3 / 13
第一章
どんな人がタイプ?
しおりを挟む
店員が運んで来た酒が、もう何杯目なのかもわからなくなった頃。
世界が回るほど酔ってはいないが、吉井の寒い下ネタを大声で笑えるほどには酔っていた。
片膝を三角に立て、もう片方の足を伸ばし、壁に寄り掛かって座る僕の肩の上には、あきの頭が乗っている。
少し目線を落とせば、大きく開いた胸元から柔らかそうな胸が深い谷間を作っている。
抱えた膝をすっぽりと覆うスカートの裾からは、手入れの行き届いた素足がのぞいていた。
「寒くないの?」
つま先を指で触れると、想像以上にひんやりと冷たくて、少し心配になる。
「まだちょっと素足にミュールは寒かった。春の匂いにはしゃぎすぎちゃった」
そう言って、僕の顔を見上げ、恥ずかしそうに笑う。
至近距離で重なった視線に、どぎまぎした。
「春って独特の匂いあるよね」
「そう、なんだか懐かしくて切なくなるの」
柔らかい体温と、いやな事を何一つ聞かないあきとの会話は心地よかった。
酒のお陰なのか、あきの包容力がそうさせるのか、緊張感なく目を合わせて話せるようにもなっていた。
そんな時だった。
「俺ら、先に帰るわ」
吉井は何か思いついたような顔でそう告げると、にいなと顔を見合わせた。
「飲み放題で一人5500円ぽっきりだから、二人分」
そう言って、一万円札と千円札を一枚ずつテーブルに置いた。
吉井が自分の財布から二人分の金を出したのだ。
「は? なんで?」
豆鉄砲を食らった鳩のように、僕がそう訊ねると、にいなが「やだー」と助け船を出した。
「野暮な事聞かなーーい」
そう言って、頬を膨らます。
「え? 二人ってそういう関係なの?」
なんだか騙されたような気持ちだ。ならばこれはやはり僕とあきを引き合わせるための合コンだったのか。
「違う違う!」
吉井はパーにした手を、顔の前で大げさに振った。
「まぁ、野暮な事は聞くなって」
そう言ってそそくさと立ち上がる。
「じゃあ、あきちゃんの事よろしくな」
続いてにいなも「ごゆっくりー」と言いながら立ち上がった。
「ちょっと待てって。俺も帰る」
酔ってても、そう簡単に気持ちは切り替えられない。僕はまだ元カノを忘れたくないんだ。もしかしたら戻って来るかも。その時のためにもフリーでいたい。
慌てて立ち上がろうとした僕の腕を、あきが引いた。
「いいじゃん。もうちょっと一緒に飲もうよ。二人きりで飲みたいな」
とろけそうな瞳がうるんで見えるのは、酒のせいだろう。
あきも随分酔っている。
「けど僕は、まだその」
「お願い。もう少し一緒にいて」
待て待て!
そんな目で見つめられたら――。
僕は全ての語彙を飲み込み、浮かせた尻をゆっくりと元の位置に戻した。
「じゃあな」
逃げるように部屋を出て行く吉井とにいな。
古びたふすまが閉じた瞬間、狭い空間に静寂が訪れ、空気が変わる。
5ミリほど酔いがさめた気がした。
腕時計は、もうすぐ日付が変わろうとしている事を告げていた。
「あのさ、吉井になんて声かけられたの? 今日、なぜここに?」
あきの表情は変わらず笑顔のままだ。
「私が頼んだの」
これまでとは少し違う声のトーンでそう言うと、テーブルの赤いワインを口に含んだ。
「彼氏に浮気されてて、別れてほしいって言われて……」
「別れたの?」
あきはこちらを見ずにこくんとうなづいた。
ぺたんと女の子座りして、少し丸めた背中が、いろんな物を背負っている事を知り、僕は思わずその背をさすっていた。
同じ痛みを感じていた同士のような。それでいて、この痛みにあきも苦しんでいたのかと思ったら、急に可哀そうに思えて、一人残して帰ると言ってしまった自分を説教してやりたくなった。
「ごめんね。全然事情を知らなくて」
背中に向かってそう呟くと、あきはさっと体をこちらに翻した。
大きく首を横に振りこういった。
「大丈夫! 最初からわかってたの。私じゃダメなんだって。今となっては本当に好きだったのかどうかさえわからなくなっちゃった」
「そうか」
こんな時、どんな風に声をかけてあげたらいいかなんてわからない。ただただ、あきの話を聞いてやろう。そう思っていた。
「そんな事よりさぁ、智也君は、どんな女の子がタイプ?」
「ええ?」
急展開について行けず、変な声が出る。
「どんな女の子が好き?」
完全に気を取り直したあきがもう一度質問を繰り返した。
大概の人がそうだと思うのだが、好きになった人がタイプ。
しかし、あきが求める答えはそんな事じゃないことぐらいわかる。
だから、あきの表情、すがた形、声のトーン、話口調。そこから好きな部分を抽出しようと試みた。
目線は自然と胸元へと吸い込まれる。
あきが動くたび、連動してふるふると揺れている。
「そうだな……、――がおっきい人」
『胸』というワードはわざと聞き取れないようにボソっと言ってみた。
「え? なになに? 聞こえなかった」
上半身をこちらに乗り出し、耳を差し出す。
「だから……、……目が大きい人」
ワンチャン聞き取られていたとしても『むね』と『め』。聞き間違いだと思うだろう。
何だか重大な秘密を握ったかのように、あきはふぅんとにんまり笑った。
「君は? どんな男がタイプなの?」
「私はねぇ……」
「うん」
食い入るようにあきの言葉に集中する僕がおかしいのか、あきは急にケラケラと笑いだした。
大きく開けた口元を両手で覆い、涙まで流すんじゃないかと思うほど大笑いしている。
「何がそんなにおかしいの?」と言いつつも、僕もつられて笑ってしまう。
「もったいぶるなって。早く教えて」
「あのねー、私はねー」
「うん」
笑い声を残したまま、あきはこう言った。
「ちんちん大きい人が好き」
世界が回るほど酔ってはいないが、吉井の寒い下ネタを大声で笑えるほどには酔っていた。
片膝を三角に立て、もう片方の足を伸ばし、壁に寄り掛かって座る僕の肩の上には、あきの頭が乗っている。
少し目線を落とせば、大きく開いた胸元から柔らかそうな胸が深い谷間を作っている。
抱えた膝をすっぽりと覆うスカートの裾からは、手入れの行き届いた素足がのぞいていた。
「寒くないの?」
つま先を指で触れると、想像以上にひんやりと冷たくて、少し心配になる。
「まだちょっと素足にミュールは寒かった。春の匂いにはしゃぎすぎちゃった」
そう言って、僕の顔を見上げ、恥ずかしそうに笑う。
至近距離で重なった視線に、どぎまぎした。
「春って独特の匂いあるよね」
「そう、なんだか懐かしくて切なくなるの」
柔らかい体温と、いやな事を何一つ聞かないあきとの会話は心地よかった。
酒のお陰なのか、あきの包容力がそうさせるのか、緊張感なく目を合わせて話せるようにもなっていた。
そんな時だった。
「俺ら、先に帰るわ」
吉井は何か思いついたような顔でそう告げると、にいなと顔を見合わせた。
「飲み放題で一人5500円ぽっきりだから、二人分」
そう言って、一万円札と千円札を一枚ずつテーブルに置いた。
吉井が自分の財布から二人分の金を出したのだ。
「は? なんで?」
豆鉄砲を食らった鳩のように、僕がそう訊ねると、にいなが「やだー」と助け船を出した。
「野暮な事聞かなーーい」
そう言って、頬を膨らます。
「え? 二人ってそういう関係なの?」
なんだか騙されたような気持ちだ。ならばこれはやはり僕とあきを引き合わせるための合コンだったのか。
「違う違う!」
吉井はパーにした手を、顔の前で大げさに振った。
「まぁ、野暮な事は聞くなって」
そう言ってそそくさと立ち上がる。
「じゃあ、あきちゃんの事よろしくな」
続いてにいなも「ごゆっくりー」と言いながら立ち上がった。
「ちょっと待てって。俺も帰る」
酔ってても、そう簡単に気持ちは切り替えられない。僕はまだ元カノを忘れたくないんだ。もしかしたら戻って来るかも。その時のためにもフリーでいたい。
慌てて立ち上がろうとした僕の腕を、あきが引いた。
「いいじゃん。もうちょっと一緒に飲もうよ。二人きりで飲みたいな」
とろけそうな瞳がうるんで見えるのは、酒のせいだろう。
あきも随分酔っている。
「けど僕は、まだその」
「お願い。もう少し一緒にいて」
待て待て!
そんな目で見つめられたら――。
僕は全ての語彙を飲み込み、浮かせた尻をゆっくりと元の位置に戻した。
「じゃあな」
逃げるように部屋を出て行く吉井とにいな。
古びたふすまが閉じた瞬間、狭い空間に静寂が訪れ、空気が変わる。
5ミリほど酔いがさめた気がした。
腕時計は、もうすぐ日付が変わろうとしている事を告げていた。
「あのさ、吉井になんて声かけられたの? 今日、なぜここに?」
あきの表情は変わらず笑顔のままだ。
「私が頼んだの」
これまでとは少し違う声のトーンでそう言うと、テーブルの赤いワインを口に含んだ。
「彼氏に浮気されてて、別れてほしいって言われて……」
「別れたの?」
あきはこちらを見ずにこくんとうなづいた。
ぺたんと女の子座りして、少し丸めた背中が、いろんな物を背負っている事を知り、僕は思わずその背をさすっていた。
同じ痛みを感じていた同士のような。それでいて、この痛みにあきも苦しんでいたのかと思ったら、急に可哀そうに思えて、一人残して帰ると言ってしまった自分を説教してやりたくなった。
「ごめんね。全然事情を知らなくて」
背中に向かってそう呟くと、あきはさっと体をこちらに翻した。
大きく首を横に振りこういった。
「大丈夫! 最初からわかってたの。私じゃダメなんだって。今となっては本当に好きだったのかどうかさえわからなくなっちゃった」
「そうか」
こんな時、どんな風に声をかけてあげたらいいかなんてわからない。ただただ、あきの話を聞いてやろう。そう思っていた。
「そんな事よりさぁ、智也君は、どんな女の子がタイプ?」
「ええ?」
急展開について行けず、変な声が出る。
「どんな女の子が好き?」
完全に気を取り直したあきがもう一度質問を繰り返した。
大概の人がそうだと思うのだが、好きになった人がタイプ。
しかし、あきが求める答えはそんな事じゃないことぐらいわかる。
だから、あきの表情、すがた形、声のトーン、話口調。そこから好きな部分を抽出しようと試みた。
目線は自然と胸元へと吸い込まれる。
あきが動くたび、連動してふるふると揺れている。
「そうだな……、――がおっきい人」
『胸』というワードはわざと聞き取れないようにボソっと言ってみた。
「え? なになに? 聞こえなかった」
上半身をこちらに乗り出し、耳を差し出す。
「だから……、……目が大きい人」
ワンチャン聞き取られていたとしても『むね』と『め』。聞き間違いだと思うだろう。
何だか重大な秘密を握ったかのように、あきはふぅんとにんまり笑った。
「君は? どんな男がタイプなの?」
「私はねぇ……」
「うん」
食い入るようにあきの言葉に集中する僕がおかしいのか、あきは急にケラケラと笑いだした。
大きく開けた口元を両手で覆い、涙まで流すんじゃないかと思うほど大笑いしている。
「何がそんなにおかしいの?」と言いつつも、僕もつられて笑ってしまう。
「もったいぶるなって。早く教えて」
「あのねー、私はねー」
「うん」
笑い声を残したまま、あきはこう言った。
「ちんちん大きい人が好き」
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい
一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。
しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。
家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。
そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。
そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。
……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──
ずっと君のこと ──妻の不倫
家紋武範
大衆娯楽
鷹也は妻の彩を愛していた。彼女と一人娘を守るために休日すら出勤して働いた。
余りにも働き過ぎたために会社より長期休暇をもらえることになり、久しぶりの家族団らんを味わおうとするが、そこは非常に味気ないものとなっていた。
しかし、奮起して彩や娘の鈴の歓心を買い、ようやくもとの居場所を確保したと思った束の間。
医師からの検査の結果が「性感染症」。
鷹也には全く身に覚えがなかった。
※1話は約1000文字と少なめです。
※111話、約10万文字で完結します。
隣の人妻としているいけないこと
ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。
そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。
しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。
彼女の夫がしかけたものと思われ…
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
彼女の浮気相手からNTRビデオレターが送られてきたから全力で反撃しますが、今さら許してくれと言われてももう遅い
うぱー
恋愛
彼女の浮気相手からハメ撮りを送られてきたことにより、浮気されていた事実を知る。
浮気相手はサークルの女性にモテまくりの先輩だった。
裏切られていた悲しみと憎しみを糧に社会的制裁を徹底的に加えて復讐することを誓う。
■一行あらすじ
浮気相手と彼女を地獄に落とすために頑張る話です(●´艸`)ィヒヒ
大好きな彼女を学校一のイケメンに寝取られた。そしたら陰キャの僕が突然モテ始めた件について
ねんごろ
恋愛
僕の大好きな彼女が寝取られた。学校一のイケメンに……
しかし、それはまだ始まりに過ぎなかったのだ。
NTRは始まりでしか、なかったのだ……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる