歩けども 歩けども

はまだかよこ

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歩けども 歩けども

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 75歳のタカシは、長年勤めた会社をリタイアしたあと、近くでのアルバイトもやめた。時間は持て余すほどできたが、特に趣味もない。困ったことに、最近膝が痛くて辛い。しぶしぶ受診した整形外科医に
「少し歩いてください」
 と言われた。
(運動不足だよなあ。ウオーキングでも始めるか。ちょっと面倒だなあ)
 などと考えていた頃だった。真夜中にトイレに起きて、眠れなくなってしまい、なんとなくテレビをつけると通販の画面だった。
(夜中に物売りつけて、買う奴なんているのか)
 チャンネルを替えようとリモコンを持った途端、
「健康のために歩きましょう。そのためには是非この腕時計型の万歩計を!」
 健康そのものの男女が、笑顔を振りまきながら勧めていた。その画面を、タカシはぼーっとながめていた。
(ちょっと高いかなあ。まあ、帽子とマイボトルも付くからいいか)
 はっと気づいたら、スマホで注文を終えていた。早速届いたものは、なかなかかっこいい。歩数だけでなく、体温、心拍、血圧、血中酸素まで測定できるという。
 少し気遅れするが、帽子を被ってみた。
(ちょっと派手だな、まあ、野球帽はこんなものか)
 そう思いながらも悪い気分ではない。お茶をボトルに入れると、なんだか歩きたくなった。
(まず少しだけ)
 そう自分を励ますと、黙って、朝早く近くの公園まで行ってみた。住宅街の中で、桜のつぼみがはじけそうだ。こんなに朝早くても歩いている人は結構いるものだ。犬の散歩の人も多い。
(膝が痛いけれど、まあ大丈夫だろう)
 すっかり気分良くなって腕を見ると、「2000歩」を超えている。
(あー、このくらいなら楽勝だな)
 しばらく朝の散歩を続けた。膝も調子がいい。同じ時間帯だからかなんとなく顔見知りの人とも、
「おはようございます」
 あいさつを交わすようになった。腕時計の万歩計も使い勝手が良い。血圧などもあまり気にしたことがなかったが、すべて標準値に収まっていて、若返った気がする。少しずつ散歩の時間を伸ばし、昼間も歩くようになった。
 「3000歩」「5000歩」と伸びていくのもうれしい。膝の痛みもなくなった。
 散歩の時間が長くなっていくタカシに、妻のカナ子は
「過ぎたるはなんとかよ。ほどほどにしてね」
 と眉をひそめているが、
「はいはい」
 そうかわしながら、やめる気は全くなかった。
 毎日、ゆっくりだが意気揚々と散歩を続けた。雨が降っていても少し小降りになると出かけて行った。

 季節は移り、桜の緑の葉も紅く色づき始めた。不思議なことに、その万歩計の腕時計をしている高齢男性をよく見かける。
(流行してるのかな。いや、いい物を買ったな)
 それもなんか誇らしかった。よく出会う人に
「毎日歩いておられるんですか?何歩くらい」
「いやあ、まだまだですよ。せいぜい7000歩ですわ」
「僕はやっと8000。一万はいかんとね」
 そんな会話を交わして別れる。タカシは
(一万歩か、この調子ならいけそうだな)
 それから『一日一万歩』が目標になった。

 近所だけでなく、住宅地を離れ山の中に入って行くようになった。タカシの住む住宅地は、山を崩して造成したところだが、こんな近くに鬱蒼とした自然が残されているとは知らなかった。
 その日も、タカシは気分よく山道を登って行った。腕の万歩計は「9900」を表示している。
 まだ太陽は高いけれど、まもなく山の後ろに隠れるだろう。秋の日暮れは早い。目を上げると、小高い丘の開けたところに、今風の建物を見つけた。
「こんなところにカフェ?」
 ていねいに刈り込まれた芝生の庭園が少しあり、赤い屋根と白い壁の、童話から抜け出てきたような遊園地にありそうな館だ。
『楽しくウオーキングしませんか』
 と、木のプレートが出ている。タカシは首をかしげながらも、カララーンと鳴るベルの音とともにドアを開けた。奥へ続く廊下が動いている。
「は?へ?」
 声にならない声の後、
「ごめん下さい」
 大きな声を奥へ投げた。
 そのとき、腕の万歩計からシャラーンという爽やかな音と共に、
「いらっしゃいませ。どうぞおあがりください。前へお進みくださいませ」
 美しい女性の声がした。
「いや、その、は?どうも。へ?」
 廊下が動いている。ジムなどでみる『ウオーキングマシン』になっているのだ。気合を入れて歩かなければ前に進まない。タカシは前のめりになりながら歩いていった。奥行きがある建物のようで、スロープが二階へと続いている。その廊下の両側には木製のドアが並んでいる。
(こりゃホテル?)
 廊下はすべてウオーキングマシンだ。その一つから出てきた人は、タカシと同じ帽子を被っていた。腕の万歩計から、また美声が聞こえる。
「どうぞ207号室へお入りください」
 ちょうど横の部屋だ。タカシが恐る恐る入ると、清潔なビズネスホテル仕様になっている。流石に床は動いていない。また、万歩計が鳴る。
「お食事の用意ができました。一階のダイニングへどうぞ」
 あまりに驚いたのですっかり忘れていたが、確かに空腹だ。こわごわ廊下に出ると、それぞれの部屋から三々五々人が出てきて、ウオーキングマシンのスロープを下りて行く。そこは、気持ちの良い広やかな部屋で、バイキング形式の料理が並べられている。すべてセルフサービスのようで、スタッフらしい人はいない。
(後で高額な請求が来ないのだろうか?遅くなってカナ子が心配しているだろう)
 メールをしようと思うが『圏外』になっていた。いろんなことが頭に浮かぶのだが、なんかすべてがどうでもいいことのように思えてきて、そのうち忘れてしまった。
 和風の総菜を盛ったトレイを持って四人掛けのテーブルに座る。それから、正面の男性に声をかけてみる。
「初めまして。いやあすごいところがあったんですなあ」
「気持ちいいですよ」
「体の調子がいいんです、ここにいると」
「食事はうまいし、体を動かしているのでよく眠れる。最高ですな」
 高齢の男性ばかりだし、アルコールも自由で、気兼ねなく話が弾む。
「とにかく健康のためにはウオーキングですよ。歩けば怖いものなし、ウハハハ」
 元気な会話があちこちで聞こえる。タカシもこんなに快適な日は久しぶりだ。
「ところでどのくらい歩いておられますか」
「この万歩計では、「9999歩」なんだよなあ」
 それが、タカシもとても不思議だった。次の日から毎日毎日、廊下を何周しても「9999歩」なのだ。

 何日経っただろうか。ある時、心地よい疲れにベッドに横になり、重くなった瞼で窓から見える景色をゆったりと眺めていた。その時、突然、得体のしれない恐怖が背中を這った。その景色に『違和感』を感じたのだ。山の様子、樹々、空、雲すべてに現実感がなかった。人工的な、あえて言えば、そうだ!CGを見せられているような感覚に襲われた。そして、全く忘れていたカナ子のことを思い出した。
(俺はここで何やってるんだろう、心配してるだろうな。連絡もせずに)
 タカシは居ても立ってもおれなくなって、夜が更けて皆が寝静まるのを待った。何者かに襟首をわしづかみにされて引き戻されるのではないかと、恐怖が襲ってくる。全身に嫌な汗が流れる。玄関のドアノブを必死でつかんだ。がたがたと震えていたのに、ドアはあっけなく開いた。
「えっ」
 そこには入って来たときと全く変わっていない景色が広がっていた。太陽がほとんど沈みかけているだけだ。ふり返るとあの館は跡形もなく消えていた。
 シャララーン
 腕の万歩計が、「10000歩」を表示した。
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