痛い瞳が好きな人

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「で、結局あの子と付き合ってるんだって?」

 グラスワインを震わせながら、美也子が楽しげに問うてくる。

「付き合う? ……んー、まぁ、続いてはいるよ」

 柿ピーを噛み砕きながら俺が答えると、同席の三人からクスクスと含み笑いが漏れた。
 つやつやした黒のテーブルを囲み、それなりに容姿の良い美女達と歓談。周りから見ればハーレムだろうが、残念ながら彼女らと俺は同じ側の人間だ。
 SMバー、『錘』。法令ギリギリの明度を保った照明がオレンジ色に店内を照らし、雰囲気満点。四人掛けのボックス席が三つに、カウンター席が八つ。黒と茶で揃えられた内装はSMバーには珍しく落ち着き過ぎた色合いで、興味本位で来店した初心者には些か落胆されるのだと店長が苦笑していた。他店のように壁に鞭や蝋燭が飾られたりもしていないし、店員の制服も露出の少ないボンテージ。都内の華やかなSMバーをイメージしてきた人間にとっては、『どこがSMバーなの?』と首を傾げてもおかしくない。
 この店は、素人よりは経験者に好まれる。俺達が今座っているボックス席も、普通なら奥側はテーブルの突き当りが壁になっているものだが、この店ではテーブルと壁まで50センチ程の距離がある。ボックス席の周りにぐるりと空間が空いている形で、初めて来た時はその不思議な造りに驚いた。だが理由はすぐに知れた、Sに連れられたMが文字通り座って待つスペースなのだ。床材は毛足の短いカーペットで、冬に半裸でもその素材のおかげで寒くない。首輪に繋がれた隣の席のM同士でじゃれあうのを眺めるのが好きなSも多いのだという。その他にも、個室更衣室完備、店員はSもMも経験者のみを雇い入れる等、細かい心配りが心地良い。
 そんな訳で、関東ではあるが首都圏とはいえない、中途半端な立地にありながら、この店は開店から十五年の、この界隈の店では老舗といっていいだろう。
 平日の夜21時半過ぎ、それでもカウンター席は残り一つを残して満席だ。男や女があけすけに性癖を語り、酒のつまみに店員の首輪を引いて嬌声を愉しむ。おおよそ穏やかなカフェのような雰囲気で、今夜も営業していた。

「はい、ユギくん大好き海老焼売。ユギくん来るからって店長が張り切って作ったんだから、いっぱい食べてってね」

 特注の濃い紫色のボンテージに身を包み、唯一の男性店員である紫が蒸籠を俺の前に置きに来た。竹の蓋をとると、もわぁ、と真っ白の湯気が立ち、ほかほかの焼売が姿を現す。

「わっほ、店長最高! 店長大好き! この焼売の次に!」

 歓声をあげて箸を持つ俺に、エミコが「だから予約しときなさいって言ったのよ」と自慢げに笑う。

「はいはい、ありがとーエミコ様」

 焼売を掴む前に、箸先で向かいに座るノーブラにキャミソール姿のエミコの胸の突起をぐりぐりと潰してやる。

「やだ、もう」
「え、抓んで引っ張る方が良かった?」
「そんな器用な事できないでしょ、アンタ」

 挑発されて試してはみたものの、箸が滑って上手く摘めない。早々に諦め、ウェットティッシュで箸を拭いて焼売にかぶりついた。熱い肉汁と海老の香りが鼻を抜けて、とびきり幸せな気分になる。

「あ~……うま。ほんと美味い」

 ぺろりと一個平らげて、二個目に手をつける。この店はフードは乾き物しかメニューにないのだが、店長が料理好きで、店が暇な時にバイトのまかないついでに作って常連に出していた。これもその一つで、何度か食べる度に絶賛したのを覚えていてくれたらしい。倫子に捨てられてからこの店に来るのも久々で、なんとなく面映い。

「ユギくん、男もイケるようになったって本当?」

 焼売を頬張る俺に、珍しく紫が話しかけてくる。

「一応」

 銀髪なのか金髪なのか、薄い色をしたサラサラのボブヘアを揺らしながら頬に手を置く紫は、要とは違う方面にかなり綺麗な顔をしている。鼻が高くて小さく、チョコレート色の瞳はこぼれ落ちそうに大きい。白くすべすべな肌に薔薇色の頬。俺より大きい178センチの細身を差し引いても、初見ではまず間違いなく可愛らしい女の子と間違われる。
 これだけの美人ならカナメの横に立っても違和感がないだろうな、と眺めれば、何を勘違いしたのか紫は赤い頬を更に赤く染め、

「僕、その……どうかな?」

 と可愛らしくくねくねしだして、思わず左横に座る美也子の方に身体をずらした。

「え、紫、男イケんの?」

 斜向かいに座る姫乃が、日本人形みたいな見た目には似つかわしくない、はすっぱな言葉遣いで紫の方に身を乗り出すと、彼はもっともじもじしながら、小さく頷く。

「その、ずっとユギくん可愛いなとは思ってたんだけど、倫子さんのだし、男NGって言ってたから」
「ユギの次のご主人様が男だって言ったら泣き出すんだもん、この子」

 オリーブ色がかった巻髪をかき上げながら、エミコが困ったように眉尻を下げる。エミコは決まったご主人様を持たない主義で、その晩の相手を見つける為によくこの店を利用している。話の種に俺の話題を出したようで、それに紫が食いついた、と。そんなところだろう。

「だって、男は絶対無理って言ってたのに! 倫子さんも、女のお友達には簡単に貸しちゃうのに、俺は男だからダメって言うしっ」

 慌てたように身体の前で平手を振る紫に苦笑する。確かに、見た目も中身もそこらの女の子より可愛い。それでも男だからというだけで選択肢に入っていなかった己の狭量さに。

「……ここで、簡単に、なら別にいいけど」

 紫は、こう見えて緊縛師だ。年に何度か都内での緊縛ショーに呼ばれたり、その手の雑誌に特集を組まれてインタビューに答えたりしているらしい。錘で半年に一度開催している二階大広間を使ってのSMパーティでも、緊縛体験と称したショーは目玉になっている。
 紫の緊縛は何度かショーで見た事があり、その美しさと素早さには感心したものだ。

「ほんと?」

 紫の大きな瞳がキラリと光る。

「上、脱いだ方がいいか?」
「う、うん! あ、待ってて、縄とってくる!」

 バタバタと可愛らしく小走りに、紫がカウンターの奥に戻っていく。何事かと問う店長に、「ユギくん縛っていいって! やったあー!」とはしゃぐ声。身体の大きさと裏腹な無垢さも、彼の魅力なのかもしれない。カウンターの常連が何人か、羨ましげにこちらへ視線を向けてくる。

「浮気するとご主人様に怒られるんじゃないのぉ?」

 姫乃がビールを煽りながらニヤつくのと同時に、俺のスマホがチャットアプリの着信を知らせる。画面を上向けてテーブルに置いたままのそれに、自然と全員の視線が集まり、チャットの始め15文字表示が見られてしまう。

『今日これるか?』

 それだけの文面で、どうやら全員が察したらしい。

「うわ、ちょっと怖い」
「嗅覚良すぎでしょ、あんたのご主人様」
「愛かしら」

 正直、俺も少し引いた。
 カナメとプレイするようになって早半年。半月に一度連絡がくるかこないか、それくらいの頻度だというのに、何故このタイミングで。

「……」

 スマホを裏向けて、見なかった事にする。
 正直なところ、彼とのプレイは今のところ何の問題もない。……無さ過ぎるくらいに。
 カナメに呼ばれたらあのマンションへ赴き、プレイして、寝て翌朝帰宅する。特にプライベートに干渉してくる訳でもないし、アナルを狙ってくる事もない。俺が満足するまで鞭打ちをしてもらったら、カナメが満足するまで全身を使って奉仕する。首を絞められながら閉じた太腿の間で擦られて、失神しかけながらセックスしてるみたいだなぁと思っていたのがつい先週の事だ。
 変にご主人様の趣味に寄せなくてもいいから楽ではあったが、いかんせん頻度としては物足りなさもあった。だから、翌日も仕事がある今日のような日に、錘で飲もうという友人からの誘いにも乗っていたのだが。

「縄、持ってきたんだけど……どうかした?」

 四人の微妙な空気感に、戻ってきた紫が不安げに上目遣いだ。

「別に」
「ユギちゃんがぁ、ご主人様から呼び出しされちゃったのよねぇ」

 スルーしようとしたのに、美也子が余計な口を出す。

「……じゃあ、また今度だね」

 心底残念そうに肩を落とす紫に、いやいや、と慌てて脱ぎかけだった被りの上着を脱いだ。手早くそれを畳んで座席に置き、カウンターとボックス席の間に立ち上がる。

「今日はここで飲んでるから、行くつもり無いし。紫に縛って貰えるなんてラッキーラッキー」

 はい、と彼に背中を向ける。ちらりと見た縄の長さ的に、上半身だけの縛りだろう。やけに細い縄だったが、果たして男の身体なんて縛って楽しんでもらえるだろうか。

「いいの? ……本気で縛るよ?」

 可愛い声に背後から耳元で囁かれ、くすぐったい。

「お願いします、紫様。僕を縛って下さい」

 こんなお願いの台詞も久しぶりだが、意外とすんなり口から出てくるものだ。自分で感心しつつ、肌に触れてくる紫にされるがままになる。

「やっぱり、ユギくんは腕の筋肉が綺麗。胸板薄いのに脂肪が少なくて、でも皮が柔らかくて、いいね」
「女の人と違って凹凸がないから、つまらなくないですか?」

 染み付いた経験が、返答の言葉を敬語にさせる。外気に触れて体温の下がった皮膚の下に、熱の籠もった血が流れていくのを感じた。

「そんな事ないよ。凹凸は作ればいいし……こんな風にっ」

 言うが早いか、ぐぐ、と紫の持つ縄が手首を締め上げた。手首から腕へ、しなやかな縄がするすると滑っていく。背後でまっすぐに伸ばした両腕の表面を、ひんやりとした縄が何度も往復する。俺にはどうなっているのか分からないが、美也子や姫乃、エミコすら黙って見守っているのだから、それなりに見栄えのする縛りなのだろう。流石緊縛師。

「あれ……ユギくん、乳首にピアスなんてしてましたっけ」

 胸側に縄を回そうとしていた紫が、不審そうに両突起にくっついた小さなピアスをつつく。

「ああ、最近開けた」

 正確には、開けられた、だが。フープ状のそのピアスに、女物のネックレスに使うような華奢なチェーンを通して、それをプレイ中ずっと俺に噛ませておくのがカナメの最近のお気に入りなのだ。痛みに身を捩る度に自ら乳首のピアスを引っ張る事になり、気が逸れてチェーンを離せば「仕置きだ」とピアスごと乳首を舐め回される。それを思い出して、思わず身震いする。鳥肌と共に乳首が起ってしまい、違う意味で恥ずかしい。

「うーん……じゃあ、前はやめよ」

 俺のその反応に、紫は面白くないみたいに唇を一文字に結んで縄を背後に戻していく。
 時折ぎゅ、ぎゅっ、とキツく締められる感覚はあるものの、腕に痺れもこないし、苦しさもさほどではない。ものの十分もかからず、「はい、完成」と弾んだ声音で紫が言うと、背後の三人からため息が漏れた。

「綺麗……」
「腕だけっていうの、初めて見たけど。意外と風情があるわね」
「ね、写真とっていい?」

 思い思いの反応の後、パシャパシャと撮影音が続いた。許可なんてあったもんじゃないが、俺も見てみたいので良しとする。

「紫、こっちにも見せてよー」

 店長がカウンターから声を掛けてきて、応じた紫が俺の身体をくるっと半回転させた。カウンターに座った客達からも、美也子達と同じような反応が返ってきて、縛られているのは俺なのに、自分で見られないのが悔しい。

「なぁ、俺も見たい」
「待ってユギくん、動くと危ない」

 座ったままの美也子のスマホから写真を見ようと身を乗り出すと、途端に腕の縄がきつく締まって、一瞬息が詰まる。

「っ、う、ぁ」

 緩くはないがキツくもなかった縄が急に腕に食い込み、海老反るかと思う程引っ張られた。

「ふふ、暴れると締まるように縛ったから、危ないよ。……ほら、力抜いて、ゆっくり身体まっすぐに戻して?」

 呻く俺を見てくすくすと笑うのを、やっぱりこいつもSなんだと思い出す。可愛らしくしていても、本性は人が苦しむ顔が大好きなドS野郎だ。縄の調整をし直そうと、俺の身体を反転させる為にピアスを引っ張られて腰が跳ねる。すんでのところで声を出すのは抑えられたが、完全にスイッチの入った俺の姿を、エミコが爆笑しながら連写しているのを視界の端に捉えた。くそ、馬鹿にしやがって、お前らだって同じ事されたらこうなる癖に。
 縄のたるみを直した紫が、俺の腕を撫でる。その違和感に震えたのを、彼はどうやら俺が喜んだと思ったらしい。縄の上を、彼の細い指がなぞっていく。
 違う。カナメなら、こういう時は真っ先に腕にキスしてくる。背後から抱き締めて、「逃げてみろ」と挑発してきて、それに乗った俺が身体を捩って不様に倒れ、その上に馬乗りされて……。経験した事もないのに容易に想像できて、彼の吐息を思い出す。
 カナメに、会いたいな。
 チャットを無視したばかりなのに。明日も仕事なのに。彼の指を思い出し、身体の奥が疼く。

「ちょっと姫乃、やめときなさいよ」
「いーじゃん、嫉妬心メラメラのプレイもなかなか楽しいって」
「いや、さすがにそれはアタシでもひくわー」

 三人が何やら静かめに言い争うのが聞こえて、紫と共にそちらを振り返った。
 何事か問う前に、テロリンリン、と聞き覚えのあるメロディが流れ出す。チャットアプリで使える、無料のIP電話の着信音だ。この店で聞くのも珍しい事ではないが、どうやら間近から聞こえてくる。と、いうか……。

「え、俺の? っていうか、なんで姫乃が持ってんの」

 テーブルに置いたままにしていた筈の俺のスマホを握る姫乃と、バツの悪そうな表情の美也子とエミコ。言い争いの理由がソレなのだと悟り、慌てて取り返そうとするも、両腕は縛られたままだ。

「紫、ごめんもう解いて」
「えぇ~、せっかく綺麗にできたのにっ」

 残念そうにしながらも、紫はすぐに縄を解き始めてくれる。その間、IP電話の着信音がきっかり30秒、鳴っては止まり、鳴っては止まり。合間にチャットの着信音まで挟んで、やけに騒がしい。

「姫乃」
「……写真、送っただけ。腕しか写ってないのに」

 悪い方面に予想通りで、頭痛を覚えた。縛る時間の半分程かかってやっと縄が解けた時には、美也子が取り返してくれた俺のスマホ画面は、チャットログがずらりと不在着信で埋まっていた。

「紫、洗濯バサミ。今いる客の数」
「あいあいさー!」
「エミコ、姫乃脱がして、客全員に洗濯バサミで挟んでもらって。終わったら写真撮って姫乃のご主人様にメール添付よろしく」
「りょーかぁい」

 ひぇ、と若干姫乃が青褪めていたが、無視してチャットログを遡る。
 先程のカナメからのチャットの後に、写真が添付されていた。ごつい腕が、赤く細い麻縄で縛り上げられている。飾り縄とでもいうのだろうか、よく見る、固定する為の縛りではなく、魅せる為の縛りのようだ。贈答用の水引みたいだな、とセンスの無い感想は飲み込んだ。だが確かに綺麗だな、と暫し見惚れたが、そこにまた着信を知らせるポップアップが表示される。

「……あのさ」
『殺すぞ』

 応答ボタンを押してスマホを耳に当てた途端、地獄からの死者かと思うようなどす黒い声が流れ出てきた。カナメからだよな、と一度耳から離して確認して、再度耳に当て直す。

「カナメ?」
『どこに居る。殺す』

 こりゃダメだ、と通話を切った。すぐさま着信のポップアップが開くが、スワイプで消してチャットログを辿る。写真のすぐ後に、『これあんただよな』と返ってきている。驚いた事に、どうやら腕だけで俺だと気付いたらしい。やはりちょっと、怖い。その後三度程の不在着信を挟み、『今撮ったやつか』『誰が撮ってる』『殺すぞ』と続き、そこから最新まで不在着信がズラリと並んでいた。そうしているうちにも、不在着信が増えていく。

「えーと、『友達とSMバー来てて、店員に縛ってもらった。綺麗だから友達が送ってくれた』っと」

 チャットを送ると、すぐさま既読マークがつき、着信がやっと止んだ。
 ホッとため息を吐き、通路で立ったままなのに気付いてボックス席に座り直した。上半身を裸にされた姫乃が、豊満な乳房にいくつも洗濯バサミをぶら下げ、調子に乗ったエミコに首輪をつけられて店内を引き回されているのを鼻で笑う。肉体的な痛みが苦手な姫乃は涙目だが、沢山の客に嘲笑されてそれなりに喜んでもいるだろう。

「大丈夫?」

 席に残っていた美也子が心配半分興味半分といった体で聞いてくる。誰のか分からないがテーブルに残っていたビールをぐっと飲むと、半笑いで首を振った。
 また着信音が鳴り、美也子に目で断って通話に出た。

『どこの店?』

 聞き慣れた甘い声に戻ったカナメに、内心安堵した。

「川口の『錘』って店」
『……今日は、無理なのか? 明日は?』
「ごめん、仕事」
『……そうか』
「うん」
『……』
「それだけ? ならさ」
『あった』

 もう用がないなら切っていいかと、切り出そうとした時、カナメの声がややトーンが上がった。

「あった? 何が?」
『店のサイト。今から準備して行くから……三十分くらい』
「は?」
『埼玉方面あんま行かねぇから、プラス十五分くらいみといて。駅前だし駐車場無いよな。店の前着いたら連絡する』
「えっ、ちょ」

 プツリ、通話が切れて無音に戻る。今のはつまり、来るという事か? ここに?
 通話内容を反芻しつつ、そう結論付けたはいいが。来て、どうするのだろう。カナメの声は先程と違って怒っている様子は無かった。お仕置きだのなんだの言い出す雰囲気ではないと思うが、果たして。

「どうかした?」

 通話を終えて考え込む俺に、美也子が聞いてくる。姫乃を止められなかった手前、若干の罪悪感があるらしい。

「あー……いや、なんか、来るらしい」
「来る? ここに?」

 あらそうなの、と美也子は落ち着いているが、俺はそうもいかない。なにしろカナメはテレビに出ているような有名人なのだ。普段テレビを見ない俺がたまたま職場で見ている時に気付くレベルなのだから、おそらくミーハーなエミコや姫乃が知らない訳がない。
 カナメがここに顔を出すと知れば、当然ひと目見ようと店の前までついてくるのは明らかだ。どうしようか、頭を抱えた俺に、美也子が助け舟を出してくれた。

「私、あと一杯飲んだら帰るから。駅まで送って」

 にこ、と穏やかに笑むのを見て、ご主人様を紹介したくないのを見抜かれていると確信した。
 酔い覚ましにカシオレちょうだい、と追加注文する美也子に引きつつ、カナメへ『そろそろ解散だから川口駅西口のロータリーに来て』とチャットを飛ばす。美也子と他愛無い雑談をしているうちに既読マークがついたから、電話してから40分程で会計をして店を出た。この店から駅まで歩きで3分程だから、ちょうどカナメが着く頃合いだろう。
 姫乃はエミコに遊ばれている途中で相性の良さそうなSといつの間にか消えたそうで、エミコは店長や常連達と蝋燭遊びに興じていた。

「エミコに挨拶してかなくて良かったのか?」
「挨拶してもしなくても忘れてるわよ」

 キャメルのチェスターコートに黒いマフラーを巻き、黒いタイツにボルドーのヒールを履いたシックで垢抜けた装いの美也子の隣で、学生時代から愛用する紺のダッフルを着た俺は、周りからは釣り合わないカップルだとでも思われているだろうか。駅前通りは深夜でもそれなりの賑わいで、美也子に声をかけようとしたナンパ師らしき男達が、隣に連れた俺の姿を見て舌打ちをする。

「……ほんとに駅まででいーの? うちのご主人様、たぶん頼めば送ってってくれるよ?」

 マゾだから、というだけで範囲外に居る美也子が、そういえば美人なんだな、と思い出して、途端に心配になる。

「ユギ、あなた私を美人だって忘れてたんでしょ」

 ズバリ確信を突かれ、唇を引き攣らせながらもイヤイヤまさか、と首を振ってみせた。

「そんな事は……」
「倫子様から聞いてるのよ。『ユギに私を褒めさせると、髪から足先まで一つ一つ褒めていくのに、顔だけは褒めないの。あの子に私の顔は映ってないのよ』って」
「いや、それは、倫子が美人なのはパッと見で分かるし」
「パッと見で分かるほど綺麗な顔に、興味がないのよね」

 ぐ、と言葉に詰まる。他のマゾにご主人様が美人で羨ましいと言われた事があったが、それがどうしたのかと首をひねったものだ。Sに求められるべきはプレイの質であり、美しさは付加価値にはなるかもしれないが、絶対条件ではない。

「あ、でも」

 ふとカナメの事を思い出し、なんとはなしに口にする。

「今のご主人様、かなりのイケメンだよ。てか、たぶんイケメンじゃなかったら男とか無理だし」

 顔に興味が無いわけではないのだと、否定してみる。何故だか、肯定すると男として駄目な気がするから。

「そのイケメンって、もしかして、アレ?」

 美也子がすっと腕を上げて指差した先に、はたしてその男がいた。
 杢グレーのピーコートにダボッとした腰履きジーンズ姿のラフさ。なのに、何故か花束か星屑でも背負っているようなキラキラはなんなのか。スマホ片手によぅ、と片手を上げる仕草も様になる。華々しい雰囲気なぞ背負った事のない俺は殺意が湧いたが、サングラスもマスクも無しでいいのかと内心焦る。

「……嘘、じゃないのよね」

 どうやら、やはり美也子はカナメの事を……いや、『小鳥遊メロ』を知っているらしい。だが、さすがは空気の読める女。こんばんわ、と営業モードで華々しい笑顔を振りまきながら声を掛けてきたカナメにも、動じずこんばんわ、と返している。

「どうも、初めまして。俺、ユギの主人の」
「と、も、だ、ち、の! カナメ、な」

 言い方を考えろ、とカナメを睨みながら、

「カナメ、車は?」

 駅前ロータリーはタクシーと人待ちの一般車でそこそこの混みようで、時間的に警察の巡回もある筈だ。運転手であるカナメが車を離れてしまっては、最悪駐禁をとられる。呼んだ手前、不安になって聞くが、珍しく顔を曇らせた。

「……あっち」

 彼の指差す先に、いつもの黒いセダンは見えない。首を傾げると、頬を掻きながら不服そうにカナメは言葉を足す。

「あの、黒い、オンボロ……」

 立ち話も不自然なので、三人でその車の方へ歩み寄るが、カナメはあからさまに嫌そうだ。

「親父のコルベット借りてこうと思って実家寄ったら、色々あって俺の車とられて、これ乗ってけって……」

 近寄るにつれ、よく見えてくるその角ばったフォルムに、三人のうち一人だけが歓声をあげた。そう、俺だ。

「サンイチだ! うわ、こんな近くで見るの初めて。っていうか、ちょー綺麗っ」 
 
 R31スカイライン。しかも限定生産八百台のGTS-R。全体的に角ばったフォルムに長いノーズ。スカイラインの名を冠してはいるが、『鉄仮面』と渾名の付いたバブル世代に大人気の30スカイラインと、若い走り屋達に大人気な32以降のスカイラインの間に挟まれ、一部以外には空気扱いされている可哀想なスカイライン。人気の無さが祟って、平成のエコカー減税実装により廃車が相次ぎ、早くも希少車入り、プレミア化してきている。
 高速道路が近いからか様々な車種が来店する今の職場でも、年に2、3台見るかどうか。嬉しそうに走り寄る俺に、カナメも美也子も不思議そうな表情だ。
 まあそうだろう。車好きでもない一般人から見れば、この車はたぶん『ただの古い車』。だが、車好きが高じて整備士免許をとって車関係の仕事に就いた俺にとっては、有名ブランドのバッグより時計より、輝いて見える。

「外装すっげ綺麗、つやっつやじゃん。そうそう、サンイチあたりは下手にエアロつけると下品になるからノーマルが一番かっこいいよなぁ。足回りも純正? 内装も……あ、木目モモステか。似合うな~」
「サンイチ? ……モモステ?」
「なに、呪文?」

 ドン引きしたような二人の顔に少し傷付くが、まあ仕方ない。少しはしゃぎすぎたか、と何でもない風を装って「親父さん、良い車乗ってるなってこと」と落ち着きを取り戻す。

「良い車……なのか?」

 これが? とカナメがボンネットにぽんと手のひらを乗せるのを見て、ひゃっと声をあげてしまい、カナメが目を丸くした。

「な、なんだ?」
「いや、その……塗装、黒だから、素手でもうっすら傷付くかもしれないし、っていうか指紋つくし、手のひらは……」

 自分でも言っている事が大げさだとは思うが、借り物の車、しかも持ち主の愛が垣間見えるツヤピカ希少車。俺がドン引かれて線キズ一本が減るなら安いもの。

「あなた、車好きだったのね」

 美也子がくすりと笑ってくれたおかげで、なんとか空気が凍らずに済んだ。ありがとう美也子。申し訳なく目線を向ければ、心得たりとばかりに肩を竦め、

「じゃ、私電車で帰るから。楽しかったわ、またね」

 可愛らしく小さく手を振り、美也子はすたすたと駅の方へ歩いて行った。

「綺麗な子だな」

 その背を見送りながら、カナメが呟く。

「ん? 気に入ったんなら紹介するけど。いい感じにバランスとれたマゾだから、結構倍率高いよ」
「そういう意味じゃねえよ」

 フンと鼻を鳴らし、カナメはさっさと運転席の方へ回っていく。お邪魔します、といつものクラウンより気を遣って助手席のドアを開け、シートに滑り込んだ。
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