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あのころ、バナナってね
しおりを挟む『バナナ騒動』が起きたのは、六十五年も昔、昭和三十三年のことだった。
和子が住んでいたのは、田畑が広がり、漁師さんもたくさんいたところだったが、海を埋め立てて大きな工場が次々と建設された。
その工場で働く人たちがたくさん住むようになると、社宅も次々に建っていった。
だから、和子の通う小学校は、校舎も新しく大きくなり、いつもいつも転入生であふれていた。
和子が一年生の時は三クラスだったのに、四年生の今は、五クラスになっているのだ。
だから転入生は珍しくなかった。
だけど、その子、白川奈々さんが、始業式を終え、先生に連れられて教室の前に立った時は、みんなぽかんと口を開けた。
この辺りの子とはまったく違う空気をまとっていたのだ。
先生が黒板に書いた名前を見た和子は、
(白川奈々やて! うわー、ええなあ。女優さんみたいやなあ)
自分の『村井和子』とは雲泥の差。
しかも、その容姿がまさにモデルのようだと思ったのだ。
色白で、目がくりっとして、ちょっとカールした髪の後をリボンでとめていた。
そのリボンがなんと、レース。
和子がねだっても買ってもらえないものだ。
制服の紺の上着の下から見えるスカートは、水色のフレヤースカートだ。
和子は、くるっと回るとバレリーナのようにふわっと広がるスカートをはきたくてたまらず、
「縫って、縫って」
って何度頼んでも、お母さんは、
「あれは生地がたくさんいるから贅沢や」
と、まったく相手にされないのだ。
奈々さんは、和子たちに一番人気の雑誌『少女』の表紙から抜け出てきた『松島トモ子』のようだった。
次の休み時間になると、奈々さんの周りにはいっぱい女子が集まった。
「どこから来たん?」
「東京なの」
「家はどこなん?」
「学校の前のね、ミツビシの社宅なの」
「家族は?」
「パパとママと妹」
パパとママなんて言葉を、現実に初めて聞いたみんなは、お互いの肘をつつきあった。
教室に花が咲いたようだった。
背は和子と同じくらいだ。
「並ぶときは、村井さんの前で。村井さん、いろいろ教えてあげてな」
そう先生に言われた和子は、はりきった。
翌日の朝礼で、男子に異変が起こった。
奈々さんの横には一人もいないのだ。
五人分ほど空けて並んでいる。
どの顔も困ったような恥ずかしいような変な顔。
もぞもぞお互いを見合っている。
和子の横までも、だれもいなかった。
先生がやってきて、ものすごくおこったので、なんとか並んだけれど、真横にならんだ男子はずっとうつむいていた。
五月、和子は、二人で学校から帰っていた時、誘われて奈々さんの家に行った。
(ホントは寄り道したらあかんのやけどなあ)
奈々さんの『ママ』も本物の女優さんみたいだった。
出してもらったおやつがクッキー。白いお皿の上に、花模様のついた紙が敷かれている。
「これ何?」
「ナプキンよ」
(東京ではこんなものに乗せてお菓子を食べるのか!)
ごわごわのちり紙ではない初めて見る薄い紙に目を見張った。
クッキーもママが焼いたそうだ。
しかも、横には半分に切ったバナナがのっていたのだ。
(東京の子は、病気ちゃうのにバナナを食べられるのか! 私なんかへんとうせん腫らして熱出たときだけやもんな)
果物はすべてすっぱいものなのに、バナナだけはとびきり甘い。そしてとびきり値段が高いのだ。
それに紅茶。きちんとおわんとお皿(後にカップとソーサーだと知った)で、一度だけお父ちゃんに連れて行ってもらった喫茶店みたいだ。
和子は、毎日奈々さんの家に行きたいと強く念じた。
奈々さんは勉強も運動もできて、みんなと少しずつなかよくなっていった。
運動会が終わると、待ちかねた秋の遠足だ。
春は、歩いていく漢字通りの『遠足』で、秋だけバスに乗っていく。
誰もが一番楽しみにしている行事だ。
四年生は動物園に決まっていた。
そして、その前の楽しみが何といってもおやつ。
前の日のお菓子屋さんは、笑い合う子どもたちであふれていた。
たいていの子は一日五円のおこづかいでやりくりしているので、五十円で何を買うか、どの子も真剣に悩むのだ。
和子もチョコレートを買いたかったけれど、友だちと替えっこできるようにと、知恵をしぼり、しぼりきった。
秋晴れの動物園。お弁当の時間になった。
和子の班の六人はサル山の前で、新聞紙などを敷物にして広げた。
奈々さんも一緒の班だ。
「お母ちゃん、おにぎりとたまごやき、肉団子も入れてくれてるかなあ」
和子がそう思いながらワクワクとお弁当を広げた、そのとき、
「キャー、バナナや!」
悦子さんがボスザルのような叫び声をあげた。
「どないしたん? えっちゃん」
「白川さん、バナナ持って来てる!」
その声におどろいた奈々さんは、真っ青な彫刻のようになっている。
和子は、そのお弁当を見た。
かわいいお弁当箱の上にバナナが一本、ちょこんと乗っていた。
「バナナなんか持ってきたら、それだけでおやつ代の五十円超えてまうやんか!」
「わあ、違反や! 違反や」
「白川さん、おやつもちゃんと持って来てたやん」
男子もわらわらと集まってくる。
「ずるいぞー」
どの子も一本のバナナに興奮して大騒ぎ。
奈々さんは、声も出ず泣きだした。
サル山の前に子どもたちの山ができる。
誰かが呼びに行った先生が走ってきた。
「お母さんが入れてくださったんやなあ。家へ持って帰って食べような」
奈々さんは、うなずくと、ぽたぽたと涙を落としながら、バナナをリュックに入れた。
奈々さんの横にいた和子は、
(ええなあ、バナナ、食べたいなあ。ほんでもあんだけワーワー言われてかわいそう。おサルもびっくりしてるわ)
そう思いながら、元気のない奈々さんを悦子さんたちと、あっちこっち連れてまわった。
奈々さんは、翌年の三月、また東京の小学校へ転校した。
(あんなかわいい子ばっかの東京やもん、心配せんと暮らせるね。
東京やったら、バナナも遠足にも持って行けるんやろな)
さびしかったし、おうちへ行けないのはものすごく残念だったけれど、奈々さんのために喜んだ和子だった。
今、スーパーで、バナナを一房かごに入れたのは、すっかりおばあさんになった和子である。
(助かるわあ。一年中お安くって)
子どもの時の憧れの的だったバナナを思い出してしまう。そしてあの『バナナ騒動』も。
クスっとつい笑って、
(あの頃、バナナってホント憧れやったよねえ。奈々さんお元気かなあ)
なんて思いながらレジに向かった。
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