囚われた花

秋空夕子

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前編

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 自分が仕える主、ハンネローゼは素晴らしい女性であるとシエルは思っている。

 凛とした立ち振る舞いに堂々とした言動。自分に対してはどこまでも厳しいが、人に対しては分け隔てなく優しさを見せる、まさに貴族とはかくあるべきと言えるほどの存在である。

 故に彼女を慕うものは多く、シエルもその一人である。

 彼女がまだ十二歳の頃、両親は事故で他界した。それを引き取り、面倒を見てくれたのが両親が仕えていたハンネローゼの生家である伯爵家だ。

 あの日のことは今でも思い出せる。

 両親を亡くし泣きじゃくるシエルをハンネローゼは一晩中抱きしめて慰めてくれた。あの時からずっとシエルにとってハンネローゼは敬愛すべき主であると同時にかけがえのない恩人だ。

 そしてハンネローゼが嫁いだ侯爵家の当主、リチャードをは様々な事業に手を出しては成功させ、侯爵家の資産を何倍にも膨らませたやり手の男だ。

 その上、彫刻のように深い彫りの顔立ちに引き締まった長身の体。さらに話してみればその話はどれもおもしろく、冗談を言うだけのユーモアもあり、エスコートも欠かさない。

 貴族の娘たちの熱視線を一身に受ける存在である。

 社交界でもこの二人はお似合いの夫婦であると言われ、シエルもそう思っている。

 だけれども、何故だか胸が晴れないその理由を、シエルは考えない。







「シエルさん、少しいいですか?」



 結婚式も終わり、ハンネローゼがリチャードの屋敷へとやってきたその晩、伯爵家から持ってきた荷物を整理するシエルに侯爵家の執事であるエディオスが声をかけた。



「何でしょうか?」

「申し訳ありませんが、寝室の準備をお願いしたいのです。」

「え?私がですか?」



 思わず聞き返した。そんな今日着たばかりで勝手の分からぬ自分より、明らかに適任者がいるだろうと思ったからだ。

 しかしエディオスは表情を変えることなく、「ええ」と頷く。



「シーツを整えて不足しているものがないか確認するだけで構いませんから」

「ですが、ハンネローゼ様の支度がまだで」

「それはこちらでいたしますのでご安心ください」

「わかりました…」



 それってやるべき仕事が逆なんじゃないかと思ったシエルだが、そこまで言われては引かざる負えない。

 ここではシエルは新参者。長年リチャードに仕えているらしいエディオスの言葉に否と言えるはずもない。

 それに、シエルはなんとなくこの男が苦手なのだ。

 このエディオスという男、顔はリチャードに勝るとも劣らぬ美形であるのだが、常に無表情であり、何を考えているのかわからない。

 それに、ハンネローゼをよく見つめていることも知っている。最初はハンネローゼが綺麗だから見惚れるのも無理はないと思っていたが、誰よりもハンネローゼの傍にいたシエルだからこそ気付いた。

 あれは見惚れるなんて生易しいものじゃないと。それ以来、この男を内心ずっと警戒していた。



「こちらです。それではよろしくお願いします」



 促されるまま部屋に入ると、エディオスは扉を閉めて行ってしまう。

 本当に一人残されてしまったと呆気にとられるシエルだったがのんびりしてもいられない。さっそくベッドに近づき、シーツがシワになっていないか確認する。



(うん、シワ一つどころかシミ一つないわね)



 一応、念入りに伸ばした後サイドテーブルに目を向ける。

 そこには痛みを和らげる為であろう潤滑油が置かれていた。



(…これを使って、リチャード様とハンネローゼ様は…)



 一瞬、頭に浮かべた情景にシエルの胸は押し潰されそうになる。

 きっと疲労だろう。そうでなければ幼馴染のハンネローゼを取られて悔しいのかもしれない。そうに違いないと結論付けたシエルは胸の痛みを無視して確認は済んだことをエディオスに報告しに行こうとした時、扉が開いた。



「やあ、シエル。ご苦労様だね」

「リチャード様!」



 現れたのはリチャードだ。シエルは慌てて姿勢を正す。

 リチャードはそんなに気を張らなくていいと笑ったがそういうわけにはいかない。



「ところで準備はできてるのかな?」

「あ、はい。大丈夫です」



 思わず声が上擦る。

 これ以上一緒にいるとんでもない失態を起こしそうでシエルは「ハンネローズ様のお手伝いしてきますね」と言って部屋から出て行こうとした。

 しかし、それを止めたのはリチャードだった。



「なあ、シエル。これをどう思う?」



 そういって手に持っているのはサイドテーブルに置かれていた潤滑油である。



「えっと…どう、とは?」

「実はこれ、花の香りがするんだ。」



 そういって蓋を開けるとシエル差し出した。

 躊躇いながらも無視はできず鼻を近づければ確かに薔薇の香りがする。



「とても良い香りですね」

「そうだろう。ほら手を出して」

「え?」



 シエルが返事をする前に手を掴んだリチャードはその手に潤滑油を垂らした。

 途端に匂いが広がり、そして粘り気のあるそれにシエルの頬は赤くなる。



「り、リチャード様っ!」

「ん?どうかしたのかい?」



 いつの間にか二人の距離は近くなっていた。咄嗟に離れようとするも腰に手を回され密着されてしまう。



「お戯れが過ぎます!」



 何とか離れようとするシエルだがリチャードは腕の力を緩めるどころかシエルの体を抱き上げてベッドに向かう。

 これには流石に尋常ならざるものを感じ、シエルは必死に抵抗するも何の効果もない。

 リチャードはシエルをベッドに横たえてそのまま伸し掛かる。その顔には笑みが浮かんでいた。

 普段浮かべる大人の余裕を感じさせながらもどこか仮面のようなものではなく、欲しくて堪らなかったものをようやく手にした子供のような、それでいて獲物に食いつかんとする獣のような笑みだ。



「お、お止め下さい!もうすぐ、ハンネローゼ様がいらっしゃいますから!!」



 そう、もうすぐ身支度を終えたハンネローゼがここにくるはずだ。こんなところを見られてしまったらとんでもないことになる。

 しかしリチャードは気にした様子もなく、それどころかシエルを落ち着かせるように「大丈夫だよ」と言った。



「彼女の相手はエディオスがやってくれるさ」

「え…?」



 一瞬何を言われたのかわからなかった。

 確かにエディオスはこちらでやると言った。シエルはそれを侯爵家の侍女が手伝うという意味だと受け止めた。

 しかし、どうやらとんでもない思い違いらしい。

 リチャードの言葉の意味を租借したシエルは顔を青ざめる。



「そ、そんな…なんてこと……」



 カタカタと体を震わせるシエルの首筋にリチャードは唇を落とす。それで我に返ったシエルは暴れるもリチャードはそれを片手で制してしまう。



「いや、いや!誰か、誰かぁ!!」



 力をあらん限り叫ぶも応える者は誰もいない。



「大丈夫、大丈夫だよ。だから安心しなさい」



 何が大丈夫なのか。何が安心なのか。

 リチャードは優しい笑みを浮かべ、声色も柔らかい。しかしその体はシエルを押さえつけ、その目は激しい感情が渦巻いて見える。

 シエルは初めて会った時からリチャードに惹かれていた。会ったと言っても、パーティーで遠目から見ただけだが、気付けばいつも目で追っていたし、彼がふとたまに見せる寂しげな表情を見た時は何とかしたいと思った。叶うなら、自分が彼を支えたいとも。

 分を弁えないとんでもない願いだ。思いを寄せることすらおこがましいと自分を戒めた。

 だからハンネローゼとリチャードが結婚すると聞いた時は、胸が張り裂けそうになりながらも愛する二人の為誠心誠意尽くそうと思った。二人が幸せならばそれでいいのだと自分に言い聞かせて。

 それなのに、こんな形で裏切ることになってしまうなんて。

 涙を流すシエルの体をリチャードは暴いていく。

 男性と口づけすら交わしたこともないシエルに彼の技巧は毒だった。熱くなる体に引きずられるように思考は霞みがかっていく。

 指を入れられた時、痛みより違和感が強かったのは先ほどの潤滑油をたっぷり使っているからだろう。しかし、彼女にはもうそんなことを理解する余裕もなかった。



「ああ、シエル。ようやくこの時が来た。」

「…だめ…だめです…どうか、どうかそれだけは…」



 そして大分慣らされた後、押し当てられた熱いそれにそれだけはやめて欲しいと泣いて懇願した。

 しかしリチャードは相変わらず、笑うだけだ。



「シエル、君を愛している。ハンネローゼと楽しそうにお喋りする君の笑顔に一目見た時からずっと君が欲しかった。君を手に入れる為にどれほど手を尽くしたか…」

「…それ、じゃ…ハンネローゼ様と、結婚したのは…」

「勿論、君を手に入れる為だ」



 直後、体を貫かれる。声にならぬ悲鳴とあふれ出る涙は破瓜の痛みからだろうか。



「シエル、シエル、愛している。愛しているよ。君を、君だけを愛している」



 絶望に引き裂かれる心に容赦なく注がれる愛。それは間違いなくシエルを狂わせていった。



(ああ、ハンネローゼ様ごめんなさい、ごめんさない、私の、私のせいで……!)



「さあ、動くよ。大丈夫、さっきの潤滑油には媚薬も含まれているからきっとすぐによくなるはずだ」

「や!やぁ!!」



 まるで駄々をこねる子供のように首を振るシエルを可愛らしいなと思いながらリチャードは腰を揺らしだす。

 痛みと混迷する思考はやがて快楽に塗り替えられる。そのうちシエルはもう自分が何故悲しんでいるのか、わからなくなっていった。



「あっ、んあ!あぁあぁぁ!」

「…くっ!」



 やがて情欲が注がれ、シエルも果てた。ぐったりと横たわるシエルにリチャードはキスの雨を降らす。



「シエル、これから毎日抱いてあげよう。大丈夫、心配するようなことは何もない。全て準備は整ってある。だから、安心して私の子を産んでおくれ」



 シエルには、彼がなんと言っているのか理解できるだけの気力もない。ただ自分が、そして彼女が深淵に堕ちていくことだけはわかった。
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