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あれから一週間。
病院だのメンタルクリニックだの、必要無いと言っているのに連れ回されて、もうヘトヘトだ。乾と番ったこと自体には特に何の文句も無いのに──というか、願ったり叶ったりで──それを口にすると皆一様に「それは番ったからだ」「番う前には彼と発情期を共にすることすら嫌がっていたのに」と可哀想に可哀想にと口にした。俺の気持ちを知っているだろう父はそれに関して何のフォローもしてくれず、どころか、強引に番を結んだ乾に一番怒っているのが父だった。
乾の父親に土下座で謝罪までされて、好きだったから問題無いですよ、なんて言ってみても今更信じてもらえない。
今後一生、生活費と抑制剤費は乾家で支払う、という乾父と、そんなことより一生愛するパートナーの居ない人生を送らせることについての補償はどうするつもりだと詰る父母。
連日彼らが話し合っているのに同席するのももう飽きて、こっそり家を抜け出して乾の家に向かっていた。家の運転手に頼むと親に知られるから、運転は継則がしてくれている。最初は乾に怒り心頭だった継則は、しかし俺が彼を好きだと知ると「それなら問題無いですね」とアッサリ信用してくれた。
βはそもそも番という関係性が理解し辛いらしく、たったひと噛みしただけで他人への好感度が変化するなんてあり得ないですよ、なんて正直な考えを返してくれた。
今のところそれは俺も実感しているところで、番になったから急に乾への愛がモリモリ湧いてきて、撫でて触って愛して、なんて縋る気はサラサラ無い。
Ωに人権が無かった昔の人が、見合いなどで強制的に番うことになったΩを慰める為に伝えていた、ただの迷信だったのかもしれない。βにも、『美人は三日で飽きるが~……』なんて言い伝えがあるらしいから、どの性別でも望まない結婚に関して希望を見出すような口伝というのがあるんだろう。
「長押に連絡を入れておきましたので、すぐ迎えに出てくるかと」
「ありがとう」
乾の家の駐車場に車が着くと、車が停車しきる前に玄関から小柄な長押が飛び出してくるのが見えた。エンジンを切ってから車外へ降りた継則が、走ってきた長押に何事か話し掛けている。長押の表情がシュンと沈んだので、おそらく継則に「所作が美しくない」などと注意されたのだろう。
継則が開けてくれたドアから降りると、長押が緊張した面持ちで近付いてきて、腰を折って頭を下げた。
「透様。この度は本当に……」
「もういい、長押。君は何も悪くないから謝罪の必要は無いし、俺はもう謝られるのに飽きてるんだ。それより、乾と会わせてくれ」
まず謝るべきはあいつだろう、と言うと、長押は顔を強張らせて俺たちを伴って家へ入った。
毛足の長いカーペットの敷かれた長い廊下を歩きながら、先頭の長押が抑えめの声で話し出す。
「あの、乾様が……悠勝様がまず真っ先に謝罪にお伺いするのが当然、というのは重々承知なのですが……その、櫟様からは絶対に部屋から出すな、と仰せつかっておりまして。悠勝様も、あれからどうにも不調のようで……」
「無理やり俺を番にしておいて、彼の方が不調だって? なんともまぁ、勝手な話だね」
「申し訳ありません……」
「謝罪は乾にさせたいね」
また頭を下げてきそうな長押を手の動きで制して、歩みを止めずに唇を噛む。
勝手に番にしておいて、悔やんで伏せっているだなんて。少しは俺を想ってくれていたのかと勘違いしていたが、これはどうにも──望み薄。
こちらです、と長押が鍵を開けた部屋へ、継則が先に入って、内開きのドアを開いてくれたところで中へ入った。
「乾。邪魔するよ」
私室らしい室内にはベッドと大きな勉強机と、小さな本棚。それに、壁にはテニスやバドミントンや、卓球のラケットが几帳面に並べて飾られていた。どれもグリップが年季の入った色に褪せていて、だけれどガットや打面は綺麗に手入れされている。そういえば、夏休みにショッピングモールで会った時も、背中に何かのラケットバッグを背負っていた。
好きなんだろうか、と眺めていると、長押が小さく「一対一の球技が特にお好きなので」と教えてくれる。学校生活では勉強でしか乾と競った事が無い。
彼と対戦するのを想像してワクワクと心躍りそうになるけれど、いつまで経っても乾から返事が無いのに気付いて、居る筈の彼の姿を探した。
「乾」
彼はベッドの上に居た。寝ているのか、と近付いてみれば、瞼が開いて目玉がゆっくりと俺へ向く。
「昼間から寝ているなんて、そんなに俺と番ったのが嫌だったの……」
「帰れ」
揶揄うように吐いた言葉が、切っ先の鋭い声に阻まれて消える。
帰れ、って。会いに来た番に対して、それは無いだろう。
いつもならするすると口から流れ出る筈の言葉が、今日に限っては音になってくれない。
番になれば自然と相手へ愛情が湧く。俺にそれが当て嵌まっていないとすれば、乾にとってもそれは、そうなのだ。
俺のことなど、少しも。そう気付いて、目の奥に迫ってくる涙を捻り出した苦笑で隠した。
「君から謝罪の言葉を貰えたらすぐに帰るさ」
「……謝るつもりはない」
「ひどいなぁ。無理やり俺を自分の物にしておいて。番なのに愛してくれないのかい?」
くねくねと可愛こぶってみるけれど、乾は興味が無いみたいにまた瞼を閉じてしまった。番になってから失恋するだなんて、こんな滑稽な話があるだろうか。
「……」
「……」
俺を番にしてしまったのを後悔し、これからの人生に絶望しているのか。
沈黙の下りる部屋で、長押が不安そうに俺と乾を交互に見ている。主がこうなってしまって、心配なんだろう。当たり前だ。有能なαほど、心を壊すと空っぽになってしまう。
乾をこのままにしてしまう訳にはいかない。どうにかして、彼の心を治してやらなければ。
「乾。また来るよ」
たぶん明日、と付け加えても、乾は返事もしてくれない。じっと眠っているような顔は綺麗に整っていて、俺の好きな歪んだ笑顔を返してはくれなかった。
踵を返して継則を連れて部屋を出た。
長押が申し訳無さそうに後ろからついてきて、玄関まで送ってくれた。
「唐島様、あの……本当に明日も……」
「来るよ。時間の都合は継則がつけるから、連絡はそっちでとってくれ」
「はい」
車に乗り込み、窓の外で深々と頭を下げ続ける長押を哀れに思いながら乾家を後にした。
ふうと深い息を吐くと、継則がバックミラー越しに心配げな視線を寄越す。
「……なぁ、継則。頼みたいことがあるんだけど」
「なんなりと」
即座に返事をした継則に、少し考えてから口を開いた。
「番候補がたくさん居るようなΩをピックアップして、アポをとってほしい」
「……どのような御用件で」
「『愛されるΩ』がどんなものか、教えを乞うんだよ」
ふふ、と笑いを堪えられなかった俺に、継則が硬い声音で「それで宜しいのですか」と訊いてくる。
良いかどうかなんて、分からない。でも、何もせずにああしてぼんやりと後悔の底に沈んでいる乾を傍観していなければならないなんて御免だ。
現状俺に何が出来るかといえば、思いつくのは一つ。乾に愛されるΩになって、番が俺でもいいか、と思わせること。そうして納得させれば、時間が掛かったとしても元の彼に戻せるだろう。
母や父のように、愛し愛される唯一無二のような関係は無理としても、せめて、今日のように顔を見るのすら嫌がられる関係ではなければ。最愛でなくとも、番ってしまった以上は情で繋がれると、それくらいは信じたかった。
病院だのメンタルクリニックだの、必要無いと言っているのに連れ回されて、もうヘトヘトだ。乾と番ったこと自体には特に何の文句も無いのに──というか、願ったり叶ったりで──それを口にすると皆一様に「それは番ったからだ」「番う前には彼と発情期を共にすることすら嫌がっていたのに」と可哀想に可哀想にと口にした。俺の気持ちを知っているだろう父はそれに関して何のフォローもしてくれず、どころか、強引に番を結んだ乾に一番怒っているのが父だった。
乾の父親に土下座で謝罪までされて、好きだったから問題無いですよ、なんて言ってみても今更信じてもらえない。
今後一生、生活費と抑制剤費は乾家で支払う、という乾父と、そんなことより一生愛するパートナーの居ない人生を送らせることについての補償はどうするつもりだと詰る父母。
連日彼らが話し合っているのに同席するのももう飽きて、こっそり家を抜け出して乾の家に向かっていた。家の運転手に頼むと親に知られるから、運転は継則がしてくれている。最初は乾に怒り心頭だった継則は、しかし俺が彼を好きだと知ると「それなら問題無いですね」とアッサリ信用してくれた。
βはそもそも番という関係性が理解し辛いらしく、たったひと噛みしただけで他人への好感度が変化するなんてあり得ないですよ、なんて正直な考えを返してくれた。
今のところそれは俺も実感しているところで、番になったから急に乾への愛がモリモリ湧いてきて、撫でて触って愛して、なんて縋る気はサラサラ無い。
Ωに人権が無かった昔の人が、見合いなどで強制的に番うことになったΩを慰める為に伝えていた、ただの迷信だったのかもしれない。βにも、『美人は三日で飽きるが~……』なんて言い伝えがあるらしいから、どの性別でも望まない結婚に関して希望を見出すような口伝というのがあるんだろう。
「長押に連絡を入れておきましたので、すぐ迎えに出てくるかと」
「ありがとう」
乾の家の駐車場に車が着くと、車が停車しきる前に玄関から小柄な長押が飛び出してくるのが見えた。エンジンを切ってから車外へ降りた継則が、走ってきた長押に何事か話し掛けている。長押の表情がシュンと沈んだので、おそらく継則に「所作が美しくない」などと注意されたのだろう。
継則が開けてくれたドアから降りると、長押が緊張した面持ちで近付いてきて、腰を折って頭を下げた。
「透様。この度は本当に……」
「もういい、長押。君は何も悪くないから謝罪の必要は無いし、俺はもう謝られるのに飽きてるんだ。それより、乾と会わせてくれ」
まず謝るべきはあいつだろう、と言うと、長押は顔を強張らせて俺たちを伴って家へ入った。
毛足の長いカーペットの敷かれた長い廊下を歩きながら、先頭の長押が抑えめの声で話し出す。
「あの、乾様が……悠勝様がまず真っ先に謝罪にお伺いするのが当然、というのは重々承知なのですが……その、櫟様からは絶対に部屋から出すな、と仰せつかっておりまして。悠勝様も、あれからどうにも不調のようで……」
「無理やり俺を番にしておいて、彼の方が不調だって? なんともまぁ、勝手な話だね」
「申し訳ありません……」
「謝罪は乾にさせたいね」
また頭を下げてきそうな長押を手の動きで制して、歩みを止めずに唇を噛む。
勝手に番にしておいて、悔やんで伏せっているだなんて。少しは俺を想ってくれていたのかと勘違いしていたが、これはどうにも──望み薄。
こちらです、と長押が鍵を開けた部屋へ、継則が先に入って、内開きのドアを開いてくれたところで中へ入った。
「乾。邪魔するよ」
私室らしい室内にはベッドと大きな勉強机と、小さな本棚。それに、壁にはテニスやバドミントンや、卓球のラケットが几帳面に並べて飾られていた。どれもグリップが年季の入った色に褪せていて、だけれどガットや打面は綺麗に手入れされている。そういえば、夏休みにショッピングモールで会った時も、背中に何かのラケットバッグを背負っていた。
好きなんだろうか、と眺めていると、長押が小さく「一対一の球技が特にお好きなので」と教えてくれる。学校生活では勉強でしか乾と競った事が無い。
彼と対戦するのを想像してワクワクと心躍りそうになるけれど、いつまで経っても乾から返事が無いのに気付いて、居る筈の彼の姿を探した。
「乾」
彼はベッドの上に居た。寝ているのか、と近付いてみれば、瞼が開いて目玉がゆっくりと俺へ向く。
「昼間から寝ているなんて、そんなに俺と番ったのが嫌だったの……」
「帰れ」
揶揄うように吐いた言葉が、切っ先の鋭い声に阻まれて消える。
帰れ、って。会いに来た番に対して、それは無いだろう。
いつもならするすると口から流れ出る筈の言葉が、今日に限っては音になってくれない。
番になれば自然と相手へ愛情が湧く。俺にそれが当て嵌まっていないとすれば、乾にとってもそれは、そうなのだ。
俺のことなど、少しも。そう気付いて、目の奥に迫ってくる涙を捻り出した苦笑で隠した。
「君から謝罪の言葉を貰えたらすぐに帰るさ」
「……謝るつもりはない」
「ひどいなぁ。無理やり俺を自分の物にしておいて。番なのに愛してくれないのかい?」
くねくねと可愛こぶってみるけれど、乾は興味が無いみたいにまた瞼を閉じてしまった。番になってから失恋するだなんて、こんな滑稽な話があるだろうか。
「……」
「……」
俺を番にしてしまったのを後悔し、これからの人生に絶望しているのか。
沈黙の下りる部屋で、長押が不安そうに俺と乾を交互に見ている。主がこうなってしまって、心配なんだろう。当たり前だ。有能なαほど、心を壊すと空っぽになってしまう。
乾をこのままにしてしまう訳にはいかない。どうにかして、彼の心を治してやらなければ。
「乾。また来るよ」
たぶん明日、と付け加えても、乾は返事もしてくれない。じっと眠っているような顔は綺麗に整っていて、俺の好きな歪んだ笑顔を返してはくれなかった。
踵を返して継則を連れて部屋を出た。
長押が申し訳無さそうに後ろからついてきて、玄関まで送ってくれた。
「唐島様、あの……本当に明日も……」
「来るよ。時間の都合は継則がつけるから、連絡はそっちでとってくれ」
「はい」
車に乗り込み、窓の外で深々と頭を下げ続ける長押を哀れに思いながら乾家を後にした。
ふうと深い息を吐くと、継則がバックミラー越しに心配げな視線を寄越す。
「……なぁ、継則。頼みたいことがあるんだけど」
「なんなりと」
即座に返事をした継則に、少し考えてから口を開いた。
「番候補がたくさん居るようなΩをピックアップして、アポをとってほしい」
「……どのような御用件で」
「『愛されるΩ』がどんなものか、教えを乞うんだよ」
ふふ、と笑いを堪えられなかった俺に、継則が硬い声音で「それで宜しいのですか」と訊いてくる。
良いかどうかなんて、分からない。でも、何もせずにああしてぼんやりと後悔の底に沈んでいる乾を傍観していなければならないなんて御免だ。
現状俺に何が出来るかといえば、思いつくのは一つ。乾に愛されるΩになって、番が俺でもいいか、と思わせること。そうして納得させれば、時間が掛かったとしても元の彼に戻せるだろう。
母や父のように、愛し愛される唯一無二のような関係は無理としても、せめて、今日のように顔を見るのすら嫌がられる関係ではなければ。最愛でなくとも、番ってしまった以上は情で繋がれると、それくらいは信じたかった。
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