骸骨殿下の婚約者

白乃いちじく

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第四章 真実と虚構の狭間

第五十五話

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「何ぐずぐずしてるのさ」
 そう言ったのは、ルドラス帝国の第三皇子ノエル・ヤンドゥーラ・アーク・ルドラスだった。輝く皇子という異名の通り、美しい容姿を持った彼は、多くの女を侍らせて止まない。背にある白い翼を、ばさりと苛立たしげに打ち振った。
 紅に染まった宮殿は美しい。彼らがいる広間にも赤々とした夕日の光が差し込んでいる。
「例の天眼の女はどうしたの? 見つけてから大分経つ。この僕の花嫁にするんでしょう? さっさと掠ってくれば良い」
 ノエル皇子がそう言えば、
「……下手な真似をすればウィスティリアと戦争になりますよ? ノエル皇子」
 そう答えたのはアロイス・フォレストだ。
 闇の貴公子と渾名されそうな彼は、いつものように黒一色の衣服に身を包んでいる。身につけた煌びやかな装身具が、そこに鮮やかな色彩を添えていた。白い皇子と黒衣の魔術師。実に対照的な二人である。
 ノエル皇子が鼻を鳴らした。
「ふん、それがどうしたっていうのさ? 我が国が負けるわけもない。魔術大国? は、大したことないよ、あんなの。僕達有翼人にはね、魔術の力は利かないんだから。あんなのは単なる能なしの集まりだ」
「……過信は禁物です。我ら有翼人は確かに魔術の力を弾きますが、天眼のように幻覚を見抜けますか? 同士討ちなんて目も当てられません。それに、岩を崩されて、その下敷きにされたらどうです? 魔術で直接我らを攻撃出来なくても、他に方法はいくらでもあるんですよ、ノエル皇子。魔術の力を決して侮ってはなりません」
「ああ、もう、うるっさいよ、お前」
 ノエル皇子は、手にしたワイングラスをアロイスの顔に向けて投げつけた。気に入らないことがあるとノエル皇子はこうして癇癪を起こす。優美な見た目とは違って、内面はかなり残忍だ。
 アロイスの額に当たったワイングラスが、床に落下して割れる。アロイスは額から流れ出た血を無言で拭った。
 ノエルは再び真っ白な翼をばさりと打ち鳴らし、
「そういう時の為にお前がいるんだろ? この出来損ないが」
「……申し分けございません」
 アロイスはそう言って頭を下げる。
「本当、お前のように翼のない有翼人なんてみれたものじゃない。魔術の才があったから、お前はここにいられるんだ。皇家の慈悲に感謝するんだね」
「ようく分かっております」
 この無能皇子がとアロイスは心の中で吐き捨てるも、そんな内面はおくびにも出さず、恭しく頭を下げる。
 その場を辞し、宮殿の廊下を歩きながら、ノエル皇子を傲慢で残忍で無能だと蔑みつつ、あの王太子とは正反対だなと、アロイスはふとそう考えた。
 ウィスティリアの王太子は非常に扱いにくい。柔らかな雰囲気が一見扱いやすそうにも見えるのに、おだてにも挑発にも乗らず、あの穏やかな眼差しで逐一状況を観察し、こちら側の意図を探ろうと言葉の裏を読んでくる。やっかいだ……。
 クリムト王国の王女に薬を融通した際も、僅かな痕跡をわざと残し、こちら側につっかかるように細工したのだが、その挑発にも乗らなかった。自分の罪を責め立てれば、こちら側に都合のいいように事を運ぼうと思っていたのだが……。
 アロイスは自分の本当の身分を明かしていない。
 翼を持っていないので、見た目では分からない事を良いことに、アロイスが本名を名乗る事は滅多にない。その方が都合がいいからだ。本名はアロイス・フォレスト・アーク・ルドラス。側室生まれだが、れっきとしたルドラス帝国の第二皇子である。ただし、翼のない皇子ということで、継承権は剥奪されているが……。
 そう、アロイスにはルドラス王家の最大の特徴である翼がなかった。
 それ故、同じ皇族からは欠陥品と陰口をたたかれ、当然、同等の扱いは許されない。常にアロイスは皇族を敬う立場に追いやられた。
 それでも、除籍されていない以上、アロイスの立場はルドラス帝国の第二皇子だ。それを確たる証拠もなく責め立てれば、流石のウィスティリアもただではすまないだろう。和解の方法として、王太子夫妻の訪問を提示するつもりだったのだが、見事にかわされた。
 アロイスは舌打ちを漏らした。本当に厄介だ。
 証拠らしい証拠はないと判断したのだろう、賢明な判断だが、こちらとしては困る。王太子妃を無理矢理掠うのは困難だと、既に実証済みだ。是非ともあの王太子妃には、ここルドラスの地を踏んでもらいたいとそう思うが、さて、どうしたものか……。
 魔術大国ウィスティリアの国力は我が国と同等だ。
 もし、王太子夫妻の訪問を強要すれば、それは属国の扱いとなる。こちらが上だと認めさせるようなもので、侮辱と取られるだろう。見目麗しい頭空っぽなあのノエル皇子に、あの王太子妃が傾倒してくれれば、まだやりようはあったのだが……。自分が接触した感触ではそれも難しい。
 ――翼がなくても、お兄様は素敵よ?
 ふと、妙な事を思い出し、アロイスは苦笑した。あの王太子妃は、どことなく妹のアイリスを彷彿とさせる。輝く金の髪にすみれ色の瞳。自分を見上げる幼い眼差しは純真で心地よかったが、既にこの世にはいない。たった十才の若さでこの世を去った。
「アロイス様、ご機嫌麗しゅう」
 振り返れば、皇妃付きの女官が微笑んでいる。皇妃付きの女官なので、もちろん身分は高い。アロイスは愛想良く笑った。
「これは、これは、パメラ嬢ではありませんか。相変わらずお美しい」
「まぁ、いつもながらお上手ですこと」
 パメラ女官が上機嫌でするりと腕を絡めてくる。
「アロイス様は本当に罪作りなお方ですわね。一体何人の方に同じ台詞をおっしゃっているのかしら?」
「罪作りなのはお美しいあなたですよ、パメラ嬢」
「本当にお上手ね」
 パメラ女官が頬を染め、喜色を浮かべる。
「個人的なお茶会にアロイス様をお招きしたいと思っておりますの。今晩どうかしら? お受けして下さると嬉しいわ」
「もちろん、喜んで」
 アロイスは極上の笑みを浮かべてみせる。
 次いで、パメラの手を取って口づければ、それだけで頬を染める。こうした女は扱いやすくていい、アロイスは極上の微笑みを浮かべたまま、心の中でそうほくそ笑んだ。精々ご機嫌を取ってやるとも。こちらに利がある内は。
 一方、その場でアロイスの背を見送ったノエルは、不機嫌そうに椅子の肘掛けをとんとんと指で叩き、
「ね、オルノ」
 自分の側近を呼びつける。ノエル皇子と同じように翼を有した若者が傍へと寄った。眼鏡をかけた学者風の若者である。翼は白ではなく鷹のような色合いだ。
「は、ここにおります」
「あいつ、気に食わない」
「あいつ、とは?」
「ウィスティリアの王太子だよ。男なのにやたらと色気があって目障りだ。あの透き通るような肌、見た? あれじゃあ、まるでヴィーナスの生まれ変わりじゃないか。あんなの反則だよ。この僕よりも綺麗だなんてふざけてる。何とかならない?」
 オルノはまたかと思いつつも、にっこりと笑ってみせる。
 この皇子は何かと己の美貌をひけらかす。己の美を磨くことにことさら熱心だ。それでいて、自分と同等だと思う者にはやたらと残虐性を発揮し、皆酷い目に遭わされてきた。無事なのは同じ皇族だけで、平民であれば、大抵はその美貌を潰される。
「そういわれましても……流石にウィスティリアの王太子では手の出しようが……」
 ぱんっという小気味のいい音で、オルノは頬を張られたのだと気が付く。
「うるさい。へりくつは良いから。何とかして」
 我が儘も極まれりだ。下手に手を出せば戦争だと気が付いているのかどうか。オルノが答えあぐねていると、
「もう一度呪ってやればいいじゃない」
 ノエルが事もなげに言う。
「と、いいますと?」
「金を好きなだけやって、あいつを呪っていた魔女にもう一度呪ってもらうんだよ。あいつに相応しい姿になってもらえばいい」
 大魔女と名高い夕闇の魔女と接触すると聞いて、オルノは顔をしかめた。あまり良い噂を聞かない。へたに関わると逆に依頼主が呪われる、とまで耳にしている。依頼料が高額なのはあたりまえで、依頼を受ける受けないはその場の気分次第、らしい。そして怒らせると依頼主がカエルにされる、とまで聞く。
 ノエルが小馬鹿にしたように笑った。
「何、びびってんのさ。僕達有翼人に呪いは利かないよ? 魔法は全部弾くんだから」
「は、それは、そうですが……」
 オルノはもんもんとする。確かに我らを呪うのは無理だ。魔術の攻撃は全て無効化できる。しかし……。
「……使い魔に襲われたら、ただでは済みません」
 オルノはそう、呻くように言った。そういった事例があるのだ。魔術師を取り囲んで小突き回した仲間が、召喚した魔獣に襲われ、半死半生になったと聞く。あいつらは決して侮ってはいけない存在だ。なのにこの皇子は自分の優位性を微塵も疑わない。いや、優位なのは確かだろう。侮りさえしなければ……。
「だったら、衛兵を山ほど連れて行けば良いだろ? この能なしが」
 ノエルがそう吐き捨てた。その言葉、そっくりお返し致しますとは言えず、オルノは不承不承頷いた。

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