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2章

第4話 誰かと思えば

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――ガタッ。

 アパートに帰るため、大通りを歩いているわたしの耳に、不穏ふおんな物音が響いた。
 空はもう薄暗がり。
 今日は部の活動日だったし、帰り道にあるお店で、わたしと同居している興恒おきつねさんとリンちゃんへのおみやげに苺大福を買っていたから、この道を通る時間は、いつもより遅い。

(……何? 今の、なんだか不気味な音――)

 音は、ななめ前から聞こえてきた。
 視線を走らせると、そこはわたしが今いる通りから、路地の裏へと通じる道に枝わかれしている場所だった。

 空は暗くなりかけているけど、路地裏への入り口付近にも街灯があって、その周囲は明かりによって照らされている。
 そして、ほんの一瞬だけ黒い何かが、こちらをうかがうように路地裏から姿をみせ、また引っ込んだ……ようにみえた。

――黒い『何か』――

(あ、まさか……)

 ビクリ――と、わたしの体が こわばる。
 あの、黒い何かは、春休みにわたしの前にあらわれた黒い霊体かもしれない……。
 以前みたいに手足をつかまれたら、必死で もがいても逃げられなくなっちゃう。

(そうなる前に――!)

 今きた道を猛ダッシュで引き返そう。
 いったん駅前まで戻って、遠回りにはなるけど、別の道を使って帰る。
 決めるやいなやわたしは、路地裏へと続く道に背を向けた。

 もはや一刻の猶予ゆうよもならない状況かもしれない。一目散に走りだそうとした、その途端とたん
 わたしの目の前に、人影のようなものがシュッとあらわれた。
 あっけにとられたせいなのか、駆けようとしていたわたしの足はピタリと止まってしまう。

「……え?」

 わたしの口からおもわず小さな声がこぼれた。
 だって――。
 全速力でここから逃げだそうとしていたわたしのまえに、アパートにいるはずの興恒さんが突然、出現したから。

「サキ、無事か?」

 興恒さんが緊迫した様子でわたしに聞く。
 彼に真剣なまなざしでみつめられたまま、わたしはコクコクと首を上下させた。

 興恒さんはキツネのあやかしだけど、今は人間の姿をした和装男子。
 彼はわたしをひきよせ、わたしの体をかばうような動作で、向かいあっていたわたしを自分の背後に移動させた。
 あたりに緊張感がただよう。

(……なんで……興恒さんが、ここに……?)

 わたしが疑問に思った――のと同時に、つい数秒前まで周囲を支配していた はりつめた空気がスッと消えた。
 まるで、ドラマでそれまで恐ろしげなBGMが流れていたのが突然、止まるみたいに。

 わたしだけの感想ってわけではないらしく、興恒さんもフーッと緊張の糸が切れたようなため息をつき、あがっていた肩をさげた。
 ……よくわからないけれど、今のわたしは危機的状況を脱したってこと?

 わたしは背中ごしに興恒さんに質問してみた。
 聞きたいことはいろいろあったけど、まずはさっき疑問に思ったことをそのまま問う。

「なんで、興恒さんがここに?」

 わたしの質問は、興恒さんには意外だったみたい。
 なんというか、彼の口調は……。『前にも説明したのに、おぼえてないのか』って雰囲気がにじんだ、少しさみしげなものだった。

「そなたが心で危機や恐怖を感じれば、その感情が私に伝わり、そなたのもとへあらわれることができる――と、以前、話したはずだが」

 あ、そういえば……。
 たしかに、興恒さんはわたしにそんなことを言ってた気がする。
 だけど。

「……わたしが前にアパートの手前でつかまっちゃった黒い霊らしきものが、路地裏のほうからチラッと見えて――この場から逃げなきゃいけないって気持ちでいっぱいで……――」

 正直、興恒さんが助けにきてくれるって言ってたの、忘れてた。速くここから去らなきゃって感情で頭が満杯だった。
 会話につまってしまったわたしに興恒さんは語る。

「サキの危機や恐怖の感情が伝わってきたから、ここに来たが――そなたが今、黒い霊体かもしれぬと思っているものは霊ではない」

「……霊では……ない?」

「ああ、むろん人の世には霊以外にも、危機を感ずるものが多数存在しているだろう。だが、今日、サキが『黒い霊らしきもの』だと思った存在は、今のそなたにとっても恐れるにたらぬはずだ」

 興恒さんは路地裏の入り口を長い指でさししめした。
 わたしは興恒さんの背後から、彼が指さす先をみた。
 すると。

 さっきも聞こえたガタッという物音とともに――。
 1羽の鳥が、ひょっこり体をだす。

 鳥は黒みがかった灰色のハトだった。大通りの様子をさぐるように首をキョロキョロすると、また路地裏に引っ込んだ。

(……な、なんだぁ。ただのハトだったのかぁ)

 獲物と決めた相手を1年間あきらめないという黒い霊体と、街に暮らすハトを思いちがいしてたなんて。
 これじゃわたしも――。

 わたし、谷沼たにぬま 紗季音さきねのことを『自分があやかしである記憶をなくしてしまったタヌキのあやかし』だとカンちがいしたまま、かれこれ数週間たつ興恒さんを、どうこう言えなくなってしまう。

 路地の裏からこちらをみていた黒いものが、黒っぽい灰色の羽を持つハトぽっぽだったとわかったのは、よかった。
 だけど、ホッとするのと同時に、とても恥ずかしくなってしまう。

 興恒さんは背中を向けているから、彼から今のわたしの顔はみえていないのが、せめてものすくい。
 そう思ったのも、つかのま――。

 興恒さんはクルリと体の向きを変え、わたしと正面から向かいあう体勢になった。

「サキ……」

 なぜか、彼はわたしの名をささやいた。
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