魔王へのレクイエム

浜柔

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第九章 魔王はここに

第百五話

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『ヒイッ!』
 サーシャは悲鳴を上げて後退る。足下には踏めば飛沫が飛ぶほどの血が溜まり、その先には血塗れで青白い顔色のルセアが横たわっている。漂うのは死の気配だ。
『サーシャ殿下! お願いします! 早くルセアに治癒魔法を!』
 ロイエンが自らの怪我もお構いなしで頭を床に擦り付けるように懇願する。
『え?』
 ところが動転してしまったサーシャにはロイエンの言葉が耳に入らない。
 部屋の外では遅れて部屋を覗き込んだマリアンが『ヒイッ!』悲鳴を上げ、自らの両腕を抱いて頽れる。漸く自分が何をしていたかを知って恐怖に震える。オリエやクインクトがルセアを助けようと奔走していたのを邪魔しただけだった。殆ど障害になっていなかったのが不幸中の幸いでしかない。もしも大きな時間の損失になっていて、それが致命的なものになっていたら一生悔やんでも悔やみきれなくなるところだ。
 浅く激しい呼吸を繰り返すが、そんなマリアンには誰も気付かない。オリエも疾うにここを立ち去っている。
『呆けている場合か! 早く治療しないと彼女が死んでしまう!』
 クインクトがサーシャの両肩を揺さぶって正気に戻させる。
『あ、あの……』
 漸く返事をしたサーシャの肩を引き、ルセアの方へと押しやった。
『早く!』
『は、はい……』
 返事はしたものの、再度ルセアを見て硬直するサーシャ。ここに来て先日の出来事がフラッシュバックしたのだ。魔物猟師の町での事件の際に犯人の母親を治療したが、その直後に彼女は亡くなった。それが目の前のルセアに重なって見える。そして次の瞬間にはガタガタと身体を震わせ、生まれたての子鹿よりも覚束ない足取りで後退ると、どすんと尻餅をついた。頭を抱えてかぶりを振る。
『い、嫌……』
『姫さん?』
『し、死んでしまう……』
『だから早く!』
『治療したら死んでしまう……』
『は?』
 クインクトには何のことか判らない。わざわざ話すことでもないので、サーシャは治療の件までは話していないのだ。
 だが、クインクトにもサーシャが使いものにならないことは判る。小さく舌打ちして、もう一つの可能性に賭けるべく部屋を出ようとする。ところが入り口を塞ぐようにマリアンが倒れていた。
『何なんだ、あんたらは……』
 念のために脈と呼吸を確かめて、どちらも有るのが判ったら脇に転がしてリビングに急ぐ。
「リリナ! ルセア嬢が危険だ! 直ぐに治療してくれ!」
「何を言ってますの! お姫様がいらっしゃるじゃありませんか!」
「その姫さんが使いものにならないんだ!」
「何ですって!? でもあたくしも手を離せませんわよ! まだ攻撃を受け続けてるのですから!」
「どうしたらいい!? 連中を皆殺しにでもすればいいのか!?」
「そんなの待っていられませんわ! ゴンドラを相手の攻撃の届かない所まで上げてくださいませ!」
「判った!」
 クインクトは甲板に走った。

 この少し前、サーシャをクインクトに預けたオリエは甲板へと走っていた。
 甲板には先客があった。ノルトだ。身を隠すように這い蹲って望遠鏡を覗いている。そのノルトがチラッとだけオリエに視線を投げて、また戻す。
「オリエさん、敵は軍隊のようです。リリナさんの探知が遅れたのもそのせいでしょう」
 魔物は魔法に等しい攻撃をするが、彼らが行っているのは単なる魔力の放出である。その魔力が火炎や風の刃と言ったものに変化するのは、魔物の性質が魔法と同じ働きをしてしまうためだ。そして魔力は彼らの生命力にも等しいもののため、魔法として放出される量は彼らが持つ魔力のほんの一部であり、魔物の強さにほぼ比例している。つまり、強い魔物ほどより遠くから感知しやすいことを鑑みれば、急に魔力が膨れあがるような感じ方にはならない。
 そんな魔物からの襲撃から守るには、防御魔法の器具では防げない魔法を放つ魔物だけ事前に察知すれば良い。そしてそれはリリナにとっては容易いことだった。
 その一方、人の持つ魔力は殆どの場合、魔物猟師なら障害にもならない魔物程度でしかない。そんな人が魔法を使う時は持ち前の魔力に比して膨大な量を使う。下手すれば一回の魔法で枯渇するほどだ。だから突然魔力が膨れあがるような感じにもなりやすい。
 もしもリリナに落ち度が有るとするなら、人からの襲撃を想定していなかったことだ。しかしこんな場所で突然、人から襲撃されるなど想定するのは難しい。
「軍隊?」
 オリエも甲板から周囲を見回す。魔法攻撃の余波で周囲の森が炎上している。その火をかい潜り、魔法攻撃ではビクともしない防御魔法を打ち破らんと、敵が近接して剣や槍や鎚を振るい始めている。
「あれは神聖ログリア帝国の軍服です」
「神聖帝国? そんな連中がこんなところでどうしていきなり?」
「はて? 遺跡荒らしとでも思ったんでしょうか」
 答えておいてノルトは首を傾げる。
「でもそうだとすると、神聖帝国がこの遺跡を自分のものだと思っていることになりますね……。魔の森のただ中なのに」
 休むに似た考えであった。それを自覚して、ノルトはその思考を放棄した。
 オリエは話をしながらも周囲に目を凝らし、敵の数を推測する。
「敵は三百、いや五百と言ったところか」
「はい。ボクもそう思います」
「軍隊相手では気も進まず、エミリー無しでこの数は厄介だが、やられっぱなしにもできないな」
 魔物猟師は舐められたらお終いな面が有る。また、オリエ達三人が嘗ての仲間カーミットと共に行っていたのは傭兵兼トレジャーハンターで、その傭兵やトレジャーハンターは魔物猟師以上に舐められたらお終いだった。殴り掛かられればきっちりと殴り返し、殺しに来られればきっちり殺し返すのだ。
 ノルトもその価値観を否定しない。そもそもクインクトがそんな気質の持ち主なので、否定するようなら一緒には居られない。ただ、今はそうして貰うと困ることになる。
「あー、でもクインクトがちょっと遅すぎますね」
「遅いとは?」
「何も問題が無ければとっくに外に飛び出していても良さそうな頃合いです」
 オリエは状況を思い出す。あの場にはマリアンも居たのだから、ルセアとロイエンはサーシャとマリアンの二人に任せられた筈だ。そう考えれば「遅い」と言う意見にも納得だ。
「確かにな」
 話をしながらノルトは立ち上がり、操縦台に向かう。
「恐らく姫様が使いものにならないんです」
「でも、聖女なのだろう? それも優秀な」
「そうです。しかし姫様はお転婆に見えても生粋の箱入り娘ですから、恐らく生死の境を彷徨うような患者は見せて貰えていません」
「つまり?」
「実際に死の間際の患者を前にすれば、きっと堪えられません。動揺して治癒魔法を使えないんじゃないでしょうか」
「はあ!?」
「だからリリナさんにお願いしなければなりません。しかしリリナさんは防御魔法で手が離せません」
「だったら奴らを皆殺しにすれば!」
「いえ、そんな時間は掛けられないでしょうから、ゴンドラを上に上げます」
 ノルトが上を指差すと、オリエは釣られて上を向く。
「上?」
「そうです。魔法の届かない上に。幸いにも敵はゴンドラに乗っていませんから空高くに上がれば攻撃は届きません」
 ノルトは話しながらも、ゴンドラの発進準備を終える。
 ちょうどそこでクインクトが甲板へと上がって来た。
「クインクト、発進準備は終わりました。後はお願いします」
「おう!」
 先回りして作業が進められていたことに若干の喜色を浮かべてクインクトは応え、ノルトと場所を入れ替わる。
「さあ、ボク達は間違って誰かが落ちないように養生しましょう」
 ノルトはオリエに言うと、真っ直ぐ船内へと向かう。船内に戻って最初の仕事は、オリエが気を失っているマリアンを彼女の部屋へと運び、ノルトがサーシャをマリアンの部屋へと促してマリアンに付き添わせることだった。それから吹き飛んだ窓の養生だが、何らかの間違いが有ってルセアに物がぶつかってはいけないため、シーツを重ねて張るのに留まった。
 一方、残ったクインクトは即座に浮遊器フローターを起動させ、ゴンドラを空へと向かわせた。

「"何をもたもたしている! 奴らが逃げるではないか!"」
 飛び立つゴンドラをその目に、神聖ログリア帝国第三皇子コルネースは叫んだ。
 それを受けて騎士フーバが威儀を正す。
「"ここは自分が参ります。ご許可を"」
 フーバの第一の役目はコルネースの護衛だ。だからその傍を離れるにはコルネースの許可を必要とする。
「"判った。行ってくるが良い"」
「"畏まりました"」
 フーバはコルネースに一礼してから駆け、間合いを計って剣を抜き、力の限りに跳び上がって振りかぶる。
「"せやっ!"」
 気合一閃、剣を防御魔法の境界面へと振り下ろす。
 ガィンと鈍い音と共に境界面は砕けた。だが直後に新たな境界面が展開され、魔法兵から放たれた魔法を弾く。フーバ自身は自由落下で地上に向かうばかりで何も手が出せない。
 そしてゴンドラは手の届かない高空へと上がって行く。
「"何たる失態か!"」
 一部始終を見ていたコルネースの叫びに応える者は誰も居なかった。
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