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第10章 紺碧の魔海
第6話 妖霧の街ウォグチ1
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セアードの内海に面した沿岸にウォグチの街はある。
ビュルサ女王国から近く、立ち寄る必要もないのでこの街に来る船は少ない。
そもそも、ビュルサ女王国の者でもこの街の事を知っている者は少なく、また立ち寄ろうとする者もいなかった。
なぜなら、ウォグチは常に霧に閉ざされた不気味な街だからだ。
崖の間に挟まれた地にあるウォグチは日中でも影の中にあり暗く陰気である。
たまに立ち寄る人間もウォグチの陰気な空気に耐え切れず、長く逗留しようとはしない。
そのため存在を知っているビュルサ女王国の市民はウォグチを呪われた街と呼ぶようになった。
そのウォグチの港に海中から複数の人影が訪れる。
「ここがウォグチの街か」
鮫に乗って海から上がったクロキはそう言う。
鮫は海神ダラウゴンの聖獣であり、マーマン達が使役する乗り物だ。
その鮫に乗ってウォグチの街まで来たのである。
クロキはウォグチの街を見る。
街全体が湿り、辺りには魚の匂いが充満している。
石造りの建物に石畳なので水は吸わないはずだが、霧に覆われているためか湿度が高い。
普通の人間が長期間滞在すれば病気になるだろう。
もっともマーマンにとっては陸の上にもかかわらず過ごし易い環境である。
魚の匂いも気にした様子はない。
それに対してクロキの横にいるポレンとプチナは居心地が悪そうであった。
「ああ、久しぶりやなあ。陸に上がんのは」
ポレンと共に鮫に乗って来たトヨティマは大きく伸びをする。
トヨティマは滅多なことではムルミルから出ない。
以前はちょくちょく人間の住む地を訪れていたが、彼女を見た人間がその姿を見て気絶するのを見て行くのをやめてしまったのだ。
「まさか陸にオジ様の別荘があるとは思わなかったよ」
「全くなのさ、でも海の中よりも落ち着くのさ」
ポレンとプチナは頷く。
ウォグチは表向き人間の街だが、実質はマーマンが支配している。
本来伴侶となるマーメイドと別れてしまったマーマンには男しかいないので、子孫を残すには他の種族の腹を借りるしかない。
そこで目をつけたのが人間である。
かつて没落した人間の商人と契約して、人間の娘を差し出させる代わりに海上交易の恩寵を与えた。
その人間の商人は船を使った海上交易で莫大な利益を得て、その財貨を元に海神ダラウゴンのための秘密教団を作ったのだ。
ウォグチはそんな商人の子孫が作った街であり、街の市民達の全員がダラウゴンの信徒である。
マーマン達はウォグチへと上がり、宴会をしたりする。
クロキ達がウォグチへと上がったのは魔王の娘であるポレンのための宴を開くためだ。
「ガハハハ。久しぶりのウォグチや楽しむで」
ダラウゴンが笑うと一緒に来た他のマーマンも笑う。
現在ダラウゴンは魔法で本来の大きさから少し小さくなっている。通常の大きさではウォグチを歩くのは難しいからだ。
それでも一般的な人間の倍近い背丈があり、腹も大きいので笑うと地響きがするようであった。
「全くポレの字を歓迎する宴と言っておいて、ただ自分が飲みたいだけやろうに……」
トヨティマは呆れた顔をして小声で言う。
ダラウゴンとマーマン達は度々ウォグチを訪れては宴会をしているそうだ。
頻繁に訪れるとウォグチの市民達の負担が大きいので控えているらしいが、それでも年間に10回近くは来るそうであった。
「ぐぷぷぷ、父上お迎えに上がりましたでしゅ」
ウォグチの霧の中丸い姿をした何かが出てくる。
丸い棘フグのような外見をした人外の者だ。
丸い体から小さな手足が出て、滑稽な姿だ。
足はあるがウォグチの石畳の上を歩かず浮かんでいる。
棘フグのような者は小さくなったダラウゴンと同じぐらいだ。
ぷっくりした頬を膨らませ、ダラウゴンに頭を下げる。
「おっクランポン兄ちゃん久しぶりやなあ」
トヨティマは笑って言う。
クロキはクランポンの名に聞き覚えがあった。
妖霧の王子クランポン。
ダラウゴンとメローラの間に生まれた3兄弟の次男である。
長男はマーメイドに対してイタズラばかりして、あまりにも度がすぎたので勘当され、三男はエリオスの女神を攫おうとして、アルフォスに成敗され行方知れず。
結果的に引きこもりのクランポンだけが残ったのだ。
メローラの子でもあるが、母であるメローラはこの子どもである3兄弟を好きになれず愛する事はなかったようだ。
3兄弟もメローラとは特に繋がりが薄く、何とも思っていないとの事だった。
このあたりはイシュティアとトヨティマの関係に似ていると言える。
クランポンは魔法の霧を生み出す能力があり、ウォグチを覆う霧は彼が生み出したものだ。
この霧の中でならマーマン等の海の民は活動しやすいのである。
ウォグチは信徒達が作った街だが、数年前からクランポンが支配者となっているとの事だった。
「えっ? その声は妹のトヨ? どうしたんでしゅか? その姿は?」
クランポンは驚く。
現在トヨティマは美しい姿をしている。
口を開いて全ての歯が尖った牙になっている所を見せなければ、多くの男が言い寄って来るだろう。
なぜ、変身しているかと言うと、この姿の方が陸上では動きやすいからだ。
しばらく会っていなかったクランポンは醜い方の姿しか知らなかったようで、トヨティマの姿に魅入る。
「ふふふ! これが、うちのもう1つの姿や! どや! これならアトランティアの娘っ子どもにも負けへんやろ!」
トヨティマは1回転してクランポンに姿を見せる。
「ぷく~! ぽくちん驚いたよ! まさかトヨがこんなに可愛くなるとは驚いたでしゅ!」
クランポンは頬を膨らませる。
「待て、クランポン! モデスとこのポレン嬢ちゃんが来とる。先に挨拶せんかい!」
ダラウゴンは兄妹のやり取りを止める。
あくまで主賓はポレンであり、先に挨拶しないのは確かに失礼であった。
「えっ!? 殿下が来られているんでしゅか!? どうして暗黒騎士が来ているか疑問だったでしゅか、そういう事だったのでしゅね」
クランポンはクロキの側を見るとポレンに目を止める。
ポレンはトヨティマのように美しい姿に変身しておらず、プチナはポレンに仕える者として後ろに下がっている。
当然暗黒騎士姿のクロキは除外されるから、ポレンが魔王の娘だと気付く。
「え、えーと初めましてクランポン殿。ピピポレンナです」
「は、はいでしゅ! ようこそ殿下! ゆっくりして下さいでしゅ!」
ポレンが挨拶をクランポンも挨拶をする。
クロキはそこで首を傾げる。
クランポンが怯えているような気がしたのだ。
「そ、それじゃあこちらへ! ぼくちんが案内するでしゅ!」
クランポンは背中を向けて案内する。
その後ろをダラウゴン、ポレンとトヨティマが続き、少し離れてクロキ達従者が続く。
「あの~。プチナ殿。クランポン殿はどこか怯えているようですが、殿下と何かあったのですか」
クロキは歩きながら側にいるプチナに小声で聞く。
「何かあった? う~ん、もしかして殿下との婚約の話かもしれないのさ」
「えっ? 婚約? ポレン殿下とクランポン殿が?」
クロキは驚いて大声を出しそうになる。
「昔の話なのさ。どこからかそういう話が出たのさ。ただ、豚の姿をした殿下をクランポン殿は嫌がったらしいのさ。まあ、陛下も乗り気でなかったし、殿下はそもそも何も知らないのさ。つまり、もう終わった話なのさ」
プチナは説明する。
ポレンとクランポンの婚約はされなかったし、ポレンは何も知らない。
しかし、噂ではクランポンは過去にポレンを嫌がったらしかった。
クランポンの態度を知れば真実だろう。
一応モデスとダラウゴンは親友であり、対等の関係だ。
だけど、実質はモデスの方が上の立場にある。
また、モデスの真の力を知っている者はモデスを怖がる。
クランポンもモデスの怖ろしさを知っているようで、その娘であるポレンも怖がっているようであった。
「それにしても、驚いた……。まあ、殿下は何も知らないらしいし、それにしても難しいなあ」
クロキは呟く。
互いに良いと思える相手に出会える事は難しい。
この世は完全に思い通りになる事なんてないのだ。
持たざる者は努力するしかない。
それで、物事が上手く行くとは限らないが、最善をつくそうとクロキはそう思う。
そんな事を考えているとシロネの事が頭に浮かぶ。
「そういえばレイジ達は今頃どこにいるのだろう? セアードの内海に来ているはずだけど?」
◆
光の勇者レイジとその仲間達はアトランティアからビュルサ女王国の近くへと戻る。
海神ダラウゴンが陸へと上がったとの報告を受けたからだ。
ダラウゴンが支配する真珠の都ムルミルの近くには監視をしているメローラの使い魔がいるらしく、ダラウゴンとその側近達が海の上へと移動したとの連絡が入った。
そのため、レイジ達は宴の途中であったが、抜け出して来たのである。
行きと違いアトランティアから出るのに魔法の制約はない。あらかじめ設置していた転移の魔法でビュルサに戻り、陸路でウォグチの街の近くへと来たのである。
レイジ達はウォグチを見下ろせる崖の上に集まる。
陸上ではダラウゴン達の監視は弱いようで、ここまで近づいても気付かれた様子はない。
眼下には霧に包まれた街がぼんやりと見える。
あの街に海神が入ったはずであった。
「あの街に海神が入ったんだな」
「はい、レイジ様。使い魔の報告では間違いないです。ダラウゴンとのその側近達はあの街に入りました。ただ、ムルミルの者らしからぬ者が混じっていたのが気になりますが……。確認できませんでした。申し訳ないです」
一緒に来たトルキッソスは謝る。
か弱いトルキッソスがレイジ達と一緒に行くと言った時、メローラとトルキッソスの姉達は反対した。
しかし、トルキッソスはレイジ達ばかりを危ない目に遭わせるわけにも行かないと言って、少数のトリトンの戦士達と共に陸へと上がったのである。
その言葉にトライデンは感動して、息子を褒めたのである。
甘い母親や姉と違いトライデンは息子を戦士として育てたかったようだ。
そのトライデンはアトランティアから動けない。
互いに監視しあっているので、トライデンがアトランティアからいなくなると、すぐに気付かれるようなのだ。
だから、何事もなくアトランティアにいる姿を見せることで、奇襲を悟られないようにしなければならない。
「まあ、わからなかったのなら仕方がないわ。まさかビュルサの近くにあんな街があったなんてね……」
チユキは透視の魔法でウォグチの街を見ながら言う。
「どうだ、チユキ。見えるか?」
「ダメね。レイジ君。あの霧は普通の霧じゃないわ。結界で遮られているのと同じで中が見えないわ」
チユキは首を振る。
ウォグチの街を覆う霧は魔法の霧のようで、チユキの透視の魔法を弾くのである。
そのため、中の様子がわからないのだ。
「感知もダメっすね。霧の中が感じ取れないっす」
「リノもダメ。あの霧は水の精霊さんの力を使っているみたいだけど、ウンディーネさんは何も答えてくれないの。向こうの方が水の精霊さんと仲が良さそうだから、水の精霊さんは助けてくれないかも」
ナオとリノはしょんぼりして答える。
特にリノはより落ち込んでいる。
精霊使いが同じ属性の精霊を使った時、その属性の精霊と親和した者が勝つ。
ダラウゴンの方が水の精霊との親和性が高いので、今回リノは水の精霊を使って戦うことが出来ないからだ。
「でも、水の精霊じゃなければ大丈夫だよね。火の精霊を使ってあの霧を消せるんじゃないかな?」
シロネはリノを慰めるように言う。
「う~ん。確かにそれはできるかも、でもシロネさん。そんな事をすれば相手に気付かれちゃうよ」
リノは首を振る。
リノの言う通り、外から火の精霊を使い、霧を消す事は出来るだろう。
しかし、そんな事をすれば相手は海の中に逃げるに決まっている。
折角陸に上がっているのだから、逃してならなかった。
「気付かれずに中に入れれば良いのでしょうけど、何も思いつきませんわね」
キョウカは残念そうに言う。
「トルキッソスさん。何か良い方法はありませんか?」
キョウカの近くに控えていたカヤがトルキッソスに聞く。
「申し訳ありません。あの街は陸路では入り口は1つしかないらしく、当然監視の目はあるでしょう」
トルキッソスは困ったように言う。
それを聞いてチユキは溜息を吐く。
トライデン達はレイジ頼みでろくに策も用意してなかったようなのだ。
全てを任せられても対応できるわけがない。
「はあ、これじゃあどうしようもないわね。一旦戻りましょうか」
「待って下さいくださいっす! 何か来るっす!」
チユキが戻ろうと言った時だった。
ナオがチユキを止める。
「大きな馬車が来ているね。ビュルサから来たのかな?」
シロネはナオが顔を向けた方向を見て言う。
チユキも遠視の見ると馬車が向かって来るのが見える。
6頭の馬が引っ張っているのでかなり大きい。
「目的地はここよね。他に何もないのだから」
チユキが言うと仲間達も頷く。
ビュルサ女王国の周りは砂漠だ。
奥地に行っても乾いて死ぬだけなのでウォグチの街へと向かっていると思って良いだろう。
「おそらく、海神を信仰する者達です。ビュルサにも隠れて信仰する者がいますから、何かを海神の元に運んでいるのでしょう」
トルキッソスは説明する。
馬車には幌が張っており、中身が見えない。
「なるほどな。だとすれば。あの馬車を捕らえて中身を確認しよう。ナオ、監視の目はないな」
「はい、特に見られていないみたいっすよ」
レイジが言うとナオは頷く。
「良し、行くぜ。俺とナオが先行する。皆は後からついて来てくれ」
「ちょっとレイジ君!」
チユキが止めるのを無視してレイジとナオは飛び出す。
透視の魔法を使えば中身が見えるかもしれないのだから、それからでも遅くはない。
しかし、レイジは行ってしまった。
もし強敵がいたらどうするのだろうと思い、チユキは頭が痛くなる。
「はは、行っちゃたね、まあレイジ君らしいか。私達も行こうよチユキさん」
「ええ、シロネさん。ここに残っても仕方がないから全員で行きましょう」
チユキ達はレイジの後に続く。
チユキ達が馬車に辿り着くとレイジとナオと馬車とその前に砂の上に一人の男が倒れている。
倒れているのはどうやら御者のようだ、死んでいる様子はない。
「レイジ君。中身は何だったの?」
「ああ、見てくれ、チユキ」
レイジは馬車の中を指す。
チユキは馬車の幌を見る。
中には若い女性が20名程乗っている。
恰好からして踊り子のようだ。
彼女達はいきなりの事で驚いている。怖がっている様子はない。
普通なら恐怖を抱いてもおかしくないが、レイジが何か言ったようだ。
「この方達は何をしにウォグチに向かっているのかしら?」
キョウカは首を傾げる。
「それはお嬢様。この方達に聞くのが早いでしょうね。一番事情を知っていそうなのは……」
そう言ってカヤは倒れている男を見る。
「この男に聞くのが一番でしょうね。リノさんお願いできる。シロネさんは起こしてくれる」
「うん、わかった。リノにまかせて」
「うん、チユキさん」
シロネはうつ伏せに倒れている男を起こす。
すると魚っぽい顔が見える。
「うわ~。あんまり見たくない顔かも……」
「確かにそうですわね」
リノとキョウカは嫌そうな顔をする。
「まちがいなく、海神の信者ですね。海神を信仰する男は必ずと言ってよいほど魚顔をしていますから」
トルキッソスは説明する。
海神ダラウゴンの信者はマーマンの血を引いている者が多い。
母方の血筋の者でもその特徴が出てくる事がある。御者の男もマーマンの血を引いているみたいであった。
「ごめんなさい。今は我慢してリノさん。起こすから彼から聞きましょう」
チユキは手をかざすと魔法で御者の男を起こす。
「うう、何があったのだ……」
「起きたみたいだね。さあ、リノの目を見て」
嫌々ながらもリノは起きた男に顔を近づける。
「うっ、何だ……」
リノの目を見た男の目が胡乱なものになる。
「さて、質問するわ。貴方はどうして彼女達を運んでいるの……」
「それは、偉大なる海神様を楽しませるため……。踊り子には楽しく踊ってもらう……」
御者は静かに答える。
さらに話を聞くと彼はビュルサ女王国の秘密教団の一員で、教団は貧しい生まれの女の子を引き取っては教育して踊り子にしているそうであった。
そして、海神が陸へと上がって来ると彼女達をウォグチへと連れて行き芸を見せるのだ。
彼女達は幻覚を見せられるので、海神の前で踊っている事に気付かないそうであった。
「なるほど。しかし、これは使えるかもしれないな」
レイジは不敵な笑みを浮かべる。
その笑みを見てチユキは何か変な策を思いついたのではないかと思い、頭が痛くなるのだった。
ビュルサ女王国から近く、立ち寄る必要もないのでこの街に来る船は少ない。
そもそも、ビュルサ女王国の者でもこの街の事を知っている者は少なく、また立ち寄ろうとする者もいなかった。
なぜなら、ウォグチは常に霧に閉ざされた不気味な街だからだ。
崖の間に挟まれた地にあるウォグチは日中でも影の中にあり暗く陰気である。
たまに立ち寄る人間もウォグチの陰気な空気に耐え切れず、長く逗留しようとはしない。
そのため存在を知っているビュルサ女王国の市民はウォグチを呪われた街と呼ぶようになった。
そのウォグチの港に海中から複数の人影が訪れる。
「ここがウォグチの街か」
鮫に乗って海から上がったクロキはそう言う。
鮫は海神ダラウゴンの聖獣であり、マーマン達が使役する乗り物だ。
その鮫に乗ってウォグチの街まで来たのである。
クロキはウォグチの街を見る。
街全体が湿り、辺りには魚の匂いが充満している。
石造りの建物に石畳なので水は吸わないはずだが、霧に覆われているためか湿度が高い。
普通の人間が長期間滞在すれば病気になるだろう。
もっともマーマンにとっては陸の上にもかかわらず過ごし易い環境である。
魚の匂いも気にした様子はない。
それに対してクロキの横にいるポレンとプチナは居心地が悪そうであった。
「ああ、久しぶりやなあ。陸に上がんのは」
ポレンと共に鮫に乗って来たトヨティマは大きく伸びをする。
トヨティマは滅多なことではムルミルから出ない。
以前はちょくちょく人間の住む地を訪れていたが、彼女を見た人間がその姿を見て気絶するのを見て行くのをやめてしまったのだ。
「まさか陸にオジ様の別荘があるとは思わなかったよ」
「全くなのさ、でも海の中よりも落ち着くのさ」
ポレンとプチナは頷く。
ウォグチは表向き人間の街だが、実質はマーマンが支配している。
本来伴侶となるマーメイドと別れてしまったマーマンには男しかいないので、子孫を残すには他の種族の腹を借りるしかない。
そこで目をつけたのが人間である。
かつて没落した人間の商人と契約して、人間の娘を差し出させる代わりに海上交易の恩寵を与えた。
その人間の商人は船を使った海上交易で莫大な利益を得て、その財貨を元に海神ダラウゴンのための秘密教団を作ったのだ。
ウォグチはそんな商人の子孫が作った街であり、街の市民達の全員がダラウゴンの信徒である。
マーマン達はウォグチへと上がり、宴会をしたりする。
クロキ達がウォグチへと上がったのは魔王の娘であるポレンのための宴を開くためだ。
「ガハハハ。久しぶりのウォグチや楽しむで」
ダラウゴンが笑うと一緒に来た他のマーマンも笑う。
現在ダラウゴンは魔法で本来の大きさから少し小さくなっている。通常の大きさではウォグチを歩くのは難しいからだ。
それでも一般的な人間の倍近い背丈があり、腹も大きいので笑うと地響きがするようであった。
「全くポレの字を歓迎する宴と言っておいて、ただ自分が飲みたいだけやろうに……」
トヨティマは呆れた顔をして小声で言う。
ダラウゴンとマーマン達は度々ウォグチを訪れては宴会をしているそうだ。
頻繁に訪れるとウォグチの市民達の負担が大きいので控えているらしいが、それでも年間に10回近くは来るそうであった。
「ぐぷぷぷ、父上お迎えに上がりましたでしゅ」
ウォグチの霧の中丸い姿をした何かが出てくる。
丸い棘フグのような外見をした人外の者だ。
丸い体から小さな手足が出て、滑稽な姿だ。
足はあるがウォグチの石畳の上を歩かず浮かんでいる。
棘フグのような者は小さくなったダラウゴンと同じぐらいだ。
ぷっくりした頬を膨らませ、ダラウゴンに頭を下げる。
「おっクランポン兄ちゃん久しぶりやなあ」
トヨティマは笑って言う。
クロキはクランポンの名に聞き覚えがあった。
妖霧の王子クランポン。
ダラウゴンとメローラの間に生まれた3兄弟の次男である。
長男はマーメイドに対してイタズラばかりして、あまりにも度がすぎたので勘当され、三男はエリオスの女神を攫おうとして、アルフォスに成敗され行方知れず。
結果的に引きこもりのクランポンだけが残ったのだ。
メローラの子でもあるが、母であるメローラはこの子どもである3兄弟を好きになれず愛する事はなかったようだ。
3兄弟もメローラとは特に繋がりが薄く、何とも思っていないとの事だった。
このあたりはイシュティアとトヨティマの関係に似ていると言える。
クランポンは魔法の霧を生み出す能力があり、ウォグチを覆う霧は彼が生み出したものだ。
この霧の中でならマーマン等の海の民は活動しやすいのである。
ウォグチは信徒達が作った街だが、数年前からクランポンが支配者となっているとの事だった。
「えっ? その声は妹のトヨ? どうしたんでしゅか? その姿は?」
クランポンは驚く。
現在トヨティマは美しい姿をしている。
口を開いて全ての歯が尖った牙になっている所を見せなければ、多くの男が言い寄って来るだろう。
なぜ、変身しているかと言うと、この姿の方が陸上では動きやすいからだ。
しばらく会っていなかったクランポンは醜い方の姿しか知らなかったようで、トヨティマの姿に魅入る。
「ふふふ! これが、うちのもう1つの姿や! どや! これならアトランティアの娘っ子どもにも負けへんやろ!」
トヨティマは1回転してクランポンに姿を見せる。
「ぷく~! ぽくちん驚いたよ! まさかトヨがこんなに可愛くなるとは驚いたでしゅ!」
クランポンは頬を膨らませる。
「待て、クランポン! モデスとこのポレン嬢ちゃんが来とる。先に挨拶せんかい!」
ダラウゴンは兄妹のやり取りを止める。
あくまで主賓はポレンであり、先に挨拶しないのは確かに失礼であった。
「えっ!? 殿下が来られているんでしゅか!? どうして暗黒騎士が来ているか疑問だったでしゅか、そういう事だったのでしゅね」
クランポンはクロキの側を見るとポレンに目を止める。
ポレンはトヨティマのように美しい姿に変身しておらず、プチナはポレンに仕える者として後ろに下がっている。
当然暗黒騎士姿のクロキは除外されるから、ポレンが魔王の娘だと気付く。
「え、えーと初めましてクランポン殿。ピピポレンナです」
「は、はいでしゅ! ようこそ殿下! ゆっくりして下さいでしゅ!」
ポレンが挨拶をクランポンも挨拶をする。
クロキはそこで首を傾げる。
クランポンが怯えているような気がしたのだ。
「そ、それじゃあこちらへ! ぼくちんが案内するでしゅ!」
クランポンは背中を向けて案内する。
その後ろをダラウゴン、ポレンとトヨティマが続き、少し離れてクロキ達従者が続く。
「あの~。プチナ殿。クランポン殿はどこか怯えているようですが、殿下と何かあったのですか」
クロキは歩きながら側にいるプチナに小声で聞く。
「何かあった? う~ん、もしかして殿下との婚約の話かもしれないのさ」
「えっ? 婚約? ポレン殿下とクランポン殿が?」
クロキは驚いて大声を出しそうになる。
「昔の話なのさ。どこからかそういう話が出たのさ。ただ、豚の姿をした殿下をクランポン殿は嫌がったらしいのさ。まあ、陛下も乗り気でなかったし、殿下はそもそも何も知らないのさ。つまり、もう終わった話なのさ」
プチナは説明する。
ポレンとクランポンの婚約はされなかったし、ポレンは何も知らない。
しかし、噂ではクランポンは過去にポレンを嫌がったらしかった。
クランポンの態度を知れば真実だろう。
一応モデスとダラウゴンは親友であり、対等の関係だ。
だけど、実質はモデスの方が上の立場にある。
また、モデスの真の力を知っている者はモデスを怖がる。
クランポンもモデスの怖ろしさを知っているようで、その娘であるポレンも怖がっているようであった。
「それにしても、驚いた……。まあ、殿下は何も知らないらしいし、それにしても難しいなあ」
クロキは呟く。
互いに良いと思える相手に出会える事は難しい。
この世は完全に思い通りになる事なんてないのだ。
持たざる者は努力するしかない。
それで、物事が上手く行くとは限らないが、最善をつくそうとクロキはそう思う。
そんな事を考えているとシロネの事が頭に浮かぶ。
「そういえばレイジ達は今頃どこにいるのだろう? セアードの内海に来ているはずだけど?」
◆
光の勇者レイジとその仲間達はアトランティアからビュルサ女王国の近くへと戻る。
海神ダラウゴンが陸へと上がったとの報告を受けたからだ。
ダラウゴンが支配する真珠の都ムルミルの近くには監視をしているメローラの使い魔がいるらしく、ダラウゴンとその側近達が海の上へと移動したとの連絡が入った。
そのため、レイジ達は宴の途中であったが、抜け出して来たのである。
行きと違いアトランティアから出るのに魔法の制約はない。あらかじめ設置していた転移の魔法でビュルサに戻り、陸路でウォグチの街の近くへと来たのである。
レイジ達はウォグチを見下ろせる崖の上に集まる。
陸上ではダラウゴン達の監視は弱いようで、ここまで近づいても気付かれた様子はない。
眼下には霧に包まれた街がぼんやりと見える。
あの街に海神が入ったはずであった。
「あの街に海神が入ったんだな」
「はい、レイジ様。使い魔の報告では間違いないです。ダラウゴンとのその側近達はあの街に入りました。ただ、ムルミルの者らしからぬ者が混じっていたのが気になりますが……。確認できませんでした。申し訳ないです」
一緒に来たトルキッソスは謝る。
か弱いトルキッソスがレイジ達と一緒に行くと言った時、メローラとトルキッソスの姉達は反対した。
しかし、トルキッソスはレイジ達ばかりを危ない目に遭わせるわけにも行かないと言って、少数のトリトンの戦士達と共に陸へと上がったのである。
その言葉にトライデンは感動して、息子を褒めたのである。
甘い母親や姉と違いトライデンは息子を戦士として育てたかったようだ。
そのトライデンはアトランティアから動けない。
互いに監視しあっているので、トライデンがアトランティアからいなくなると、すぐに気付かれるようなのだ。
だから、何事もなくアトランティアにいる姿を見せることで、奇襲を悟られないようにしなければならない。
「まあ、わからなかったのなら仕方がないわ。まさかビュルサの近くにあんな街があったなんてね……」
チユキは透視の魔法でウォグチの街を見ながら言う。
「どうだ、チユキ。見えるか?」
「ダメね。レイジ君。あの霧は普通の霧じゃないわ。結界で遮られているのと同じで中が見えないわ」
チユキは首を振る。
ウォグチの街を覆う霧は魔法の霧のようで、チユキの透視の魔法を弾くのである。
そのため、中の様子がわからないのだ。
「感知もダメっすね。霧の中が感じ取れないっす」
「リノもダメ。あの霧は水の精霊さんの力を使っているみたいだけど、ウンディーネさんは何も答えてくれないの。向こうの方が水の精霊さんと仲が良さそうだから、水の精霊さんは助けてくれないかも」
ナオとリノはしょんぼりして答える。
特にリノはより落ち込んでいる。
精霊使いが同じ属性の精霊を使った時、その属性の精霊と親和した者が勝つ。
ダラウゴンの方が水の精霊との親和性が高いので、今回リノは水の精霊を使って戦うことが出来ないからだ。
「でも、水の精霊じゃなければ大丈夫だよね。火の精霊を使ってあの霧を消せるんじゃないかな?」
シロネはリノを慰めるように言う。
「う~ん。確かにそれはできるかも、でもシロネさん。そんな事をすれば相手に気付かれちゃうよ」
リノは首を振る。
リノの言う通り、外から火の精霊を使い、霧を消す事は出来るだろう。
しかし、そんな事をすれば相手は海の中に逃げるに決まっている。
折角陸に上がっているのだから、逃してならなかった。
「気付かれずに中に入れれば良いのでしょうけど、何も思いつきませんわね」
キョウカは残念そうに言う。
「トルキッソスさん。何か良い方法はありませんか?」
キョウカの近くに控えていたカヤがトルキッソスに聞く。
「申し訳ありません。あの街は陸路では入り口は1つしかないらしく、当然監視の目はあるでしょう」
トルキッソスは困ったように言う。
それを聞いてチユキは溜息を吐く。
トライデン達はレイジ頼みでろくに策も用意してなかったようなのだ。
全てを任せられても対応できるわけがない。
「はあ、これじゃあどうしようもないわね。一旦戻りましょうか」
「待って下さいくださいっす! 何か来るっす!」
チユキが戻ろうと言った時だった。
ナオがチユキを止める。
「大きな馬車が来ているね。ビュルサから来たのかな?」
シロネはナオが顔を向けた方向を見て言う。
チユキも遠視の見ると馬車が向かって来るのが見える。
6頭の馬が引っ張っているのでかなり大きい。
「目的地はここよね。他に何もないのだから」
チユキが言うと仲間達も頷く。
ビュルサ女王国の周りは砂漠だ。
奥地に行っても乾いて死ぬだけなのでウォグチの街へと向かっていると思って良いだろう。
「おそらく、海神を信仰する者達です。ビュルサにも隠れて信仰する者がいますから、何かを海神の元に運んでいるのでしょう」
トルキッソスは説明する。
馬車には幌が張っており、中身が見えない。
「なるほどな。だとすれば。あの馬車を捕らえて中身を確認しよう。ナオ、監視の目はないな」
「はい、特に見られていないみたいっすよ」
レイジが言うとナオは頷く。
「良し、行くぜ。俺とナオが先行する。皆は後からついて来てくれ」
「ちょっとレイジ君!」
チユキが止めるのを無視してレイジとナオは飛び出す。
透視の魔法を使えば中身が見えるかもしれないのだから、それからでも遅くはない。
しかし、レイジは行ってしまった。
もし強敵がいたらどうするのだろうと思い、チユキは頭が痛くなる。
「はは、行っちゃたね、まあレイジ君らしいか。私達も行こうよチユキさん」
「ええ、シロネさん。ここに残っても仕方がないから全員で行きましょう」
チユキ達はレイジの後に続く。
チユキ達が馬車に辿り着くとレイジとナオと馬車とその前に砂の上に一人の男が倒れている。
倒れているのはどうやら御者のようだ、死んでいる様子はない。
「レイジ君。中身は何だったの?」
「ああ、見てくれ、チユキ」
レイジは馬車の中を指す。
チユキは馬車の幌を見る。
中には若い女性が20名程乗っている。
恰好からして踊り子のようだ。
彼女達はいきなりの事で驚いている。怖がっている様子はない。
普通なら恐怖を抱いてもおかしくないが、レイジが何か言ったようだ。
「この方達は何をしにウォグチに向かっているのかしら?」
キョウカは首を傾げる。
「それはお嬢様。この方達に聞くのが早いでしょうね。一番事情を知っていそうなのは……」
そう言ってカヤは倒れている男を見る。
「この男に聞くのが一番でしょうね。リノさんお願いできる。シロネさんは起こしてくれる」
「うん、わかった。リノにまかせて」
「うん、チユキさん」
シロネはうつ伏せに倒れている男を起こす。
すると魚っぽい顔が見える。
「うわ~。あんまり見たくない顔かも……」
「確かにそうですわね」
リノとキョウカは嫌そうな顔をする。
「まちがいなく、海神の信者ですね。海神を信仰する男は必ずと言ってよいほど魚顔をしていますから」
トルキッソスは説明する。
海神ダラウゴンの信者はマーマンの血を引いている者が多い。
母方の血筋の者でもその特徴が出てくる事がある。御者の男もマーマンの血を引いているみたいであった。
「ごめんなさい。今は我慢してリノさん。起こすから彼から聞きましょう」
チユキは手をかざすと魔法で御者の男を起こす。
「うう、何があったのだ……」
「起きたみたいだね。さあ、リノの目を見て」
嫌々ながらもリノは起きた男に顔を近づける。
「うっ、何だ……」
リノの目を見た男の目が胡乱なものになる。
「さて、質問するわ。貴方はどうして彼女達を運んでいるの……」
「それは、偉大なる海神様を楽しませるため……。踊り子には楽しく踊ってもらう……」
御者は静かに答える。
さらに話を聞くと彼はビュルサ女王国の秘密教団の一員で、教団は貧しい生まれの女の子を引き取っては教育して踊り子にしているそうであった。
そして、海神が陸へと上がって来ると彼女達をウォグチへと連れて行き芸を見せるのだ。
彼女達は幻覚を見せられるので、海神の前で踊っている事に気付かないそうであった。
「なるほど。しかし、これは使えるかもしれないな」
レイジは不敵な笑みを浮かべる。
その笑みを見てチユキは何か変な策を思いついたのではないかと思い、頭が痛くなるのだった。
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