魔王へのレクイエム

浜柔

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第六章 勇者として

第八十七話

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 ヘライトスは自らの保身のために躊躇ったのではなかった。宮廷魔法士の立場と引き替えで済むなら二つ返事で頷いても良かったところだ。しかしあの場でそうしてしまうと、最後の段階で難癖を付けられ、宮廷魔法士を辞任していながら少年を保護することが叶わなくなる可能性が有る。それも可能性どころか確証に近くだ。
 だから皇帝を証人とした取引となるよう、皇帝に契約書を無心に向かった。この時代には皇帝の政治的権力は無いに等しいが、この契約書だけは別だ。皇帝が証人となって合意に至り、発行した契約書に署名をしなければ、そしてその内容を履行しなければ、罰が与えられ、場合によっては身分も財産も全てを失うことになる。
「そなたはそこまでするのか」
「我が国の勝手な事情で巻き込んで、彼の人生を棒に振らせたのです。せめて無用の苦しみは取り除いてやらねば道義に反します」
「道義の通じぬ相手やも知れぬぞ?」
「そうであるなら、この老いぼれの命に替えてでも処断いたします」
 ヘライトスは勇者召喚を引き受けた時から全ての責任を負うつもりでいた。ただ、考えていた対応の殆どは手の付けられない乱暴者だった場合のもので、ひ弱で何の力も持っていないような者は想定外だった。
「そうか。覚悟を決めておるのだな」
「御意にございます」
「解った。そなたの望むようにしよう」
「有り難き幸せ」
「しかし、そなたがおらぬようになったら、助言を誰から受ければ良いのかのう」
「お戯れを。もう何年もご助言申し上げたことはございませぬ」
「そうであったかのう?」
 皇帝は笑い、ヘライトスも笑った。
「しかし、最後に一つご助言いたしとうございます」
「ほう」
「皇子殿下方の半数をご避難遊ばされませ」
「……そうか、我が国は負けるか」
「ご慧眼、恐れ入りましてございます。それと言うのも騎士団長からして戦況を勇者頼みでどうにかしようと考えていたようです。これでは仮に勝てる戦も勝てなくなってしまいます」
「意地の悪いことを。ワーグが勇者頼みに走っていなくとも、勝てぬのであろう?」
「恐れながら……」
「助言、確かに受け取った」
 皇帝は後日に側室二人の産んだ皇子と皇女の二人ずつを出奔させることになる。
 皇帝の約束を取り付けたヘライトスは取引相手の貴族に取引を打診する。貴族からは「翌朝ならば良い」との返答が有り、翌朝に城の一室で待ち受けた。
「クズ一匹のために宮廷魔法士の地位を差し出すとはヘライトス殿も耄碌したか?」
 貴族は嘲笑を隠そうともしなかった。
「勇者の少年を私に引き渡す対価が、私が宮廷魔法士を辞職すること。それで相違無いな?」
 貴族はヘライトスが嘲笑に対して何の感心も示さなかったことに鼻白んだ。
「それで良い」
 貴族としてはもっと吹っ掛けようかとも考えたが、ここであまり欲をかいてヘライトスを追い落とせずに終わっては元も子もないとして自重した。辞任させてしまえば後でどうにでもできるとの腹づもりも有る。
「では、これに署名せよ」
 声と共に空気が揺らいだ。居なかった筈の皇帝が交渉のテーブルに着いていた。近衛騎士二名もその後ろに控えている。隠蔽ハイディングの魔法で貴族から見えないようにしていたのである。
「へ、陛下!」
 貴族の驚く声を余所に、皇帝は契約書を取り出す。三部だ。ヘライトスに一部、貴族に一部、そして皇帝に一部である。
 貴族は目を剥いて契約書の文面を読む。確かに今話した内容が書かれている。しかし貴族としては困る。
「こ、このような契約書は認められません」
 座っていた椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がった。この契約書を持ち出されては後で難癖を付けられなくなる。
「取引内容は余も聞いていた。後ろの者達も証人だ」
 近衛騎士二名は頷いた。
「余が証人となってこの契約書を発行した。この契約書に署名せねばどうなるかも解っておろう?」
 これは騙し討ちに近い。皇帝の権力の濫用と受け取られても仕方のないものだが、ヘライトスの最後の頼みだから無理を通した。
 貴族は歯噛みする。形だけでも手順を守っているので何を言っても無駄だ。
「……畏まりました」
 貴族は渋々署名した。ヘライトスが署名し、皇帝が署名する。この時点から契約書が効力を発する。
 契約書を手にしたヘライトスは皇帝に深く頭を下げる。
「陛下、ご無礼ながら、御前を失礼いたします」
「うむ」
 皇帝の快い返事を受け、ヘライトスは訓練場に急いだ。
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