悪役令嬢のおかあさま

ミズメ

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アンナ=セラーズ編

その1 隣国の王子

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「室長、隣国より新種の薬草が届いております」
「ええと、そっちに置いておいて」
「室長! ゲンズブール侯爵がお目通りをと仰っておりますが」
「忙しいから無理。事前に予約するように言っておいて」

 とある王国のとある薬室では、茶色の髪をひとつに結んでいるアンナがひっきりなしに訪れる部下たちに対応していた。
 その机の上には書類が積み上がり、封を開けていない手紙が無造作に置かれた箱に溜まっている。

(ああもう、こんなに忙しくなるなんて想定外だわ……!)

「室長――」

 それでも彼女を呼ぶ声は止まない。
 ふう、とひとつため息をつくと壁にかけられた暦に視線を移す。
 暦の上の、来週末の日付につけられた、赤い丸印。
 それは彼女が敬愛してやまないヴァイオレットあるじの、結婚式の日付だ。

 ――あの日々からもう、3年の月日が経った。

 一度目を閉じて過去に想いを馳せる。
 19歳になったアンナは、また仕事に取り掛かるのだった。




 ◇◇◇




「……いくら貴方が王子様で、何か事情があったとしても、先日までのヴァイオレット様への態度が酷すぎます。そんな人のことは信じられません」

 貧しい男爵家の三女で、侯爵家の侍女として暮らしていた私は、突然降って湧いた話で伯爵令嬢となった。
 そしてそのまま王妃様主催のお茶会に急に招待されることになり、ヴァイオレット様と共に登城したのだけれど。

 何故か途中で騎士に変装したジーク……いえ、ジークハルト殿下に連れられて、城内の一室に案内された。

 そして彼が侍女たちを全て下がらせた後に、唐突に告げられたのは私への好意だった。

(……私はこれまでこの人に殺意しか向けたことはなかったのに、どうして? それに……)

 考えるより先に、さっきの言葉が出た。
 私の大大大好きな主人のヴァイオレット様に対して、ずっと変な敵意を向けていたこの人に、私は苛立っていたのだもの。

 言い終わると、ジークハルト殿下は呆気に取られた顔をしている。
 言い過ぎたかな、と思ったけど全く後悔していない。
 フォークやナイフを投げるより、ずっとすっきりした。

「あ……そうだな。都合が良すぎる、か」
 狼狽えながら、それでも彼は言葉を絞り出す。

 スッとした気持ちにはなったけど、そんな風に傷ついた顔をされると調子が狂う。

「……………」
「……………」

 2人しかいない室内には、沈黙が落ちる。

 重苦しい雰囲気の中、せめて紅茶でも飲もうと先程の侍女が用意したティーカップを口元へと運ぶ。

 ふわり、と。
 香り高い紅茶の、澄んだ香りのその奥に、どこか甘ったるい不自然な香を感じた。これは……?

「ジークハルト殿下!」

 今まさに紅茶を飲もうとする彼の手からティーカップをはたき落とす。
 宙を舞ったカップは、すぐに絨毯が敷かれた床へと鈍い音と共に落ちる。赤茶の染みが、じわじわと広がる様子を眺めていると、驚きの表情から一変して、険しい顔をしたジークハルト殿下が立ち上がって私の側へと来ていた。

「何をしているんだ!」
「も、申し訳ありません。紅茶が変だったので」

 無礼な振る舞いを咎められたと思った私は、思わず身を竦めた。よく考えたら、紅茶が跳ねて彼の騎士服を汚してしまっている。
 それにこの絨毯、とても高級そうだし、洗うのも大変そうだ。
 弁償……する余裕はうちにはない。どうしたらいいか、と戸惑う私に向けられたのは焦った声だった。

「火傷はしてないか⁉︎ 淹れたてじゃなかったから大丈夫だとは思うが……」

 ジークハルト殿下は紅茶を叩き落とした私の右手を掴むと、確かめるように触れ、何度も方向を変えて目視している。

「あの、殿下」
「なんだ? 痛いのか?」
「いえ、近いです。手を離してください」

 流石に気恥ずかしくなってそう言うと、かなり近づいていた私たちの距離がぱっと離れた。

 そのことにひと安心する。

「……ジークハルト殿下は、毒を盛られやすいんですか?」

 テーブルに残った私のティーカップに、指をさし入れてひと舐めすると、やはりの紅茶とは違う味がした。
 それを確認してから尋ねる。

 ジークハルト殿下は大きな溜め息をついてから首を横に振る。

「……巻き込んですまない。それにこれは自国うちの問題だ。誰にも言わないと約束してくれないか? 今日はもう門まで送ろう。馬車を手配しておく」
「……はい」

 スタスタと歩いて扉の方へと行った彼は、外で控える護衛に二言三言何かを告げると直ぐに私の所へ戻って来た。
 
 彼に問われるがままに、先程の紅茶に混入していた薬物についての見立てを話し、そのあとはほとんど会話らしい会話をする事もなく、私は城を後にした。
 ただ、別れ際に解毒用の丸薬をいくつか渡しておいた。

(殿下の飲み物に、薬物。考えられないことね。それなのに、彼にはしっかりとした専属の護衛もついていない)

 馬車に揺られながら、そんなことを考える。

 そうして、私にとって初めての貴族令嬢デビューとなる王妃様のお茶会への参加は、慌ただしく幕を閉じたのだった。




ーーーーーーーーーーーーーー
毒盛られ系ヒーローと解毒ヒロイン_φ(・_・
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