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一五 砕け散るよな滑り出し

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 開店当日、朝から少々忙しい。とは言え、市場が休みの日曜日以外はこれから毎朝のこととなる。
 店舗を魔法で水洗いし、調理道具やお皿も水洗いする。まな板、包丁とお皿は熱湯消毒の代わりに魔法で熱を加えて殺菌だ。
 掃除が終われば買い出しに行く。買うのは人参、玉葱、じゃがいも、セロリアック、ケール、それに大豆。ナスは旬が過ぎてしまったので買わない。魚介類は干物がほんの少し、それも高値で売られているだけなので使えない。
 移動はおかみさんを見習って走るようにしている。すると、少しずつ人の間を擦り抜けられるようになってきた。取りあえずの目標はおかみさんに置いてきぼりにされないことだ。
 揚げ物の範疇で考えると、鶏のから揚げや豚カツの方が商売として成り立ちやすいとは思う。だがしかし、肉類は鮮度が心配だ。
 市場の肉を売っている一画には腐った臭いも漂っている。その臭いの元が店頭に並んだ品物からなのか、ゴミ箱からなのか、よく判らない。そのため鮮度を目でしっかり見て確かめないといけない。そう、確かれば良いのだけど、原型を留めた豚の頭や、蛙やら蛇やらが並んでいる傍らと言うのは今のあたしにはヘビィだ。へび、だけに。なんて冗談はさておき、込み上げてきそうなものも有って、落ち着いて鮮度を確かめることができないのだ。だから、市場で肉を仕入れるのには二の足を踏んでいる。
 それに、開こうとしているのは天ぷら屋なのだ。端から違う料理を混ぜるのもどうかと思った。肉類の天ぷらも考えられるが、天ぷらは野菜と魚介のイメージが強い。無理に肉を使う必要もないだろう。
 そんな訳で、メニューは旬の野菜を使ったものにしている。今のメニューは、人参と玉葱のかき揚げ、じゃがいも、セロリアック、ケールの四種類。じゃがいもとセロリアックは角切りにし、ケールは掌サイズに切り分け、それぞれ原価が二五円程度になる量を一食分とする。かき揚げの一食分は、勿論一個だ。その一食分を小皿に盛ってカウンターの上に見本として展示し、注文を受けたらカウンターの下の大皿から取り分ける手筈にしている。
 一日二〇〇食を売るつもりではいるが、初日の今日は全部で三〇〇食用意する。他に、試食用にも二〇食ずつだ。
 試食は、一食を八等分したものを四種類、串に刺して提供する。
 売価は八〇円にした。経営が成り立つのかどうか微妙な線だけど、二〇〇食を完売できればなんとかなる。

 買い出しから帰ったら、大豆油を絞るところから始める。一週間の間にコーン油を七キログラムほど絞っているので、三日間は絞らなくても良い勘定なのだけど、コーン油一〇〇パーセントから大豆油に換わると天ぷらの味も変わってしまう。そうならないために半分は大豆油を使う訳だ。コーン油に余裕が有る間は大豆を八キログラムも絞れば十分である。
 油を絞り終えたら、油かすは粉末にし、とうもろこし粉と小麦のグルテンを混ぜて捏ね、クレープを焼いていく。味付けもしていないし、グルテンにはふすまがたんまり混じっているが、包み紙代わりに使うので問題ない。食べられるけど食べなくて良いいのだ。
 お客は鍋や皿を持ち込む人ばかりではないだろう。紙袋を用意しているが、天ぷらの代金の他に一〇〇円や二〇〇円が必要となれば、買うのを躊躇ってしまうと思う。だから考えた末、油かすを使うことで結果的に安く作れるクレープを使うのだ。
 小麦のグルテンは、小麦粒を潰して小麦粉を篩って篩の中に残ったものから取り出す。篩の中にはふすまと粉にならなかった胚乳が残っているので、これをもっと細かく粉砕して水を加えて捏ね、袋に詰めて水の中で揉むのだ。そうすれば、水には澱粉が溶け出て、袋にはグルテンとふすまが残る。水に溶け出た澱粉の方は、沈殿させた後で乾かし、衣に使う。
 こうすれば、クレープ一枚当たり数円のコストで済む勘定になる。
 包み紙代わりのクレープを焼いた後は、食材の下拵えをして早めの昼食を摂る。そして小麦粉を篩って衣を作り、天ぷらを揚げる。今日は数が多いので、全て揚げるのに三時間ほど見込んでいる。開店は午後二時を予定しているので、午前中から始めないと間に合わない。
 全て揚げ終わったら、一部を試食用に切り分けて串に刺していく。試食品は都合一六〇個になる。

 そして、午後二時少し前。忘れ物が無いか指さし確認する。忘れ物は、無い。
「ふんっ!」
 両脇で握り拳を作り、気合いを入れて開店だ。まずは店の前で呼び込みを行う。
「いらっしゃいませーっ! 本日開店、天ぷら屋でーすっ!」
 屋号がそのまま「天ぷら屋」なのだ。考えるのがめんどくさかったからじゃなく、判りやすさを重視したらこうなったのさ。
「試食もやってまーすっ! 是非、味見していってくださーいっ!」
 呼び込みを暫くやっていると、興味を示したらしい女性がやってきた。
「天ぷらです。試食してみてください」
「これは、ただなの?」
「はい、この試食品は無料です」
「じゃあ、貰おうかしら」
「はい、どうぞ」
 試食品を載せた皿を女性に差し出すと、女性は串を五本掴んだ。
「ああ! お一人様一本だけです!」
「はあ!? 無料って言ったじゃないの」
「無料なのは、お一人様一本だけです!」
「だったら、最初からそう言いなさいよ! ちゃんと言わないあんたが悪いんだから、これは返さないわよ!」
 女性はそう言い捨てて、串を五本持ったまま去っていった。
 なんなのだ? 一体……。たまたま、最初に来た人がおかしな人だっただけだよね?
 そう思いたかったのだけど、現実は無情だ。呼び込みに応えてくれた人は皆、先の女性と似たり寄ったりだった。両手の指で数えられる人数だけで、八〇本くらいの試食品が持っていかれてしまった。もう、営業妨害の域だよ。
 そのため、皿に載せるのを二本だけにした。
 できればこんな風にはしたくなかった。商品と言うものは、沢山有れば手に取りやすいが、残り少なかったら手に取りにくい。品物が必要であるなら欲求の方が強くなるが、不要不急であればあるほどこの心理は顕著に現れる。つまり、一本や二本だと手に取って貰えないと考えた。
 それに、試食品が少なければ多人数に対応できないし、追加するために何度も店の中と往復しないといけない。
 そんな訳で試食が捗らないと思ったのだけど、どうやらこの町の住人相手には余計な気遣いだったようだ。無視されるか、二本持って行かれるかの二通りでしかなかった。
 そして、全く売れない。それどころか店に訪れる人が皆無だ。

 それでも呼び込みを続けた。そして、開店から三時間近く経った頃、一人の初老の男性があたしの方に真っ直ぐ歩いてきた。
「いらっしゃいませ。試食をどうぞ」
「うるさい」
「はい?」
「うるさいと言っている」
「あ、あの……」
「テンプラだかテンプレだか知らないが、延々と物欲しそうに大声で叫びおって、耳障りだ!」
「す、すいません」
「判ったら、もう叫ぶのではないぞ?」
「え、でも、それだと、お店にお客さんを呼べなくってしまいます」
 あたしがそう言った途端、男性の表情が険しさを増した。
「それが、俺に何の関係がある?」
「え……」
「お前の店に客が入るかどうかなど、俺に何の関係があるのかと問うている」
「その……、関係ありません……」
 男性の言い分は間違ってはいない。だからあたしの声は尻窄みだ。
「当然だ。いいな? もう騒ぐのではないぞ?」
「は、はい。すいませんでした」
「ふん!」
 男性は、吐き捨てるように鼻を鳴らすと、振り返ることなく帰っていった。
 へへ……、怒られちった……。
 とぼとぼと、足取りも重く店に戻ると、窓を開け、窓際に設えられた台に残りの試食品を全て置いた。「試食品、ご自由にお取りください」の張り紙もしている。
 そして、カウンターの中に入り、来ないお客をただ待つことにした。
 へへ……、今日はもう頑張れないや……。

 日が暮れる前には、試食品は全て無くなっていた。だけど、お客は一人も来ていない。
 日が落ちるに従って気温はどんどん下がり、この時間ともなるともう肌寒い。窓を開けているので寒さが諸に感じられる。まるで今のあたしの気分そのものだ。
「はぁ……」
 感傷に浸ってないで窓を閉めよう。
 窓を閉めて振り返ると、店内が真っ暗なのに気が付いた。これではお客が入る筈がない。そこで、店舗の壁に設えられている燭台の上に魔法の光を灯し、外に出て、外壁に付いている燭台にも灯す。ついでに火の魔法で店内を暖める。気分が落ち込んだ時に身体が寒いと、心まで寒く感じちゃうからね。
 魔法を覚えていて良かった。そして、チートが有って良かった。光熱費がいらないのがほんとに有り難い。

 午後七時ともなると外は真っ暗だ。小さな窓ガラスからは暗いことしか窺い知れない。
 その小さな窓ガラスは、あたしの肩幅より少し広い程度の小さな窓に填め込まれている。板に丸い穴が空けられ、そこに窓ガラスが填め込まれているのだ。
 そして、もうそろそろ閉店だと思っていると、声が聞こえた。
「良かった。まだ開いてた」
 その直後に扉が開き、一人の女性が入ってきた。エクローネさんだった。
「こんばんは。開店おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 エクローネさんは朗らかに言うが、あたしの方は気が重い。
「お店の中は、明るくて暖かいんですね。外はもう肌寒くて」
「ええ、まあ」
「それで、調子の方はどうですか?」
「それが、その……」
 あたしは目を泳がせてしまう。
 そんなあたしの様子と、ショウケースの中を見たエクローネさんは、しまった、とばかりに眉尻を下げた。
「すいません、変なことを訊いて……」
「いえ、そんな……」
 暫しの沈黙が流れた。
「えーと、四種類有るんですね。では、四種類を二つずつください」
「かしこまりました」
 クレープは四食分程度を包むのが限界なので、二つのクレープに包んでお皿に置いた。
「六四〇ゴールドになります」
「では、これで」
「ありがとうございます」
 エクローネさんはピッタリの代金で支払ってくれた。用意してくれていたのかも知れない。
 そして、エクローネさんは品物を手に取ると、帰るのかと思ったら何故かそのまま佇み、時折もの言いたげな視線を送ってくる。
「あの、どうかなさったんですか?」
「ごめんなさい」
「ええ!?」
 何故か突然謝られた。
「ふふ、訳が判らないですよね。でも、本当にごめんなさい」
 エクローネさんは、そう言って帰っていった。全く訳が判らないよ!
 彼女の様子からすれば、さっきの調子がどうかと尋ねたことではなく、以前からの事の感じだ。そう言えば、前にもそんな素振りをしていた気がする。だけど理由が思い当たらない。理由も言わずに謝られてももやもやするだけだ。
 そうして、悶々と考えていると扉の開く音がした。
「よう、頑張ってるか?」
「いらっしゃいませ」
 ギルダースさんだった。
「張り紙を見たぞ。今日からだそうだな」
「はい」
 開店告知の張り紙は、ギルド前と役所前に有る自由掲示板に張り出している。それ以外の告知方法は思いつかなかった。自由掲示板と自分の店以外への張り紙は禁止されているし、チラシを配るには紙が高価すぎる上に印刷の問題もある。
「四種類有るのだな?」
「はい」
「では、三つずつ貰うとしよう」
「かしこまりました」
 あたしは、クレープ三枚に包んで皿に置いた。
「九六〇ゴールドになります」
「では、これを」
「一〇〇〇ゴールドからですね。四〇ゴールドのお返しです」
「この包んでいるものは?」
「大豆粉やとうもろこし粉を焼いたものです。食べることもできますよ」
「なるほどな。では、また寄らせて貰おう」
 ギルダースさんは包みを掴むと、踵を返した。
「あ、ギルダースさん!」
「なんだ?」
「あの、エクローネさんに突然謝られたんですけど、理由が判らなくて……。ギルダースさんは何かご存じではありませんか?」
 ギルダースさんは難しい顔をした。そして、意を決したように口を開いた。
「エクローネは、千佳殿に対する噂を気に病んでいるのだ」
「噂、ですか……」
「うむ。そもそもあのドラゴンは、俺とエクローネで討伐するよう強制依頼を受けた相手だった。ある村に甚大な被害をもたらしたため、王命としての依頼だ。発見報告を受けて討伐に向かったのだが、現場に着いた時には姿を消してしまっていた。それをそのまま捜索している最中に千佳殿が倒したのだ」
「はあ、それでお二人とも不在だったんですね」
「ん? ああ、あの不始末はその所為もあるのだったな。ともあれ、千佳殿のお陰で被害が広がらずに済んだのだ。そうでなければこの町が襲われたかも知れぬ。本当なら町の者全てが千佳殿に感謝しても良いくらいだ。だが、現状はどうだ。ギルドの不始末のために千佳殿はむしろ悪く言われている。被害者にも拘わらずだ」
 ギルダースさんは眉間に皺を寄せて目を伏せた。
「俺やエクローネの目が行き届かず、すまなかった」
「それは、お二人が悪い訳じゃないんですし……」
「そう言って貰うと助かる。しかし、何人かのギルド員が積極的に噂を広めていたのだ。その理由は逆恨みによるものだった」
「はい?」
 ギルダースさんは深く渋面を作った。
「実は、もう一つ不正が有った」
「はあ」
「その話の前置きとして、ドラゴンが適切に処理されていれば千佳殿が受け取っただろう金額は八億ゴールドほどだった」
「ええ!?」
 ちょっと、金額が大きすぎて想像できない。
「ドラゴンの素材を正しく査定すれば七億ほどだ。それに、強制依頼の依頼料も千佳殿に渡された筈だ。合わせて八億となる。だが、正式な書類上はドラゴンをギルドで討伐したことになっているため、依頼料もギルドの収入になった。素材については知っての通りだ」
「はあ」
「その一方で、ドラゴンの素材の売却益が一〇億だったのも本当だ。そこで何もなければ千佳殿に賠償金として八億ゴールドだろうと支払えた筈だ。だが、エクローネは賠償金は一億しか払えないと言っていただろう?」
「はい」
「その利益の殆どは、事件が発覚した時にはもう負債の返却に充てられていたのだ」
「ええ!?」
 いつ倒産してもおかしくないような経営状態なのだろうか。
「ギルド長を調べる途中で判ったのだが、ギルド長や幾人かのギルド員による使い込みや使途不明金による隠し負債が有った。巧妙に隠蔽されていて、俺やエクローネはその負債の存在にも気付いていなかった。そして、ドラゴンの売却益もいつの間にかその返済に充てられていた。その結果として、十分な賠償金を支払うことができなかったのだ」
「それは、また何とも……」
 だけど、機密事項なのではないだろうか。エクローネさんが言いにくかったのも判る気がするし、聞かされても正直困る。今も、聞かなきゃ良かったくらいにしか思えない。
「噂を広めたのも、その使い込みに加担した者達だった。ギルド長が迷宮送りになったために使い込みができなくなった腹いせらしい。取り調べの最中に聞いてもいない事をペラペラと喋ってくれた。そんな者達も迷宮送りになったので噂も直に収まるだろう」
「はあ……。でも、機密事項ではないのですか? あたしに話して大丈夫なのでしょうか?」
「確かに機密事項と言えば機密事項だが、千佳殿は当事者なのだから十分な説明が必要だろう。つまり千佳殿は機密の対象外だ」
 言われてみればしっかり当事者だ。そこら辺をエクローネさんからは全く聞いていない。
 まあ、あたしが聞かなかった面もあるのだけど。
「初めて聞きました」
「エクローネは何も話していなかったのだな」
 あたしは頷いた。
「恐らくエクローネはギルドやこの町を愛するあまり、話せなかったのだろう。しかし、それらを代表する者が個人の感情を優先させるなど有ってはならない事だ。重ね重ねすまない」
「愛、ですか……」
 あたしは首を傾げた。
 あたしが話の繋がりを理解していないと悟ったらしいギルダースさんは続けた。
「千佳殿は、千佳殿が愛する者が他人を傷つけたとしたらどう思うだろうか?」
「それは、いたたまれなくなると思いますが……」
「そして、その傷つけられた者に傷つけたのが自分の愛する者だと告げられるだろうか?」
 むむ? 難しい問題だぞ? でも、あれ? そうか。
「もしかすると、何も言わずに謝罪だけしてしまうかも知れません」
「うむ」
 ギルダースさんは深く頷いた。
 つまり、エクローネさんはギルドを愛するが故に、ギルドやこの町の冒険者達があたしを傷つけただろうことに後ろめたさを感じていると、ギルダースさんは言いたい訳だ。
 結局、一つのもやもやは解消されたけど別のもやもやが生まれてしまっただけだった。
 エクローネさんが心を砕いているのはあたしにではないのだ。同情を寄越しているだけだったのだ。
 同情なんて欲しくない。
「ついでに、幾つか失言をしたようにも言っていたな。多分、エクローネからすれば色々積み重なっているのだろうな」
「失言ですか? よく判りませんけど……」
「まあ、失言については言われた方より言った方が気にしてしまうこともあるのかも知れぬな」
「そう言うものなんでしょうか?」
「どうだろう?」
 二人して肩を竦めた。
 そして、今度こそギルダースさんは帰っていった。

 少し長話になってしまって遅くなったが、今晩中にしなければいけないことも残っている。
 小麦の澱粉を沈殿させるのに時間が掛かるため、晩の内に翌日分のグルテンを作っておくのだ。
 それだけしたら今日は寝よう。少し疲れた。身体は平気だけど気疲れが酷い。
 夕飯は、勿論売れ残りの天ぷらさ。
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