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3ー2章 落ち人たちの罪と罰

二十話 罰

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「駄目よ……無理なのよ」

 動揺した結衣さんの様子。
 写真の絵を描くと言っただけでこんな風に拒絶されるとは思いませんでした。

「結衣さん……」

 結衣さんは我に返り、私に謝ります。

「ごめんなさい、私ったら。突然声を荒げて……」
「いいんです、何か事情があるんですね。あ、でも別に、無理に言わなくてもいいです」
「和葉さん……」
「大丈夫ですよ、きっと手元に戻ってきます」

 励ますつもりが却って、結衣さんはシュンとしてしまったようです。
 結衣さんは手にしていたスケッチブックを膝に置き、自分を落ち着かせるかのように、胸に手を当て深呼吸しました。そして決意したように話し始めるのでした。

「彼はこの世にはいないわ。だから不思議な加護の力をもってしても、もう……」

 そう言う結衣さんの表情はとても悲しげで、私には何を言えばい分かりませんでした。
 あちらの世界にすらいない人……。その人をどれだけ想って過ごしてきたのでしょうか。だから昨日、コリーヌ婦人の旦那様を描いた加護の話に、関心を抱いていたのですね。
 そんな風に考えを巡らせていたら、結衣さんは悲しさだけでは済まない言葉を、私に吐露したのでした。

「何もかも遅いのよ。どんなことがあっても私の罪は消えはしない。誰よりも彼自身が私を赦さない……だからここに落とされのだわ、きっと。もし彼が私に伝えたいことがあるのなら、それは私に対する恨み言以外にありえない」
「……罪?」 
「私が彼を死に追いやったの……恋人である彼に、酷仕打ちをして」
「そんな、どういう事ですか?」
「それは……」

 苦しそうに表情を歪めさせる結衣さんに、私はそれ以上聞き出すことは無理だと悟りました。
 何があったのかは分かりませんが、死に追いやったなどとは只事ではありません。

「ごめんなさい、いつか話せると思う。けど」
「いいえ、無理に言わなくていいって言ったのにすみません。でも、私でよければいつでもお聞きします、だからあまり思い詰めないでくださいね」
「ありがとう、和葉さん。いつか、二人きりでなら」

 結衣さんの最後の言葉は、確かに一理あるのです。
 ちらりと視線を向ける先にある護衛の影に、苦笑いで頷く私。
 いったん結衣さんを落ち着かせために、彼女からスケッチブックを受け取り、持ってきた鞄にしまいます。そしてバスケットから甘いクッキーを取り出して、結衣さんに勧めます。

「どうぞ、美味しいし、落ち着くと思いますよ」

 結衣さんは黙って受け取ってくださったので、私も一つ口に入れます。

「悩んだ時には甘いものがいい、というのはお母さんの受け売りなんです。お母さんのポッケは、魔法のポッケだと小さな頃はずっと信じてました。飴とかキャラメルがいつでも出てきたんですよね」

 少しだけ笑いながら、結衣さんはクッキーを口にしました。
 私はモグモグと咀嚼しながら、湯煙の立ち上がるローウィンの町を見下ろし、再び鉛筆を取ります。
 二人の間には、しばらく沈黙が流れます。
 ですが、こんな時があってもいいと思うのです。
 こうしてのんびりと流れる時間が、結衣さんの心を解してくれるように。そんな風に願うしか今は出来ないけれど。
 
 それから何分くらいそうしていたでしょうか。ふと、後ろから声をかけられ振り向くと。

「ここで何してるんだよ、二人揃って」
「ソランさん!」

 静かな空気を割くよう現れたのは、ソランさんでした。家族奉仕はいいのでしょうか、それになぜか赤い制服を着用しています。といいますか、持ってきてたんですか。

「どうしてここに?」
「ああ、この先に公共浴場があってな。そこにちょっと寄ったんだ」
「この先にですか?」

 今いる場所は、山中腹にあります。見晴らしが良いくらいの場所なので、来た道をさらに行く先に、そのような施設があるとは思いませんでした。細い曲がりくねった道の先に目を凝らしても、覆い被さる木々の葉しか見えません。

「ああ、観光には向かない場所だが、良い湯治場がある」
「そうなんですか、でもどうして制服を?」
「隊長が返上してるのに、俺がのうのうとはしてられないだろう?」
「確かにアルベリックさんは休暇らしくなく、あちこちで働いてますが、ソランさんだって怪我してまで同行してくださったんです。湯治場があるなら、ソランさんこそ行くべきです!」

 私はまったくもって正論をのべてると思います。なのにソランさんてば、肩をすくめるだけで聞こうとしません。

「かすり傷だって。とにかく、二人を探してたんだよ。護衛は多いにこしたことはないだろう」
「またまた、大袈裟ですよ」
「あっさり拐われた奴がよく言う」

 そう言って笑うソランさんに、言い返してさしあげます。

「拐った張本人がよく言いますね」
「違いねぇ! ……おっと、失言だった」

 ポカンと私たちを見比べる結衣さん。彼女の存在を、失念していました。
 あからさまに焦る私たちの様子に、悟い結衣さんは気づいたようです。冗談のような真実に。

「あなた、警備隊員でしょう? なのになぜ和葉さんを拐うのよ!」

 あちゃー、という仕草で頭を抱えるソランさん。
 詰め寄ろうとする結衣さんの前に立ち、私は事情があったのだと説明を買って出ます。

「ソランさんは悪いことに加担しましたが、よんどころない事情があったんです。それでも私が逃げる手伝いをしてくれましたし、反省もしています。そもそも首謀者は別にいて、係わった全ての人が罰を受けています、それはソランさんも同じです」
「罰を?」
「はい、既に償いをしていますよ」
「まだその最中だがな」

 あ、もう。余計なことを!
 ソランさんてば、まだ黙っていてください。

「刑を受けてるってこと? でもあなた、そういう風には全く見えないわ」
「そうだな、だが降格食らって、この歳で最下級だ。しかも隊長のしごきつき。そう悲壮に見えないのなら、それはこいつのせいだろ。文句はカズハに言ってくれ」

 視線で私のことだと示すソランさん。
 それを受けた結衣さんの、問うような視線が痛いです。

「ええとですね、私はアルベリックさんにソランさんの処遇を丸投げしただけです。ソランさんの言うことは、語弊ありまくりですから」
「そういう意味じゃねぇよ。お前が俺にそういう態度だから、隊長や隊員たちが俺にまで甘くなるんだよ」
「態度……? あ、もしかして『下っぱさん』呼びのことですか?」
「そうじゃなくって! ああくそっ、……真面目に答えた俺が馬鹿みたいじゃねぇか。まったく」

 しかめ面のソランさんの言いたいことが、そこでようやく理解できました。
 辞めざるを得ない立場だったソランさん。でもそんなソランさんをあたたかく迎えたのは、なにも私だけではないはずです。

「ソランさんが辛そうにしていたって、私への贖罪にはなりません。だからこれでいいんです、ノエリアの人たちだって、そう思っているはずですよ」
「……まあそういうことらしい、分かったか?」

 思いっきり呆れ顔のソランさんが、結衣さんへもうこの話は終いだと示したのです。
 ですが結衣さんは……

「うお、ちょっ、まて、お前がなんで泣くんだよ!」

 一筋だけ頬を伝い落ちた雫が、私にも見えたのです。

「なんでもない……ただ、赦されているあなたが、少しだけ羨ましいと思ったの。あの人が生きていたらって……ううん、会いたい。それだけでもいいのに」

 私たちから背を向けるようにして、涙を拭く結衣さん。その背中に、どれだけの大きな悲しみを背負っているのでしょうか。そと思うと、私は……

「おい、あれ見ろカズハ」
「え?」

 ソランさんに引き寄せられて見た先にあったのは、私の鞄。厚手で丈夫な帆布の合わせ目から、柔らかい光が漏れているのです。
 あの鞄の中には、スケッチブックが……
 私は嫌な予感というか……いえ、確信をもってゆっくりと鞄の中を広げます。

「ひゃっ」

 泉の水のように溢れ出す、ほのかに光るなにか。それがあっという間に足元に広がり、景色を塗り替えていきます。
 お馴染となったその現象が加護であることは、私とソランさんにとっては明白です。
 だけど初めての経験である結衣さんは、悲鳴をあげていました。

「おい、お前らは少し離れてろ。それから見られないよう、誰も近づかせないでくれ」

 慌てて駆けつけてくる兵隊さんたちに、ソランさんがすかさず指示を出します。そして恐怖で立ち尽くす結衣さんの腕を、自分の方へと引き寄せていました。

「久しぶりですけど、相変わらず派手ですねえ」
「俺が知るかよ!」

 私のつぶやきに、見事な速さでツッコミを入れるソランさん。
 放置しても仕方がないので鞄からスケッチブックを取り出すと、これまたいつものごとくハラハラとページが勝手にめくれていきました。いったい今度はどこに繋がっているのやら。そう思いながら見つめていると、開いたページにいたのは、意外にもアルベリックさんです。
 今日はサミュエルさんの執務室で別れたまま。ローウィンの警備隊の隊長さんからのお使いに捕まり、別行動となっていました。しかし加護が見せる景色からすると、彼が今いる場所は、どうやらサミュエルさんの執務室のようです。
 泉のように湧き上がる加護の中央に立つ、アルベリックさん。そういえばスケッチブックの中に、仕事中のアルベリックさんを遠目に描いた絵がありましたっけ……。

「アルベリックさんで良かったです。でもどうして?」

 いつも何かしら私を助けるかのように、意味をもって動いてきた絵。たとえきっかけとなった涙が、私のものでなくとも、それは変わることはなかったのです。
 ならば今のこの現象は、何を指し示すのか……
 疑問が頭をよぎったその時、まるで私の声に反応したかのように、見慣れた執務室のなかのアルベリックさんが、周囲を警戒しているかと思いきや、なんとこちらを真っ直ぐ、振り向くではありませんか。
 ……何を、見ているのですかアルベリックさん?

「和葉さん?!」

 結衣さんの悲鳴にも似た声に我にかえると、スケッチブックを持つ手がなんだかおかしいのです。
 自分がまるで、半透明のお化けにでもなったよう。驚きながら足元を見れば同じように透けていて、それが足からお腹、胸へ。どんどん上へと広がってくる……。
 異常事態を察したソランさんが叫びました。

「なんだよソレは! おい、危ないからこっちに来いカズハ!」

 光る景色の泉。その真ん中に近い私を、せめてその影響下から引っ張り出そうとしてくれたのでしょう。彼が私の腕に手を伸ばしたら……
 ソランさんの指が何も掴むことができずに、私を通り過ぎて宙を泳いだのです。

「い、いやあああ!」

 結衣さんの悲鳴。
 足、腕、そして胸元までホログラムのようになってしまった私は、つんざく悲鳴を聞きながらも、どこか冷静でした。だって、これ、見覚えがあるんです。
 不思議そうにこちらの方角を見て立つアルベリックさん。その姿もまた、私と同じように半分だけ透けているのですから。

「そこにいるのは、カズハか?」

 一方通行が常の私の加護。だけど、どうやら今回は違ったようです。
 最初は探るように行き来していたアルベリックさんの深いあおの瞳が、次第に私へと合わせられてゆく。それと同時に、まるで薄い膜を突き破るかのように身体を襲う不思議な衝撃と、一瞬の浮遊感。

「カズハ!」

 落ちる──。
 一年前の記憶がにわかに呼び覚まされ、恐怖にすくむ身体。それは透明人間になるより怖い記憶なのです。
 だけど倒れ込む身体を、大きくて暖かい腕が抱きとめられていました。
 包むようにあたたかい腕は、私にとってどこよりも安心できる場所──

「アルベリックさん……私」
声が聞こえたと思ったら突然、霞がかった空間からカズハが現れた。なにがあった?」

 アルベリックさんの顔をしっかり見上げて、その声を直接耳で聞き、私は……心底ほっとしました。
 覚えがある浮遊感のせいで、またどこかへ落ちてゆくのではないかと、すごく不安だったから。

『カズハ! 大丈夫か?』
「そこにいるのは……ソランか?」

 アルベリックさんに抱えられたまま振り返ると、執務室の中に浮かぶのは、先ほどまでいた場所の景色です。
 私の名を呼ぶソランさんと結衣さん。どうやら二人には影響は出ていないようですが、ちょっと心配です。きっと結衣さんを驚かせて、心配もかけているに違いありません。

「大丈夫ですか、二人とも……わた、し」
『隊長、こちらは全員無事です。加護とみられる現象が起きてすぐ、突然異変が……』

 ソランさんの無事という言葉に、私はほっと胸を撫で下ろします。
 ……あらら、どうしたことでしょう。安心したとたん、身体から力が抜けていきますよ。

「カズハ?」
「……だい、じょうぶ、アルベリックさん。なんだかちょっと、ねむい、です……」

 くったりと倒れ込む身体を、アルベリックさんがうまく受け止めてくれます。ですが力なく垂れる手足と同じように、まぶたも下がってきました。

「しっかりしろ、カズハ」

 頭はまだしっかりしてるんですけれど、どうやら限界のようです。
 そういえば、加護が起きた後はいつも眠いんですよね。それと同じなのかな……
 ああ、心配しないでアルベリックさん。どこも苦しくないから。
 それだけは伝えたかったのですが、うまく言えたかは分かりません。だけどアルベリックさんがソランさんたちに戻るようにと言う声だけが、薄れる意識の中に入ってきます。
 ああ、画材もお願いしますね。まだ描きかけです、またそのうち行けるかなあ。
 そんな風に考えながら、私は意識を手放しました。
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