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最終章 誰よりも大きなおかえりなさいを貴女へ

今日だけは素直にさせてよ神様

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 マリオンが口元を押さえている。パミュの視線から逃げるように、テーブルを見つめていた。
 パミュは、怒ってなんていない。
 むしろ、心配そうにお前のことを見つめている。
 伝えてやるべきだったのか。
 口に出して、言うべきであったのか。
 怒ってない。
 心配すんな。
 お前の友達だろ?
 パミュが、あいつが、そんなことで怒るもんかよ。
 ほら、前見てみろよって。
 な? お前のことを、一番に思ってる顔してるだろって。
 でも、言えなかった。
 マリオンの華奢な背中を、見守ることしか、俺にはできなかった。
 小刻みに震えて、吐いちまうんじゃないかってぐらい、怯えてるその背中を、ただ、見つめることしかできなかった。


 パタン。


 マリオンの手が、足元まで戻った。


「マリオン帰る」


 こういう言葉に限って、ハッキリと言ってしまう。
 そういうものだった。
 マリオンが早足で出入り口に向かった。
 一秒でも早く出たい。
 そんな気持ちが、歩き方から伺えた。


 バッ!!


 パミュがティアラナをどかして、両手両足を扉の前で広げた。
 唯一の出口を封殺されて、マリオンが足を止める。
 バカバカしい。全てがバカバカしい。
 そう言わぬばかりの空気を纏い、マリオンは顔を俯けていた。


「どいて」
「どかない」
「どいて!!」
「やだ!! マリオンがいつものマリオンに戻るまで、一月だって動かない!!」


 頬を膨らましながら、パミュが言った。

 マリオンは、そんなパミュを見てもいない。


「そんなことできるわけないじゃん。ほんとクソバカなんだから」
「バカじゃないもん!! 本当にできるもん!! するもん!! ティアラナさんだったらわかってくれるもん!! マリオンがこのまま不貞腐れたままだったら、あたしとマリオンとビュウとティアラナさんとロゼッタさんと、セレンでここに住んで、それで、みんなで御飯作ったりとか、洗濯したりとか、かわりばんこでやって、それで、それで――」
「いいよ」
「え……」
「やろう、それ」



 同意されて、パミュが明らかに戸惑っている。
 まさか賛同されるとは、思っていなかったのだろう。


 かくゆう俺もそうだった。
 もしかしたら、マリオンは……。


「一月一緒にここに住もうよ。何だったらマリオンの部屋でもいいよ。狭いけど、パミュだったら別にいいよ。二人で一月一緒に住もう」
「えと……」
「何だってやってあげるよ。料理も洗濯も掃除も。仕事も一緒にしよう。サポートしてあげるよ、マリオンが。簡単な仕事からやっていこう? マリオンが選んであげるよ。ほら、やってみなよ。やろうって、言ってみなよ。できないよね? できるわけない。
 だってあんたは――
 エルメルリアに住んでさえいないんだから!!」


 足の横で、拳を握りながら、マリオンが吠え立てる。
 やはり……。
 誰に教えられるまでもなく、マリオンはその核心にたどり着いていたのだ。
 しかしその核心は――
 エルメルリアの、一町娘がたどり着いてはならない、核心だった。
 セイレーンが腰巻きの中に手を入れながら、足を踏み出す。
 マリオンは気づいていない。
 俺が動く暇はなかった。
 何故なら。
 その手首を、ティアラナが握りつぶすような勢いで、握りしめたからだ。


「ほらね」


 マリオンが言った。
 周囲のことなんて、パミュのことさえも、目に入っていないかのような態度で。


「やっぱり……何にも言えない、じゃん」


 見鬼を使わなくたって、華奢な背中しか見えなくたって、わかる。


「あんたはいつだって、適当なことしか言わない」


 わかるよ、そりゃ。
 だって。


「困った時は、だんまりで逃げるしかできない」


 ひどく、震えた声だったから。


「……あのっ」
「ルリアシークに家があるって話も嘘。何人かの使用人と一緒にきたって話も嘘。お父さんはエイジアの商人してるって話も嘘。家で習い事ばかりさせられてるって話も嘘。だからいつもは表に出れないって話も嘘。
 全部嘘。
 あんたのことがわかるかって? わかるわけないでしょ? 嘘ばっかり付いてるあんたのことなんか、どうやってわかれって言うんだよ!! 
 マリオンにはねぇ。マリオンには……。
 今、目の前に立っているあんたが、『どっちの』パミュなのか、それさえもわからないんだ!!」


『帰りましょ? あいつのところへ』
『バイバイ。ワンコちゃん』


 あの時の光景がフラッシュバックした。
 そうだ。
 マリオンは、もう一人のパミュに――
 影姫カーヤに、会っている。


「わかんない……」


 マリオンが、ギュッと蒼い髪をつかんだ。


「ちっとも。全然。何にも。何一つ」


 誰も口を挟めなかった。
 パミュが悪いとは言わないが、マリオンの怒りはもっともだ。
 友達だと思っていた相手が、偽物だった。
 加えてマリオンは――
 祭りを一緒に楽しむ友人さえ――


「わかってやれて、いなかったっ」


 ハッと顔を上げた。
 俺とパミュ。
 どっちとも。


「あんなに一緒にいたのに。ずっとあんたの魔装見てたはずだったのに。整纏もできないって、バカにしてた、はずだったのに」


 華奢なマリオンの背中。
 耳を塞いだ方がいいかもしれないと、ふと思った。
 だってお前……。


「エルメルリアに、来たばっかりの、お兄さん……より、ティアラナさん……より、絶対マリオンの方が……見てたはずなのに」


 もう自分が何言ってるのかすら、わかってないんだろ……?


「帰ってきたら、今度こそはって、絶対って思ったのに。全部あの二人が解決して。
 マリオンじゃ、振り向かせることさえ……。
 くっそー……くぞー……ぐ……」


 口に巻かれた紐を、噛み切ろうとするような、そんな声。
 あのマリオンの声とは思えない。
 そんな声を断ち切ったのは――


「ゴメン」


 パミュの声だった。
 華奢なマリオンの身体が、パミュの中に包まっている。


「あたしが間違ってた。全然マリオンの気持ちわかってやれてなくて、すっごく心配させて、ゴメン。マリオン」
「したよ!!」


 我先にと、マリオンの声が、被さる。


「すっごい……したぁ……」


 しかしその声も、すぐにひしゃげて潰れた。


「もしかしたら、もう、帰ってこないんじゃないかって、思って、た。
 最後にかけた言葉は何だろうって考えて……すっごい、後悔、した……。
 なのに、なのに、マリオン、今日も、何にも言えない。また、バカにして。もうしないって、決めてたはずなのに。
 こんなんじゃ、ダメ、だって。マリオンにと……っては、一人、でも、パミュにとっては、いっぱいいる中の、一人、でしかしかない、から。
 マリオン、このままじゃ、パミュの中から、霞んで、消え、消えちゃうって……自分のこと、ばっかり、考えて。
 今は、こんなに、近くに、いるのに……抱きしめることも、できな、くて。
 もう会えな……のにっ。いつ会え……かも、わかんな……のにっ。
 何にもできないまま、もう、大切な一日……終わっちゃっ」


「そんなことない」


 パミュの声。
 聞こえてくるのは、マリオンの嗚咽。まるで、出口がわからない子供のようだ。


「そんなことないよ、マリオン」


 もう一回。
 パミュが言った。
 パミュは――


「自分が、みんなをどういう気持ちにさせたのか、今ならわかる」


 マリオンよりも二歳年上。


「マリオンがそれを教えてくれたんだよ?」


 それを今日以上に実感した日はない。
 多分、マリオンも……。


「こんな当たり前のことを、痛い思いしてまで教えてくれる友達、他にいないよ。
 どこ探したって――いるもんかっ」


 俺はまた、視界から二人を消した。
 目蓋を下ろすことで。
 痛々しくて、目を背けたんじゃない。
 安心したんだ。
 お前が動いたらもう大丈夫だって、そう思った。


「もしもあたしがさ……本当にこの街に住んでたらね、マリオン」


 やっぱお前はすげぇよ、パミュ。


「あたし……みんなに自慢しちゃうなっ」


 八百年生きている俺でも、きっとこんなことはできやしねぇ。
 お前だから、できたことだ。
 俺は、八百歳、年下のお前のことを、心の底から尊敬する。


「あたしには、最高の友達がいるんだって。自分の人生で、これ以上はないって言い切れる、親友がいるんだって」


 目蓋を持ち上げた。
 パミュとマリオンの距離。
 先よりずっと近づいていた。
 紅塗ったパミュの唇が、マリオンの獣耳の側に、寄っている。


「今、手の中にいるこの子が――そうなんだぞって」


 マリオンの手。震えている。
 泣いているときというのは、全てがままならないものだ。
 声も。
 身体も。
 だから。
 溢れ出す気持ちに流されるように――


 マリオンの手が、パミュの腰に、回った。

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