神は絶対に手放さない

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神を裏切り貴方と繋ぐ

Sー39、厚顔無恥を晒してでも

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 そんな事があった翌日、腹の空くいい匂いで目を覚ました。

「……?」

 味噌汁の匂い。豆腐とネギかな。少し味噌が薄くて、でもいつも顆粒ダシを入れ過ぎるからしょっぱく感じるんだ。また大袋から直接入れたな徹さん、と内心でため息を吐きながら二度寝しようとして、飛び起きた。
 ここは徹さんの家じゃない。
 志摩宮の家だ。なのに何故、と困惑して部屋から引き戸で区切られている台所の方を見ると、透かし窓の向こうに人影がちらついていた。
 シングルベッドの横にはいつも通り志摩宮が寝ている。まだ志摩宮は寝ている。
 だったらアレは誰なのか。
 この匂いを考慮すれば、もう考えるまでもない。

「おい!」

 ベッドから降りて走って、引き戸を開けて睨む。
 そこに居たのは、間違いなく徹さんだ。今日はTシャツにスウェットズボン姿で、鮭の入ったトレーからラップを剥がそうとしていた。いや、なに鮭まで焼こうとしてるんだよ。
 人様の家で何をしてるのか、というか昨日の今日でこの人は何をしに来たのかと、言いたい事があり過ぎてどれから口にすればいいか迷った俺の前に、ずいと茶碗とシャモジが差し出される。

「飯よそって」
「え、あ」

 渡された茶碗を落とす訳にもいかず受け取ると、徹さんは俺に背を向けて熱していたフライパンに鮭の切り身を乗せた。ジュウ、と焼ける音と共に、香ばしい匂いが漂ってくる。

「……なんスか、騒がしい」

 起きてきた志摩宮が俺の背後から顔を出して、台所に立っている徹さんを見て目を眇めた。フライパンの鮭と、それから茶碗を持った俺に視線を向けてくるので、慌てて首を振る。

「ち、違うぞ!? 俺が入れた訳じゃ」
「少なめによそって下さいね」
「へ……」
「顔洗ってきます」

 何故か志摩宮は徹さんについて何も言わず聞かず、寝癖頭を掻きながら洗面所の方へ行ってしまった。
 困惑する俺を放置して、徹さんは「鮭焼けたぞ」と大皿を持ってローテーブルに置きに行く。皿には先に焼いておいたらしい卵焼きとミニトマトも乗っている。戻ってきた徹さんは味噌汁を碗によそってテーブルへ運ぶと、手を洗って玄関へ行って靴を履いた。

「え、……あの」
「ちゃんと食えよ」

 そのまま、ただそれだけで徹さんは家から出て行ってしまった。
 呆然と見送るしかなく、閉まったドアを見つめて立ち尽くしていると志摩宮が戻ってきて俺から茶碗を取り上げる。

「飲み物出して下さい」
「……うん」

 何のつもりだったのか、全く分からない。
 志摩宮に言われた通りコップと飲み物を用意してテーブル前の座布団に腰を下ろすと、ご飯茶碗を持ってきた志摩宮も座って二人で挨拶して食べ始める。

「……」
「美味いっスね」
「……ん」

 黙々と箸を進めて、しかし徹さんのご飯を俺が誉めていいものか分からず濁す。久しぶりの徹さんのご飯は、正直美味しい。美味しいけれど。
 意図が読めな過ぎる徹さんの行動に頭の中が疑問符で埋まったまま食事を進めていた俺に、先に食べ終えた志摩宮がお茶を飲んで一息ついてから口を開いた。

「明日も来ますよ、あの人」
「は? ……いやいや、まさか」
「賭けます?」
「……」

 やけに自信のありそうな志摩宮に、なんでお前があの人の行動を理解出来るんだよと突っ込みたい。
 意味が分からなくて不気味だと思うのに、翌朝本当に徹さんが居た。また朝食を作ったらさっさと出て行ってしまって、その行動の理由を聞く間さえくれない。
 翌日も、その翌日も。
 もしかしたらそうやって俺を懐柔する作戦かと思って、三日目あたりから来ているのに気付いて起きても徹さんが帰るまで寝たフリして顔も合わせないようにしていたのだけれど。
 一ヶ月近く過ぎて志摩宮が二学期の始まった学校に通うようになる頃には、何故か志摩宮と徹さんが二人で朝食を摂るようになっていた。布団を被って寝たフリをしているから二人がどんな会話をしてそうなったのかは分からないけれど、だから俺が布団から出られるのは二人が食事を終えて徹さんが帰って、志摩宮が学校に行く直前だ。
 冷めてしまった味噌汁を啜り、「あったかいうちに飲みたい」と愚痴ると、志摩宮は制服のネクタイを整えながら呆れたように「だったら早く起きればいいでしょう」なんて言ってくる。

「徹さ……染井川さんが帰るまで起きない」

 志摩宮は細めた目で俺をチラと見てからすぐに逸らし、肩を竦めて鞄を掴んだ。

「強情張るのもいいですけどね。それだけ本気で怒ってる、ってあの人を喜ばせるだけですよ」

 いつも通り玄関まで見送りに行く俺に、志摩宮は「そろそろ気付いて下さいよ」とまるで俺が悪いみたいに言う。

「なんで俺が怒ってると喜ぶんだよ」

 訳分からん、と俺の方が怒りたいのに、靴を履いた志摩宮は俺の方へ向き直ると、急に俺の頬を撫でてきた。志摩宮が自分から触ってくるのは滅多に無くなっていたので、驚いたけれど避けずに止まる。

「本気で好きじゃなかったらさっさと許すでしょ、あんた」
「……分かんね」
「静汰はね、好きじゃなかったら『まあいっか、どうでもいいし』って許す人ですよ」
「俺、そんな薄情?」
「薄情っていうか、まず他人に興味持たないじゃないスか。……んじゃ、行ってきます」

 行ってらっしゃい、と声を掛けると、志摩宮はいつもと変わらず怠そうにその猫背を丸めてドアの外に出て行った。部屋の中や俺と居る時は伸びているその背が曲がるのが物悲しい気持ちにさせる。俺が学校に通い続けていれば、彼も少しは楽しく通えただろうか。
 テーブルの前に戻って朝食の残りを平らげ、片付ける。食器を洗って、掃除機が無いので柄付きモップで埃取りをしたらもうやる事も無く、あとはひたすら霊力が尽きるまで紋の反復練習だ。
 破邪、浄化、自分に六方の壁の紋は瞬時に描けるように。それに飽きたら自作の紋を作って作用させる練習だ。自在に紋を作れるようになれば、きっと今後の仕事でも役に立つ。
 神子でなくなってからも、相変わらず志摩宮は霊的に無敵のようだ。何の霊障も寄せ付けない謎の体質は健在で、おそらく仕事に連れていっても問題は無い。無いだろうけれども、万が一というのはいつでもあるのだ。例えば、志摩宮の謎体質をどうにか出来るレベルの神様と対峙してしまうとか。そういう想定をせずに後悔するのは嫌だ。
 絶対に一緒だと約束したのだ。だから、俺はそれを破らない。
 そして俺は、覚悟を決めた。

「と……染井川さん」

 翌朝、志摩宮が起きた気配を感じて一緒に体を起こすと、志摩宮は少し視線を虚ろにさせた。俺に徹さんと向き合うように仕向けておいて、でも本当は怖いのだろう。俺が徹さんのところに行ってしまうのが。まだ志摩宮は、俺を信じてくれていない。
 それが申し訳なくて、志摩宮の頭をわしゃわしゃと撫でてから、徹さんを呼びつけた。
 俺から呼ばれて返事もせず台所からこちらへ来た徹さんの瞳に、微かに期待の色が見えるのが鬱陶しい。

「もう来ないで」

 俺が言うと、徹さんの顔が一瞬で青褪める。ここまで人の顔色って変わるのか、と感心するくらいの変わり様で、一瞬それに気を取られて呆けた。
 徹さんは表情を失くしたままそこへ立ち尽くして、それから視線を落とし、俺に背を向けた。

「……静汰」

 諫めるような声音の志摩宮を見て苦笑しながら首を横に振る。

「志摩宮は、志摩宮が死にそうな時、俺が「一緒に連れてって」って言ったらどうする?」
「……そりゃ、静汰が望むなら」
「だよな」

 志摩宮の答えに満足して頷くと、徹さんが足を止めた。
 そうだよな。あんたは絶対そんな事出来ないし、言えない。

「染井川さんは絶対してくれないよな。だからもう、好きでいたくない。俺を捨てるような人なんて、」
「出来るわけが無ぇ」

 徹さんは背を向けたまま、低い声で唸った。

「お前を手に掛けるなんて、出来る方がおかしい」
「俺はそんな志摩宮だから傍に居たい」
「自分を絶対に殺せない奴より、殺せる奴を選ぶってのか」
「俺の頼みなら殺すくらいはしてくれる奴だから、だよ」
「なら、……お前を殺せるって言えば、俺もお前の傍にいられるのか」

 ゆっくりと振り向く徹さんの顔は、酷い。笑っちゃうくらい酷い。
 目が虚ろだし顔は青いままだし、夜中に白い服着て歩いてたら浮遊霊に間違えるレベルだ。よく見たら頬が痩けているし、半袖から覗く腕も記憶よりだいぶ細い気がする。
 志摩宮が徹さんを食事に誘うようになったのは、もしかしたら彼の健康状態を心配したからかもしれない。志摩宮を横目で窺うと、見てられないみたいに目を逸らしていた。自分も不安なくせに、どこまでもお人好し。非常識に見えて情に厚くて、実はすごく優しい。こんな奴を、二度と裏切ったりしない。

「俺の右腕はもう一生予約入ってるから」

 俺が志摩宮をつついて言うと、徹さんは今度こそ観念したみたいに、だらりと首を落として笑った。不気味なその様を冷たく見つめ、早とちりだな、と俺も笑う。

「左腕なら空いてるよ。まぁ、仲良く俺をシェアしてくれるなら、って条件付きだけど」
「……」

 俺の言葉を聞いた徹さんが、数秒止まって、胡乱げに眉間に皺を寄せている。考えてる考えてる。そうだよな、まあすぐに了承出来るような条件じゃ──。

「いいのか」
「え」
「それだけの条件で、許してくれんのか、静汰」
「えっと……、え? それだけって、だって俺、……志摩宮とも」
「構わねぇ」
「へっ?」

 一夫多妻だぞ!? と言い出した俺が目を剥くのに、徹さんはその場にへたり込んだかと思うと、顔を覆って泣き出した。いやいや、おかしい。泣くタイミングおかしい。俺に帰れとか嫌いとか言われても泣かなかったのに、なんなのこの人。

「一夫多妻っつーより、多夫一妻っスね」
「いや俺も男だから……じゃなくて」

 志摩宮は泣き崩れる徹さんをどうでもいいみたいに、大きく伸びをしてベッドから降りた。

「落ち着いたら飯よろしくお願いしますね。俺学校の準備してくるんで」

 志摩宮の気にしなさは尊敬に値すると思う。この状況で俺と徹さんを二人きりにして、志摩宮はさっさと洗面所へ入ってしまった。

「あの、染井川さん」
「……少し、待て。すぐ作る」
「いや飯じゃなくて」

 腕でぐいと目元を拭った徹さんは目元を真っ赤にしたまま立ち上がって、また台所で調理の続きをしようとするのでその腕を掴んだ。
 ビク、と止まって振り返る目が、怯えているのに気付いて困惑する。

「なんで怖がってんの」
「やっぱ無し……とか、言うなよ」
「言わないよ」

 俺嘘吐きたくないもん、と口を尖らすと、徹さんは視線を逸らして「そうだよな」と声を震わせた。
 ……ああもう、この状態が続いたら絶対鬱陶しいぞこの人。

「メソメソすんな」
「……」
「俺が好きだった徹さんなら、秒でケロッとして笑う」

 やれ、と睨むと、徹さんは一瞬また瞳を潤ませてから、一度強く目を閉じて、そして目を開けて笑った。

「また、徹さん、って呼んでくれたな」
「そーそー、それ。俺の傍に居たいならそういう人で居て」

 うざったいのに構ってられるほど暇じゃないから、と徹さんの背を叩いて、俺も自分の身支度を整える為に洗面所へ入った。
 先に顔を洗っていた志摩宮が、こちらを向いて「貸しですよ」と俺の唇に人差し指を押し付けてきた。

「ん。好きに使え」
「……今は時間無いんで、帰ってからで」

 台所から、ジュウジュウと肉の焼ける良い匂いがしてくる。今日は生姜焼きか。
 志摩宮は匂いを嗅いで、ふぅと短く嘆息した。

「まさか、俺が餌付けされるとは思いませんでした」

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