魔法道具はじめました

浜柔

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第六八話 それでも時は流れ続ける

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 ルゼは厩で立ち尽くしていた。習慣で来てしまったが、もうセウスペルは居ないのだ。ガランと静まり返ったその風景はセウスペルを失った心に重なる。涙が出そうになるのをぐっと堪えて気合いを入れる。来てしまった以上は厩としての最後の掃除である。
 今後、馬を飼うことは無いだろう。どんな馬を飼ってもセウスペルほど愛せはしない筈だ。それだけセウスペルは特別な存在だった。
 特別だからこそ世話を続けられた。そのセウスペルであっても世話が大変だと思ったことがあるのだ。他の馬だと世話を続けられる気がしない。
 それに、累造が考案して馬の代わりになる無骨な鉄の塊を作っている。あれは何て名前だろうか。乗り心地は改善しなければならないようだが、遠出をしなければ問題無さそうである。その遠出をする必要も、もう無い。
 だからここは厩では無くなってしまう。

 厩の掃除を終えたら湯浴みをする。馬の世話をしなくなることで湯浴みも必要なくなるのだが、朝の湯浴みは続けたい。その方が気分がすっきりするのだ。
 湯浴みが終わればチーナに朝の挨拶だ。
「おはよう、チーナ」
「あ、店長……、おはようございます」
 チーナが安堵したような表情を見せた。いつもと同じようにできていたらしい。

「累造。累造、そろそろ起きな」
 累造はまだまだ夢の中だ。
 暫くその寝顔を見詰めた。セウスペルにとって累造が特別だったのは昨日の光景を見ても明らかだ。理由を知りたくないと言えば嘘になる。累造に聞けば判るのだろうか? だが、聞くのも少し怖い。
 あれこれ考えている内に累造が目を覚ました。
「おはよう、累造」
「おはようございます」
 ここで、先程浮かんだ疑問を思い出した。
「聞きたいんだけど、あの馬車を引いていた機械はなんて名前なんだい?」
「あれは、魔動機を使っている三輪車なので魔動三輪ってことにはなるんですが……」
 累造がそこで考え込んだ。「バイクやスクーターと言うのもなぁ」などとぶつぶつ言っている。
 暫くして、良いことを思いついたとばかりの顔をした。
「新しいものには造語が付きものですから、いっそ全く関係ない名前でもいいのではないかと思うわけです」
「まあ、そうだね……」
 何を前置きしているんだかと声音に出てしまった。それに気付いたのか累造が若干目を逸らす。
「『セウスペル』でどうでしょう?」
「へ?」
「きっと商品として売り出すことになると思いますから、その時に『セウスペル』の名前で売れば良いと思うわけです」
 少し心がざわついた。セウスペルは鉄の塊じゃないと叫びそうになった。しかし累造の言葉には続きがあった。
「それならセウスペルの名前が後世にまで残りそうじゃないですか」
 心がざわついた。直前までとは逆の向きにだ。寸前まで負に振れていた分だけ余計に感極まってしまった。
 セウスペルの名前が後世に伝わる。それは何と素敵なことなのか。
 知らず涙が溢れ、頬も緩んでしまう。
 累造は自分で言っていながら少し照れている。
 その様子がまた少し可笑しかった。

  ◆

「これを、あっしにでやすか?」
 水晶のネックレスである。ルゼ、チーナ、ニナーレには朝食後に渡してしまっている。
「はい。誰かのプレゼントにでもして貰えれば、と」
「そうでやすねぇ」
 累造に悪意が無いのは判るのだが、ショウとしてはこれを貰っても扱いに困る。
 例えばルゼに渡した場合を考える。恐らく貰い物だと告白してしまうに違いない。するとどうなるか。
 安物でも自分で選んだものを贈って欲しかったね。
 そう言われること必至だ。
 他の女性でも似たり寄ったりだろう。
 だからと言ってお土産は累造の気持ちだ。断るのは気が引ける。
 いや、実に困った。
「じゃあ、有り難く戴くでやす」
 困ってもここで受け取らない選択は無いのだった。

「それはそうと、冷蔵庫はもう売り出されてやすよ」
「あ、そうなんですか?」
「五〇〇〇万ツウカだそうでやす」
 照明と違って冷蔵庫は代替品が無いために高額設定となっている。累造への代金も一台分七枚で五〇〇万ツウカだ。加えて、上質の木材を使っていて加工に手間も掛かっている。売値には利益も随分と上乗せされているのだろう。
「それはまた、高額ですね」
「それでもぼちぼち売れてるそうでやす。その内にもっと安い木材で、魔法陣も一枚で済むようにするのだとか言ってやした。そうなったらもっと安く売るんでやしょう」
 つまり、断熱の魔法陣を必要としないものを目指しているのだ。
 累造は商人の逞しさを感じた。

  ◆

 何かをしていないとセウスペルのことばかりを考える。ああしていれば、こうしていれば、そんな想いだけが浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
 だから今日もルゼは店に立つ。
 それでも考えずにはいられない。

 一見では普段通りで、朗らかな様子を見せることもあるルゼだが、日頃接している者からすればその憔悴は明らかであった。
 皆は心配して休息を勧めたが、ルゼが拒否する。無理強いもできずにただ見守るよりなかった。
 そんな陰を背負っているようなルゼの様子は客にも容易に判るらしい。
「元気ないけど、どうかしたの?」
「そんな風に見えるかい?」
「見えるよ。どうにも辛気くさくていけないねぇ」
「セウスペルが亡くなったんでやす」
 ショウが代わりに答えてしまった。
「セウスペル? ああ、あの馬ね。随分長生きだったようだから、大往生なんじゃないの?」
「大往生……」
 反応の鈍いルゼの様子に、処置無しとばかりに常連客は首を横に振った。

「やあ、ルゼ。今日の君も愛おしい」
 常連客と殆ど入れ違いのようにしてケメンが訪れた。腕には箱を一つ携えている。
「いらっしゃい……」
 心ここに有らずと言った風情のルゼに、一瞬言葉を詰まらせたケメンはショウを見やった。だが、ショウは首を横に振るだけだ。
 一度息を吐き、気を取り直すように息を吸ってケメンはルゼに話し掛けた。
「ルゼ、今日は君にこれを持って来たんだよ」
 ケメンは箱をルゼに差し出して蓋を開けた。虚ろに箱の中を見たルゼの目がみるみる見開かれる。
「これは!」
「そう、セウスペルの鬣と蹄鉄だよ」
 ルゼは両手で口を押さえ、ぼろぼろと涙を零し始めた。
「セウスペル……」
「彼の遺品だ。君が持っているのが相応しいだろう」
「ありがとう……。ありがとう、ケメン」
 ルゼはセウスペルの鬣を握り締め、ただただ涙を流し続けた。

「ケメンさん、ご相談したい事があるのですが……」
 累造はケメンが訪れているのを聞いて降りてきたのだ。ルゼが泣き崩れているのが気になりはするが、ケメンやショウに任せておけば大丈夫な筈だ。
「相談って何だい?」
「ゴムを加工して欲しいんです」
「ゴム? ああ、水漏れ防止なんかに使うものだね?」
「そうですね、これなんですけど……」
 累造は持ってきていた生ゴムを見せた。
「これをどうすると言うのかい?」
「靴底や車輪に使いたいんです」
「ん? それは無理じゃないのかい?」
「はい、そのままでは無理です。ですが、加工すれば使えるようになります」
「加工すれば、ね……」
 ケメンの笑顔がまた五割り増しになった。
 累造は上を指差す。
「これ以上は上で」
「そうだね」
 具体的な話をしたい二人だったが、ルゼをそのままにしておけない。先に、愚図るルゼを宥め賺しながら部屋へと送り届けた。ルゼの面倒はチーナとニナーレに頼んだ。

 そして、累造とケメンは食堂で向かい合っている。
「それでは話を聞かせて貰おうか」
 ケメンに促され、累造は生ゴムを取り出して話を始めた。
「ここに有るのは生ゴムですが、これに硫黄を加えて加熱すると弾力が出て丈夫にもなります。硫黄の量を増やせば固くなります」
「それでどんなものが作れるのかい?」
「伸び縮みする紐とか、パッキンとか、靴底とかです。伸び縮みする紐はパジャマやブラジャーに使うと着心地が向上しますし、パッキンは冷蔵庫の扉の隙間を失くすのに役立ちます」
「本当なのかい?」
「はい。更に、その硫黄を加えたゴムに黒鉛を加えると耐久性が上がります。それを車輪に使えば馬車などの乗り心地が向上します」
「何だか信じられないけど、累造君の言うことだからね……」
 ケメンは頭を掻きながら困惑した表情を浮かべた。
「試してみよう」
「そうして頂けると助かります」
「だけど累造君? そんな事を契約もせずに話して良かったのかい?」
「はい。それは混ぜれば良いと判っているだけで、その量や温度なんかは判りません。ケメンさんには研究者の手配など一切を仕切って貰わないといけないんです。勿論研究費用はケメンさん持ちです。俺自身は出来上がったものを融通して貰えれば十分です」
「累造君は欲深いのか慎み深いのかよく判らないね」
「俺は楽をしたいだけです」
「は?」
 自身にとっては意外でしかない言葉を聞いて、一瞬思考が飛んでしまったケメンだった。
 暫くして再始動したケメンは、ゴムの研究開発を約束して雑貨店を後にした。
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