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1話

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 冷たい風が頬をかすめ、冬の匂いが鼻腔をくすぐる。波の音が規則的に繰り返されるたびに、潮の香りが強くなった気がした。

私はコートのポケットから手を取り出し、巻きつけたマフラーの端を軽く引っ張り直した。手袋をしていても指先がじんじんと冷える。この季節の海岸は、いつもこんなものだ。

「今日も、寒いわね」

吐き出した言葉が白い霧になり、波の方へと消えていく。

「ええ、今年は例年より冷えますね」

後ろから落ち着いた声が返ってきた。振り返る必要はない。声の主は、私の護衛騎士であるユリウスだ。

ユリウスはいつも通り、少し距離を取ってついてきている。目立つことのない控えめな足音が、砂を踏む音にかき消されていた。彼は冬の海風をものともせず、平然とした様子で私のすぐ後ろを歩いている。

「あなたは、寒さに強いのね。私だったら、もうすでに手がかじかんで動かせないわ」

「慣れですよ。鍛錬をすれば自然と体は温まります」

少しだけ誇らしげな響きが声に混じった。私は小さく息を吐きながら、視線を波打ち際へ戻した。

(………静かだ)

青く透き通った冬の海は、まるで冷たさそのものが色になったような静けさをたたえている。

この海が好きだった。

小さい頃は、両親と一緒にこの海岸を歩いて、波打ち際で貝殻を拾ったこともある。けれど、今はその思い出が少しだけ痛む。私はそっと目を閉じた。

 1年前のことが、鮮明に思い出される。あの日、父と母は「少し散歩してくる」と言い残し、いつものようにこの海岸へ出て行った。

それが、最後だった。

家の者たちが必死に探し、村の人々も協力してくれたけれど、見つかったのは冷たい海の中でだった。

『事故だった』と、皆は言った。

でも、私はどうしても納得がいかなかった。”海に選ばれし”アークレイン家が、どうして海で命を落とすのだろう。胸の奥にぽつんとできた小さな疑念は、1年経った今も消えないままだ。

「……リディア様」

後ろからユリウスが声をかけてくる。

「大丈夫よ」

私はできるだけ平静を装って返した。波の音が大きく響き、潮の匂いがやけに濃く感じられた。この海は、変わらないようで、少しずつ何かが変わっている気がする。

変わったのは海だけではない。私も変わった。

「私が守らなきゃいけないのよね。この海も、この領地も」

自分に言い聞かせるように呟くと、背筋を正し、海を見つめ直した。その時だった。

「……あれ?」

私は目を凝らした。波打ち際から少し離れた砂浜の向こう、遠くの海岸に、何かが転がっているのが見えた。

最初は波にさらわれた流木かと思った。けれど、波が何度か押し寄せてもそれは動かない。

「……人?」

私は息を詰めた。

「何か見つけましたか?」

ユリウスがすぐに気づき、私の視線を追った。

「向こうに……人が倒れている気がするわ」

自分でも驚くほど、声が震えていた。

「急ぎましょう」

ユリウスの声が聞こえると同時に、私は走り出していた。
「」
冷たい砂が足元を不安定に揺らす。私の心臓が、さっきより早く鳴り始めていた。波の音が耳に響く。

どうか、どうか、無事でいて。

そんな祈りが、心の中で何度も何度も繰り返される。やがて、輪郭がはっきり見えるようになった。

「……銀髪?」

私は思わず足を止めた。銀色の髪が、海の光を受けてきらきらと輝いていた。砂浜に横たわるのは、若い男性だった。

その顔は信じられないほど整っていて、まつ毛の長ささえもはっきりと分かる。

私はすぐに彼のそばに膝をつき、肩に手をかけた。

「大丈夫?聞こえる?」

肩を揺さぶるが、彼は反応しない。

「ユリウス!」

「今、脈を……」

ユリウスが彼の手首を取った。

「……あります。けれど、体がかなり冷えている。このままだと危険です」

「とりあえず、連れて帰りましょう!」

私は彼の腕を自分の肩に回すため、引き寄せようとした。その瞬間、ぞわりと背筋に奇妙な感覚が走った。冷たいはずの彼の体が、まるで水の中に手を入れたような感触だったからだ。

「……っ」

驚いて思わず手を離してしまった。

「リディア様?」

ユリウスが不思議そうな声を上げる。

「……なんでもないわ」

少し手が震えていたけれど、気のせいだと思い込んだ私は彼の腕を再びしっかりとつかんだ。

「行くわよ、ユリウス」

「はい」

二人で彼の体を支えながら、立ち上がる。腕にかかる重みは、人を抱きかかえている感覚と何も変わらない。けれど、あの水に浸かるような感触が、どうしても頭から離れなかった。

私はチラリと彼の顔を見た。銀色の髪が、風に揺れている。まつ毛が、かすかに動いた。

「……」

息をのんだ。そのまま、ゆっくりと青い瞳が開かれた。

一瞬、目が合った。

水のように透き通った瞳が、私を見つめているようだった。だけど、それはほんの一瞬のことで、彼はまた静かに目を閉じた。

彼の顔は穏やかで、まるで眠っているみたいだった。私はその顔を見つめながら、胸の奥に何かが引っかかるのを感じていた。この感覚が何なのか、私にはまだ分からなかったけれど。
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