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3ー2章 落ち人たちの罪と罰
三十八話 宣戦布告されました。
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伯爵様が正気を戻したのか、過去を喋りだしたその日。
私が絵を描きに行っている間、実はソランさんには結衣さんのそばについていてもらったのです。
それがやっぱりというか、帰ってくるなり、もう大変だったんですよ。
どうやら街へ出かけたはいいものの、どのお店を見るかで意見が分かれ、買い物の交渉で結衣さんが拗ねて、それがきっかけでまた喧嘩。もう、二人とも子供みたいなんだから。
なんて呆れ顔だったのがバレまして、めでたく巻き込まれました。
喧嘩するほど仲が良いなんて言いますが、この二人はちょっと極端すぎます。だって……
「関係ないあなたが口を出さなければ済むことよ、もう放っておいて」
ひとしきり言いたいことを言って、その場を立ち去る結衣さん。それを見送るソランさんの顔ったらないのです。怒っているようでいて、でも、心配でならない。
そんな顔……私は今まで幾度となく見てきたから。
「──ちくしょう、人の気も知らないで!」
「いったい、何があったっていうんですか? 結衣さんああ言いながらも、ちょっと泣きそうな顔でしたよ?」
「ああ……くそっ」
そう吐き捨てるように言い、頭をかきむしりました。そんなに乱暴にすると、ハゲますよ?
「聞こえてるって……」
「あら、すみません。そんなことより、結衣さんに何か言ったんですか?」
「……そりゃ、二人でいるんだから黙ってるわけにはいかないから、いろいろと」
「ソランさん、誤魔化さないでちゃんと教えてください」
逃げようとするソランさんを問い詰めてみれば。
「あいつ、最近ほんと参ってるみたいだからさ、何もかも忘れてノエリアに一度来ないかと」
「……ソランさんが結衣さんを誘ってくれたんですか」
「ああ。値段交渉なんかも嫌いみたいだしな、もっと小さな街ならそんな気苦労もせずに済む」
「そうですよね、私も最初はまずローウィンで出会ったときに、ノエリアへ来てみたらどうかなって誘うつもりだったんです。だけどなぜかこんなことになっちゃって」
「まあ、おまえに関わるとそんなもんだ」
「む、なんですかそれ」
「嵐の目だからな」
「……酷いです、それサミュエルさんにも同じこと言われました」
「そのせいで結果として誰も不幸にはならないのが、おまえの良いところだ。まあ気にすんな」
ソランさんはそう言って笑います。
「それでどうして、結衣さんと喧嘩にまでなるんですか?」
「あいつ『今はまだその時じゃない』って嫌がってた……今だから言ってるのにな。カズハとともに、あの街の温かさに触れてみろって、そう言ったら怒りだして。ノエリアに行けば、今あいつの手にある幸せだってちゃんと目に見えるようになると思ったんだが」
自分の罪の意識と巡り合わせの不幸に、周りが見えてない様子の結衣さん。今すぐとは言いませんが、この与えられた状況の中で、どうして生きたいのか、望む未来が見つかるといいのに。そんなソランさんの結衣さんを心配する気持ちも、全く見えていないのです。
だけど、目の前のいつも以上に困った顔のソランさんから出た言葉に、私は不謹慎ながらも笑いが……
「……ソランさん」
「ん、なんだ?」
「意外と、ポエミーな人だったんですね」
「そ、そうか?」
あ、ちょっと照れてますよ。照れ隠しでしょうか、茶化すなと小突かれます。
「だがあいつは……急に怒りだして。加護が発動しやしないか、ヒヤヒヤした」
「結衣さんは何を言って怒ったんですか?」
「……いや、まあ、興奮してて喚いてばかりだったから、俺もしっかりは聞いてないんだが」
言葉を濁すソランさん。
それはもしかして、私が関係しているからでしょうか。
「とにかく、また様子を見て説得してみる。それより、おまえの方はどうだ? なんかあったのか?」
私の顔をのぞき込むようにするソランさん。いろいろあって、きっと疲れた顔を見せてしまったのでしょう。だけど、今日知ったオーベールさんと先代伯爵様のことを、軽々しく口にしていいものか悩みます。
ソランさんになんでも相談したいです。でも、どう口にしていいのか迷った末に、結局先延ばしにしてしまいます。明日、またきっと話す機会もあるはずですから。
「今日は先代様の不調で、製作はあまり出来ずに切り上げたんです。でも護衛の方と、一緒に結衣さんと旅をした方でクラリスさんというんですが、ついついお話が弾んでしまって。それでちょっとはしゃぎすぎて疲れました」
「……ああ、あの美人か。ユイも気を許していたようだったな、気が合ったのなら良かったな」
「はい……あれ?」
廊下で立ち話をしていた私とソランさん。ですが、ふと、結衣さんの部屋の扉が閉まりきっていないのに気づきます。
私の視線にソランさんも振り返ります。
すると、その細い隙間に、影が走りました。
ベッドがきしむ音がして、結衣さんであることを悟ります。
「……聞かれてたか」
「そりゃ、気になるかもしれませんね、こんなところで立ち話ですし……なんだか悪いことをしました」
ソランさんからはゆっくり休むようにと注意をもらい、私たちはそこで別れたのでした。
私が部屋に戻ると、結衣さんの寝台の膨らみが見えます。申し訳ないことをしたなと思い、そっと衝立を閉じます。
私も休む支度をしようと思ったところへ、そのシーツの山から声がかかりました。
「あなたは、本当に酷い人ね……和葉さん」
「……え?」
「だってそうじゃない、あなたの回りにはいつもたくさんの人がいるのに、まだ私の味方を奪っていくのね」
「味方って……どういうことですか。私はそんなこと……」
「してるじゃない!」
結衣さんがシーツをはだけ、私のもとまで歩いてきました。
とっさに被ったシーツのせいか髪は乱れて、顔にかかっていて結衣さんらしくなく。その目はほんのり赤く染まっていました。
「クラリスまで、あなたについたんでしょう? どうしてよ、どうして私の数少ない味方を奪っていくの!」
「そんなこと、してません。クラリスさんが私につくって、意味が……」
「良い子ぶらないで」
「結衣さん……」
衝立を隔てて見つめあい、結衣さんは意を決したように捲し立てます。
「ソラン、あの人もそう。いつだって私を心配している風を装っているけど、口を開けばあなたのことばかり。全てあなたが基準……あなたが私の立場なら、もっと苦しんでいたはずなのに。だってそうでしょう、あなたはただの学生じゃない、世間知らずで、ちょっと優しくしてもらっただけなのに、あの人のそばに立てると思って」
「ゆ、いさん」
「私のほうが、向こうの世界で優秀だったわ。なのにあのカロン氏まであなたを目当てに声をかけてきた。私なんてあなたのついでだとでも言うの、冗談じゃないわ!」
「あ、あの」
「返して! 私のものよ、みんな。返しなさいよ!」
衝立を開き、結衣さんの握った拳が私の胸を打ちます。
それよりも痛いのは彼女の言葉。
ああ、どうしたらいいのでしょうか。
激昂する結衣さんの言葉は、とても強くて痛いけれど、それは結衣さんにも跳ね返っているようにも見えて。叩くたびに伝わる振動が、痛い、辛い。まるで結衣さんの悲鳴のよう……
私が、間違っていたのでしょうか。
彼女に会って、彼女を慰めることができるだなんて、大きな勘違いをしたばかりに、こんなことに?
「三日後、レヴィナス隊長がセレスフィアへ到着するのよ、そうしたら私……」
「アルベリッックさんが?」
突然の報告に、思わず驚きの声をあげてしまいました。
「カロン様から聞いたわ、知らされてないのね?」
私が頷くと、結衣さんは少しだけ冷静さを取り戻したようです。私に向けていた拳を引っ込めて言いました。
「あなたたちのことも詳しく聞いたわ。これまでの和葉さんがどうやって彼に取り入ってきたか……」
「取り入ったって、そんなことしてません……」
「そうね、正しくは迷惑をかけてきたこと、かしら」
不機嫌だった結衣さんの表情が、微笑みにとってかわります。
「私を……迎えに来てくれるのよ彼は」
確信に満ちた結衣さんの言葉に、私はつい眉をひそめていたと思います。
「だって、手紙をもらったの。私の処遇について、ちゃんと彼は考えてくれていたわ」
「手紙、ですか? アルベリックさんから結衣さんに?」
「ええ、そうよ」
結衣さんは嬉しそうに自分の部屋に駆けていきます。
どういうことだろうと困惑していると、結衣さんが手紙を私に見せてくれました。それは長い手紙の一部分だったようです、最初の出だしは結衣さん宛ではなく、グロヴレ殿へと告げられています。
「カロン様あてに私の処遇について頼んでくれたのよ、後見人を自分にと。私のことを少なからず考えていてくれてるのよ彼、私が過ごしやすいようにと念を押して……」
結衣さんの言葉を聞きながら、アルベリックさんの非常に丁寧な文字を目で追います。
そこに書かれていたのは……事務的な表現ではありますが、結衣さんの言った通りのことが書かれています。いつも通りとても形式的な文。彼らしいといえば彼らしいですが……彼女の言った通り、精神的に不安定な結衣さんを気遣って欲しいともあります。
私には、何日にノエリアを出発するとか、いつ頃着くとか……そんなことだけだったような。
「彼に会ったら、お願いしようと思うの」
「え、アルベリックさんに? 何を……?」
「あなたじゃなく、私を側に置いてほしいって。あなたは彼にふさわしくない。あなただって彼が私でいいって言ってくれたら、心置きなくあちらに帰れるじゃない?」
「私は、帰るなんて言ってません」
「……本心からそう言いきれるの?」
「だ、だって私はアルベリックさんと……」
「なら、どうして家族の絵をまだ大事に持っているの? 忘れられないからよね?」
「……それは」
居心地の悪さにどうしたらいいか分からず、言葉を失う私。
家族に心を残しているのは仕方ないことだって、言ってくれるアルベリックさんの優しさは、当然だと思っていたかもしれません。でも、それはのぞき見ることしか出来ないからで……
そんな言い訳をしていたのが、同じ落ち人だからこそ結衣さんには分かったのでしょうか。
「戻れるかもしれないと、すぐに思い立ったんでしょう?」
「可能性としては……確かにそうですが」
「どうしたいのか聞かれなかったの?」
「っ……!」
不安に揺れるアルベリックさんの顔、そしてきつく抱き締められたその感触を思い出します。
咄嗟に答えを出すことができなかった私を見透かされたようで、私は……
「ほらごらんなさい、あなたにはすでに彼を失望させているのよ。それにあなたには他に支えてくれる大勢の人がいてくれるんですもの、彼くらい譲ってもいいわよね。どうせあなたたち、本当の意味では夫婦じゃないのだから」
「……結衣さん、なぜそんな」
「聞いてたのよ、私。ローウィンであの嫌みっぽい人とあなたたちが話しているのを。ああそうよ、あの人でもいいじゃない、先に出会ってたなら簡単に渡さなかったって、あの人もあなたに惹かれてたのね。本当に、ひどい人ね」
「やめてください、私はアルベリックさんと結婚式を挙げたんです、みんなの前で」
サミュエルさんのことが、私のことを? どうして彼女がそう思い込んでしまったのか分からないけれど、結衣さんがもっとも望むのが、アルベリックさんとの未来。それだけは嫌でも理解できました。
失った恋人の代わりに……
だからといってそれを受け入れらるかどうかは別です。
「やめないわ……初めてなの。今までどんな我が儘だって言ってこなかった。いつも世間体を気にして良い子でいて、彼の前では本当は会いたくても我慢して。それがこんなに後悔することになるなんて……これがどんなに我が儘だって分かってるわ。でもそれが私の本心、希望なの。今度は後悔しない。だから譲れない」
いつもと違うのは、結衣さんの真剣な表情。逃げることなくアルベリックさんに自分の気持ちをぶつけるつもりなのですね。
必死な姿の結衣さんを、私はどうして責められるでしょう。
それが結衣さんの選んだ、生きたい未来なら……
「宣戦布告、ですね。分かりました……」
「いいのね? 私は遠慮しないわよ」
「だって、想いを告げることを禁じる権利なんて、私にはありません」
「余裕があるのね」
「……ありませんよ、そんなもの」
いつだって揺れてきました。
お母さんを、家族への思いをいつまでもずるずると引きずる私を、許してくれたのはアルベリックさん。そんな甘えるばかりの私は、彼に何もまだ返せていません。
あのとき……元の世界へ繋がるかもしれないと思ったとき、アルベリックさんが正直に見せてくれた不安を、解消してあげられなかった卑怯な私を、彼は今ごろどう思っているでしょうか。
どんなに守ろうとしてくれても、こうして迷惑をかけ、遠く離れたところまで彼を翻弄する私を、呆れてしまうのではないのでしょうか。
いつだって、不安でした。
「じゃあ、彼が私を選んだらあなたは引いてくれるのね?」
「……はい」
選ぶのは……選んでいいのは、アルベリックさんです。
私が絵を描きに行っている間、実はソランさんには結衣さんのそばについていてもらったのです。
それがやっぱりというか、帰ってくるなり、もう大変だったんですよ。
どうやら街へ出かけたはいいものの、どのお店を見るかで意見が分かれ、買い物の交渉で結衣さんが拗ねて、それがきっかけでまた喧嘩。もう、二人とも子供みたいなんだから。
なんて呆れ顔だったのがバレまして、めでたく巻き込まれました。
喧嘩するほど仲が良いなんて言いますが、この二人はちょっと極端すぎます。だって……
「関係ないあなたが口を出さなければ済むことよ、もう放っておいて」
ひとしきり言いたいことを言って、その場を立ち去る結衣さん。それを見送るソランさんの顔ったらないのです。怒っているようでいて、でも、心配でならない。
そんな顔……私は今まで幾度となく見てきたから。
「──ちくしょう、人の気も知らないで!」
「いったい、何があったっていうんですか? 結衣さんああ言いながらも、ちょっと泣きそうな顔でしたよ?」
「ああ……くそっ」
そう吐き捨てるように言い、頭をかきむしりました。そんなに乱暴にすると、ハゲますよ?
「聞こえてるって……」
「あら、すみません。そんなことより、結衣さんに何か言ったんですか?」
「……そりゃ、二人でいるんだから黙ってるわけにはいかないから、いろいろと」
「ソランさん、誤魔化さないでちゃんと教えてください」
逃げようとするソランさんを問い詰めてみれば。
「あいつ、最近ほんと参ってるみたいだからさ、何もかも忘れてノエリアに一度来ないかと」
「……ソランさんが結衣さんを誘ってくれたんですか」
「ああ。値段交渉なんかも嫌いみたいだしな、もっと小さな街ならそんな気苦労もせずに済む」
「そうですよね、私も最初はまずローウィンで出会ったときに、ノエリアへ来てみたらどうかなって誘うつもりだったんです。だけどなぜかこんなことになっちゃって」
「まあ、おまえに関わるとそんなもんだ」
「む、なんですかそれ」
「嵐の目だからな」
「……酷いです、それサミュエルさんにも同じこと言われました」
「そのせいで結果として誰も不幸にはならないのが、おまえの良いところだ。まあ気にすんな」
ソランさんはそう言って笑います。
「それでどうして、結衣さんと喧嘩にまでなるんですか?」
「あいつ『今はまだその時じゃない』って嫌がってた……今だから言ってるのにな。カズハとともに、あの街の温かさに触れてみろって、そう言ったら怒りだして。ノエリアに行けば、今あいつの手にある幸せだってちゃんと目に見えるようになると思ったんだが」
自分の罪の意識と巡り合わせの不幸に、周りが見えてない様子の結衣さん。今すぐとは言いませんが、この与えられた状況の中で、どうして生きたいのか、望む未来が見つかるといいのに。そんなソランさんの結衣さんを心配する気持ちも、全く見えていないのです。
だけど、目の前のいつも以上に困った顔のソランさんから出た言葉に、私は不謹慎ながらも笑いが……
「……ソランさん」
「ん、なんだ?」
「意外と、ポエミーな人だったんですね」
「そ、そうか?」
あ、ちょっと照れてますよ。照れ隠しでしょうか、茶化すなと小突かれます。
「だがあいつは……急に怒りだして。加護が発動しやしないか、ヒヤヒヤした」
「結衣さんは何を言って怒ったんですか?」
「……いや、まあ、興奮してて喚いてばかりだったから、俺もしっかりは聞いてないんだが」
言葉を濁すソランさん。
それはもしかして、私が関係しているからでしょうか。
「とにかく、また様子を見て説得してみる。それより、おまえの方はどうだ? なんかあったのか?」
私の顔をのぞき込むようにするソランさん。いろいろあって、きっと疲れた顔を見せてしまったのでしょう。だけど、今日知ったオーベールさんと先代伯爵様のことを、軽々しく口にしていいものか悩みます。
ソランさんになんでも相談したいです。でも、どう口にしていいのか迷った末に、結局先延ばしにしてしまいます。明日、またきっと話す機会もあるはずですから。
「今日は先代様の不調で、製作はあまり出来ずに切り上げたんです。でも護衛の方と、一緒に結衣さんと旅をした方でクラリスさんというんですが、ついついお話が弾んでしまって。それでちょっとはしゃぎすぎて疲れました」
「……ああ、あの美人か。ユイも気を許していたようだったな、気が合ったのなら良かったな」
「はい……あれ?」
廊下で立ち話をしていた私とソランさん。ですが、ふと、結衣さんの部屋の扉が閉まりきっていないのに気づきます。
私の視線にソランさんも振り返ります。
すると、その細い隙間に、影が走りました。
ベッドがきしむ音がして、結衣さんであることを悟ります。
「……聞かれてたか」
「そりゃ、気になるかもしれませんね、こんなところで立ち話ですし……なんだか悪いことをしました」
ソランさんからはゆっくり休むようにと注意をもらい、私たちはそこで別れたのでした。
私が部屋に戻ると、結衣さんの寝台の膨らみが見えます。申し訳ないことをしたなと思い、そっと衝立を閉じます。
私も休む支度をしようと思ったところへ、そのシーツの山から声がかかりました。
「あなたは、本当に酷い人ね……和葉さん」
「……え?」
「だってそうじゃない、あなたの回りにはいつもたくさんの人がいるのに、まだ私の味方を奪っていくのね」
「味方って……どういうことですか。私はそんなこと……」
「してるじゃない!」
結衣さんがシーツをはだけ、私のもとまで歩いてきました。
とっさに被ったシーツのせいか髪は乱れて、顔にかかっていて結衣さんらしくなく。その目はほんのり赤く染まっていました。
「クラリスまで、あなたについたんでしょう? どうしてよ、どうして私の数少ない味方を奪っていくの!」
「そんなこと、してません。クラリスさんが私につくって、意味が……」
「良い子ぶらないで」
「結衣さん……」
衝立を隔てて見つめあい、結衣さんは意を決したように捲し立てます。
「ソラン、あの人もそう。いつだって私を心配している風を装っているけど、口を開けばあなたのことばかり。全てあなたが基準……あなたが私の立場なら、もっと苦しんでいたはずなのに。だってそうでしょう、あなたはただの学生じゃない、世間知らずで、ちょっと優しくしてもらっただけなのに、あの人のそばに立てると思って」
「ゆ、いさん」
「私のほうが、向こうの世界で優秀だったわ。なのにあのカロン氏まであなたを目当てに声をかけてきた。私なんてあなたのついでだとでも言うの、冗談じゃないわ!」
「あ、あの」
「返して! 私のものよ、みんな。返しなさいよ!」
衝立を開き、結衣さんの握った拳が私の胸を打ちます。
それよりも痛いのは彼女の言葉。
ああ、どうしたらいいのでしょうか。
激昂する結衣さんの言葉は、とても強くて痛いけれど、それは結衣さんにも跳ね返っているようにも見えて。叩くたびに伝わる振動が、痛い、辛い。まるで結衣さんの悲鳴のよう……
私が、間違っていたのでしょうか。
彼女に会って、彼女を慰めることができるだなんて、大きな勘違いをしたばかりに、こんなことに?
「三日後、レヴィナス隊長がセレスフィアへ到着するのよ、そうしたら私……」
「アルベリッックさんが?」
突然の報告に、思わず驚きの声をあげてしまいました。
「カロン様から聞いたわ、知らされてないのね?」
私が頷くと、結衣さんは少しだけ冷静さを取り戻したようです。私に向けていた拳を引っ込めて言いました。
「あなたたちのことも詳しく聞いたわ。これまでの和葉さんがどうやって彼に取り入ってきたか……」
「取り入ったって、そんなことしてません……」
「そうね、正しくは迷惑をかけてきたこと、かしら」
不機嫌だった結衣さんの表情が、微笑みにとってかわります。
「私を……迎えに来てくれるのよ彼は」
確信に満ちた結衣さんの言葉に、私はつい眉をひそめていたと思います。
「だって、手紙をもらったの。私の処遇について、ちゃんと彼は考えてくれていたわ」
「手紙、ですか? アルベリックさんから結衣さんに?」
「ええ、そうよ」
結衣さんは嬉しそうに自分の部屋に駆けていきます。
どういうことだろうと困惑していると、結衣さんが手紙を私に見せてくれました。それは長い手紙の一部分だったようです、最初の出だしは結衣さん宛ではなく、グロヴレ殿へと告げられています。
「カロン様あてに私の処遇について頼んでくれたのよ、後見人を自分にと。私のことを少なからず考えていてくれてるのよ彼、私が過ごしやすいようにと念を押して……」
結衣さんの言葉を聞きながら、アルベリックさんの非常に丁寧な文字を目で追います。
そこに書かれていたのは……事務的な表現ではありますが、結衣さんの言った通りのことが書かれています。いつも通りとても形式的な文。彼らしいといえば彼らしいですが……彼女の言った通り、精神的に不安定な結衣さんを気遣って欲しいともあります。
私には、何日にノエリアを出発するとか、いつ頃着くとか……そんなことだけだったような。
「彼に会ったら、お願いしようと思うの」
「え、アルベリックさんに? 何を……?」
「あなたじゃなく、私を側に置いてほしいって。あなたは彼にふさわしくない。あなただって彼が私でいいって言ってくれたら、心置きなくあちらに帰れるじゃない?」
「私は、帰るなんて言ってません」
「……本心からそう言いきれるの?」
「だ、だって私はアルベリックさんと……」
「なら、どうして家族の絵をまだ大事に持っているの? 忘れられないからよね?」
「……それは」
居心地の悪さにどうしたらいいか分からず、言葉を失う私。
家族に心を残しているのは仕方ないことだって、言ってくれるアルベリックさんの優しさは、当然だと思っていたかもしれません。でも、それはのぞき見ることしか出来ないからで……
そんな言い訳をしていたのが、同じ落ち人だからこそ結衣さんには分かったのでしょうか。
「戻れるかもしれないと、すぐに思い立ったんでしょう?」
「可能性としては……確かにそうですが」
「どうしたいのか聞かれなかったの?」
「っ……!」
不安に揺れるアルベリックさんの顔、そしてきつく抱き締められたその感触を思い出します。
咄嗟に答えを出すことができなかった私を見透かされたようで、私は……
「ほらごらんなさい、あなたにはすでに彼を失望させているのよ。それにあなたには他に支えてくれる大勢の人がいてくれるんですもの、彼くらい譲ってもいいわよね。どうせあなたたち、本当の意味では夫婦じゃないのだから」
「……結衣さん、なぜそんな」
「聞いてたのよ、私。ローウィンであの嫌みっぽい人とあなたたちが話しているのを。ああそうよ、あの人でもいいじゃない、先に出会ってたなら簡単に渡さなかったって、あの人もあなたに惹かれてたのね。本当に、ひどい人ね」
「やめてください、私はアルベリックさんと結婚式を挙げたんです、みんなの前で」
サミュエルさんのことが、私のことを? どうして彼女がそう思い込んでしまったのか分からないけれど、結衣さんがもっとも望むのが、アルベリックさんとの未来。それだけは嫌でも理解できました。
失った恋人の代わりに……
だからといってそれを受け入れらるかどうかは別です。
「やめないわ……初めてなの。今までどんな我が儘だって言ってこなかった。いつも世間体を気にして良い子でいて、彼の前では本当は会いたくても我慢して。それがこんなに後悔することになるなんて……これがどんなに我が儘だって分かってるわ。でもそれが私の本心、希望なの。今度は後悔しない。だから譲れない」
いつもと違うのは、結衣さんの真剣な表情。逃げることなくアルベリックさんに自分の気持ちをぶつけるつもりなのですね。
必死な姿の結衣さんを、私はどうして責められるでしょう。
それが結衣さんの選んだ、生きたい未来なら……
「宣戦布告、ですね。分かりました……」
「いいのね? 私は遠慮しないわよ」
「だって、想いを告げることを禁じる権利なんて、私にはありません」
「余裕があるのね」
「……ありませんよ、そんなもの」
いつだって揺れてきました。
お母さんを、家族への思いをいつまでもずるずると引きずる私を、許してくれたのはアルベリックさん。そんな甘えるばかりの私は、彼に何もまだ返せていません。
あのとき……元の世界へ繋がるかもしれないと思ったとき、アルベリックさんが正直に見せてくれた不安を、解消してあげられなかった卑怯な私を、彼は今ごろどう思っているでしょうか。
どんなに守ろうとしてくれても、こうして迷惑をかけ、遠く離れたところまで彼を翻弄する私を、呆れてしまうのではないのでしょうか。
いつだって、不安でした。
「じゃあ、彼が私を選んだらあなたは引いてくれるのね?」
「……はい」
選ぶのは……選んでいいのは、アルベリックさんです。
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私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
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