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05 肉体の方が脆い

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「おいトゥリ、師はどうだ、説得出来そうか?」

 翌朝、教室へ入るなりヘリアが声を掛けてきた。

「おはよ、ヘリア」
「ああ、おはよう。……じゃなくて!」

 挨拶も無しに不躾な奴だな、とまだ魔力の出力が不安定で眠気の取れない俺はわざと全開の愛想笑いを浮かべながら挨拶して、釣られたヘリアが挨拶を返してきた横を通り過ぎる。

「トゥリ!」
「頭痛いからでかい声出すのやめてくれ。刺さるんだよ」

 そのまま席につこうとしたのに素早くヘリアが行く手に先回りしてきて、うんざりしながら自分の頭を叩いて見せた。するとヘリアはハッとしたように眉を顰め、若干申し訳なさそうにしながら声を落とす。

「あ? ……ああ、それは悪かった。いや、そもそもお前が僕を無視するから」
「無視してないだろ、挨拶してんじゃん」
「質問の答えをはぐらかす為だろう」
「普通はまず会ったら挨拶だろ。ソーシカって礼儀を軽視する系のギルドなの?」
「なっ……! それはソーシカへの侮辱か!?」

 体調不良は気遣ってくれるくせに俺への文句は我慢出来ないのか、ヘリアは声を小さくした分距離を詰めてきて、不愉快な威圧感に「寄るな」とその制服の胸を拳で押し返した。

「他人の魔力が混じると気持ち悪いって前から言ってんだろ。下がれ、離れろ、こっち来んな」
「……っ」

 睨みながら言うとヘリアは噛んだ唇をぷるぷると震わせて、また怒鳴るかと耳を塞ごうとしたら横からピートが俺たちの間に割り込んできた。

「はいはい、終わり終わり。ヘリア、エシャは今日は本当に具合悪いみたいだからやめときな」
「……」
「エシャも、具合悪いとイライラするのは分かるけどヘリアに八つ当たりしないの。さすがにちょっと当たり強過ぎだよ。謝りな」
「……」
「エシャ」

 いつも通り中立を貫くピートにそう言われては無視する訳にもいかず、ヘリアから視線を逸らして小さく「悪かった」と謝った。

「いや、僕も……」

 ヘリアもごにょごにょと言葉を濁して、それでも謝罪の言葉を吐くのはシャクに障るのか頭を下げてきた。
 もういいか、とピートに目で訊くと苦笑を浮かべながら頷きを返されて、それでやっと自分の席へ座る。鞄から教科書や筆記用具を出して机の中に移動させているとピートが前の席に座ってきて、俺の机に肘をついた。

「どうしたの、今日のエシャ、ものすごい引きが弱いよ」

 他人の魔力を引力として感じるピートにとって、魔力の多い魔術師ほど強い引力を感じるのだと前に話してくれたことがある。一晩寝て魔力量は戻ってきた筈なのだけど、出力が不安定で自分で見ても色が濁ったりチカチカと点滅したりと気持ちが悪い。ピートからすれば引力が弱く感じるんだろう。

「……昨日闇練した時に、新しい事に挑戦してから不安定でさ」

 ユルカはソーシカに所属するピートにとってはかなりお偉い上司だ。そんな人に偶然でも直接指導される事になったというのは所属している側からすればちょっと気分が悪いかと思って、あえて彼の名前は出さず体調不良の理由を説明した。

「新しいこと?」
「そう。動作でスイッチを作って、自分の魔力の解釈を変える訓練」
「……は?」

 出来るだけ分かりやすく説明してみたのだけど、ピートは俺の言葉に眉間に皺を寄せた。
 見せた方が早いかと、掌に魔力を集めていつも通りふわっとした雲として出してから、両手を叩いてスイッチして、それから掌の中に魔力を押し固めた礫を出す。

「っ……う」

 ぐら、と視界が傾いで体が横に倒れそうになったのを、すかさずピートが腕を伸ばしてきて支えてくれる。

「ありがと」
「いや、……またとんでもないこと始めたね」

 俺が目眩に呻きながら机に肘を付くとピートはすぐに手を離してくれて、呆れたようにため息を吐いた。

「一回目はいつも通りだったけど、二回目のその引き……今、ちょっとゾッとしたよ。そりゃ魔力欠乏も起こすよ」

 色の見えないピートにとっては礫も見えないのか、俺が掌の中の小さな塊を見せても首を傾げるばかりだ。ただ、相当な引力を感じるのか体を逸らして嫌そうに目を眇めた。

「ねぇ、何事? すごい匂いがするんだけど」
「眩し過ぎて目が焼けるかと思った」
「エシャ、体調悪いの絶好調なの? 波がすごくてこっちが酔いそうなんだけど」

 始業前だから友人と雑談したり予習したりしていたクラスメイトが集まってきて、興味津々で俺の手の中の礫を覗き込んでくる。成績順でクラス分けされているから同クラスの級友はそれなりに皆勉強熱心なタイプで、俺が作った魔力の礫に釣られてきたようだ。

「俺、魔力って雲みたいにふわふわしたものだと思ってたんだけど、それだと投げ付けても全然相手のダメージにはならないだろ?」
「ああ……、エシャ、性格悪いのに何故か攻撃魔法てんでダメだもんね。諦めて魔力そのままぶつける事にしたんだ?」

 性格は関係無いだろ、と思いつつ、ピートの言う通りなので頷いた。

「そう。だから、魔力のイメージ自体を礫に変える。ただ、そのままだと回復魔術掛ける時に被術者が痛そうだから、動作で自分の中にスイッチを作って切り替えられるように。……って、ある人から教わって」

 全てユルカからの受け売りだから、自分で考え出したように言うのは憚られてそんな風に曖昧に濁した。
 パチ、パチ、と手を叩いて交互に雲と礫を出して見せると俺とピートを囲むように集まってきたクラスメイトは押し黙り、それからその中の一人が「解散」と言った瞬間にぞろぞろと散っていった。

「……? なんだよ、これ結構難しいのに。少しくらいすごーいって誉めてくれても良くない?」

 覚えたばかりの技術を披露してみせたらまたグラグラと視界が揺れて、無言で去っていくクラスメイトたちに額を手で押さえてそんな恨み言を吐いた。
 ああ、やばい。ちょっと調子に乗り過ぎた。
 瞼を閉じてもぐるぐる身体が回っているような感覚に机に突っ伏すと、ピートが肩に触れて魔力を流し込んできて怖気に呻く。

「うっ……、やめろって、俺他人の魔力ダメなんだって」
「倒れるよりマシでしょ。……ヘリア、黙って見てないで君も手伝って」
「……でも、さっき寄るなって……」
「そんな小さいことで拗ねてないでさっさと来て」

 ピートに唆されて寄ってきたヘリアにまで魔力を流し込まれて、口元を押さえて吐き気に息を詰める。やめて、とか細い声で首を振るとヘリアからの供給が一瞬止まったのに、「いいから続けて」というピートの言葉にまた流れ込んでくる。
 他人の魔力は流れも温度も違うし、何より色が違う。ピートの桃色とヘリアの赤が混じって、俺の緑と混じってどす黒い渦になって身体に巡ってぞわぞわと発熱したみたいに火照ってくる。
 気持ち悪いのに目眩は治まってきて、他人のだとしても魔力が満ちてくると息がし易くなった。

「エシャ、今日はもう帰りなよ」
「は……」
「君が平然とやったそれ、普通の魔術師なら発狂モノだからね」
「……発狂……?」

 朝礼をする為に担任教師が入ってきたのを見て、ピートが手を挙げて「エシャ・トゥリが体調不良なので保健室に連れて行きます」と立ち上がる。

「大人しくしてれば大丈夫だって……」
「いいから。ヘリア、荷物よろしく」

 平気だと言うのにピートは頑として聞いてくれず、俺に肩を貸すように持ち上げて引きずるように教室を出ていく。自分で歩こうとしたのだけど膝に力が入らず、戸惑いながら自分の体を魔力で支えようとしてピートに「意地張るなって」と睨まれる。
 二人から魔力を分け与えて貰って、大丈夫だと思っているのに身体に力が入らない。どういう事なのか自分の身体に起きている事が理解出来ず、けれど冷静に考えれば魔力不足の症状そのものだ。
 さっき集まってきていたクラスメイトたちがこっちを見ながらこそこそと耳打ちし合っているのを見て、あれしきで魔力不足に陥ったことが情けなくて恥ずかしくなった。

「とりあえず全部詰め込んできたが……」
「うん、ありがと」

 廊下を保健室へ向けて歩いていると俺の鞄を持ったヘリアが追い掛けてきて、ピートの責めるような視線に促されて俺も「ありがとう」と言う。
 三人で廊下を歩くのは久しぶりで、学園に入学してからしばらくはいつもこの三人でつるんでいたっけ、と懐かしい気分になった。初めての定期考査で俺が一位を取った後からヘリアの様子がおかしくなって、喧嘩が多くなって──。

「エシャ。君、さっきのアレを誰かに教わったような言い方をしてたけど」

 ぼんやり過去を思い出していたらピートが話し掛けてきて、その通りだと首を縦に振った。

「うん。闇練の最中に会った魔術師の人に……」
「自分の中の『常識』を手拍子一つでスイッチしろ、なんて、普通は無茶振りでしか無いからね?」
「え?」
「出来ないんだよ、普通は」

 普通、を強調して言われて、俺がそれを言われるのを嫌うと分かっている筈なのにと唇を尖らせる。

「……また、俺が天才だなんだって話かよ。俺は努力してんの。コツコツ積み重ねた結果なの」

 月に何十冊も魔術書を読んでは実践読んでは実践を繰り返し、師匠の世話をする以外の時間は全て魔術に注ぎ込んでいるのだ。それを『天才だから』の一言で済まされるのは我慢ならない。
 俺が不愉快さを露わにするとピートは真面目な顔で首を振り、それからヘリアの方へ視線をやった。

「僕が知ってる魔術師の中に、君と同じ天才型の人がもう一人居てね」
「……まさか!」

 ピートが思い浮かべる人間にヘリアも思い当たったのか、二人して顔を見合わせるととびきり渋い果実を食べた時のように表情を曇らせた。

「ユルカ様か」
「ユルカ様だろうね」
「……え、なに。あの人、そんな顔されるほど評判悪いの? 教え方も丁寧で分かりやすかったし、普通に……いや、ちょっと変わってるけど良い人……っぽかったけど」

 ギルドの上司だから面識があっておかしくないとは思うのだけど、二人共がそんな顔をするとなると不安になってくる。
 まさか出鱈目を教えられたのか、だからこんなに急激な魔力不足を起こしているのかとピートを見ると、彼はため息を吐きながら「あの人はね」と言い辛そうに顎を摩った。

「天才なんだよ。教え方も教える事も、たぶん間違った事は何一つ言ってない。ただ、凡人には全く理解出来ない次元にあるっていうだけで」

 つまり、彼が言った事を理解して実践出来てしまった俺もまた天才、と。ピートのロジックに若干の不満はあるが、昨夜のユルカの魔術を思い出してみれば納得せざるをえない。

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