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10 一筋縄の関係など有りはしない

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 ユルカの家から学園へ通い、帰宅してからはユルカと卒業試験に向けての訓練に費やした。試験では俺の予想通りユルカがヘリアの魔力を使ってくる予定だったらしく、「普通に戦っても面白くないから」と、耐久戦を提案された。
 読んで字の如く、全力で攻撃してくるユルカから耐え続けるだけ。それだけなら頑張れば俺でも数分は持ち堪えられるだろうし、1分あれば観客には十分俺が高等な魔術師だと示せるだろう、と。
 見下げられて怒るほどのプライドは無く素直にその提案に乗ったのだけど、率直に言って軽い気持ちで承諾したのを後悔する事になった。

「じゃあ軽く練習しよう」

 そう言ってまず初日にユルカが彼の家の庭に出したのは、見上げると首が痛くなるような巨大な竜だった。
 鱗の生えたトカゲのような身体に、金色こんじきのたてがみ。長いヒゲが生えたワニのような大きな口が開いたかと思うと、そこから炎が吐き出されてきた。
 悲鳴を上げる余地もなく、突然の東洋風の竜の出現に呆然としていた俺はそのままその炎に飲み込まれた。
 無傷だったのはあらかじめユルカが俺に防御魔術を掛けていたお陰で、障壁を張ることすら出来なかった俺に彼は「あれれ、俺の見込み違いだったかな?」なんて挑発してきた。
 いくらユルカとの実力差は考えるまでもないといっても、そこまで馬鹿にされ続ければ流石の俺でも一度くらい鼻をあかしてやろうという気が湧く。

「少し驚いただけです。……次は耐えます」

 俺がそう言うとユルカは嬉しそうに目を細め、そして次は空から大岩を降らせた。
 幻想生物で驚かせた次は急に物理かよ、とまたしても驚かされ、けれどなんとか二度目は魔術障壁を張ることに成功する。障壁に当たった岩はドゴドゴと大きな音を立て、ぶつかった衝撃で崩れて俺の周りに積み上がっていく。
 すっかり俺の周囲が岩石の破片で包まれ、真上しか見えなくなりそうな頃、やっと岩の雨が止んだ。
 と、安堵して空を見上げた俺の目に映ったのは、空を覆うような大岩。
 魔術の練習をしても問題無い程度に広い庭付きのユルカの家の敷地をすっぽりと覆うほどに巨大な岩が浮いていた。オレンジ色の夕陽が岩に遮られて周囲に影を落とすのを見て、こんなの無理だろ、と思った瞬間に岩が落下を始め、それにぶつかる前に俺の障壁が割れた。

「……っ」

 俺を押し潰すかと思った岩は途端に掻き消え、ユルカは腕を組んで顔を顰める。

「トゥリ。君、今限界を感じる前に諦めたね」

 ユルカの魔術で死を覚悟したのは二度目で、数瞬遅れてから冷や汗が噴き出した。カラカラに乾いて粘膜が張り付きそうな喉からなんとか「すみません」と謝罪を絞り出すと、ユルカは肩を竦めて苛立たしげにため息を吐いた。

「次に攻撃が当たる前に諦めたら、俺は二度と君に稽古をつけない」
「はい」

 思い込みが魔術の強度に関わるのに、先に心が折れては元も子もない。心の弱さをどうにかしろと叱られて情けなさに視線を地面に落としつつ、ヘリアやピートが「ユルカは出来なくても絶対に怒らない」と言っていたのを思い出した。

「ユルカ様でも怒るんですね」 

 ユルカは落ち込む俺を気遣う気は無いようで、すぐさま続けて風精霊シルフを模したような羽根の生えた少女をあらわした。鎌鼬カマイタチを放ってくる前に新しい障壁を展開して防ぎつつ、そんな呟きを漏らすとユルカは腕を組んだまま首を傾げる。

「出来ない人が出来ないのを叱ってもどうしようもないでしょ。君は出来る筈の事を怠った。怒られて当然だよね?」
「……はい」

 出来る事、とユルカに言われて、彼からの期待を感じて少し嬉しくなった。
 そうか、さっきのあの大岩、俺ならちゃんと防げたのか。
 やる前に出来ないと決め付けて諦めたのはただただ恥ずかしく、次は防ぎ切ってやると決意を新たにした瞬間、また頭上が薄暗くなった。

「……」

 でっ……かい。
 空を見上げて、ユルカの家の周辺どころか少し離れた隣近所数十軒をも覆い隠すような岩の塊に頬が引き攣る。さっきよりも大きいんだけど、まさかこれを落としたりは……。

「君が諦めたらご近所さんのお家もぺしゃんこだよ。頑張って」

 両手の拳を握ってニコッと笑ってきたユルカに、ヒィ、と喉から小さく音が漏れた瞬間、夏の入道雲のような大きさの岩が落下してきた。

「待っ……! 待って待って! 落ちない! ここには落ちない!!」

 落ちてくる岩に向けて必死で魔力を向け、それが止まるイメージをぶつけて魔術として行使する。岩は無事動きを止めてくれたが、ユルカはそれを見て険しい顔で「六十点」と呟いた。

「君が今練習してるのは防御魔術だよね? 他人の出した攻撃魔術に干渉して止めるのは高等技術だけど、今やって欲しかったのは魔術障壁を巨大化させて落ちないように防ぐことだったんだよね」

 やり直し、と言ったユルカがパチンと指を鳴らすと俺の魔術が剥がされ、また大岩が落下を開始した。

「……っ!」

 言われた通りに障壁を自分の身の周りだけでなく近所一帯を覆う大きさに膨らませるが、岩が乗った瞬間に重みでパリパリとヒビの入る音がして半泣きになる。
 俺の心が折れた瞬間、近所の家屋が壊滅。
 ユルカのことだから家が潰れる前に魔術を消滅させるだろう──なんて、そんな事を思えばきっと、天邪鬼な彼は絶対に魔術を消さない。人死にを出すことは無いだろうが、建物は壊れる可能性がある。
 ユルカは俺が甘く見て手を抜くことを許さない。それはさっき叱られたことで明白で、とんだスパルタ上司だ、と必死になって障壁を作り続けることに集中した。

「……五十八、五十九、六十。いいよ、二分保った。上出来だね。初日とは思えないよ」

 時間を測っていたユルカは二分きっかりで大岩を消して、パチパチと小さく手を叩いて褒めてくれる。
 魔術を解いた俺は安堵から一気に脱力して、芝の生えた庭に倒れ込んだ。
 顔に刺さる短い草の先が痛いのに、起き上がる気力が湧かない。そもそも俺は魔力量は平均より少ないくらいで、巨大な魔術障壁を出したことで今度こそ完全な魔力欠乏状態だった。

「いいね、全力出し切ったって感じ。とても可愛い。若者はそうでなくちゃ」

 うとうととそのまま眠りに落ちそうになっている俺を浮遊魔術で移動させ、ユルカは俺に貸した部屋へ連れて行ってベッドへ寝かせてくれた。
 初日の訓練はそれで終わりで、翌日以降もそうして学園から帰宅してから俺が魔力切れで倒れるまで訓練を続けた。ユルカの家には家事全般を仕切るメイドが居るから、客人扱いで上げ膳据え膳の俺は存分に魔術訓練に打ち込んだ。










 そうして、二週間後、卒業試験当日。
 練習のお陰で魔力そのものを障壁として出し続けることが出来るようになり、俺は2:1の勝ち抜き戦で連戦連勝だった。
 対戦相手の生徒が連れてくる助っ人は現役で仕事をしている魔術師だが、ユルカに比べたら酷く甘い。
 俺が一人というのもあって大怪我をさせる可能性のある魔術なんか掛けてこないし、俺の魔力が届く範囲に入れてしまえば俺の魔術障壁が邪魔をして相手の魔術は発動しない。あとは対戦相手二人を眠らせるなり場外へ飛ばすなりすれば俺の勝ちだ。
 昔はコロシアムとして使われていたという学園近くの闘技場が会場で、舞台を囲むように円形になった客席は卒業生の保護者や家族と、その所属ギルドの魔術師で溢れ返っている。
 学園公認なのか会場の中では一戦ごとに対戦ギルドのどちらが勝つかの賭博が行われ、一人参加の俺が勝ち上がる度にほんの少しずつオッズが下がっていくのが面白かった。
 準決勝の対戦相手はピートとソーシカ所属の魔術師の組み合わせで、そこまで来るとオッズ評価は俺が若干不利か、くらいまでいっていた。2:1、それもソーシカ所属相手でこの評価なら、結構な期待値だと鼻高々になってもおかしくないだろう。
 師匠も会場のどこかで賭けているだろうか、と客席の方へ視線をうろつかせるが、試合の舞台からは豆粒のようにしか見えず、師匠の姿を探そうとしても大量の魔力の色が混じり合っていて全く判別がつかない。
 唯一、シュリさんの周りだけは六区のゴロツキみたいな魔術師が囲っているからかその周りが不自然に席が空いていてすぐ分かった。今日のシュリさんは真っ赤なヒラヒラした露出の多いドレス姿で、年齢不詳だけれどいつも以上に振り撒く色香が凄い。

「エシャちゃーん、頑張って~」

 可愛らしくよく通る声でシュリさんが声援を送ってくれた後に、続いてその周りのやたらガタイの良い男達が野太い声で「殺れ坊主ー! ぶっ殺せ!」「お前に賭けてんだ、絶対ぇ勝てよ!!」と恫喝じみたげきを飛ばしてくる。
 応援してくれるのは嬉しいけど、決勝戦だけは勝てる気がしない。
 俺のオッズが急上昇したオッズ表を横目に見ながら冷や汗を流して舞台脇のベンチに座っていると、反対側の控室に続くドアからユルカとヘリアが姿を見せた。
 途端、客席から割れんばかりの歓声が降ってくる。

「キャーッ、ユルカ様ーっ!」
「こっち向いてユルカ様!」
「ユルカ様ーっ!!」

 黄色い声に目を丸くして客席を仰ぐと、その声援は一部の熱狂的なファンとかではなく、それこそ会場中から上がっているようだった。
 今日もいつも通り足首まで隠す古臭い紺色のローブを被ったユルカは歓声に顔を顰めていたようだが、隣のヘリアに促されて渋々客席に向けて手を振った。

「「「「「キャー♡♡♡」」」」」

 鼓膜が破れそうな高音の波に会場の多くの男が耳を塞ぎ、それを向けられているユルカも肩を竦めてヘリアへ渋面を向けている。
 普段は普通に愛想の良い人なのに、どうやら本当に女にモテる事には興味が無いようだ。
 ローブのフードを外している昼間は彼の金髪がよく映え、キラキラと光る金色と美貌にその人気も納得は出来る。
 だけど、師匠から彼に鞍替えしようという気持ちだけは半月一緒に暮らしたがいまだに全く理解出来ないと首を傾げた。絶対師匠の方が綺麗だし、と思いながら手の中で魔力を捏ねると舞台の向こう側でユルカも同じように魔力を捏ね始め、彼はそれを上空に向けて打ち上げて花火にした。
 バン、と火薬が破裂する音まで再現した黄色い大きな閃光に目を細め、俺も対抗するように空に打ち上げて緑色の大輪の花火を咲かせた。ジリジリ、と焼けた音と共に滲むように消えていく花弁に、やっぱり緑の方が綺麗、と見上げる。
 急に花火が打ち上がったのに驚いて観客が一瞬静まり、二つの花火が消えた瞬間に今度は低音も混じった轟くような歓声が沸き起こった。

「いやー、これくらいで沸いてくれるなんて今日のお客さんは優しいねぇ」
「……舞台役者か何かですか、ユルカ様」

 魔術で俺の耳に直接声を飛ばしてきたユルカに、何目線なんですか、と肩を竦める。

『時間になりました。これから決勝戦を行います。対戦者は舞台へ上がって下さい』

 拡散魔術で会場中に響き渡る放送に、ゆっくりベンチから立ち上がった。
 舞台へ上がる階段を登ると、反対側からも二人が登ってくる。

『ギルド『ソーシカ』所属、ヘリア・ソーシカ。同じく『ソーシカ』所属、ユルカ・シーモ』
「はい」
『ギルド『デレイアル』所属、エシャ・トゥリ』
「はい」

 所属と名前を呼ばれた二人は学園長達が居る客席の方へ頭を下げる。次に名前を呼ばれた俺も頭を下げたが、続く放送の言葉に首を傾げた。

『……同じく『デレイアル』所属、フレクタ・デレイアル』
「え?」
『エシャ・トゥリ、助っ人のフレクタ・デレイアルが不在のようですが、どうしますか?』

 どうするも何も。
 ここまでの試合でそんな事を訊かれたのは初めてで、俺が困惑しているのを見て審判の教師が寄ってきた。

「トゥリ、君の師は? 来ないのか?」
「えっと、来るも何も登録してないんですが……」
「登録してない? ……おかしいな。決勝のみ参加、と記載されてるんだが」

 手元のタブレット端末を操作した教師は俺の登録内容を開いて見せてきて、そこには確かに師匠の字で参加のサインが入っていた。
 いつの間に、と思いながらも師匠の思惑は俺には分からず、どう答えていいか迷っていたら横からユルカが口を挟んできた。

「そのままでいいよ。途中参加するならしてもいいし」
「良いんですか?」
「ああ」

 対戦相手のユルカがそう言うなら、と教師は伝達魔術で放送係に続行を告げ、ユルカに軽く会釈をすると舞台の下へ降りて行く。

「トゥリ。本当に僕たちを一人で相手するつもりか? 勇敢と無謀は違うぞ?」

 ヘリアが挑発するように──いや、違うか。心配して声を掛けてくるのに、苦笑を返しながら「大丈夫」と手を振った。

「ちょっと不安だったんだけど、吹っ飛んだ。大丈夫だよ。ありがとヘリア」
「……そうか」

 礼を言うとヘリアは少し変な顔をしてから一つ頷いて、それから俺に背を向けて舞台の端へ歩いて行った。彼はユルカの指示通り彼への魔力供給に徹底するつもりらしく、邪魔にならない場所に待機するんだろう。
 卒業試験なのに最後にヘリアとやり合えないのは少し残念だが、目の前には彼以上の強敵が居る。
 いつも通りにこにこと穏やかな笑みを浮かべたユルカは、「頑張ってね」と握った拳を振って俺を激励してきた。

『それでは、両者指定の位置まで下がって下さい。──卒業試験、科目、魔術決闘。決勝戦、はじめ!』

 放送が試合開始を告げた瞬間、俺は空中へ飛び上がった。
 瞬間、俺の居た位置が崩れ落ち、大穴が開いたそこからは泥が噴き出しあっという間に舞台に紫色の沼が出現した。
 ボコボコと沸くのを見るに、ただの泥ではない。
 いつもの訓練では空から降らせるばかりだったから、きっと本番ではまず下から攻撃がくると踏んで上に飛んで正解だった。毒か、酸か。どっちにしろ絶対触っちゃいけないやつだ、とドン引きしながら空中でそのまま障壁を展開すると、それを待っていたかのように空に大量の槍が出現した。

「見抜いてくれるなんて嬉しいなぁ。トゥリ、やっぱり君は有望だ」
「ユルカ様は人を驚かせるの大好きですからね」
「うん、正解。嬉しいから少し張り切っちゃおうかな」

 重力以上のスピードで俺を目掛けて落ちてくる槍は、障壁に当たるとぼよんと跳ねてそこへ刺さる。跳ねたら客席の方へ飛んで危ないかと思ってそう設定したのだが、そこを狙い撃ちするようにユルカは続けて紫色の雨を降らせてきた。
 障壁に刺さる槍に雨が当たるとそこがシュワッと音を立てて溶け、頭上に大きく展開した障壁がどろりと濃い紫色に染まっていくのを見て眉間に皺が寄る。

「……酸かな」

 冷静に分析し、障壁へ『溶けない』と条件を増やして魔力を込めた。
 雨が降ろうが槍が降ろうが、なんて慣用句があるけれど、比喩でなくそのどちらもが今俺の命を狙っている。頭上ではザクザクと障壁へ刺さる音が続いているが、そこが破れることはない。
 絶対に破れないと俺が定義したから、そこが破れることはない。溶けないと定義したから、溶けることもない。
 練習通りだ。心を乱さなければ、障壁の中で耐えるだけなら十五分は保つ。それ以上は俺の魔力が足りなくなると知っているから、ユルカはその辺りで俺に降参を提案してくると言っていた。
 それに、……それに、まだ師匠が居ない。
 決勝戦にだけ参加承諾のサインを書いたってことは、師匠は俺が一人でもここまで勝ち上がると信じてくれていたからだ。そして、師匠は俺に激甘。そこから導かれる答えは一つ。

「……ふふ」

 思わず笑みが漏れ、障壁への魔力供給が不安定になって慌てて分厚く直す。
 円形に作った障壁が降り注いだ酸ですっかり染まって周囲が紫色しか見えなくなった中で、けれど俺には微塵も不安が無い。
 だって、まだ師匠がここに居ない。師匠が居ないってことは、まだ俺はやれるってことだ。
 心の中で数えた時間が三分を過ぎる頃、ビュウと強い風が吹いたかと思えば障壁の酸を根こそぎ飛ばしていった。
 開けた視界の中で大きく腕を振ったユルカが笑って、俺の後ろを指差す。

「ああ、間違えた。トゥリ、あの酸、客席に降るね」
「はっ!?」

 後ろを振り返れば酸を巻き上げた風は客席の方へそれを持っていって、今にもそこへ落ちていきそうだった。客席の人々は自分たちには被害が及ぶと思っていないのか、歓声を上げてそれを見上げている。

「届け!」

 酸をただの水に変えてしまおうかと思ったが、練習の時にそれをやってユルカに叱られたのを思い出して咄嗟に障壁を客席まで延ばした。客席へ透明の屋根のように薄く伸びていった障壁は降ってきた酸を一滴残らず吸収し、俺は障壁ごとそれを水に変えた。
 バシャア、と一気に水を被った客席からは悲鳴が起こったが、それは楽しげなもので痛みを伴うものじゃない。
 バクバク大きく鳴る心臓を押さえながら振り返ってユルカを睨むと、彼は無邪気な子供みたいに顔を輝かせてまた腕を振った。

「うん、うん。すごくいい。練習の成果がちゃんと出ていてとても良いね。トゥリ、もっと遊んでもいいかな?」

 次に上空に現れたのは長い一本角を持った白い仔馬だった。
 ユニコーンだろうか。ふわふわの毛並みに、真っ黒のつぶらな瞳。急に現れた愛らしい動物に呆気に取られたが、長い角にパリパリと電気を纏うのを見て全力で障壁を張り直した。
 途端、ドン、という轟音と共に俺にまっすぐ雷が落ちてくる。

「──ッ」

 周囲が真っ白に光り、咄嗟に瞼を瞑ったものの強い閃光に閉じた視界が白黒に明滅した。
 酸の沼になっていた地上が一瞬にして蒸発し、大穴の横でユルカが上出来、とばかりに親指を立ててきているのを見てさすがに怒りが湧く。

「さすがにやり過ぎじゃないですかっ⁉︎」
「大丈夫! 君ならまだ平気!」
「いや、待っ……!」

 地中から沸く毒の沼を避け、空中で酸の雨を防ぎ切り、雷天馬ユニコーンの雷撃を耐え。俺の実力を示すにはもう十分だろうと顔を引き攣らせるのに、ユルカはニコニコと楽しそうに魔力を捏ねて空へ投げた。
 黒く煙る雲が現れ、その中を光り輝く仔馬がくるくると走り回る。
 可愛らしい。可愛らし過ぎる。
 嫌な予感がして魔術障壁を会場の建物全てを覆うように展開した瞬間、雷鳴と共に雨が降り出した。カッと稲妻が光り、雷が落ちてくる。雨粒を伝って拡がった電流が俺の障壁に青い稲妻模様のヒビを入れる様を見上げ、客席からは愉しげな歓声が上がる。

「う……っ」

 障壁に吸収し切れなかった電流が流れ込んできて軽く感電した俺がたまらず地面に落下すると、障壁魔術が細かい塵になって消えた。
 さっきの雷のおかげで地上の毒沼が蒸発した後だったのは幸いだった。泥だらけになりながら降参を示そうとなんとか体を起こすのに、空にはまたゴロゴロと雷鳴が轟きだした。
 サアサアと霧のように視界を白く煙らせる雨が客席に降り掛かるが、魔術師じゃない一般市民の客達どころか、審判の教師達すら生温い雨を降らせる空を見上げて笑顔のままだ。
 彼らの顔は次は一体どんな魔術が見られるのかと期待に満ちていて、身の危険が迫っているだなんて微塵も考えていない。

「ユルカ様……っ、もう……っ」
「いいや、駄目だ。まだあいつが来てないんだから」

 呟きを洩らしたユルカにぐっと奥歯を噛み締める。師匠の思惑に気付いていたのは俺だけでは無かったらしい。
 師匠はおそらく、俺が本当に危機に陥るまでは見守るつもりなんだろう。楽しくなると歯止めが効かなくなるユルカの性格を知っていて、だから決勝戦だけは参加申請を出しておいたのだ。
 ……少しだけ、ユルカに嫉妬する。
 俺が師匠と会ってからつい最近まで一度も顔を合わせた様子は無かったのに、師匠はちゃんとユルカの性格を把握している。学園生時代は仲の良い友人だった時期もあるというのが更に心にチクリと棘を刺す。
 若い頃の、俺と同じくらいの年齢の頃の師匠を、ユルカは知っている。そしておそらく、彼が今見ているのは目の前の俺じゃない。最初から俺は師匠を引き摺り出す為の餌でしかない。

「……ちょーっと、頭にくるよな」

 ユルカと対等に戦えるだなんて思っていなかった。
 だけど、せめて師匠が出てくるまでは俺を対戦者として見て欲しかったと思うくらいには、俺にも傲慢さが残っていたみたいだ。
 まだ感電の痺れが残る足に力を込め、よろよろと立ち上がる。
 俺の中に残った魔力を全て集めて掌の中に込めて捏ねると、ユルカはそれを待っていたみたいに腕を振り上げてまた雷天馬を空で駆けさせた。
 ゴロゴロという雷鳴と、大粒の土砂降りに変わった真っ黒の空。次が最後の一撃だという雰囲気を感じ取った客席が息を詰めて舞台を見下ろしているのが分かる。
 複数の審判の教師達が、次の直撃で大怪我を負うだろう俺に治癒魔術を掛ける為に魔力を集め出したのを見て喉の奥でクッと笑いが出た。
 勝てる訳がない。分かってる。
 だけど、最後まで防御に徹するだけなんて、そんな安牌に落ち着ける性格でいられるならそもそも毎日毎日魔術書を読み漁って魔術に傾倒するような生活を送っていない。
 知らない事を知りたい。自分がどこまで出来るのか知りたい。そんな強欲さが自分の内にあった事を知れたのは、こんな追い詰められた状況下に置かれたからだ。
 何事もなく卒業して、何事もなく師匠のギルドに居たままだったらきっとずっと直視しないものだった。ただ魔術が出来るから、魔術が好きだから、だから傾倒していてもおかしくない。そう思ったままだったらきっと、俺の人生は『そのまま』だった。

「見ててよ、師匠」

 俺は、傲慢だ。そして、とてつもなく自意識が高い。
 自分は『やれば出来る』と思い込んでいて、やって出来たのだから『評価されるのも当然』と思い込んでいる。
 だから、『師匠が好きになってもおかしくない』と思い込んだ。
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「……っ」

 たった一撃でいい、残りの魔力をユルカにぶつけて、気絶でもしてくれれば恩の字だと思ったのに。

「あ……っぶな~」

 寸前で俺の障壁を割って体の周りに障壁を展開したユルカは、指を鳴らして突風で俺を空中に舞い上げた。
 ……急襲失敗。上手くユルカの想像の外をいけたと思ったが、やはりまだ俺には届かない人だった。
 もう着地に使える魔力すら残っていない俺は、諦めて空から見下ろす闘技場を目に焼き付けた。丸い客席を埋め尽くす人々が、全て俺を見ている。教師達は既に俺に魔力が残っていないのが見えるからか、ユルカに駆け寄っている。俺が落下して怪我してから治癒を掛けるより、試合を終わらせて受け止める方が良いと判断したんだろう。
 どっちでもいい。どの道、俺は勝てなかった。
 最後の最後に師匠離れしたくなくてみっともなく足掻いてみたけれど、遅過ぎた。もっと早く自分の意地汚さに気付いて、師匠に想いを伝えていれば離れなくて済んだかもしれないのに。
 重力に任せて自然落下した俺は、地面にぶつかる前にふわりと浮いた。俺の棄権扱いになったんだろう。痛みがこなかったことにホッとしていると、何も無かったところに滲むように師匠が姿を現した。

「……師匠」

 負けちゃいました、と言おうとした唇に師匠の指が乗って、泥で煤けたそこをゆっくりと撫でてくる。
 久々に見る師匠は相変わらず壮絶に綺麗だった。あまり昼間の陽に当たらないからか真っ白な肌に、きらきらと澄んだ色に光る碧の瞳。白地に金の糸で細かい刺繍の入った膝丈のローブは初めて見るもので、師匠が魔術師というのは嘘ではないと今更実感する。
 真っ青な空を背景にする師匠の姿は一枚の絵画のようで、力の入らない体で俺は見惚れることしか出来なかった。
 急に姿を見せた師匠に客席からは困惑の声と共に、僅かだが「デレイアルだ」「あいつ生きてたのか」と熱っぽいどよめきも混じっている。
 何年も魔術師として働いていなかった師匠が今も魔術師として記憶されている程に、昔の彼は実力者だったのだろうか。ユルカの話は嘘ではなかったのだとぼんやり考えながら、ゆるゆると瞼を閉じて眠りにつこうとした俺の頬を、師匠は苦笑を浮かべながら指でつついた。

「まだ終わってねぇけど、……まあいいや。あとは俺に任せて寝とけ、エシャ」
「……え?」
「遅かったね、フレクタ。殺しちゃうかと思ったよ」

 起き上がる気力も無く、地面に寝転がった俺の前に壁になるよう師匠が立ちはだかり、ユルカへ向き直る。
 その背に流れる綺麗に梳かれた黒髪が、鮮やかなオレンジ色のリボンで一本に纏められているのを見てきゅっと心臓が締め付けられた。
 もう世話してくれる人を見つけたのか。今更戻っても俺の居場所は無いのか、と鼻の奥がツンと痛み、溢れてくるものを飲み込むように息を詰めた。

「君とこうして対決出来るなんて何年ぶり……」
「水の精霊、契約だ。『ユルカ・シーモとヘリア・ソーシカを気絶するまで溺れさせろ』。成功の対価は『俺の髪束』」

 ユルカが挨拶のように話し掛けてくるのを遮り、師匠はくっと纏めた後ろ髪を掴んだかと思うともう片手に持っていた小さなナイフでそこを引き千切った。

「は……」

 尻まで伸びた長い綺麗な髪が、頸の後ろでバッサリと切り取られた。
 唖然としているのは俺だけでなく、視線を向ければユルカですら目を見開いて硬直していた。

「ふ、フレクタ! お前、一体何を……っ‼︎」

 柄にもなく叫ぶユルカの周りに数匹の水精霊ウンディーネが現れて彼を水の球で包む。ユルカは瞬時にそれを風で吹き飛ばしたが、弾け飛んだそれはすぐに戻ってきてまた彼をぐるりと覆った。

「こんな事をしても無駄だ! 何度やろうとっ!」
「そー。お前がどれだけ耐えようが、水精霊こいつらは諦めない。こいつら、俺の髪が大好物みたいでな? 契約の条件達成して俺の髪が貰えるまでは永遠にお前にくっついて回るぞ」

 くっくと喉を鳴らして笑う師匠は顎を上げ、自分は高みの見物とばかりに切り取ったばかりの髪束を掴んで揺らしながらユルカを挑発している。
 視線を巡らせればヘリアの方にも水精霊が纏わりついているが、どうするべきかと困惑しつつも自分の周りに風の膜を張って水の球の中で耐えているらしい。彼の魔力の色を見るにまだまだ残量は余裕そうだ。

「フレクタ!」

 ユルカは水精霊を風で消し飛ばしながら合間に鎌鼬を飛ばしてくるが、師匠は魔術も使わずひょいひょいと避けている。

「なんでっ! 俺はただ、お前とまた戦えるのを楽しみにしてたのに!」
「諦めろ。俺に水精霊と契約させた時点でお前の負けだ。……お前はどうやったって俺には勝てねぇんだよ、ユルカ」

 駄々を捏ねるように叫ぶユルカに、けれど師匠は冷めた態度でそう返した。
 一瞬泣きそうに顔を歪めたユルカに、師匠の味方の筈の俺の胸が痛む。ぐっと唇を噛んだ彼は数を増やして自分の周囲に蠢く水精霊を睨み付けたが、次の瞬間には諦めたように魔力を消して水の中でごぼりと自ら息を吐いた。

「そっちのお前もだ」

 師匠に促され、ヘリアが嫌そうに水精霊達を仰ぎ見る。

「……棄権しても駄目なのか?」
「こいつらとの契約条件は聞いてたろ。『溺れて気絶』しない限り契約は終わらない」

 悪いな、と師匠はヘリアには殊勝に謝り、「すぐ治癒掛けっから」と待機している教師達へ視線を回す。
 水の球の中でぷかぷかと浮いたまま死んだように動かないユルカを心配そうに見たヘリアは自分も溺れないとユルカがそのままなのだとすぐに気付いたのか、顔を顰めながらも魔術を解いて水の中で大きく息を吐いた。
 数秒後に師匠の手の中にあった髪束が水精霊によってぐるりと巻き上げられ、音もなく消えていく。

「終わりだ。治癒を」

 師匠が二人に指を向けると教師達が大慌てで走り寄ってきて、治癒を掛けつつ水を吐かせ始めた。

『えー……と、勝者、ギルド『デレイアル』所属、『エシャ・トゥリ』……?』

 沈黙していた放送が困惑混じりに勝敗を告げると、数秒遅れて割れんばかりの拍手と歓声が耳を襲ったのだった。


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勇者さんが町にやってきた。 町の人は道の両脇で壁を作って、通り過ぎる勇者さんに手を振っていた。 オレは何となく勇者さんの股間を触ってみたんだけど、なんかヤバイことになっちゃったみたい。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします。……やっぱり狙われちゃう感じ?

み馬
BL
※ 完結しました。お読みくださった方々、誠にありがとうございました! 志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、とある加護を受けた8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 独自設定、造語、下ネタあり。出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。 ★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

腐男子ですが、お気に入りのBL小説に転移してしまいました

くるむ
BL
芹沢真紀(せりざわまさき)は、大の読書好き(ただし読むのはBLのみ)。 特にお気に入りなのは、『男なのに彼氏が出来ました』だ。 毎日毎日それを舐めるように読み、そして必ず寝る前には自分もその小説の中に入り込み妄想を繰り広げるのが日課だった。 そんなある日、朝目覚めたら世界は一変していて……。 無自覚な腐男子が、小説内一番のイケてる男子に溺愛されるお話し♡

【完結】僕の異世界転生先は卵で生まれて捨てられた竜でした

エウラ
BL
どうしてこうなったのか。 僕は今、卵の中。ここに生まれる前の記憶がある。 なんとなく異世界転生したんだと思うけど、捨てられたっぽい? 孵る前に死んじゃうよ!と思ったら誰かに助けられたみたい。 僕、頑張って大きくなって恩返しするからね! 天然記念物的な竜に転生した僕が、助けて育ててくれたエルフなお兄さんと旅をしながらのんびり過ごす話になる予定。 突発的に書き出したので先は分かりませんが短い予定です。 不定期投稿です。 本編完結で、番外編を更新予定です。不定期です。

【完結済】(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成) エロなし。騎士×妖精 ※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? いいねありがとうございます!励みになります。

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

ハイスペックストーカーに追われています

たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!! と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。 完結しました。

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