悪役令嬢のおかあさま

ミズメ

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アンナ=セラーズ編

その2 町の美少女

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「アンナ、今日はふたりで町に行かない?」

 侯爵家の別邸で伯爵令嬢として暮らし始めて初めての休日の午前。
 約束通り侍女服に身を包み、主人であるヴァイオレット様に紅茶をお淹れしたところだった私は、その突然の申し出に固まってしまった。

「それは……私をお付きの者としてお連れくださるということでしょうか?」

 城下町に出る、その少数精鋭の付き人に私を選んでもらえるなんてありがたい。
 そう思ってヴァイオレット様の顔を見ると、なぜか困ったように眉を下げた。

「ううん、違うわ、アンナ。貴方はもう伯爵家の御令嬢で、本来ならうちの使用人じゃないんだから。外ではそうするって約束でしょう。だから――友人として一緒にお出かけしましょうってこと!」
「え……友人、ですか」
「いやだった?」
「いえ! 滅相もありません。私がヴァイオレット様の友人だなんて恐れ多くて……」
「いやじゃないなら良かった」

 そう言ってヴァイオレット様は、照れたように微笑む。
 そのお姿はとても可愛らしく、神々しくて、やっぱりこの人は最高だ、と改めて噛みしめる。
 この方と出会わなければ、私は、セラーズ家はどうなっていただろう。
 もしかすると、今頃没落していたのではないだろうか。最後は爵位を担保にお金を借りなければ……そうお父様が誰かと話しているのを聞いたのはいつだったか。

 男爵家という爵位はあったけれど、元々貴族社会にさほど興味はなく、兄姉たちもそれぞれ望んだ相手と婚姻を結んでいる。婚姻に何の見返りも求めなかった我が家はずっと貧しい。だけれど優しく領民想いの領主は皆に好かれていて、私もそんな家族が誇りだった。

 だから家のために、どんなに困難な状況でもめげずに頑張ろうと侍女になる道を選んだ。どんな家に、主人に仕えることになっても、身を粉にして働こうと意気込んでいた私を迎えたのは、想像よりもずっと温かな侯爵家で、そしてとても優しい主人だった。


「アンナ、どうかした?」
「いえ。少し考え事をしていました。それで、ヴァイオレット様。町で行きたい場所でもあるのですか?」

 感慨にふけっている私に、無垢な琥珀の瞳が向けられている。
 気を取り直した私は、行きたい場所を聞くことにした。
 町へはおつかいで何度も行ったことがある。自由に散策できない立場にあるヴァイオレット様を案内するためにぬかりのないようにしたい。

「行きたい場所……というか、会いたい人が、いて」
「!」

 頬を赤らめてもじもじとするご主人さまにハッとする。
 会いたい人。それも町に。
 もしかして誰かに秘めたる恋を……あれ、この前テオフィル様の長年の片想いが実ったって皆は言っていたような。

 ふたりで仲睦まじく手を繋いで庭園から帰って来て、いつもは私のように無表情であることが多い(でもヴァイオレット様と話しているときは確実に緩んだ顔をしている)テオフィル様が、元々の端正な顔立ちに、それはもう幸せそうな、蕩けるような笑みを浮かべていたという話で持ちきりだった。

 私はというと、別件で城に呼ばれていて、その世紀の瞬間に立ち会えなかったのだ。
 おふたりを陰ながら応援していた私にとってその瞬間を見逃したことはショックだったが、ふたりの気持ちが通じ合ったことが何よりも嬉しかった。

(これは……一応、テオフィル様に町にいくことをお伝えするべきではないかしら)

 ヴァイオレット様に関しては心配の鬼と化すあの人が、いくら護衛付きであったとしても令嬢ふたりで町に降りることに大手を振って賛成する筈がない。
 もちろん侯爵家からもそれなりの護衛がつくだろうけれど、さらに輪を掛けて護衛を付けるのが目に見える。
 ただひとつ言えるのは、私はその辺の令嬢よりはずっと戦闘能力が高く、今回もこっそり武器を仕込んでお出かけしようとしていることだ。

 万に一つも、ヴァイオレット様に傷ひとつつけられない。

 主人の警護に穴が無いよう、彼に協力を仰ぐのが得策だ。

 まだ優雅にお茶を楽しむヴァイオレット様に、私は準備のためにと言って早々にその場を去る。
 そうしてリシャール公爵家への急ぎの使者や護衛の手配、武器の準備、それから着替えなど諸々の用意を済ませた私は再度別邸から本邸のエントランスへと戻ったのだった。







「ではヴァイオレット様、まずどんなお店に行きましょうか?」
「そうね……オーブリー様は、どのお店と言ってたっけ……。そういえばアンナ! わたしたちは友人なんだから、もっと気安く話して欲しいな。敬語は禁止、それに様も付けなくていいんだけど」
「それは……私は」
「アンナ。お願い!」

 町に着き、ヴァイオレット様の希望で馬車から降りて歩いて散策することとなった。勿論背後には護衛騎士が2人控え、そしておそらく見えない所にも数人いるのだろう。
 
 ヴァイオレット様についいつもの侍女気分で話しかけると、言葉遣いを咎められ、縋るようにお願いされる。
 ずっと敬語でいた私にとっては、ハードルが高いお願いだ。

 その気持ちが、おそらく顔に出ていた。
 ポーカーフェイスを心がけていたのに、嬉しさと困惑が上限を超えてしまった。

 おもむろに手を伸ばしたヴァイオレット様は、私の右頬をむにりと摘む。

「今までずっと侍女でいてくれたから急に変えるのは難しいとは思うけど、もっと色んな表情を見せて欲しいな。これからも一緒にお茶したり、勉強したり、遊んだり……うーん、あんまりこれまでと変わらないような」
「ぶわいおれっほはま、いはいでふ」
「あ、ごめんごめん! ふふ、赤くなっちゃったね」
「もう、ヴァイオレット様ってば」

 楽しそうな主人を見ていると、思わず頬が緩む。
 私の顔を見て、ヴァイオレット様はますます破顔する。

 この笑顔を守るのは私の役目。
 でもそれはもう過去のこと。
 これからは、ヴァイオレット様を心から愛するあの人が、とてもとても大切にするのだろう。

 それが嬉しくもあり、寂しくもある。


 「ヴァイオレット様、まずは何処かで小物でも見ませんか?」


 そう問いかけると、凡庸な私の茶髪と違い、菫色の髪色が美しく、所作も洗練されていてどこから見ても良いところのお嬢様に見える彼女は、ふんわりと頷いてくれるのだった。
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