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第七話 夜の学校

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 教室から出ても、夢は終わらなかった。

 キュッと滑らかな音を鳴らすわりに滑りにくい廊下の床に、非常口を示す誘導灯の緑色が反射していた。緑色に光っている人のシルエットは、輪郭を床でぐにゃぐにゃに歪めていて、廊下の床は波紋が広がる川の水面のようであった。

 教室を出た僕は、財布分の重さが増した鞄を右脇で挟み、非常口の誘導灯が示す道を歩いていた。ただ単に、学校の玄関が非常口扱いになっているだけであって、別に緊急を要する場面でもないからのんびり歩いているけれど、なかなか夢から覚めてくれない意識に対してだけは、はやく出口に向かってくれとお願いしていた。

 靴箱で下靴からスニーカーに履き替え、玄関を出る。

 ここで目覚めることを期待したのに、僕はそのままグラウンドの前を横切ることになった。

 当然、グラウンドにいた彼女は、僕の存在に気がつくのであった。

「エッ」

 濁点が付いたような小さな悲鳴が聞こえた。僕は、なるべく知らないふりを決めこもうとしていたけど、「み、宮部くんもいたんだ……」と困惑する声を聞いてしまった以上、足を止めるしかなかった。

 消火器を手にしていた奈々海さんは、苦虫を噛み潰したような顔という表現が似合う表情で固まっていた。

「……なにやってんの?」

 声をかければ、固まったままだった奈々海さんは、グラウンドに転がっていた消火器の安全ピンをつま先でつつき、

「ちょ、ちょっと……やってみたかったの……」

 と、もじもじしながら答えてくれた。まるで、いたずらが親にばれた幼児みたいだ。

「そうなんだ……。体は大丈夫?」

 一応、奈々海さんの体を気遣うべきかと思って聞いてみたけれど、

「へ?」

 きょとんとした奈々海さんは首を傾げたあと、「なんともないよ?」と平然とした声音で答えた。

 まあ確かに、あれだけはしゃいでいて息も切らしていないのなら、元気に決まっている。

 奈々海さんはどこかよそよそしく目を泳がせていて、僕もかけるべき言葉が見つからず、いくつか無言の時が流れる。

 はやく目覚めてくれと心で叫んだところで、状況はなにも変わらない。

 覚める気配を感じない意識に痺れを切らした僕は、「今日はもう遅いから帰るよ」と奈々海さんに伝えた。

「え? 帰るの?」

「……まあ、親が心配するし」

「……そっか」

 夢の中で帰るという表現はおかしいだろうか? そんな疑問が頭をよぎったけれど、夢だからなんでもいいか、という結論に僕は至った。

 そして、正門に向かって歩き出したときだった。

「お姉ちゃん!」

 いきなり、元気な声が聞こえた。

「お姉ちゃん! お待たせ! 準備できたよ!」

 女の子の声が聞こえたと思ったときには、奈々海さんが見知らぬ女の子の頭を撫でていた。おかっぱ頭に古ぼけた縞柄の着物を着た女の子は、十歳ぐらいの小学生に見えた。

 誰だろう、と僕が困惑している中、奈々海さんは女の子に「ありがと」と微笑んでいた。

「でもお姉ちゃん! ちょっとだけお時間かかるよ!」

「そうなの? じゃあ、時間まで遊ぶ?」

「うん!」

 僕は蚊帳の外に置かれたみたいに固まってしまった。なにして遊ぶかで盛り上がっている奈々海さんと女の子を眺めることしかできず、立ち去ることもできぬまま、僕は呆然と立ち尽くすだけだった。

 なんだ? この、違和感。

 いま、女の子はどこから現れた?

 これは夢、だよな?

「あ、宮部くん」

 僕のことに気がついたのか、奈々海さんが僕に微笑んでくれた。

「それじゃあ……えっと、また明日」

 奈々海さんは手を振ってくれた。

「お兄ちゃん、ばいばい!」

 女の子も、両手を大きく振ってくれた。

 僕も、手を振った。

 喉が潰れたみたいに声が出なかったのは、なぜだろう。

 僕は足早に奈々海さんと女の子から離れ、正門へと向かった。

 いま気づいたけど、学校の周辺がやけに真っ暗だった。この辺り一帯が停電してしまったかのようで、車のヘッドライト一つすら見つけることができない。

 空を見上げても、分厚い雲に覆われているのか、月や星のように光源になってくれるものはなに一つとして存在していなかった。

 でも、奈々海さんの顔の造形は、はっきりと見えていた。この違和感は、夢特有の現象だと僕は信じこんだ。

 はやく、はやく、目覚めてくれ。

 そうしないと、なにか大変なことが――

 僕は駆け出していた。

 正門の先は黒いペンキで空間を塗ったように真っ黒だったけれど、一目散にそこに飛び込んだ。

 この闇の先に、朝があるような気がしたから。
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