33 / 55
アンナ=セラーズ編
その2 町の美少女
しおりを挟む「アンナ、今日はふたりで町に行かない?」
侯爵家の別邸で伯爵令嬢として暮らし始めて初めての休日の午前。
約束通り侍女服に身を包み、主人であるヴァイオレット様に紅茶をお淹れしたところだった私は、その突然の申し出に固まってしまった。
「それは……私をお付きの者としてお連れくださるということでしょうか?」
城下町に出る、その少数精鋭の付き人に私を選んでもらえるなんてありがたい。
そう思ってヴァイオレット様の顔を見ると、なぜか困ったように眉を下げた。
「ううん、違うわ、アンナ。貴方はもう伯爵家の御令嬢で、本来ならうちの使用人じゃないんだから。外ではそうするって約束でしょう。だから――友人として一緒にお出かけしましょうってこと!」
「え……友人、ですか」
「いやだった?」
「いえ! 滅相もありません。私がヴァイオレット様の友人だなんて恐れ多くて……」
「いやじゃないなら良かった」
そう言ってヴァイオレット様は、照れたように微笑む。
そのお姿はとても可愛らしく、神々しくて、やっぱりこの人は最高だ、と改めて噛みしめる。
この方と出会わなければ、私は、セラーズ家はどうなっていただろう。
もしかすると、今頃没落していたのではないだろうか。最後は爵位を担保にお金を借りなければ……そうお父様が誰かと話しているのを聞いたのはいつだったか。
男爵家という爵位はあったけれど、元々貴族社会にさほど興味はなく、兄姉たちもそれぞれ望んだ相手と婚姻を結んでいる。婚姻に何の見返りも求めなかった我が家はずっと貧しい。だけれど優しく領民想いの領主は皆に好かれていて、私もそんな家族が誇りだった。
だから家のために、どんなに困難な状況でもめげずに頑張ろうと侍女になる道を選んだ。どんな家に、主人に仕えることになっても、身を粉にして働こうと意気込んでいた私を迎えたのは、想像よりもずっと温かな侯爵家で、そしてとても優しい主人だった。
「アンナ、どうかした?」
「いえ。少し考え事をしていました。それで、ヴァイオレット様。町で行きたい場所でもあるのですか?」
感慨にふけっている私に、無垢な琥珀の瞳が向けられている。
気を取り直した私は、行きたい場所を聞くことにした。
町へはおつかいで何度も行ったことがある。自由に散策できない立場にあるヴァイオレット様を案内するためにぬかりのないようにしたい。
「行きたい場所……というか、会いたい人が、いて」
「!」
頬を赤らめてもじもじとするご主人さまにハッとする。
会いたい人。それも町に。
もしかして誰かに秘めたる恋を……あれ、この前テオフィル様の長年の片想いが実ったって皆は言っていたような。
ふたりで仲睦まじく手を繋いで庭園から帰って来て、いつもは私のように無表情であることが多い(でもヴァイオレット様と話しているときは確実に緩んだ顔をしている)テオフィル様が、元々の端正な顔立ちに、それはもう幸せそうな、蕩けるような笑みを浮かべていたという話で持ちきりだった。
私はというと、別件で城に呼ばれていて、その世紀の瞬間に立ち会えなかったのだ。
おふたりを陰ながら応援していた私にとってその瞬間を見逃したことはショックだったが、ふたりの気持ちが通じ合ったことが何よりも嬉しかった。
(これは……一応、テオフィル様に町にいくことをお伝えするべきではないかしら)
ヴァイオレット様に関しては心配の鬼と化すあの人が、いくら護衛付きであったとしても令嬢ふたりで町に降りることに大手を振って賛成する筈がない。
もちろん侯爵家からもそれなりの護衛がつくだろうけれど、さらに輪を掛けて護衛を付けるのが目に見える。
ただひとつ言えるのは、私はその辺の令嬢よりはずっと戦闘能力が高く、今回もこっそり武器を仕込んでお出かけしようとしていることだ。
万に一つも、ヴァイオレット様に傷ひとつつけられない。
主人の警護に穴が無いよう、彼に協力を仰ぐのが得策だ。
まだ優雅にお茶を楽しむヴァイオレット様に、私は準備のためにと言って早々にその場を去る。
そうしてリシャール公爵家への急ぎの使者や護衛の手配、武器の準備、それから着替えなど諸々の用意を済ませた私は再度別邸から本邸のエントランスへと戻ったのだった。
◇
「ではヴァイオレット様、まずどんなお店に行きましょうか?」
「そうね……オーブリー様は、どのお店と言ってたっけ……。そういえばアンナ! わたしたちは友人なんだから、もっと気安く話して欲しいな。敬語は禁止、それに様も付けなくていいんだけど」
「それは……私は」
「アンナ。お願い!」
町に着き、ヴァイオレット様の希望で馬車から降りて歩いて散策することとなった。勿論背後には護衛騎士が2人控え、そしておそらく見えない所にも数人いるのだろう。
ヴァイオレット様についいつもの侍女気分で話しかけると、言葉遣いを咎められ、縋るようにお願いされる。
ずっと敬語でいた私にとっては、ハードルが高いお願いだ。
その気持ちが、おそらく顔に出ていた。
ポーカーフェイスを心がけていたのに、嬉しさと困惑が上限を超えてしまった。
おもむろに手を伸ばしたヴァイオレット様は、私の右頬をむにりと摘む。
「今までずっと侍女でいてくれたから急に変えるのは難しいとは思うけど、もっと色んな表情を見せて欲しいな。これからも一緒にお茶したり、勉強したり、遊んだり……うーん、あんまりこれまでと変わらないような」
「ぶわいおれっほはま、いはいでふ」
「あ、ごめんごめん! ふふ、赤くなっちゃったね」
「もう、ヴァイオレット様ってば」
楽しそうな主人を見ていると、思わず頬が緩む。
私の顔を見て、ヴァイオレット様はますます破顔する。
この笑顔を守るのは私の役目。
でもそれはもう過去のこと。
これからは、ヴァイオレット様を心から愛するあの人が、とてもとても大切にするのだろう。
それが嬉しくもあり、寂しくもある。
「ヴァイオレット様、まずは何処かで小物でも見ませんか?」
そう問いかけると、凡庸な私の茶髪と違い、菫色の髪色が美しく、所作も洗練されていてどこから見ても良いところのお嬢様に見える彼女は、ふんわりと頷いてくれるのだった。
42
お気に入りに追加
10,745
あなたにおすすめの小説
世界最強の公爵様は娘が可愛くて仕方ない
猫乃真鶴
ファンタジー
トゥイリアース王国の筆頭公爵家、ヴァーミリオン。その現当主アルベルト・ヴァーミリオンは、王宮のみならず王都ミリールにおいても名の通った人物であった。
まずその美貌。女性のみならず男性であっても、一目見ただけで誰もが目を奪われる。あと、公爵家だけあってお金持ちだ。王家始まって以来の最高の魔法使いなんて呼び名もある。実際、王国中の魔導士を集めても彼に敵う者は存在しなかった。
ただし、彼は持った全ての力を愛娘リリアンの為にしか使わない。
財力も、魔力も、顔の良さも、権力も。
なぜなら彼は、娘命の、究極の娘馬鹿だからだ。
※このお話は、日常系のギャグです。
※小説家になろう様にも掲載しています。
※2024年5月 タイトルとあらすじを変更しました。
全てを捨てて、わたしらしく生きていきます。
彩華(あやはな)
恋愛
3年前にリゼッタお姉様が風邪で死んだ後、お姉様の婚約者であるバルト様と結婚したわたし、サリーナ。バルト様はお姉様の事を愛していたため、わたしに愛情を向けることはなかった。じっと耐えた3年間。でも、人との出会いはわたしを変えていく。自由になるために全てを捨てる覚悟を決め、わたしはわたしらしく生きる事を決意する。
私は大切にされていますか~花嫁修業で知る理想と現実~
矢野りと
恋愛
カリナは大恋愛の末、商家の跡取り息子サリムと婚約を結んだ。二人はすぐにでも結婚したかったが、サリムの両親は「商家出身ではないカリナがいきなり商家に嫁ぐのは大変だろう」とカリナの事を考えて三か月間の花嫁修業期間を設けることを提案する。
カリナは商売を手伝いながら花嫁修業を頑張るが…。
ーーー理想と現実は残酷なほど違うものだった。
カリナはこのまま結婚することが幸せなのか考えるようになる。
※作者の他作品『浮気の代償』の登場人物が出てきます。
※設定はゆるいです。
3歳で捨てられた件
玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。
それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。
キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。
【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。
千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。
だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。
いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……?
と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。
悪役令嬢は冷徹な師団長に何故か溺愛される
未知香
恋愛
「運命の出会いがあるのは今後じゃなくて、今じゃないか? お前が俺の顔を気に入っていることはわかったし、この顔を最大限に使ってお前を落とそうと思う」
目の前に居る、黒髪黒目の驚くほど整った顔の男。
冷徹な師団長と噂される彼は、乙女ゲームの攻略対象者だ。
だけど、何故か私には甘いし冷徹じゃないし言葉遣いだって崩れてるし!
大好きだった乙女ゲームの悪役令嬢に転生していた事に気がついたテレサ。
断罪されるような悪事はする予定はないが、万が一が怖すぎて、攻略対象者には近づかない決意をした。
しかし、決意もむなしく攻略対象者の何故か師団長に溺愛されている。
乙女ゲームの舞台がはじまるのはもうすぐ。無事に学園生活を乗り切れるのか……!
クラスでバカにされてるオタクなぼくが、気づいたら不良たちから崇拝されててガクブル
諏訪錦
青春
アルファポリスから書籍版が発売中です。皆様よろしくお願いいたします!
6月中旬予定で、『クラスでバカにされてるオタクなぼくが、気づいたら不良たちから崇拝されててガクブル』のタイトルで文庫化いたします。よろしくお願いいたします!
間久辺比佐志(まくべひさし)。自他共に認めるオタク。ひょんなことから不良たちに目をつけられた主人公は、オタクが高じて身に付いた絵のスキルを用いて、グラフィティライターとして不良界に関わりを持つようになる。
グラフィティとは、街中にスプレーインクなどで描かれた落書きのことを指し、不良文化の一つとしての認識が強いグラフィティに最初は戸惑いながらも、主人公はその魅力にとりつかれていく。
グラフィティを通じてアンダーグラウンドな世界に身を投じることになる主人公は、やがて夜の街の代名詞とまで言われる存在になっていく。主人公の身に、果たしてこの先なにが待ち構えているのだろうか。
書籍化に伴い設定をいくつか変更しております。
一例 チーム『スペクター』
↓
チーム『マサムネ』
※イラスト頂きました。夕凪様より。
http://15452.mitemin.net/i192768/
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。