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3ー2章 落ち人たちの罪と罰

二十七話 犬猿の仲でした。

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 どこか意地悪な表情のグロヴレ伯爵は、困惑する私を見て言いました。

「落ちられては迷惑だ、前を向いていろ」

 ハッとして姿勢を正せば、こみ上げるのは悔しさです。
 手綱を操るグロヴレ伯爵は、決して武人のような逞しさを感じないのですが、グリフォンの扱いには慣れている様子です。とても安定した飛行だったせいか、アルベリックさんに乗せてもらっている時のように、つい油断してしまいそうです。
 私は気を引き締め、しっかり前を向き膝で鞍を押さえ、身体を安定させます。
 でもですね、聞きたいことはいっぱいあるんです。結衣さんが探していた私物のこととか……。

「グロヴレ伯爵、あなたは最初から結衣さんの事を全てを知った上で、私たちに近づいてきたんですか。それに絵を描いて欲しいって言ったのも、口から出まかせだったんですね」
「……最初に結衣が落ちた街で、彼女が逃げ出したと報告を受けてから、その動向を気にかけていた。だからこそ手に入れたものが、結衣のものであるとすぐに気づいたのだ」
「結衣さんの持ち物は、セレスフィアに着いたら返してあげるんですよね?」
「……一部は返そう」

 返せないものがある。伯爵の言っていることはそういう事なのですよね。だけどそれが何なのか予想がついていても、伯爵が何を考えているのか分からない限り、深く追求することがためらわれました。この狡猾そうな伯爵相手では、私が少しでも喋れば、全てを見透かされてしまいそうで。

「……写真。写真は返してもらってもいいですよね?」
「シャシン?」
「そう、絵姿のようなものです。結衣さんが一番欲しい物なんです」
「ああ、あの絵姿のことか……」

 結衣さんの大切な人の写真。伯爵の反応から、写真も一緒に彼の手元にあることを悟り、少しだけ安心しました。すんなり返してもらえるとは限りませんが、少なくとも所在が分かっただけでも前進です。
 そんな風に思っていたら、ふと背後から笑い声が聞こえてきました。そして続く呟き。

「……愚かな女だ」

 ひどく冷たいその呟きに、私は振り向くことができませんでした。
 すると固まったままの私の背後から伯爵の手が伸びてきて、下げたままだったマフラーを口元まで引上げられます。
 空に上がってからまだ十分もたっていないにもかかわらず、風を受けて冷えきった頬。そんな基本的なことにすら気づかずにいたのですが、まさか伯爵にそのような気遣いをされるとは思っていませんでした。

「……ありがとうございます」
「預かり物を傷つけたと、罵られてはかなわん」

 グロヴレ伯爵はそう言ったきり、その後は何も喋ろうとはしませんでした。
 狡猾で何を考えているのか分からない人……。そう聞かされて納得する部分も確かにあるのですが、本当にそれだけなのでしょうか。私にはまだ、彼のことがさっぱり掴めません。

 ローウィンを旅立ってから、私たちはグリフォンに乗り、一路南東へ向かっていました。
 なるべく山間部を通り、街を経由しないルートを進んでいます。この先もセレスフィアまでは王都の近くを通るにもかかわらず、以前アルべリックさんと辿った道とは違う経路を使うようです。
 あの時とは人数が、そもそも違いますしね、今はグリフォンだけでも十頭ですから。私たちのようなお荷物がいるせいか、他にも二人での騎乗している人もいて、かなりの大所帯なんです。
 昼食のために立ち寄った山の上の休憩所は、広さとしてはさほど大きくありませんでした。グリフォンが十頭降り立つにはギリギリな広さの土地、それから宿泊には向かない大きさではありますが、煉瓦造りの丈夫そうな建物。
 私を乗せたグリフォンを無事に着陸させ、伯爵は先に降りて私の手を引いてくれました。

「ありがとうございます、伯爵」
「……かまわない」

 先に待ちかまえていたオーベールさんが、手綱を受け取りました。その場で私に出来ることなどありません。邪魔にならないよう休憩所に向かおうとしたその時、伯爵に呼び止められました。

「カズハ……」
「はい?」
「私のことはカロンでいい。不本意ではあるが、伯爵位は既にない。それにセレスフィアに着けばグロヴレを名乗るのは私だけではない」

 意外な提案でしたが、それはもっともなことだと思います。

「ええとじゃあ、……カロンさん?」
「失礼です、カロン様とお呼びしなさい!」

 あ、そばにいた執事オーベールさんから、鬼のような形相でツッコミが入りました。しかしグロヴレ伯爵は気にしたようすもなく。

「かまわん、そう呼ぶことを許す」
「カロン様、それはいくらなんでも……」

 伯爵……いえ、カロンさんは片手を軽く上げるだけで、オーベールさんの不満を抑えました。
 どうやら彼、オーベールさんにとって主であるカロンさんは、最上の存在なのではないかと思えるほどの、尊重ぶり。いえ、それが普通で、レヴィナス家やその周辺が変わっているだけなのかもしれませんが。
 とにかく、今後はオーベールさんに怒られないよう、彼の前では態度に気を付けなくちゃ。
 そんなふうに心に誓っていると、再びカロンさんが。

「二日後には交易の街オートワイスに着くが、それまでは簡易休憩所のみを利用する。落ちても私は拾ってやるつもりはない、なるべく身体を休めておけ」

 それだけ言って、カロンさんは不機嫌そうなオーベールさんを引き連れて、先に休憩所へと向かってしまいました。
 ええと、言葉のニュアンスからしてつまり。この先もあの人のグリフォンに私は乗り続けるということでしょうか……。
 呆然としていると、私のもとにソランさんがやってきました。

「おい、大丈夫だったか?」
「あ、はい。ソランさんこそ!」

 少々くたびれた感が増したソランさんの様子。額には包帯とすりきれた服。ろくに休めていないせいで出来ただろう目の下のクマ。それらが私たちを救出しようとしてくれたためなのですから、心配するなというほうが無理です。

「グリフォンに乗せられてるだけだから、そんなに疲れてない。そう気にするなよ」
「いいから、ソランさん。こっちで少しでも休みましょう」

 私はソランさんを引っ張って、いい匂いの漂いはじめた休憩所へ向かいました。
 そこで出くわしたのは、結衣さんです。彼女もまた旅の一員、居合わせるのは当然なのですが……。
 私とソランさんは、そう広くないテーブルに案内され、そこで食事を出されました。向かいに座る結衣さんの側には、初めて会う女性がいます。とても体格が良く、他の男性のような服装です。恐らく、女性ながらも私兵として同行しているのでしょう。結衣さんを乗せたグリフォンを操っていたのは、遠目では分かりませんでしたが、きっと彼女なのではないでしょうか。
 私の遠慮ない観察に、結衣さんが苛立ったかのように視線を返してきます。

「昨日私が言ったことに、和葉さんは怒っているのでしょうけど……私は、謝らないから」

 結衣さんの言葉は、がやがやとした休憩所の中にもかかわらず、よく通りました。そうでなくとも、グロヴレ家の私兵たちも、私や彼女の一挙一動には、注意を払っているのでしょう。
 私はどしたらいいのか分からず。しんと静まり返った中で、結衣さんに言葉を返したのはソランさんでした。

「いいかげんにしろよ、言いがかりはもう止めろ」

 その食ってかかるような口調に驚いて、私は慌てます。

「ちょっとソランさん」
「あなたは関係ないじゃない、引っ込んでて!」
「関係ないわけないだろうが」
「なんでよ、意味が分からないわ!」

 わあ、ローウィンの街での続きですか、止めてください。犬猿の仲ですか!
 腰を浮かせて喧嘩を始めた二人をなだめるのは、私と女性兵士です。

「なんで止めるんだよ、お前こそ、ちったあ怒れよ」
「いえ、そもそも怒ってませんし。落ち着いてくださいよ、ソランさんてば。あの結衣さんも、食事が終わったら外で話しましょう! ね、ここではちょっと」

 私の提案に、結衣さんも周囲を見回して頬を染め、椅子に座り直します。

「わ、分かったわ。でも和葉さんが怒っていないなら、それでいい。私からそれ以上話すことなんてないから」
「なんだと!」
「……ああ、もうソランさんってば。いつものやる気のない中年に戻ってください」

 やる気のない中年って言うなと怒りつつも、なんとか怒気を納めてくれたソランさん。
 ここは手狭な休憩所なのです。仕方なく私たちは結衣さんたちと向かい合わせになりつつも、食事を手短に終えて、ソランさんを引っ張ってその場を離れました。
 一方で結衣さんはというと。ときおり手を止めて遠くを見ているようで、なかなか食事が進まない様子でした。まあ無理もありませんよね。
 休憩所の最も奥に見える衝立。その向こうにはカロンさんがいるのでしょう、数人の兵士と執事が出入りしています。厳重そうに見える様子から、カロンさんがとても重要人物で、また何かに警戒でもしているのかと思わせられます。
 そんな様子を見ながら、私とソランさんは建物の外へ出ます。
 建物の外に並んで水を飲むグリフォンたちを遠目に、垣根のそばに腰をおろしました。

「ソランさん、私はセレスフィアに行かなければならない用ができました。私はこのままカロンさんについて行きます、自分の意思で」
「何か言われたのか?」
「……伯爵、いえカロンさんから、結衣さんの私物が彼の元にあるということを聞きました。だから、私もセレスフィアに行く理由ができました」
「それは本当か? じゃあ、それでユイはあいつのところに黙って行ったのか?」
「それは分かりません、ですが結衣さんはそのことを知っているのは確かでしょうね……でも」
「でも、なんだ?」

 伯爵の目的は私なのだと言われた経緯を、ソランさんに話すと……

「あーーくそっ、なんなんだよ、さっぱり分からん! ユイといい、あの男といい!」
「そうですねえ、でもまあ、危害は加えられそうではないのかな」
「おま、それは楽観的すぎだって」

 ソランさんはそう言いますけどね、私に何かあったときには、アルベリックさんだけでなく、色々と物騒な人物がいてですね。私はそれらの人たちを、信頼しているのです。きっとそんなことも、カロンさんは折り込み済みなはずです。
 特にほら、陛下にまで根回しをするフットワーク軽いお姉さまが、とかね。ははは……

「ということなので、ソランさんはその怪我もありますし、私に付き合うことありません。どこかの街で手配をしてもらってですね、ローウィンへ戻……」
「ばかやろう、そんなことが出来るかよ」

 大きな拳が、私の頭にぐいぐい押し付けられます。いたい、いたい。

「でも、娘さんが来てたんですよね」
「大丈夫だ、帰りの駅馬車はもう出た後だ」
「……うそ!」
「本当だって」

 じろりとソランさんを見上げるのですが、どうにも怪しいのです。だけど目線を反らしていたソランさんが、急に真顔になって言います。

「おまえもだけど、ユイのことも放っておけないだろうが。とにかく、特別手当てでも後できっちり申請するから、気にすんな」
「でもまだ幼いでしょ、娘さん。カーラさんよりもいくつくらい下なんですか? あんまり放っておくと、反抗期迎えたときにグレちゃいますよ。いっそのことノエリアに呼んで一緒に住めばいいのに」
「ばかいえカーラよりも上だって。十六だぞ、反抗期なんてとうに……」
「……え……ええええ!」

 し、知らなかった! てっきりまだ幼いとばかり……ええと、ソランさんがたしか三十六とか言っていたので、娘さんが十六なので……二十歳のときの子?
 指を折って数えていたら、ソランさんが教えてくれました。

「十九で結婚して翌年に産まれた子だ。死んだかみさんが幼馴染みだったんだよ、確かに早かったが、犯罪じゃないぞ。隊長が遅すぎるんだよ」
「それは、分かってますけど。私の世界じゃ晩婚なのでビックリしちゃって」
「まあ、娘が三才にもならないうちにかみさんは死んじまったから、結婚って言ってもよくわからんが」
「……そうなんですか」

 てっきり奥さんに逃げられて一人やもめかと思い込んでいました……反省します。男手で娘さんを育てあげたからこその、名誉のくたびれ加減だったんですね。

「とにかく、そういうことだから心配はいらん。分かったな?」

 そこまで言われてしまえば、私はうなずくしかありません。
 申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、でも……ソランさんがいてくれるのは、心強いのも確かなのです。

「ありがとうございます、ソランさん。年中、中年中年言ってすみませんでした。ナイスイクメンとこれからはお呼びして……」
「ヤメロ! ……いや、むしろどうせなら『やる気のない』を止めてくれ」


 
 結局そのあと、結衣さんとは休憩所で話をすることはできませんでした。
 早々に旅の準備が始まり、私たちは追いたてられるように再び空へ。
 もちろん私はカロンさんの騎乗するグリフォンの上。
 出発のときにちらりと見かけた結衣さんは、やはり女性兵士に助けられながら、慣れない様子でグリフォンの鞍にしがみついていました。まるで去年の私の姿そのものですよ。きっと騎手である方にかなり身を預けなければ、姿勢を保てないのではないでしょうか。

「ユイと話をしたそうだな」
「え、あの。それほどは……そもそも、そんな時間もありませんでしたし」
「だろうな」

 突然のカロンさんからの言葉に答えて、彼女との縮まらない距離感を自覚し、ちょっとだけ落ち込みます。
 話をしたというより、売り言葉に買い言葉で、ソランさんと張り合った結衣さんを見たというのが、正解でしょうか。

「オートワイスでは丸一日滞在することになる。監視をつけるが、ユイと共に観光でもするといい」
「観光、私たちがですか?」
「おかしなことではなかろう」
「だって……」

 拐われてここにいるのに……そ考えてから気づきました。そうですよね、確かに誘拐まがいで連れられてはきましたが、それは結局のところパフォーマンスに等しかったわけです。先程、不本意ではありますがセレスフィアに向かう決意もしたことです。
 ならば。

「では遠慮せず、観光に行かせてもらいます。以前来たときは市場には寄ったんですが、それだけでした。興味があるんですよね、それに画材も何もないし……」

 そこまで言ってからハッとします。
 そもそも絵はしばらく描かないようにって、アルべリックさんから言われてました。私はそっとカロンさんを振り向けば。

「持ち運びが可能なものならば用意させよう」
「それはありがたいですが……」
「お前の描く絵すべてに加護を期待しているわけではない、好きに描くといい。それとも、再び加護におかしな現象が起きるのではないかと不安なのか」

 胸を突かれたような気がしました。

「どうして最近起こった現象のことまで知っているんですか、カロンさん?」

 絵を描くことを制限されたのは、加護が暴走ともとれる現象を起こし、私は絵を通して移動してしまったから。だけどその時の加護は、当事者である私やアルべリックさん、それからその場にいたソランさんや結衣さんしか知らないはずです。

「警備隊と国軍、ともに手の者を入れてある。その程度のことを知るには造作もない」

 その答えに、私たちには彼に勝てるはずがなかったのだと思えてきました。どうあがいてもいずれは、カロンさんの思う通りに事が運んでいたのではないでしょうか。

 そうして私たちは山々を越え、交易の街オートワイスを目指しました。
 グリフォンに騎乗したカロンさんは、最初に出会った時と変わらず紳士で、私は決して不快な思いをすることなく旅をすることができました。
 休憩所経由が続き、多少の不便さもありますが、ソランさんがそばにいてくれたことが、心強い助けでした。
 なんとか二晩を越えた翌朝、私たちは目的のオートワイスに到着です。

 十騎ものグリフォンの一団は、街の一角にある大きな屋敷に降り立ちました。
 街にさしかかったとき、大きな街道沿いにひときわ大きな広場が見えました。そこは以前来たときに立ち寄った警備隊宿舎です。だけど今回滞在するのは、警備隊でも国軍でもない、ある商家の邸宅なのだそうです。
 私はこれまで通り、カロンさんに手をひかれてグリフォンから降り、きれいに磨かれた石畳の上に足を下ろしました。
 私たちの周囲では、グロヴレ家の私兵たちが荷物を下ろし、グリフォンを厩舎に連れていくなど慌ただしく行き来しています。
 そこに残るのはカロンさんと私。カロンさんに常に付き従う執事と、私のそばに来たソランさん。それから結衣さんのみ。
 大きなお屋敷からは、数人のメイドさんたちを従えて、恰幅の良いご老人が現れました。

「世話になる、ラマ」
「ようこそお越しくださいました、お待ち申し上げておりましたぞ、カロン様」

 裾の長いガウンのような着物をまとった老人が、カロンさんに深々と頭を下げた後、私の方にむきなおります。とても人のよさそうな笑みを浮かべていますよ。どこかで会ったことありましたっけ?

「あなたがカズハ様ですね、はじめまして。私はジャン・ポール・ラマと申します、このオートワイスで商いをしております、お見知りおきを」
「はじめまして、カズハ・レヴィナスです」

 簡単な挨拶を交わし、ラマと名乗った老人は私を上から下までじっくりと見て、そして横に立つソランさんを一瞥して後でこう言いました。

「なるほど、衣装の用立てを申しつかった意味が分かりました」

 破れて血糊がつき、薄汚れたソランさんの格好は、さすがに大理石のように磨かれたお屋敷には不釣り合いですもんね。山間部での移動でしたから、用意することもできず、いつも以上のソランさんのくたびれ加減には目に余るものがあったんですよね。
 なんて頷いていたら、ラマさんの視線が私にも向いているのに気づきます。
 ……あれ?
 私も?
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