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2.辺境の密会、魔女の耳は獣耳

Remember-61 “最悪”の状況/見たくもないモノ、見なくてはならないモノ

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 腰ほどの丈の草むらを蹴り飛ばすように掻き分けながら駆け抜ける。
 日はすっかり落ちてしまって、森の中は更に薄暗くなりつつあった。これ以上暗くなる前に探し出せないと、この遮蔽物の多い森の中で小さな子供を見つけ出すのは困難になる。

『ランタンを持ってこなかったのが痛かったな……これ以上暗くなったらマズイぞ』
「冷静になっていたつもりだったけど、そんな簡単な判断ができないぐらいに慌ててたってことか……こうなったら」
『どうするつもりだ?』
「もう目は役立たない……耳で探してみせる」

 大きく息を吸い込んで、吐き出さずに口を閉じる。
 そして目を瞑り、探すのを止めた。そして、全神経を、と言ってもいいぐらいに耳へ入ってくる情報に集中する。

 走って高まった自身の鼓動。草木の揺れる音、風が耳元を通り過ぎる音――不自然な風の音――いや、呼吸音、呻きのような声――!

「……! 聞こえた!」
『聞こえたって……子供の声か!?』
「ああ、声がした! 子供の声……でも普通じゃない。怪我でもしてるのか……?」

 聞こえた方向はなんとなくでしか分からないが、探しているのは落とし物とか反応の無い物体ではなく、声をかければ返事が出来る人間だ。助けを求めているのなら、言葉が通じなくても反応がある筈。

「近くなのは間違いないが……おーい! 聞こえるか!?」
「…………――」
『! 聞こえたよユウマ! そっちだ!』

 俺の大声に反応するように、小さく声が聞こえた。ベルの指した方向に駆け出すと、果たしてその声主は草むらの中に見つかった。
 まるで力尽きている様子で、体の汚れや周囲の痕跡からここまで這いずって来たのが読み取れる。

「おい! 大丈夫か!? どうしてこんな……倒れているんだ」
「うぅ……――、―――」
『……駄目だ、言語が違うからなんて言っているか分からない』
「俺の言葉も通じていないかもしれない……いや、きっと通じていないんだろうな」

 アザミが居ないと会話も成り立たない……これでは何があったのか、他にも子供が居ないかを聞くことが出来ない。

「――、――――」
「……?」

 手詰まりな中、ボソボソと小さな囁きと共に少年はある方向を指でさす。
 更に森の奥。霧も立ち込めていて異世界の内部になるであろう先を、少年は残った力を振り絞るように指し示した。

 意味も言葉も分からない。けれど、何かを必死に伝えようとしているように感じ取れた。

『……? おいユウマ!? 何処に行こうと……まさか、今この子が指した先に行こうとしているのか!?』
「……居なくなったのは子供“達”だ。もしかしたら、この先に他の子供がいるかもしれない」
『ちょっと冷静になれ! 異世界の中だぞ! 危険だ!』
「分かってる! だけど子供達が異世界に居た方がずっと危険だ!」
『ッ、ユウマ……冷静じゃなければ一喝しろと言ったのはお前だからな。それを承知の上で、今のお前は冷静だと言えるのか』
「……いいや、冷静じゃないと思う。俺は焦っているよ、ベル。もしかしたらこの先に子供なんて居ないかもしれない。だけどほんのちょっとでも、微かにでも可能性があったのなら、俺はやるしかないと思っている」

 力強く、説得でもするみたいに告げる。
 ベルの表情は固い。俺の言葉を真っ向から受け止めて口を結んでいる。永く感じた一瞬の沈黙を過ぎて、ベルは仕方ないと言いたげに首を横に振った。

『わかったよ。冷静じゃないって自覚があるなら、私はこれ以上反論はしない。でも覚えておくんだぞユウマ、私はお前の行動の責任までは負えないんだからな』
「……ありがとう」
『感謝なんてしなくていいよ。それよりも、力尽きているだけで、その子供に大きな怪我なんかは無いんだよな? いや、だとしても何かしてやれると良いんだが……』
「ん、昼飯の残りがある。メーラの実だ」
『いいね、それをあげよう。夕方でお腹も減っているだろうからな……甘味は疲労回復に良いだろう』
「もしも発煙筒とかがあれば良かったんだがな……シャーリィと合流も難しそうだし、この子は一度ここに置いていくしかないな」

 ……無い物ねだりばかりしていても仕方ない。俺はポケットの中に入れていたこぶし大ほどの木の実を少年に手渡す。少年はそれを口にはしなかったが、何も言わず不思議そうな顔を浮かべて受け取ってくれた。

『仕方ない、この先の様子を見回ってすぐに戻ることにしよう。流石に長時間子供を一人置き去りにするのは良くないからな。それに、そろそろ獣が活動する時間だ』
「ああ……何事も急ごうか」

 既に重く感じている四肢を強く振るように、俺は少年が指をさした先――異世界の内部にへと進行した。



 ■□■□■



「ハァ、ハァ……」
『……もう何度も聞いて飽きているだろうけど言わせて貰うぞ。異世界で無茶はするんじゃない。ユウマの体にどんな悪影響が出るのか、そしてどれほどこの空間に滞在が出来るのかはまだ分かっていないんだからな』
「うん、分かっているよ……」

 何度でもその忠告を胸に刻み込む。ただの異空間ではないこの場所では何が起こっても不思議ではないのだから、彼女の忠告に間違いは無い。
 今回の異世界は、荒れた大地だった。所々に乾いた草が生えていて、地面はまるで乾いた焼き菓子のように死んでいる。岩の砂漠みたいな場所とでも言うべきか。

 そんな環境だから先程の森のように歩行に困難することはなかった。
 見通しの良い場所だから、暫く周りを良く見回しながら歩いていれば、人影は意外にも簡単に見つけられた。

「ッ! いた! 二人とも生きている!」
『あの子が指さしていたのは、この取り残された子供達だったのか……見つけ出せて良かった』
「いや、でもまだ油断はできない……」

 以前、異世界に突入した際に騎士兵の何人かがあっという間に力尽きる姿を見たことがある。中には耐性のようなものがあるのか、しばらくは異世界内部に滞在しても大丈夫な人も居たが、この子供達がどちらかなのかは分からない。
 それに、耐性のようなものがあるからといって長時間滞在して良いものではないのは間違いない。早く救出しなくては。

「―――! ――!」
「――、――……!」
「な、なんだ……? どうしたんだこの子達は」
『まるで何かを訴えかけているように見えるが……』

 草むらで倒れている子供よりは元気が残っているらしく、子供達は泣きながら俺の上着にしがみついて何かを訴えかけるように言葉を発している。
 言葉はやはり理解することはできないが、それでも行動や様子からおおよそ言いたいことを雰囲気で読み取ることはできる。この子達はただ迷子になって自己的に泣きついているのではない。何か問題でも起こったのか、必死に他己を訴えている。

「……何か事情があるみたいだ。だけど今はこの子達を連れて――」
『ッ! ユウマ! 何かが来るぞ! 避けろ!』
「何――ッ!?」

 ベルの声を聞いた直後に、その存在感を感じ取った。
 あまりにも遅い反応。だが、それでも俺は子供二人を抱えて身を投げるように飛び引いた。一瞬遅れてガリガリ、と乾いた地面ごと薙ぎ払う音が耳に響く。

「ッ! 怪物か!」

 子供二人を背後に押しやって、ズボンのベルトに差していた包丁を取り出して首に添えながら、襲いかかった怪物を目で捉える。

「――――ぇ」

――動揺した。
 ぷつり。とうっかり刃物で首が無意味に傷つく感覚が、やけに遠くの出来事のように感じる。

 見るべきではなかった。理解しなければよかった。血が刃物を伝ってこぼれ落ちるよりも先に、涙の方が流れ出そうな気持ちで満たされてしまった。

『ユウマ! おいユウマ! しっかりしろ!』
「…………」
『くそッ、よく聞け! !』
「……! ッ!」

 彼女の言葉が脳にザクリと刺さった。刺さった痛みの脊髄反射で体を後方へ引っ込める。
 ……二度目の回避には成功した手応え。強引に引っ張った子供二人も無事だ。でも、頭の中身はぐちゃぐちゃだ。

『あの怪物、動きが素早いぞ……注意するんだ』
「注、意……ッ、ハァ、ハァ……」
『どうしたんだユウマ!? 呼吸も乱れていて、なんていうか普通じゃないって様子だぞ!?』

 ベルに指摘されても手の震えが止まらない。動揺した息遣いが止められない。
 素早い動きをするのなら、あの怪物から目を離してはならない。怪物の動きに注意しなくてはならないのに、目を背けたくて仕方ない。

「ユウマ! そこに居るの!?」
『! シャーリィ! ここだ! ここに居るぞ!』

 後から心強い声がする。でも今はちょっと、この場に居て欲しくないと思ってしまう自分が脳の片隅に隠れていた。

「すぐ外の子供はアザミが保護しているわ。残る子供は三人だって聞き出すことも出来た。……ユウマ?」
「ハァ……ハァ……シャーリィ」
『シャーリィ! さっきからユウマの様子が変なんだ!』

 駆けつけたシャーリィとベルの言葉が遠くの喧噪のように聞こえる。
 乱れた呼吸を無理矢理飲み下して、やっと震えが止まった喉で、意味も無いことを、目の前に向けて尋ねた。

「……君、なのか? あの時、あの夕方に話した、あの時の少年なのか……?」

 怪物の動きは止まっているし、シャーリィとベルも何も言わない。俺の奇行に口を閉ざして困惑しているのか、あるいは。
 そもそもこんな問いなんてしたくない。いや、それ以前に怪物が返事をするだなんて期待なんてしていないのに、

「――████、k、██……お、にい……さ」

 まるで貝殻の中に耳を当てたみたいに反響するくぐもった奇声に混ざって、酷く聞き覚えのある声がした。

「ッ!?」
『喋っ……!?』

 理解と困惑。後ろの二人は、怪物の発した声に混じった人間の言葉を読み取り、そもそも怪物が人間の言葉を発するという初めて見る事態に酷く驚いていた。

「……ユウマ。まさかあの怪物は――」
「……シャーリィ。この二人を異世界の外に連れて行ってくれ。俺はあの怪物の相手をする」

 大きく呼吸をして、目を逸らすのを止めにした。フジツボまみれの流木のような怪物と、真っ向から対峙する。
 ……その怪物の体に引っかかっている、から目を逸らさずに、武器を構えながら。

「――! ――!」
「――、――!」
「……ッ」

 後方から叫ぶような子供の声を聞く。言葉が分からなくても理解出来てしまうのが酷く苦しい。

 “やめろ、やめてくれ”、“あの子に手をかけないでくれ”――そんな泣きすがるようなその声を、背中で受け止め続けた。
 この子供達はきっと目の前で見たのだろう。あの怪物が何者なのか、どのように怪物へ変貌したのかを。

「……ユウマ、貴方」
「今は頼む、そうさせてくれ……ッ」

 ひょんな事から他愛の無い会話をして、宝物の見せ合いっこなんてことをして。そうして夕暮れ時に別れたあの少年は、今、目の前に――

「…………死ぬんじゃないわよ」

 事情を察してくれたシャーリィは、抵抗する子供二人を容易く取り押さえて俺の体から引き剥がし、颯爽とこの場を離れていく。
 この場に残されたのは俺とベルと、この怪物だけになった。


――怪物なら安心してくれ。俺とシャーリィが倒したし、また出てきても倒してやるから――


 斧を握る手が震えそうになるから、更に強く握り締める。
 転生は既に済んでいる。俺に残された仕事は、この目の前の怪物を、殺すこと。


――本当。それ? できる、約束? ――


「ッ、やらなきゃ……いけないんだよ……!」
「████ッ、████――!」

 昨日会ったばかりで、言葉を交わしたあの少年は、既に何の言葉も話せない。先程言葉を紡げたのが奇蹟だったのか、ギギギ、と軋むような鳴き声しかもう発さない。
 先程の二連撃から動きを見せない怪物が行動を起こす前に、俺は前へ駆ける。斧を構えて、弱点であろう首の部位を狙って。


――怪物が子供を襲うような事があったら、真っ先に駆けつけて――


「――今、救ってやる……! あと少しの辛抱だ――ッ!」

 ……ああ、今思えば。
 彼の名前を、聞きそびれてしまったな――

 そんな後悔を浮かべる頃には、怪物は首にあたる部位を横から叩き割るように切断されて、間違いなく絶命していた。

「――――」

 ……甘く見ていた。この世界で生き抜く為にはあまりにも楽観的過ぎた。
 異世界という異常が隣にある日常が、どういう意味を持っているのかを今更理解した。

 ……ああ、なんてこんな、“虚しい”のだろうか――

『…………』
「……これで良かったんだ。前提はこれっぽっちも良くはないけど、最悪は避けられたんだ」

 絶命して倒れた怪物の体から、貝殻の首飾りを手に取る。名の知らない少年の宝物は、あの時見せてくれた状態よりもヒビが入ったり欠けたりしていた。
 その傷跡が今の戦いで付いてしまったものなのかは分からないが、俺は俺の手で、あの少年の命を手にかけたのだと改めて認識した。

『……そうだな、これで良いんだ。あの少年が他の子供を殺してしまうようなことがあったら、それこそ“最悪”だった』
「……約束は守れたのかな、こんなやり方で」
『ああ、ユウマは立派にやり遂げたんだ。だから帰ろう。シャーリィ達はきっと心配しているから』

 手にした貝殻の首飾りに視線を落とす。ベルの言葉を心の中で何度も念じるように繰り返して、首飾りを握り締めた。

 ……約束は立派にやり遂げた。なのにどうして、こんなにも冷たくて、胸を張れない心地なのだろう。

――気がつけば、地面が近くにあった。
 それもそのはずだ。膝を折り畳んで、両腕で前に倒れ込まないように体を支えているのだから。

「――――ッ!」

 だから、近くにあった地面を殴る。
 焼き菓子が二つに砕ける。でもそれじゃあ満足できないので、駄々をこねるように、四つ、八つへと砕いていく。

「ッ――! ッ――! あァ……、ああッ――! あ"あ"あ"あ"あ"――――ッ!!」
『…………ユウマ』
「ッ、ぐ……許してくれ……いいや、許されない。許されないよ、こんな子殺しなんて! 格好つけた台詞で自分の汚い部分を隠しやがって!! ッ、何が救うだ! こんな、何もッ、子供の心を殺すことの何処に救いがあるんだよ!! それであの子が浮かばれるのかよ!? くッ――このッ、クソがッ――!!」

 無駄だ。こんなこと、無駄だ。
 こんな行為こそ、それこそ“虚しい”ってやつだ。

 なのに、どうして俺はこんなことを繰り返しているのだろうか。その理由を考える勇気はまだ、今の俺には備わっていなかった――
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