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02 嫌われ聖女と魔法使い
◇アトルヒ聖王国の聖女2◇
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《……行ってきます。ヴァンス先生》
聞こえてきたその言葉に、ヴァンスは研究室で飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
机の上に置いていた赤い小さな石は、それ以降全く応答がない。
「……偶然か?」
指先でその石を転がすと、淡く点っていた光が消え、ただの石ころのようになる。
あの羽根ペンの持ち主が、離れたところに行ってしまったのだろう。こんな朝早くに。
――セシリア・ジェニング
この国に現れた稀代の聖女である彼女を見張るのが、ヴァンスに課せられた王命だ。
学園での生活をサポートし、国のために力を捧げるように誘導する。
彼女の入学が決まった時に、学園長からそう指示された。
「羽根ペンは置いて行ったようだな。流石は聖女。何かを感じ取ったのかもしれないな」
応答しない魔石を眺めて、ヴァンスは再度コーヒーを飲む。
彼女に贈った羽根ペンには、盗聴の為の魔石が仕込まれていた。ウル・ランドストレームが彼女の私物を燃やしてしまった時にはどうしようかと思ったが、コレを彼女に渡すいい口実が出来たと思った。
しかし、彼女はその羽根ペンを持ち歩かないことにしたらしい。これでは、役に立たないだろう。ざまあみろ。
――聖女は賢い選択をしたのだ。
「必死だな、国は。……聖女を利用したいだけの癖に。反吐が出る」
ヴァンスには羽根ペンを渡したという事実さえあればいい。あとはその胸糞悪い物体を遠隔で破壊するのみ。元々時期を見てそうするつもりだったのだから。
「聖女、か。邪魔だな」
真面目で従順な教師を演じているヴァンスの元に王命が下る――それはなんとも皮肉な事だった。
先王がかつて手酷く扱った修道女が産んだ子供。それがヴァンスだ。
清らかな聖女にやけに執着し、熱心な信者であった母を踏み躙った先王。その子供――血縁で言えば兄にあたる男が国を治めている。
国からの支援などはなく、心と身体を病んだ母と共に辛酸を舐めるようにして育った幼少期。それからずっと王家には復讐の機会を窺っていたが、まさかその最中に聖女が現れ、さらにはそのお守りを言いつけられるとはヴァンスも思っていなかった。
「……しかし、王子側の動きが読めない。ウル・ランドストレームはさておき、バレリオこそ直々に命が下っていそうなものだが」
ヴァンスはカップを置くと、血縁上は甥にあたる人物とその友人たちのことを思い出した。
彼女が王家側に着くと色々厄介だ。そのためにも手を回して妨害をしたいと思っていたが……予定では彼女を囲い込みにかかるはずの王子たちが全くと言っていいほど動かない。
反対に、彼女に対してひどく嫌悪を抱いているようにも見える。
リディアーヌ・ガウリーを中心として謎の集団を形成し、セシリアが学園に馴染むことを阻害している。
その事はヴァンスにとっても予想外だった。
「……」
聖女が孤立している――ともすれば、ヴァンスにとって非常に事を進めやすい状況ではある。
彼女の心につけ込み、掌握する。異様な聖女信仰をもつこの国を転覆させるには、聖女が裏切るのが何よりもいい復讐になるのではないか。
(……セシリア・ジェニング。不思議な女だ)
夜通し羽根ペンに向かって話しかけていた少女を思い出しながら、ヴァンスはソファーに深く腰掛けた。
背もたれに身体を預けて、天を仰ぐ。
(羽根ペン相手に何をそんなに語ることがある……? これから色々と巻き込まれることになるというのに)
無垢な笑顔を向ける聖女。
彼女と話していると、毒気を抜かれる。
それが聖女たる所以なのかなんなのか分からないが。
「ふっ。しかし、どうしてあんなに光ってるんだ?」
食堂でも、この部屋でも。全身から光を放っていたことを思い出すと、ふいに笑ってしまった。
聖女であるあの少女にとって、いつか自分は相容れない存在になるだろう。既にそうかもしれないが。
今はまだ、彼女のサポートをするという仮初の役割を果たそう。ヴァンスは目を閉じてそう決意した。
◇ ◇ ◇
「……何をしているんですか?」
研究室を出たヴァンスが向かった食堂で、ひどく項垂れているセシリアを見つけた。
開業したばかりで、人は少ない。それもそうだ。まだ朝食の時間にも少し早いだろう。
しかし、そんな時間にも関わらず、セシリア・ジェニングは食堂にいる。
そんな折、すん、と鼻先に焦げ臭い匂いを感じた。彼女の鞄からなのだろうか。
「……あれ、ヴァンス先生……おはようございます」
やけに焦燥した表情のセシリアがヴァンスを見上げる。いつも元気いっぱいのはずが、やけに覇気がない。
(この焦げた匂い……まさか)
ハッとしたヴァンスは、慌てて彼女の向かいの席に座った。
「またランドストレームに何かされましたか? 前回の件は厳罰に処すとは上からは言われましたが、まだきっと対応が間に合っていません。彼が逆恨みして――」
「え、えっと……?」
またあの魔導士が彼女の私物を燃やしたのだと思ったヴァンスが詰め寄ると、セシリアはぽかんと呆気に取られた顔をした。
「……違うのですか。何か焦げたような匂いがしたのでてっきり」
「あっ……! あの、ですね、ええっと……焦げたのは、私のせいで……えへへ」
何かバツの悪そうな顔をしたセシリアは、鞄をごそごそと漁ると桃色の包み紙を取り出した。
ヴァンスの鼻に、さらに焦げた匂いが強く届く。
「……これは?」
「羽根ペンのお礼に先生にクッキーを作ろうと思ったんですけど、私そういえば作ったことがなくて。ご覧の有様です……」
「クッキー……」
目の前に広げられた紙からは、歪な形をした物が現れた。クッキー。そう言われればそうかもしれないレベルの品だ。
「あっ! 材料が勿体無いので、勿論私が全部食べますよ!? それに先生にこんな物を渡すつもりは毛頭ありませんから!」
「……これは、誰かに燃やされた訳ではないということですね?」
「はい、私がオーブンでしっかり焦がしました! 大失敗です!」
「ふ……」
やたらハキハキと話すセシリアに、ヴァンスはつい笑みを漏らしてしまった。
てっきり嫌がらせでもされたのかと思ったが、そういう事ではないらしい。
しかも、これはヴァンスのために作ったのだという。
(朝早くから何をしているかと思えば……全く、想像もつかない聖女サマだ)
彼女が落ち込んでいる理由が、誰かに傷つけられたからではないことに何故か安堵する。
ヴァンスは彼女が広げた包みの中からクッキーらしきものを一つ手に取ると、そのまま口に入れた。
「わああ……、先生っ!?」
「……うん、まあ、確かに、多少香ばし過ぎる気もしますが……美味しいですよ」
焦げて苦い部分もあるが、味自体は美味しいと思う。
そのまま咀嚼して飲み込めば、聖女は「ひええ」と慄きながら、顔を真っ青にしている。
「ごちそうさまでした、ジェニングさん」
「体調を崩したらすぐに言ってくださいね。私が責任をとります!」
「はは、大丈夫ですよ」
「本当にお腹は痛くないですか? 絶対に教えてくださいね」
「わかりました」
眉を下げて必死にそう告げてくるセシリアを見下ろしながら、ヴァンスはいつものように柔らかく微笑んだ。
聞こえてきたその言葉に、ヴァンスは研究室で飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
机の上に置いていた赤い小さな石は、それ以降全く応答がない。
「……偶然か?」
指先でその石を転がすと、淡く点っていた光が消え、ただの石ころのようになる。
あの羽根ペンの持ち主が、離れたところに行ってしまったのだろう。こんな朝早くに。
――セシリア・ジェニング
この国に現れた稀代の聖女である彼女を見張るのが、ヴァンスに課せられた王命だ。
学園での生活をサポートし、国のために力を捧げるように誘導する。
彼女の入学が決まった時に、学園長からそう指示された。
「羽根ペンは置いて行ったようだな。流石は聖女。何かを感じ取ったのかもしれないな」
応答しない魔石を眺めて、ヴァンスは再度コーヒーを飲む。
彼女に贈った羽根ペンには、盗聴の為の魔石が仕込まれていた。ウル・ランドストレームが彼女の私物を燃やしてしまった時にはどうしようかと思ったが、コレを彼女に渡すいい口実が出来たと思った。
しかし、彼女はその羽根ペンを持ち歩かないことにしたらしい。これでは、役に立たないだろう。ざまあみろ。
――聖女は賢い選択をしたのだ。
「必死だな、国は。……聖女を利用したいだけの癖に。反吐が出る」
ヴァンスには羽根ペンを渡したという事実さえあればいい。あとはその胸糞悪い物体を遠隔で破壊するのみ。元々時期を見てそうするつもりだったのだから。
「聖女、か。邪魔だな」
真面目で従順な教師を演じているヴァンスの元に王命が下る――それはなんとも皮肉な事だった。
先王がかつて手酷く扱った修道女が産んだ子供。それがヴァンスだ。
清らかな聖女にやけに執着し、熱心な信者であった母を踏み躙った先王。その子供――血縁で言えば兄にあたる男が国を治めている。
国からの支援などはなく、心と身体を病んだ母と共に辛酸を舐めるようにして育った幼少期。それからずっと王家には復讐の機会を窺っていたが、まさかその最中に聖女が現れ、さらにはそのお守りを言いつけられるとはヴァンスも思っていなかった。
「……しかし、王子側の動きが読めない。ウル・ランドストレームはさておき、バレリオこそ直々に命が下っていそうなものだが」
ヴァンスはカップを置くと、血縁上は甥にあたる人物とその友人たちのことを思い出した。
彼女が王家側に着くと色々厄介だ。そのためにも手を回して妨害をしたいと思っていたが……予定では彼女を囲い込みにかかるはずの王子たちが全くと言っていいほど動かない。
反対に、彼女に対してひどく嫌悪を抱いているようにも見える。
リディアーヌ・ガウリーを中心として謎の集団を形成し、セシリアが学園に馴染むことを阻害している。
その事はヴァンスにとっても予想外だった。
「……」
聖女が孤立している――ともすれば、ヴァンスにとって非常に事を進めやすい状況ではある。
彼女の心につけ込み、掌握する。異様な聖女信仰をもつこの国を転覆させるには、聖女が裏切るのが何よりもいい復讐になるのではないか。
(……セシリア・ジェニング。不思議な女だ)
夜通し羽根ペンに向かって話しかけていた少女を思い出しながら、ヴァンスはソファーに深く腰掛けた。
背もたれに身体を預けて、天を仰ぐ。
(羽根ペン相手に何をそんなに語ることがある……? これから色々と巻き込まれることになるというのに)
無垢な笑顔を向ける聖女。
彼女と話していると、毒気を抜かれる。
それが聖女たる所以なのかなんなのか分からないが。
「ふっ。しかし、どうしてあんなに光ってるんだ?」
食堂でも、この部屋でも。全身から光を放っていたことを思い出すと、ふいに笑ってしまった。
聖女であるあの少女にとって、いつか自分は相容れない存在になるだろう。既にそうかもしれないが。
今はまだ、彼女のサポートをするという仮初の役割を果たそう。ヴァンスは目を閉じてそう決意した。
◇ ◇ ◇
「……何をしているんですか?」
研究室を出たヴァンスが向かった食堂で、ひどく項垂れているセシリアを見つけた。
開業したばかりで、人は少ない。それもそうだ。まだ朝食の時間にも少し早いだろう。
しかし、そんな時間にも関わらず、セシリア・ジェニングは食堂にいる。
そんな折、すん、と鼻先に焦げ臭い匂いを感じた。彼女の鞄からなのだろうか。
「……あれ、ヴァンス先生……おはようございます」
やけに焦燥した表情のセシリアがヴァンスを見上げる。いつも元気いっぱいのはずが、やけに覇気がない。
(この焦げた匂い……まさか)
ハッとしたヴァンスは、慌てて彼女の向かいの席に座った。
「またランドストレームに何かされましたか? 前回の件は厳罰に処すとは上からは言われましたが、まだきっと対応が間に合っていません。彼が逆恨みして――」
「え、えっと……?」
またあの魔導士が彼女の私物を燃やしたのだと思ったヴァンスが詰め寄ると、セシリアはぽかんと呆気に取られた顔をした。
「……違うのですか。何か焦げたような匂いがしたのでてっきり」
「あっ……! あの、ですね、ええっと……焦げたのは、私のせいで……えへへ」
何かバツの悪そうな顔をしたセシリアは、鞄をごそごそと漁ると桃色の包み紙を取り出した。
ヴァンスの鼻に、さらに焦げた匂いが強く届く。
「……これは?」
「羽根ペンのお礼に先生にクッキーを作ろうと思ったんですけど、私そういえば作ったことがなくて。ご覧の有様です……」
「クッキー……」
目の前に広げられた紙からは、歪な形をした物が現れた。クッキー。そう言われればそうかもしれないレベルの品だ。
「あっ! 材料が勿体無いので、勿論私が全部食べますよ!? それに先生にこんな物を渡すつもりは毛頭ありませんから!」
「……これは、誰かに燃やされた訳ではないということですね?」
「はい、私がオーブンでしっかり焦がしました! 大失敗です!」
「ふ……」
やたらハキハキと話すセシリアに、ヴァンスはつい笑みを漏らしてしまった。
てっきり嫌がらせでもされたのかと思ったが、そういう事ではないらしい。
しかも、これはヴァンスのために作ったのだという。
(朝早くから何をしているかと思えば……全く、想像もつかない聖女サマだ)
彼女が落ち込んでいる理由が、誰かに傷つけられたからではないことに何故か安堵する。
ヴァンスは彼女が広げた包みの中からクッキーらしきものを一つ手に取ると、そのまま口に入れた。
「わああ……、先生っ!?」
「……うん、まあ、確かに、多少香ばし過ぎる気もしますが……美味しいですよ」
焦げて苦い部分もあるが、味自体は美味しいと思う。
そのまま咀嚼して飲み込めば、聖女は「ひええ」と慄きながら、顔を真っ青にしている。
「ごちそうさまでした、ジェニングさん」
「体調を崩したらすぐに言ってくださいね。私が責任をとります!」
「はは、大丈夫ですよ」
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