放って、支度が出来たエローラを先頭にみんなエレベーターさんの方へ歩き出している。


「ちょっと待ってよ~。」

そうして私は、お風呂で感じた視線の事をすっかり忘れていた。
大したことでは無いと、思っていたのだ、
その時は。

気のせいかも、しれないと。


みんなに追いついて先にエレベーターさんの扉を「せいっ」と開ける。でもやっぱりまたお部屋が待っていたので少しガッカリして乗り込んだ。


「またあった。…じゃあ3階まで。」

「はい。3階ね。そうそう見せないわよ?」

やっぱり見せない気ね?

エレベーターさんの返事を聞いて逆に燃えた私は、張り切って館内探検を始めたのだった。











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「かならずや生きて戻り、おまえをしあわせにする」 そう約束し、敵国に潜入した夫が死んだ。そうきかされた。 そして、三年後、夫の死を信じられないまま、わたしも敵国に潜入した。夫と同じように。元上司である大佐の妻役として。 そして、その敵国で出会ったのは、妻子と幸せに暮らしている夫だった。 死んだはずの夫は、わたしとではなく敵国のレディと息子と家庭を築き、しあわせに暮らしていた。 夫ベンは、記憶喪失に違いない。彼の記憶を取り戻すべく、極秘の活動を開始する。が、それがうまくいかないどころか、王子やら謎の人物やらに絡まれつきまとわれるように。しかも命まで狙われるってどういうことなの? わたしはただ夫ベンの記憶を取り戻し、どこか静かなところでしあわせに暮らしたいだけなのに。夫と彼との子どもたちといっしょに。それなのに命を狙われたり王位継承の謀略に巻き込まれたり、いい加減にしてほしい。 わたし、いったいどうなるの? ベンを取り戻せるの? また彼に愛されるようになるの? 彼に愛されたい。彼に心も体も愛撫されたい。ただそれだけなのに……。 ※ハッピーエンド確約。いわゆるスパイものです。初のR15指定。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。 ※申し訳ありません。カテゴリー変更に伴い、「私は、最愛の夫と別の妻との幸せを見守らねばなりませんか?~「おまえを幸せにする」と約束した夫は敵国の美女と二人の息子と幸せに暮らしています~」よりタイトルを変更しています

【完結】呪われ王子は生意気な騎士に仮面を外される

りゆき
BL
口の悪い生意気騎士×呪われ王子のラブロマンス! 国の騎士団副団長まで上り詰めた平民出身のディークは、なぜか辺境の地、ミルフェン城へと向かっていた。 ミルフェン城といえば、この国の第一王子が暮らす城として知られている。 なぜ第一王子ともあろうものがそのような辺境の地に住んでいるのか、その理由は誰も知らないが、世間一般的には第一王子は「変わり者」「人嫌い」「冷酷」といった噂があるため、そのような辺境の地に住んでいるのだろうと言われていた。 そんな噂のある第一王子の近衛騎士に任命されてしまったディークは不本意ながらも近衛騎士として奮闘していく。 数少ない使用人たちとひっそり生きている第一王子。 心を開かない彼にはなにやら理由があるようで……。 国の闇のせいで孤独に生きて来た王子が、口の悪い生意気な騎士に戸惑いながらも、次第に心を開いていったとき、初めて愛を知るのだが……。 切なくも真実の愛を掴み取る王道ラブロマンス! ※R18回に印を入れていないのでご注意ください。 ※こちらの作品はムーンライトノベルズにも掲載しております。 ※完結保証 ※全38×2話、ムーンさんに合わせて一話が長いので、こちらでは2分割しております。 ※毎日7話更新予定。

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