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30 好奇心と臆病風と

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 こじんまりとした出入り口の印象とは裏腹に、店内はかなり奥行きがあり広かった。
 広いというより、長い、だろうか。
 入ってすぐ左側に壁に向かって座るカウンター席があり、右にはテーブル席が3つ。
 その間の通路をさらに進んだ先の右側が壁と襖で区切られた座敷席になっているようで、案内された一番奥の部屋へ行くまでの長い廊下にはたくさんの靴が並んでいた。
 閉じられた襖の向こうからは話し声や子供が笑う声が漏れ聞こえるが、その内容が筒抜けになるほどではない。
 狭い廊下を挟んで左側は厨房なのだろうか、壁の向こうからジュウジュウと何かを炒める音や食器同士の当たる高い音が聞こえてきた。
 男女別で分かれたトイレの手前で靴を脱ぎ部屋に上がっていくブラパの後について俺も靴を脱ごうと下を見ると、見たことのない大きさのヒールパンプスがあって思わず三度見してしまう。

「え、ブラ……えっ? ヒール?」

 狼狽える俺の声が聞こえたのか、振り向いたブラパはニヤリと笑い、しかし何も言わず部屋の中に入っていってしまった。
 黒光りするパンプスは、27センチの俺のスニーカーを横に置いても冗談みたいに大きく見える。
 30センチくらいあるのだろうか。
 スクエアトゥの地味めな蛇柄で、5センチほどのかなり太いチャンキーヒール。
 特注かな。特注だろうな。
 珍しい物を見るとどうしても観察しておきたくなってしまうが、出入口前で立っているのは邪魔だろう。
 後ろ髪を引かれながら小上がりへ上がると、オレンジの照明に照らされた四畳半ほどの和室だった。
 窓が無い所為で昼間だというのに薄暗く、好きな人は好きな雰囲気なのかもしれないが、どうにも俺は落ち着かない気持ちになる。

「馬鹿。お前はそっち」
「え?」

 分厚い座布団に腰を下ろしたブラパの隣に座ろうとしたのを寸前で止められ、キョトンとすればブラパは座卓を挟んだ正面を指差した。
 いつもわざわざ横に座ってくるのはブラパの方なのに、と思いつつも2つ並んだ座布団の片方に座ると、開けたままだった襖からさっきの女店員が顔を出した。

「お水こちらに置きますねー」
「悪い。追加で瓶ビールもらえるか?」
「はーい。コップは? おふたつ?」

 水のピッチャーとコップを置いた女店員にブラパが注文し、女店員は腰に下げたメモ用紙とペンを取ってそこに書き込んでから俺の方を窺い見る。

「あ、いや、俺は……」
「こいつは未成年。お前、ジュース飲むか? コーラとオレンジと、あと何があった?」
「炭酸はそれだけです。あとはコーヒーと紅茶、緑茶がアイスとホットあって、烏龍茶はアイスのみですね」
「あ、じゃあ、烏龍茶で……」

 2人からの視線が俺に集中するのが気まずく、俯いて適当に答えるとすぐに女店員は襖を閉めて去っていった。

「甘いのじゃなくて良かったのか?」

 水のコップを俺の方に押しやってきたブラパに訊かれ、それを受け取りながら小さく頷く。

「ご飯の時は、ジュースじゃなくてお茶派なので」
「初耳だな」

 顎を撫でながら首を傾げるのを見て、そういえばやはり下唇にピアスが付いているなと気が付いた。
 俺から見て唇の右寄りに、輪っか状のが1つと球状のが1つ。どちらも銀色で、装飾のないつるっとしたシンプルなピアスだ。
 耳の方に視線をやれば、そちらも同様だった。
 ブラパらしいと言えばらしい気もするが、らしくない気もする。
 洒落っ気で付けるならもっと凝った装飾のシルバーにしそうなのに……と思っていると、目の前で手が振られた。

「おーい、亀ー」
「……はい?」
「ん、戻ってきたな。なんだ? ピアスが気になんのか?」
「はい。口のはあまり見たこと無くて」

 耳に開けている人はよく居るが、口はなかなかいない。
 ブラパの口元を見つめたまま答えると彼は僅かに眉をしかめ、自分の耳たぶを摘んでそこのピアスを軽く引っ張ってみせた。

「耳の方は見たことあんの?」
「あるというか、開けてます」
「え。お前が? 右? 左?」
「左ですけど……」

 驚いたように目を見開いたブラパがテーブル越しに腕を伸ばしてきたと思ったら、そのまま無遠慮に左耳を摘まれた。

「これはセクハラじゃないんですか?」
「セクシャルな意図はありませーん。……で? どこ? 触った感じ耳たぶには……」
「…………もっと上です」

 冷たい指に耳たぶをぐにぐに揉まれ、変に意識してしまいそうで自分で髪を掻き上げ左耳を露出させる。
 ヘリックスと呼ばれる耳の上の方の軟骨位置に開けた穴には、何年もずっと同じピアスが嵌めっぱなしだ。

「3連スクリュー? いかつ」

 見せたら手を離してくれると思ったのに、ピアスの通る穴を確認するみたいに撫でられて首を竦めた。
 撫でられるのにはかなり慣れたと思っていたが、まだまだ初めての場所は残っているものだと実感する。

「これと同じようなピアスのモデリングを頼まれたことがあったんですが、ネットで探して出てくる写真だけではどうにも立体でイメージし辛くて……」
「それで自分に開けたのか」
「布とかでも良かったなぁ、と気付いたのは開けた後でした」
「お前らしい」

 髪を戻して耳を隠すとブラパの手も彼の方に戻っていって、ホッと安堵しつつ少しだけ残念な気もするのが不思議だ。

「そういえば。俺、もう成人してますよ」

 話を変えるついでに言えば、ブラパはピアスを開けていると言った時より驚いた顔をする。

「は? いやお前、19だって言ってたろ」
「あの時は19でしたけど、誕生日過ぎたんで」
「……過ぎ……た……」

 何がそんなに衝撃的なのか、ブラパは言葉を失くしたように口元を片手で覆うと頭痛がするみたいに肘をついて大きなため息を吐いた。

「……いつ?」
「え、……誕生日ですか? 25です」
「にじゅ……クリスマス?」
「はい」

 俺が頷くのと襖が開くのが同時で、2人してそちらを見るとさっきとは違う女店員が大きなお盆を持って入ってくる。

「お待たせしました、ごうつくばりのメガ酢飯はトムラさんの方でいいね?」
「ええ」
「そちらさんの方も、ジュースと一緒にすぐ来るからね」

 そう言った女店員と入れ違いにさっきの女店員が来て、俺の前にお盆を置くと小上がりに仮置きしていたらしいお盆を持って戻ってきてブラパの方にビール瓶と栓抜き、空のグラスを置き、俺の方に烏龍茶の入ったグラスを置いた。

「ご注文、これで全部でよろしいですか?」
「ん」

 ブラパは頷き、さっそく瓶ビールを掴むと栓抜きで蓋を開け出した。
 一礼した女店員が襖を閉めて去っていくのを見送ってからお盆の上に目をやると、表のサンプルよりずっと美味しそうな料理が並んでいて内心のテンションが急激に上がっていく。
 箸を持つとその下に置いてあった紙に品目が書かれているのに気付き、左手でそれを持ち上げた。
 刺身(マグロ)、焼き魚(タラ)、煮魚(ブリ)、天ぷら(イカゲソ)、唐揚げ(イワシ)、創作(シャケのチリソース)。
 サンプルとは違い3×2配置の小皿が連結した1個の皿になっていて、調味料用の小皿がその右横に3枚ほど重ねられている。
 ご飯は茶碗の3分の1ほどの量だろうか。
 味噌汁腕の蓋を開けてみると、シジミの良い匂いがした。

「飲んでみるか?」

 空にした水のグラスにビールを注ぐ真似をしてきたブラパに、うーんと考えてから「少しだけ」と頷く。

「一応聞くが、飲んだことは?」 
「無いです」
「だよな」

 一口分だけ注いでくれたブラパからコップを受け取り、匂いを嗅ぐと案外爽やかな匂いがした。

「ちびちび飲むと不味いぞ。ガッといけ」
「ガッと……」

 どんな味だか想像がつかないけれど、見た目や匂いからしてビールはそんなに度数の高い酒ではないんだろう。
 コップを煽るように飲むブラパを見本にして俺もぐいっと飲むと、口の中いっぱいに痺れるような炭酸と苦味が広がって瞬間的に体中の毛が逆立つような気がした。

「……っ、!、!?」
「ぶはっ、すっげぇ表情カオ! 口ん中ずっと入れてるとつらいだろ、飲み込め飲み込め」

 ゲラゲラ笑うブラパに言われてやっと飲み込むことを思い出して嚥下すれば、すかさずピッチャーからコップに水が注がれる。
 それを一気飲みしてぶるりと震えると、ブラパはまたひと笑いして「お前にゃまだ早いみたいだな」と自分のグラスに2杯目を注いだ。

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