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しおりを挟む「影間、明日って出勤だったか」
「えっと、確かそうですね」
服を着ていると、店長が聞いてきたのでスケジュールを思い出して返事をした。
「明日フロアに新人入るから、書類纏めておいてくれ」
「え、面接なんてありましたっけ?」
「いや、本社の知り合いの甥っこなんだと。まーバイト程度ならまともに喋れりゃなんでもいいんだけどな」
「それ俺の事皮肉ってます?」
唇を尖らすと、店長がハ、と鼻で笑う。
「お前も大概、面の皮が厚くなったよな」
「おかげさまで」
今日使った麻縄をくるくると巻き取りながら、店長は肩を竦めた。
専用のじゃなくてホームセンターで売ってるのをそのまま使うものだから、縛られた俺の身体は全身が擦り傷だらけだ。瘡蓋がちゃんと張るまで当分はシャワーですら痛むだろう。柔らかい服の布地が当たるだけで、実は結構痛い。
春から秋の制服は半袖だけれど、手首の方までクッキリ縛られた跡が残っているから、しばらくは制服の下に長袖を着込まないといけないと思うと憂鬱だ。
「じゃあ、入社規約と契約書と……、給与の振り込み先の通帳は持ってくるように言ってますか? 時期的に、遅くなると払込が再来月になっちゃいますけど」
「その辺の説明はお前がしろ」
「ええ~……」
店長と俺がアレな関係になってから、もう一年以上過ぎた。
俺はいまだにアルバイトで、店長はいまだに店長だ。
変わった事と言えば、俺が図々しくなって、店長に不必要に怯えなくなった事と、店長に殴られまくって耐性がついたからか、若いアルバイト達に絡まれても怖がって虚勢を張らずに済むようになった事くらい。
小さくなって黙っていれば、そのうち飽きてくれると学んだのだ。
「影間」
呼ばれて振り向くと、店長が腕を広げて待っていた。
頰がぽっと熱くなって、思わずそこに駆け寄って抱き着く。
「今日も頑張ったな」
「はい」
「手ぇ使わずに口だけでイかされると思わなかったぞ。上手くなったな、お前」
両腕に抱き締められたまま、後頭部を撫でてもらいながら誉められる。
あー、至福。幸せ。これの為に生きてる。
すりすりと店長の胸に顔を擦り付けると、今度は両手で撫でてもらえた。
「一年もやってれば上手くもなりますよ」
「ちったぁ好きになったか、チンポしゃぶんの」
「なる訳ないでしょ」
えへ、と笑って最後にぎゅっと抱き締めてもらって、体を離した。
なる訳ない。だって、嫌がってない俺には価値が無くなってしまう。
店長の家を後にして、まっすぐ自宅に帰る。
最近は呼び出されるのも月に一度くらいで、たぶん店長は俺に飽き始めている。けれどたぶん、もうクビにはならないだろう。事務としてちゃんと仕事さえしていれば、職場からは必要としてもらえる。
帰宅して悲鳴を我慢しながらシャワーを浴びて、着替えてベッドに転がった。読みかけの小説を開こうとして、新人が増えると言われたのを思い出して机の上の付箋に必要になるものを書きつけてメモ帳に貼った。
明日は少し早めに出勤して用意しておこう。
今度こそ図書館から借りてきたハードカバーを開いて、栞を抜いて端に挟み直した。
リクエストすれば出たばかりの本でも入荷してくれるから、すっかり図書館通いの毎日だ。
参考書とか実用書しか読んでこなかったけれど、物語の本も読んでみると面白かった。
空想の世界の話なんて、父ならきっと時間の無駄だと鼻で笑うだろう。母と妹は「オタク」と蔑むだろうし、兄は──、兄は、どうだろう。
あの人は多趣味だから、もしかしたらお勧めを何冊か教えてくれるかもしれない。
あの人は、本当に優秀だった。
中学までは剣道部で毎日部活していた筈なのに高校受験で難関私立に楽々受かって、医大に進んでそのまま今は大学病院で小児科医をやっていると聞いた。
勉強なんて少しやれば出来る、と休日は遊び回っていた兄がそんなだったから、きっと両親は自分達の遺伝子が優秀だと勘違いしたんだと思う。
兄のように出来ない俺はいつも怠け者扱いで、起きている時間を全て勉強に注ぎ込んでいても一言も誉めては貰えなかった。
頭が良くて運動神経も良くて、人を笑わせるのが好きで好奇心旺盛。そんな兄が、両親や妹にとって『当たり前』で。
それが当然のように出来ない俺は、出来損ないでしか無かった。
兄は好きだ。
でももう二度と関わりたくない。
物語の世界に没頭している時は、現実の嫌な事を忘れられる。無心で文字を追って、その日を終えた。
翌日出勤して、バイト用のメモ帳の付箋を確認しながら必要書類を揃えていると、珍しく店長が開店から出勤してきた。
「あれ、今日プンラスでしたっけ?」
開店十時から閉店二十二時まで、店長がずっと居る事はあまり無い。大体は昼過ぎに出勤してラストまで働いている。
「新人さんが来るって言ったでしょう。それとも、ホールの仕事の説明も貴方がしてくれますか?」
「う……無理です……」
「最初から期待してませんよ」
鼻で笑われて肩を竦めた。
はいはい、分かってます。どうせ俺は役立たずですもんね、と卑下するのにも、今はもう悲壮感なんて感じない。実際そうだもんな、と納得出来てしまっている。
「書類は準備出来ましたか」
はい、と揃えてクリアファイルに入れたものを差し出すと、店長が自然な動作で俺の頭を撫でてきた。
「……あの」
瞬時に顔を赤くした俺を見て、店長が真顔で「間違えました」と手を引く。
俺としてはいくらでも間違えてくれて良いんだけど。
熱くなった頰を見せないように店長から離れた。
時たま、こうして何気無い時にご褒美を貰える事があって、他のバイトに見られたりしたら絶対誤解されると思うのに、正直すごく嬉しい。
もう完全に店長からの『誉められ』依存症だと思う。
『店長、今日からだっていう新人さんがフロントに来てます』
インカムから聞こえた報告に、店長が席を立ったのは十一時頃だった。
フロントに迎えに行った店長が連れて来た若い男に、事務机に座ったまま少し驚いた。
女の子ような、綺麗な顔をしている。少し長めのウルフカットで、チョコレート色の髪はサラサラで天使の輪が光っていた。
身長は俺より低いくらいだろうか。細身長身の店長の横に立っていると余計に女の子っぽく見えるけれど、骨ばった指や肩の硬そうな骨格が、男だと主張しているみたいだった。
夏場だから男だと分かるけれど、冬に厚着したら男にナンパされそうな見た目だな、と横目で眺めながら、見た目を裏切る低い声の彼と店長が喋るのを聞いていた。
今日届く部品を確認して、メンテナンスブックを探しておく。今日は昼間のうちに新台スロットの取付もしないといけないから、事務仕事は夜に回そうか。やるべき仕事を付箋に書き付けてから、順番を考えてパソコンの端に貼っていく。
まだ業務説明が終わらないなら午前中の清掃を先に終わらせてこようかと店長と新人さんの方を窺うと、ちょうどインカムが入って、いつものクレーマーがメダルが少ないとゴネているとバイトから店長にヘルプが入った。
「影間くん、ちょっと行ってきますから、その間に書類の説明をお願いします」
「はい」
足早にホールへ向かった店長と入れ替わりに、新人さんと対面するソファへ座って纏めておいた書類をローテーブルの上に広げた。
「えっと……、事務の影間です。店舗規約と契約書、それから給与の振り込み口座の書類です。読んで、記入お願いします」
いまだに店長以外と話すのは緊張する。もっとちゃんと説明しないといけないのは分かっているのだけれど、急に口の中が乾いてきて喉が詰まる。
「あ、あの、読んで、分からない事とかあったら」
「はい。今読んでます」
オドオドする俺の様子を見て新人さんは綺麗な顔を少し不審そうにして、すぐに書類に目を落とした。
あ、見下されたな。
仕方の無い事だけれど、息が詰まる。喉の奥が重い。
新人が入るのは久しぶりで、俺が事務になってから初めてだ。ここのバイトメンバーは遅刻は多いが辞める人が殆ど居ない上、人が足りなくなるとバイトの友人だとか言う人を引っ張ってくるのでこうして契約書を交わすのに関わるのは初めてだ。
「……髪色の規定が書いてないんですが」
「あ、はい、うちは特に無いので。ほら、店長も金髪ですし」
話しかけられて、でも俺が答えられる内容でホッとした。
髪色にも髪型にも規定は無いと答えると、新人さんはやおらその綺麗な髪を掴んでずるりと外した。
目を丸くする俺が見たのは、左が黒で右がピンクのツートン頭。しかも、下半分が刈り上げられた、いわゆるツーブロックというやつである。ピンクの方は短く、黒髪の方は顎くらいまで伸びている。
「これでも大丈夫?」
「えー……っと」
これは、どうなんだろう。
まじまじと見つめて、「ちょっとこっち来てみて下さい」と事務所から出てバックヤードに呼んだ。事務所の白色LED下だと目立ち過ぎてアウトだろうと思うが、店内同様オレンジの暗めの照明下なら、ピンク色の方もそこまで目立たない気がする。
「金髪っぽく見えるんで、俺はまぁ、大丈夫だと思いますけど……。うーん、やっぱ店長に聞かないとダメかな。俺じゃちょっと判断出来ないです」
すみません、と頭を下げたら、新人さんは面白そうに目を細めた。
やばい、これ、虐めてくるやつの目だ。
慌てて事務所に戻ろうとした腕を掴まれて、同じ目の高さの新人さんが寄ってくる。店長の横に居たから小さく見えただけで、身長は俺とそう変わらないようだ。
「あ、の」
「このピンク頭見て一発アウト出さなかったの、あんたが初めてだよ。変な人だね」
「いや、あの、だ、だから、うちは頭髪規定無い、ので」
「なんで急にドモってんの? 俺なんかした?」
何かしたも何も、掴まれた腕がすごく痛いんですが。離してくれと縋るように見つめると、新人さんの笑う唇がヒクヒクと引き攣った。
「……え、何。俺、怯えられるような事してる?」
「あの、う、腕、離して下さい……」
「え、これ?」
うんうんと頷くと、新人さんは一瞬その手の力を緩めてくれたのに、またすぐ強く握ってくる。
「い、痛っ」
「いやこれ、普通に振り解けるっしょ」
嫌なら振り払えばいいでしょ、と言われて、涙目で唇を噛んだ。
抵抗したら駄目だ。もっとエスカレートして、更に酷くなるに決まってる。黙って無抵抗でやり過ごすしかない。
俯いて拳を握ると、新人さんが呆れたみたいな声で「なにそれ」と言う。
「俺が虐めてるみたいじゃん。気分悪いんだけど」
「う、腕、離し……」
「だからさぁ、逃げればいいじゃん。そんな強く握ってないよ、俺」
「……何をしてるんですか」
店長の声に、縋るようにそちらを見た。
バックヤードの狭い通路では、店長からは俺が新人さんに腕を掴まれているのは見えないだろうが、やっと手を離してくれたのを幸いに、誤魔化すように下手な笑顔を作ってみる。
「あ、あの、新人さんの、髪の色が」
「あまり気にしないで下さいね。その人、『虐められ体質』なんで」
俺の言葉を無視して、店長は優しく新人さんの肩を叩いて彼だけを事務所の方に連れて行く。
「虐められ体質?」
「ええ。いつもビクビクオドオドして、人を加害者に仕立て上げるんですよ。気分悪くなるので、あまり関わらなくていいですよ」
ひどい言い草だが、そう説明されればもう俺には関わらないでくれるだろう。店長様様だ。
事務所に戻ってから、結局必要書類の説明も店長がやってくれた。
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