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前編 調査命令
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リセナは、大人になっても、まだ少し引っ込み思案なところがあった。
――グレイに名前で呼んでほしい……けど、やっぱり、面と向かってお願いするのってなんか恥ずかしい……。
ようやく解放され、彼に浴室を貸している間、そんなことを考えながら出かける支度をする。白銀の髪を綺麗に梳かして、瞳と同じ紺碧のフォーマルドレスを着て――いる途中でグレイが部屋に戻ってきたけれど、彼は彼女が着替えの途中であることをちっとも気にしない。
「どこかへ行くのか?」
「えっ、あっ、ちょっと王太子殿下の所に――仕事の打ち合わせで」
慌てて服を整えて、リセナが振り返る。
「お風呂……もうちょっと、ゆっくりしてきていいんですよ? あ、もう、お昼寝します? 長旅で疲れたでしょう」
「いや。付いていく」
「……!? あの、お城に行くので……。ちょっと、警備の人、びっくりしちゃうかなあ……」
「…………」
彼女が言葉を濁すと、グレイはおもむろに片手を胸の高さに上げ、その手のひらに風属性の魔法で小さな竜巻を起こした。
通常、暗黒騎士は、その身に宿す負の感情の影響で闇属性の魔力しか持たないとされている。けれど、彼には十分な理性が残っていて――というのを、主張したいらしい。
「わかった、わかりました……! あなたが、闇属性だけじゃない、理性的な人間なのは知ってますから……! ……城では絶対に、剣を抜かないでくださいね」
「ああ」
彼は素直に返事をするが、それだけでは、リセナは全然安心できなかった。
◆
グレイがまた魔力で編んだ鎧をまとっているものだから、城の警備兵から無駄に足止めをくらう。そして、ようやく王太子の元へたどり着くと、待っていた彼から開口一番にこう言われた。
「私の首でも取りにきたのか……?」
応接室の入口で、しどろもどろになるリセナ。
「あの、殿下、彼はですね……」
「元の場所に捨てて来い」
「そんなぁ……その、これには色々な事情がありまして……」
「いや、いい、聞きたくもない……座ってくれ」
王太子は、リセナをいたく気に入っていた過去があるので、どこの馬の骨とも知れない男が彼女のそばにいることが大変面白くない。“色々な事情”は知らないが、グレイが彼女の能力を目当てに現れた暗黒騎士だということは知っているのだ。
一方、グレイは、そんな王太子のことなんてどうでも良さそうにリセナの後ろに控えていた。彼女が何かされない限りは、言われた通り大人しくしていることだろう。
打ち合わせが終わって、リセナは豪華なソファーから立ち上がる。
「それでは、本日はこれで失礼いたします、殿下」
すると、王太子から「リセナ」と、呼び止められた。
「はい……?」
「お前は、ミラーズ領での事件を知っているか?」
ミラーズ領とは、リセナの住むライランド領の隣にある領地だ。
彼女は、首を横に振る。
「いえ。なにがあったんですか?」
「ミラーズ領にある、アリスターという森で異変が起きているようでな。そこへ入った者が、軒並み、記憶喪失に見舞われているらしい。重症の者は、自我を失ったかのように反応が希薄になったという報告もある」
「それは……危険ですね。早く調査をしないと」
「まったくだ。今から、そいつを派遣してくれ」
「えっ」
王太子の視線を追って、リセナはグレイを見やる。絶対に嫌がらせだ、と思いながら、彼女は王太子を向き直った。
「ですが、今からだと到着が夜になります。魔物がいるかもしれませんし、明日の朝でも――」
「森に入らぬよう命令はしているが、聞き分けのない子どもが被害にあってはいけないからな。事態は一刻を争う」
「それは……はい……」
「その男は、お前の騎士なのだろう?」
「はい……」
「お前は、生涯をかけて、この国の平和と発展に貢献してくれるのだろう?」
「はい……」
「では、調査結果を使い魔に伝えるように。不明なら不明で構わない」
リセナの影から、呼ばれたと思ったのか、ネコの姿をした妖精が抜け出してくる。しかし、特に用がないとわかると、また影に飛び込んで身を潜めた。彼女の能力――魔力増幅が貴重で強力なため、監視と報告用につけられている使い魔だ。
結局、リセナは断りきれずに、グレイと共にミラーズ領へ向かっていた。
彼が亜空間から喚んだ黒馬の背中――それも、グレイの前にちょこんと乗せられて、夕暮れの道を走る。
「ごめんなさい、グレイ。こんなことを頼んで」
「構わん」
「私も、力になれるかもしれないし、付いていきますね」
「駄目だ。町で待っていろ」
素っ気なく拒否された。
しかし、得体の知れない現象が起こっている場所に、彼を一人で行かせるわけにはいかない。
「心配した私が後から勝手に付いていくより、はじめから二人で行動した方がいいと思いませんか?」
自分を人質にして脅迫――いや、交渉する彼女に、グレイは長い時間沈黙したあと
「……俺から離れるなよ」
と、ため息混じりにささやいた。
――グレイに名前で呼んでほしい……けど、やっぱり、面と向かってお願いするのってなんか恥ずかしい……。
ようやく解放され、彼に浴室を貸している間、そんなことを考えながら出かける支度をする。白銀の髪を綺麗に梳かして、瞳と同じ紺碧のフォーマルドレスを着て――いる途中でグレイが部屋に戻ってきたけれど、彼は彼女が着替えの途中であることをちっとも気にしない。
「どこかへ行くのか?」
「えっ、あっ、ちょっと王太子殿下の所に――仕事の打ち合わせで」
慌てて服を整えて、リセナが振り返る。
「お風呂……もうちょっと、ゆっくりしてきていいんですよ? あ、もう、お昼寝します? 長旅で疲れたでしょう」
「いや。付いていく」
「……!? あの、お城に行くので……。ちょっと、警備の人、びっくりしちゃうかなあ……」
「…………」
彼女が言葉を濁すと、グレイはおもむろに片手を胸の高さに上げ、その手のひらに風属性の魔法で小さな竜巻を起こした。
通常、暗黒騎士は、その身に宿す負の感情の影響で闇属性の魔力しか持たないとされている。けれど、彼には十分な理性が残っていて――というのを、主張したいらしい。
「わかった、わかりました……! あなたが、闇属性だけじゃない、理性的な人間なのは知ってますから……! ……城では絶対に、剣を抜かないでくださいね」
「ああ」
彼は素直に返事をするが、それだけでは、リセナは全然安心できなかった。
◆
グレイがまた魔力で編んだ鎧をまとっているものだから、城の警備兵から無駄に足止めをくらう。そして、ようやく王太子の元へたどり着くと、待っていた彼から開口一番にこう言われた。
「私の首でも取りにきたのか……?」
応接室の入口で、しどろもどろになるリセナ。
「あの、殿下、彼はですね……」
「元の場所に捨てて来い」
「そんなぁ……その、これには色々な事情がありまして……」
「いや、いい、聞きたくもない……座ってくれ」
王太子は、リセナをいたく気に入っていた過去があるので、どこの馬の骨とも知れない男が彼女のそばにいることが大変面白くない。“色々な事情”は知らないが、グレイが彼女の能力を目当てに現れた暗黒騎士だということは知っているのだ。
一方、グレイは、そんな王太子のことなんてどうでも良さそうにリセナの後ろに控えていた。彼女が何かされない限りは、言われた通り大人しくしていることだろう。
打ち合わせが終わって、リセナは豪華なソファーから立ち上がる。
「それでは、本日はこれで失礼いたします、殿下」
すると、王太子から「リセナ」と、呼び止められた。
「はい……?」
「お前は、ミラーズ領での事件を知っているか?」
ミラーズ領とは、リセナの住むライランド領の隣にある領地だ。
彼女は、首を横に振る。
「いえ。なにがあったんですか?」
「ミラーズ領にある、アリスターという森で異変が起きているようでな。そこへ入った者が、軒並み、記憶喪失に見舞われているらしい。重症の者は、自我を失ったかのように反応が希薄になったという報告もある」
「それは……危険ですね。早く調査をしないと」
「まったくだ。今から、そいつを派遣してくれ」
「えっ」
王太子の視線を追って、リセナはグレイを見やる。絶対に嫌がらせだ、と思いながら、彼女は王太子を向き直った。
「ですが、今からだと到着が夜になります。魔物がいるかもしれませんし、明日の朝でも――」
「森に入らぬよう命令はしているが、聞き分けのない子どもが被害にあってはいけないからな。事態は一刻を争う」
「それは……はい……」
「その男は、お前の騎士なのだろう?」
「はい……」
「お前は、生涯をかけて、この国の平和と発展に貢献してくれるのだろう?」
「はい……」
「では、調査結果を使い魔に伝えるように。不明なら不明で構わない」
リセナの影から、呼ばれたと思ったのか、ネコの姿をした妖精が抜け出してくる。しかし、特に用がないとわかると、また影に飛び込んで身を潜めた。彼女の能力――魔力増幅が貴重で強力なため、監視と報告用につけられている使い魔だ。
結局、リセナは断りきれずに、グレイと共にミラーズ領へ向かっていた。
彼が亜空間から喚んだ黒馬の背中――それも、グレイの前にちょこんと乗せられて、夕暮れの道を走る。
「ごめんなさい、グレイ。こんなことを頼んで」
「構わん」
「私も、力になれるかもしれないし、付いていきますね」
「駄目だ。町で待っていろ」
素っ気なく拒否された。
しかし、得体の知れない現象が起こっている場所に、彼を一人で行かせるわけにはいかない。
「心配した私が後から勝手に付いていくより、はじめから二人で行動した方がいいと思いませんか?」
自分を人質にして脅迫――いや、交渉する彼女に、グレイは長い時間沈黙したあと
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と、ため息混じりにささやいた。
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