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第2章
第10話 噂と実物
しおりを挟む4月中旬のある休日。
数仁は外出していた。行く先は本屋で歴史の研究書を探していた。インターネットショッピングでも買えたのだが、直に自分の手に取ってみたかった。
都内の大型ショッピングモールにある本屋で目当ての本を買って帰ろうとした時だった。
「おー、数仁じゃん」
店から出るとばったりと久美に出会った。
「また難しい本買ってんだ。勉強家だねぇ」
数仁の買った本を見ながら感心する。
「弟がさ、映画見たいっていうからアタシがついて来てやったんだ。まだ10歳だからさ」
久美は小学校3、4年生くらいの少年を連れていた。
なるほど、PG12の映画か、と数仁は納得した。
「ほら、挨拶しな。春日宮殿下だ」
「宇沢翔太です」
「春日宮数仁です」
「姉ちゃん本当に春日宮様と友達だったんだ」
翔太は感心していた。
「な? アタシの言った通りだろ?」
久美は得意気に胸を張る。
「……でも、そうすると春日宮様ってぼっちじゃなかったんだ」
翔太がポロッとつぶやく。
「おまっ、なんてこと……!」
久美が目を剥いた。
「だってー、ネットに書いてあったよ。ぼっちで陰キャで落ちこぼれだって」
翔太が子供らしい遠慮のなさを発揮する。
「この馬鹿! ネットの噂なんか真に受けるんじゃない!」
久美が翔太を睨みつける。
「なんか僕は一部ではそういう設定になってるみたいだね」
数仁が苦笑する。インターネット上で飛び交っている自分の噂を思い出す。
「あと、モヤシの『なまそんのう』だとか」
翔太の口から意味を理解しているのか怪しい言葉も漏れる。
「お前みたいな馬鹿はあとでお仕置きだ!」
久美は両手の拳で、翔太のこめかみを左右からグリグリと締め上げた。
「あ、痛っ! あとでって……もうしてるよ~」
翔太が抗議する。
「うるさい! これはアタシに恥をかかせた罰だ! お仕置きは帰ってからだ!」
無慈悲な久美の宣告に翔太は半ベソになって詫びを入れた。
「ふぇ~ん、姉ちゃんごめんなさ~い」
「ほらほら、あんまり責めたら可哀想だよ」
数仁が助け舟を出す。
「くっ……数仁に免じて勘弁してやる。感謝しな!」
久美は翔太に恩着せがましく言い放つ。そして嘆くような素振りを見せる。
「まったく……最近の若いモンは皇族への敬意が薄くなっていかんよねー」
「ぷっ……それ、久美が言っちゃう?」
思わず数仁が吹き出す。久美には高校時代から毎日の様にウザ絡みをされていた。
「アタシはいつも数仁には敬意を払ってるよ! ね? そうでしょ? 側衛さん?」
久美が日頃の言動からすると疑問のある主張をする。数仁の傍らにいる側衛――私服の皇宮護衛官にも同意を求めようとする。側衛も思わず苦笑する。
久美は一瞬、心外そうな表情を浮かべたが、翔太に向き直ると説教を始めた。
「いいかい、よく聞きな! コイツはね、すごい奴なんだよ。古文書スラスラ読むし、英語だってペラペラだし」
大学内で留学生から話しかけられたとき、数仁は英語で不自由なく会話していた。
「それから何がモヤシだ!? カラダは細くたって、ほら! こんなに筋肉が付いてるんだ!」
久美は数仁の腕を服の上から触らせる。
「本当だ……ガチガチだ」
「それに、こんな難しい本だって読んでるんだぞ!」
さっき数仁が買ったばかりの本を見せる。
「すごい。漢字ばっかりで読めない」
「あと、何がぼっちだで陰キャだ! コイツは人気者なんだよ。お姉様にもモテモテなんだぞ!」
それを聞いてまたしても数仁は吹き出しそうになった。それでも悪い気はしなかった。久美なりの方法で自分を立てようとしているのが分かったからだ。
「分かったら、数仁に謝れ!」
「春日宮様、ごめんなさい」
翔太は素直に頭を下げる。
「別に気にしてないよ」
数仁は笑顔でうなづく。
「お姉さんのことが好きなんだね?」
なんだかんだといって翔太が久美に懐いているのがよく分かった。
「はい、でも怒ると怖いです」
数仁は怒ると怖い「親戚のお姉さん」を思い出していた。
「今のでよく分かったよ。僕にも親戚のお姉さんがいっぱいいるよ。みんな大好きだよ」
彼にとって皇室の構成員は皆、敬愛の対象だった。
「君もお姉さんの言うことをよく聞くんだ。お姉さんは僕の大事な友達だ」
◇
休日明けの大学構内。
「いや~悪かったね。なんかアンタの顔に泥を塗るような真似をして」
久美がバツの悪そうな顔する。
「気にしてないよ。まだ小学生だからね。たぶん、芸能人の噂と同じ感覚なんだよ」
数仁にとってネット上の自分に関する噂は殆どが一笑に付すレベルだった。
(それにしても小学生が『生孫王』なんて言葉を知っているとは思わなかったな)
数仁は最近のインターネットの情報伝播力に驚いていた。
「モヤシ」、「生孫王」――それはインターネット上で流布されている数仁を揶揄する渾名だった。
「モヤシ」とは数仁の体格が細身で頼りなく見えるため付けられた。
一方、「生孫王」とは数仁の出自を軽んじる言葉だった。
「かろうじて皇族でいる者」、「大したことない皇族」というような意味のこの言葉は、古文の研究者くらいしか知らない古語だった。
それが最近、「傍系の数仁より直系の倫子内親王が天皇に相応しい」とする巷の皇位継承談義において盛んに飛び交うようになったのである。
講義が始まった。今日のテーマは「平安時代における王の実像」だった。講師が滔々と解説する。
「……平安時代における『王』の実態は実に悲惨なものでありまして、生活に困窮して不良行為に走る者も多かったため、彼らを侮蔑する『生孫王』、『生わかんどおり』などという言葉が文学作品に現れてくるのであります。この『生孫王』は、敢えて訳せば『王もどき』の様などぎつい意味にもなります」
学生の中に数仁の姿を認めた講師は本物の「王」を前にして少し動揺していた。
(『生孫王』は『王もどき』か。英語に訳せば『フェイク・プリンス』というところか? あの先輩、知識はあったみたいだな)
数仁はいつぞやの「残念上級生」を思いだしていた。
(それにしても、『生孫王』なんて言葉がネットで流行る様になったのはいつからだろう?)
それは、ここ3年半くらいの間の話だった。
3年半前と言えば、皇嗣家の長女――優子内親王が結婚して皇籍離脱した頃だった。
優子内親王は今から約6年前にある男性との婚約が発表され、当初は世間は歓迎ムードに包まれた。
しかし、その数ヶ月後、婚約者の実家の金銭トラブルが報じられると世論は一変した。彼女の結婚に疑問の声が湧き起こった。
金銭問題が解決されるまで、結婚は延期された。しかし、婚約者は金銭問題を解決できず、度々釈明したが、世論も皇嗣も納得させられなかった。
ついには天皇から記者会見で「国民から祝福されないような結婚」について疑義が突き付けられてしまった。
世間からは婚約者、優子内親王、そして皇嗣家に激しいバッシングが浴びせられた。
しかし、優子内親王の意思は変わらず、ついに皇嗣は長女の結婚を認めた。
そして優子内親王は、結婚に際して支給される一時金の受け取りを辞退し、結婚関連の諸儀式も省略し、実家を出た。
それは「勘当」、「駆落ち」同然の結婚だった。
現在彼女は夫ともにアメリカで暮らしている。夫の実家と皇嗣家には親戚付き合いもなかった。
この優子内親王の結婚問題が、皇嗣家への決定的打撃になった。以来、週刊誌、インターネット上では「皇嗣家に対しては何を言っても構わない」という「世論」ができあがっていた。
皇嗣邸の改修問題の様に明らかに無理筋な非難さえ、「正論」としてまかり通る様になった。
そしてその「皇嗣家叩き」の影響は数仁にも及んだ。
「駆落ちする様な娘を育てた皇嗣に未来の天皇が育てられるのか?」
「そんな皇嗣に育てられた春日宮は天皇にふさわしいのか?」
「それに春日宮は血筋が離れた傍系宮家の生まれではないか?」
そんな声が次々に上がる様になった。
――春日宮は、生まれも育ちも悪い「生孫王」だ。
埃を被っていた古語が現代に蘇ったのにはこうした背景があった。
3年の間にインターネット上でジワジワと広がっていた「生孫王」が一気に拡散するきっかけがあった。
それは、約1ヶ月前、数仁の成年式後の記者会見が関係していた。
数仁は記者会見で皇嗣家への感謝を述べると共に、「皇嗣同妃両殿下、並びに玲子内親王殿下の皇族としてのあり様は自分の模範とするところです」と明言した。
この日以来数仁は、週刊誌業界に皇嗣家と一体と見なされた。そして叩いても構わない「敵」の一員として完全に認定されたのだった。
それまでマスコミの論調はどちらかといえば、「数仁を自分の思い通りに動かそうとする皇嗣夫妻」を非難するというもので、数仁はそのダシに使われている感があった。
数仁に対する論調も好意的ではなかったが、一応の手加減はされていた。それが明確に数仁自身を非難する記事が目立つ様になったのである。
それらの週刊誌報道を追い風としてインターネット上でも数仁自身への誹謗中傷がさらに加速することになった。
とある匿名インフルエンサーはSNSに、
〈皇嗣家に感謝するなんてやっぱり春日宮は生孫王だw〉
と投稿した。
これがきっかけとなり数仁に対する罵倒語として「生孫王」は定着、拡散したのである。
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