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3ー1章 故郷

一話 色々あっても相変わらずです。

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 ジルベルド王国北西の辺境にある、ここノエリアにも再び夏がやってまいりました。
 私こと、カズハ・レヴィナスは、目まぐるしい日々を送っています。新婚生活もようやく一ヶ月をもうすぐ迎え、新居もようやく整ってきたと思えば、早くも明日からは立秋祭です。

 華々しい結婚式を挙げたアルベリックさんと私が新居を構えたのは、にがお絵屋からさほど離れてはいない街の中。コリーヌ婦人の紹介でお借りしているお屋敷です。そう、お屋敷と呼ぶに相応しい家なのです。
 そこは元の世界風に言えば、5LDKほどの一般的な世帯の一戸建てくらい。だけど、その一部屋が大きい事……。掃除して回ったら、ほぼ一日は終了するでしょう。そうなったら、にがお絵屋の仕事どころではありません。ということで、お手伝いの人を頼むことになりました。まあそもそも、狭くても家事をやり切る自信は、小指の先ほどにもないのが現状でしたが。
 ……あの、これ大丈夫でしょうか。
 こんな筈ではなかったとかで、旦那様に離縁されないでしょうか。

「そんな事、隊長さんは最初から織り込み済みなんじゃないの、馬鹿ね」

 容赦ない言葉が飛んできます。でも慰めてくれていると、受け取っていいのでしょうか。いえ、全力で前向きに受け取らねば。
 明るい金髪をお団子にまとめて、お仕着せにエプロン姿の彼女は、友人のマリーです。
 マリーは私が王都に行っている間に、花嫁修業を兼ねてコリーヌ婦人のお屋敷でメイドとして働き始めました。元来の世話焼きも手伝ってか、半年足らずですっかり優秀なメイドさんに進化を遂げています。

「その通りかもしれないですけれど、いつ百年の恋も冷めるとも知れずです。たとえるなら、吹きっさらしでびゅうびゅう煽られたロウソクのごとく、それはもう簡単に、あっけなく!」
「百年の……ってなにそれ、おかしい。でもまあ、そんな事にならないように私がいるんだから、しっかりねカズハ」
「……鬼教官が二人になりました」
「何か言った?」
「いえ、何でもありませんマリー先生!」

 パンを捏ねて白くなった手を額にかざし、恰好良く敬礼する私。それを見てマリーは笑い出す。

 この家に引っ越したその日から、マリーは我が家に通ってくれています。ですが彼女を雇っているのは私たちではありません。メイドさんを雇うといっても誰にお願いしたらいいのか分からない私たちのために、コリーヌ婦人が自分のメイドでもある、マリーを貸し出して下さいました。なのでマリーはコリーヌ婦人に雇われたままで、婦人の持家の管理を任されているのです。
 つまりこの家は、メイドさん兼家事教育係付き借家というわけです。なにげに凄い優良物件でしょう!
 それに直接の雇用関係がないので、マリーには気楽に教えてもらえるし、私も遠慮なくダメ生徒でいられます。
 でも、マリーには内緒ですよ。

 ということで本日も、午後の時間を使って夕食の準備と翌朝の仕込みを、おしゃべりをしながら教わっているところです。

「隊長さんの休暇はいつからなの? 立秋祭中はお店も交代で休むから、計画的に献立を考えないと、色々と大変よ?」
「それがですね、一応決まっていたんですけれど、変更することになったんです。本当は皆がお休みを取った後、来月のはずだったのですけれど、今月中に取ることになって……リュファスさんが言うには、今日中には決まるらしいんです。あ、でもマリーは気にせずお休みして下さいね?」
「いいわよ、気にしなくても。私はポーラやルネのように、家業の手伝いや恋人がいるわけでもないし。そんなことより、それって本当に休暇なわけ?」
「もちろん、休暇……ですよ? やだなあ」
「だって、昨年だって休暇なはずが結局、王都で招集されて出兵することになったの、あなたの旦那様よね」

 再び痛いところを突かれました。
 そうなんですよね、休暇という名の仕事だったりして。なんて私もいぶかしんでいます。
 仕事なら仕方ないな、とは思うのですが、心配なのは真面目なアルベリックさんのこと。普段から生活が仕事のような人ですから、夏季休暇くらいはまともに身体を休めて欲しいと願うのは、当然ではないでしょうか。ましてや私は彼の『妻』なのですから。
 妻……人妻、細君、ミセス、マダム……あぁ、どれも魅惑的な響きです。
 良い響き……ですけれど。空しさがどっと胸に去来するのは、親友であるマリーたちに内緒にしていることがあるから。

 一通り下ごしらえを終えると、先生……違った、お手伝いのマリーは帰っていきました。念を押された調理方法と後始末の方法を書かれたメモを睨みながら、夕方には帰る予定のアルベリックさんを待ちます。
 彼は夜勤の日も、なるべく家に一度戻って食事を共にしてくれます。たぶん、私が寂しくないように、気を使って下さっているのだと思います。

 もうすぐ帰ってくるはずの旦那様を待ちながら、私は特製ちゃぶ台に頭を突っ伏します。
 お客様の通らないお部屋に、柔らかいラグを敷きつめ、その中央にブリジットのお父さん特製のちゃぶ台を据えました。夏はちゃぶ台、冬はコタツに早変わりする、優れものです。
 ここはいわゆる和室風、くつろぎ部屋です。アルベリックさんと協議の結果、ここでのみ靴は脱ぎ、椅子ではなく素足でくつろぐことが可と、取り決めました。
 ああ、ちゃぶ台がひんやりとして気持ちいいです。大工の棟梁、いい仕事しますね。

 幸せそのもの、文句ひとつない新婚生活を送らせてくれるアルベリックさん。
 私たちの仲は、相変わらず式を挙げたあとも変わらず。
 ……そう、変わらずです。
 何故かというと、まあ、色々ありました。

 ────あれはそう、ノエリアのみんなが手作りの結婚式で、私たちを祝ってくれたその日の夜。

 たくさんあったテーブルや花、それから山盛りの料理が空になったお皿が片付けられた広場で、私とアルベリックさんはお義父さんに呼び止められました。大切な話があるからと。
 優しい目をしたお義父さんは、アルベリックさんの隊長室でとんでもない事を言い出したのです。しかも、バルトロメ国王陛下のサインが入った書状を持って。

「二人は今日、夫婦として認められたことに間違いない。だが、今しばらくはそれを形だけのものとしてもらいたい」

 一瞬……いえそれどころか、ゆうに五分はその意味が分かりませんでしたよ、私。
 同じように隣で立ち尽くし、押し黙ったままのアルベリックさん。だけど彼は、しばらくして低い声でお義父さんに理由を問いただし始めました。
 私はというと、そんなアルベリックさんをぼけっと眺めているうちに、ああ、そういうことかと。
 つまり、しばらくは清いお付き合いのままで、ってことですね。
 なあんだ、そういう意味……
 …………えええええ?

「私も抵抗したんだが、悪いね」

 や、悪いねってお義父さん、そんな簡単に。
 しかもそれは内緒にして欲しいって……

「命令ではなく……願うとは」

 陛下からの手紙に目を通したアルベリックさん。どうやら今回のことは極力陛下からのお願いであると書かれているそうです。なおさら理由が知りたいのですよ。

「しばらくって、いつまでですか?」
「それもまた、追々知らせがくるだろう。今はまだ交渉中だ」

 アルベリックさんがその言葉に反応します。

「交渉中? 誰と、何を?」
「それもまた、今は言えない」
「…………」

 アルベリックさんが押し黙ったまま眉間にシワを深く刻んでます。
 一方、お義父さんはそんな怖い顔の彼に、いつもは見せないくらいの柔和な表情です。どうして?

「おまえがどうするかは私からはとやかく言うつもりはない。命令ではないのだから」
「好きにしろと?」
「実はそうしてもらえると私は得をする。陛下には申し訳ないが」

 ニヤリと笑うお義父さんに、アルベリックさんは一呼吸おいてから深いため息をつきました。

「ヴィクトールにも?」
「もちろん、言う必要はない。アンジェにも……すぐバレるかもしれないが」
「……一晩、考えさせてもらう」
「ああ、いいよ。我慢強い息子で助かる。一発くらいは殴られるかと思っていたくらいだ」
「彼女の前でなければ、やっている」
「……そりゃ助かった」

 私に向かって微笑むお義父さんと、苦虫を噛み締めたようなアルベリックさん。そんな二人のやりとりを見て、アルベリックさんの出す答えが、すでに分かるような気がしました。
 その晩、私たちは当然ですが、初夜を迎えるわけです。
 私たちの新居、真新しいシーツで整えられた寝室のベッドの上で、することは一つ。
 ……予定外の、家族会議第一回。
 セリアさんたちから含みのある笑顔で送り出されたのに、することはまさかの膝を付き合わせての、話し合い。
 もう笑うしかありませんよね。

「アルベリックさんはどういう理由だと思います? 私はやっぱり加護のことしか考えられないと思うんですよね」
「……だろうな」
「だけど、よほどの事情がないかぎり陛下が加護を利用しようとは、思えないんですよね。そんなつもりなら、もっと早く言うはずですし、そもそも式を延期すればいいだけです」
「カズハはその方が良かったか?」

 式そのものを延期というと、形だけの夫婦どころか婚約者のまま……いやいや考えを改めます。

「ううん……そっちの方が嫌です」

 頬を膨らませてそう言いきり、ちらりと見上げると。アルベリックさんはどこかほっとしているかのように見えて、同じことを思っていてくれてるのかなと、嬉しくなってしまいます。
 たとえ形だけになると分かっていたとしても、アルベリックさ嫁さんになれる方を、私はきっと選ぶ。

「じゃあ、ジルベルド国内で何か問題が起きたから、協力を求めたいとか?」
「ジルベルド国内で特に目立つ問題は起きていない。そもそも、国のことにカズハが関わる必要はない」

 多少強くなった語彙は、アルベリックさんの心配が含まれているせい。
 なぜならアルベリックさんが戦場から戻るのを王都で待つと約束したにもかかわらず、無茶を言い出して敵国だったベルクムントまでヴィクトールさんと乗り込んでしまったから。
 一歩間違えば命はなかったのだと、今なら分かります。
 そうならないよう、アルベリックさんが戦場でジルベルド軍を包囲し、脅しをかけてくれたのです。
 それがどんなに危険なことか、後から知ったリュファスさんやラウールさんたちに諭され、そして約束をしました。もう二度と、アルベリックさんの庇護のもとから離れないって。
 それが私にできる、アルベリックさんを大切にする方法でもあるのだから。

「カズハ」
「はい」
「理由を考えても今は何も分からないままだ。カズハはどうしたい?」
「わ、私?」

 返答に困るのは、アルベリックさんの気持ちが分からないから。

「アルベリックさんは? 私は、アルベリックさんの望む方でいいです。だって、命令ではないって言っても陛下からのお願いですよね」

 アルベリックさんの立場からしたら、断れるようなものでしょうか。それに……
 私は今日の式に思いを馳せます。
 幸せで、喜びに溢れた、素敵な一日でした。
 お母さんにも会わせてもらえたのは、私だけじゃない、みんなの気持ちが溢れていたからです。

「私は、アルベリックさんの奥さんになれたんですよね」
「ああ」
「後からそれも無かったことに、なんてなりませんよね?」
「ない。それは私が困る」

 アルベリックさんの真剣な返答に、私は思わず笑みがこぼれました。

「なら、私は大丈夫です。アルベリックさんが良いと思う方で」
「……そうか」
「ダメでした?」

 なんだか困ったような表情なので、私の答えがアルベリックさんの望むものではなかったのかと心配になります。

「いや……ずるいことを考えていた」
「ずるいこと?」

 なんだかアルベリックさんには無縁な言葉だなあ、なんて思わず笑っていたら。
 そっと引き寄せられておでこに柔らかい唇が触れました。

「では私は客間に移ることにする」

 アルベリックさんはあっさり私を解放し、ベッドを降ります。

「え、客間ってまだ片付け終わってませんでしたよ。埃っぽいです、明日ちゃんと用意しますから、今日は……」

 引っ越しは終わってはいますが、長い間使われずにいたせいで、まだ使わない部屋は手付かずなのです。アルベリックさんをそんな部屋に寝かせられません。
 ですが、そんな私の言葉を遮り、アルベリックさんはガウンを片手に部屋を出ながらこう言いました。

「カズハの言う、第一回家族会議とやらが無駄にならないためには、このほうがいい」


 それからは大変でした。
 陛下のご意向という印籠をかざされた私たちに、どうあがいても拒否できる道理もなく。しかもですよ、それを内密にしろという注文つきです。いえ、言われなくても公表できるものでもありませんが、その……新婚夫婦の事情なんてね。
 ということで、この陛下からの無茶な注文を、私たちはのむことになったのです。
 そういうこともあり、私たちはれっきとした夫婦でありながら、形だけの同居。まだ始まって一ヶ月ほどなので、慌ただしさで過ぎてしまいました。そんな事がありながらも、アルベリックさんの態度が変わるわけでもなく、相変わらず優しいのです。私もまた、にがお絵屋の仕事と家事の両立をしながら、アルベリックさんのそばにいられることが何よりも嬉しくて。
 まあ、そのうちきっとなんとかなるから大丈夫、なんて慣れきってしまっているかもしれません。
 
 ああ、退屈です。眠くなってきました。
 そうだ、アルベリックさんが帰ってきたら、今度こそ聞いてみようかな。『おかえりなさい、あ、な、た。食事にしますか、お風呂にしますか、それともあ、た、し?』なんちゃって。これは既に一度試してみましたが、アルベリックさんが都合三分以上固まって以来、封印中なのです。彼自身は冗談など言わない堅物です。だけどこういった罪のない冗談に対しては、案外許容範囲が広いのです。ですが少々変化球すぎましたか。
 これがリュファスさんなら、お腹抱えて笑い転げた末に、説教が始まります絶対。笑ったのなら許してくれればいいのに、彼は案外狭量なんですよね。

 あらら、妄想に励んでいるうちにうたた寝してしまったようです。
 ハッと気づいて顔を上げると、ちゃぶ台の向こうにはアルベリックさん。手の甲で目をこすってみても、やっぱりうちの旦那様です。

「えと……お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
「……お風呂にしますか、それともお食事にしますか、それともあ、た……」

 穏やかな表情のアルベリックさんを見て、まだ夢でも見ているかのようでつい口走っていました。

「風呂は入った」

 最後まで口にする前にアルベリックさんが遮り、それでようやく彼が警備隊の隊長服ではなく、既に楽な服装に着替えていることに気づきます。

「起こしてくれたら良かったのに」
「気持ち良さそうだった。無理しなくていい」
「無理じゃないです、甘やかしたらダメですよ」
「そうか」

 相変わらず言葉は少ないですが、アルベリックさんは優しすぎる旦那様です。結果は未だ伴わないのですが、一生懸命家事をこなそうと頑張る私に、ちょくちょく甘い誘惑をしてきます。無理しなくていいとか、出来ることからでいいとか、その言葉に甘えていたらきっとこのままお婆ちゃんになってしまいますよ。この世界で生きると決めたからには、それではいけないと思うのです。
 それに……軍隊で慣らされた自活力は凄まじいと、日々自覚させられることが多く。何でもテキパキとこなしてしまう旦那様の手際に、女性として足元にも及ばないのは、いかんともしがたいのです。

「……ご飯にしますね」

 ちゃぶ台に手をついて、よっこらしょっと立ち上がる私を、アルベリックさんが引き留めました。
 食事の後で、大切な話があるということです。もしかして休暇の変更のことでしょうか。ここ数日徹夜で調整に走っていた、リュファスさんの目の下のクマを思い出しながら、私は頷きました。
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