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第46話ー1 ヴィオリニスタ(ヴァイオリニスト)

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 1493年元日のカプリコルノ国。

 西の山――コニッリョの山の麓に、あんこを炊く甘い匂いが漂っていた。

「あけましておめでとう、コニッリョの皆。ご飯よー」

 と5番目の天使こと絶世の美王女ヴァレンティーナがあんこ鍋を掻き回しながら呼ぶと、あちこちから涎を垂らしたコニッリョがわらわらと寄ってきた。

 それらはヴァレンティーナの後方にいる『人間界の王』とメッゾサングエ王妃を見て、驚いた様子を見せる。

 人間界の王とメッゾサングエ王妃の腕には、そのあいだに出来たと分かる赤ん坊が抱かれていた。

「父上が抱っこしているのがアレックス、ルフィーナ王妃陛下が抱っこしているのがシルビーよ。シルビーは11番目の天使なの。見れば分かると思うけど、2人のあいだに出来たメッゾサングエよ。よろしくね」

 とヴァレンティーナが言うと、人間語を覚え始めたコニッリョも少なからずいるらしく、また少し驚いた反応を見せた。

 その様子をフェデリコとアドルフォと共に、遠くから眺めていたベルに安堵の表情が浮かぶ。

「上々の反応ですね」

「こっちはな」

 と、フェデリコとアドルフォの声が揃った。

「今ムネ殿下と猫4匹が、町や村にアレックスとシルビーの誕生を知らせに行っているが、民衆はどうなっているだろうな」

「ベルがカンクロ女王になってトーレ殿下と一緒に帰国して以降、祭のように浮かれっぱなしだったが……宮廷の中と同じように、今度は阿鼻叫喚地獄ってところじゃないか? まぁ、分かってたことだが気の毒だな……ルフィーナ王妃陛下も、アレックス殿下もシルビー殿下も」

 人間よりも耳の効くルフィーナに聞こえたらしく、それは振り返って「大丈夫です」と言った。

 ベルと目を合わせ、笑顔を見せる。

「わたしにもアレックスにもシルビーにも、陛下や皆さん、そして世界一の大国の女王陛下が付いていますから」

「ええ、そうです。私が付いております」

 とすっかり女王の風格が定着したベルが言うと、フェデリコとアドルフォが「なるほど」と笑った。

「それは安心だ」

  フラヴィオが振り返って、大きく片腕を振る。

「フェーデ、ドルフ。あんこ鍋が空になるまでのあいだ、ティーナの護衛に付いていてくれ。アレックスとシルビーが腹を空かせているから宮廷に戻る。余も腹を空かせているトーレの離乳食を作る時間なのだ」

 その言葉に衝撃を受けたフェデリコとアドルフォが、「え……!?」と声をハモらせた。

「兄上がトーレの離乳食を作るですっって?」

「うむ。仕事が休みだからな」

「いや、しかし……『大さじ1』を『一掴み』だと思っているような兄上が?」

「塩と砂糖を同じ分量入れたら中和されてゼロになると思っていらっしゃる陛下が?」

 フラヴィオの頬が膨れ上がった。

「何を言っているのだ、おまえたち! そんなの大昔の話だろう! 余は料理の出来る男なのだ! 大体、トーレの危機を目前に余に出来ぬことなどない!」

「そ、そうですか」

 と返したフェデリコとアドルフォが、狼狽してベルを見る。

「トーレの危機だ、ベル。必ず毒見してからトーレに与えてやってくれ」

「いや待て、ベルが毒見するな。アラブあたりに食わせろ」

 ベルは「畏まりました」と承知すると、フラヴィオとルフィーナ、アレッサンドロ、シルヴィアと共に宮廷へ帰っていった。

「フラヴィオ様、私はルフィーナさんに付き添いますから、フィコ料理長の指示の下でトーレの離乳食を作ってくださいね」

「分かったのだ、アモーレ」

 その返事を少々不安に思いながら、ベルはルフィーナと一緒に国王・王妃の寝室へ。

 辿り着く前にアラブと擦れ違ったので、それは味見(毒見)用に厨房へ送り込む。

 寝室の中には小さなベッドレットが並んで2台用意されている。

 またそれは、ベルの部屋にもあった。

 乳母には預けないことになったアレッサンドロとシルヴィアのレットだった。

 赤ん坊が生まれたら乳母に預ける王侯貴族にとって、違和感のある光景だった。

「どっちにしろモストロやメッゾサングエの赤ちゃんの場合は、人間より同じメッゾサングエかモストロの母乳で育った方がいいんですよ。少しの差ではありますが、人間の母乳で育ったモストロやメッゾサングエは成長が遅れますから」

 と、ルフィーナ。

 メッゾサングエも人間と同様に、生まれたばかりの赤ん坊は首も据わっておらずふにゃふにゃで、同時授乳は難しそうだったので、より腹を空かせている様子のアレッサンドロの方から授乳していく。

「そうでしたか。それは将来、魔力の大きさにも差が出来たりするんでしょうか?」

「メッゾサングエだと分かりにくいですけど、人間の母乳で育てられたモストロが通常よりも魔力が低くなりがちなのはたしかです。ちなみに純血ガットですと本当に成長が早いので、2ヶ月で授乳が終わります」

「凄いですね。その後は離乳食ですか?」

「純血の場合は離乳食の期間というのが無くて、2カ月を過ぎたらもう自分で狩りを始めるんですよ。タロウさんとナナさん・ネネさんのあいだに出来たネーロのポチさんは宮廷の池の鯉を、ティグラートのタマさんは家畜の牛を勝手に狩って食べて怒られたそうです。また、それくらいから好き勝手に魔法を使い始めますね」

 ベルが「なんと……!」と驚きながら、アレッサンドロとシルヴィアを見る。

「本当に凄いですね、モストロの成長というのは。アレックス様とシルビー様も、純血並とは言わずとも1歳未満で魔法を使えるようになるのでしょうか」

「そうですね。この子たちは思ったよりも魔力が高いので、遠くないうちに属性の風魔法で遊び始めると思います。ちゃんとした魔法を学ぶには言葉を覚えて字を読める必要があるので、もうちょっと掛かりますが」

 とルフィーナが「ていうか」と少し声高になった。

「成長の早さに関しては、きっとジルベルトさんに劣ります。レオナルドさんも早いですが、ジルベルトさんは特別ですよね。出生時から10kg近くあったっていうし、ベラドンナさんのお腹の中で通常の生後7、8ヶ月くらいまで育ったんじゃないかと思ってしまいます」

「たしかに」

 とベルは同意する。

 ジルベルトの成長の速さは驚異的で、それは心身ともに2歳児を超越していた。

『人間卒業生』をそのまんま縮小した見た目に違わず、すでに怪力で、もう『中の中庭』でフラヴィオたちと一緒になって鍛錬に取り組み、会話のやりとりもしっかりと出来、さらに驚くことに2歳児だというのに『守る側』の意識が強くあった。

「ジル様は生まれながらの戦士なのでしょう。ジル様こそ遠くないうちに戦場に出るようになるでしょうね」

「この国が一番必要としているのは魔法とはいえ、ジルベルトさんは正直アレックスとシルビーより頼りになるかと」

 そんな会話をしているとき、ルフィーナの耳が部屋の外の声を聞き取った。

 ふと苦笑しながら、「行って来てください」と言う。

「きっと1階の乳母の部屋です。陛下のこの世の終わりみたいな絶叫と、レオナルドさんの泣き声が聞こえます」

 ベルは眉を顰めると、国王・王妃の寝室を後にした。

 4階から1階へと小走りで向かって行く。

 徐々にフラヴィオの絶叫とレオナルドの泣き声が大きくなって来て、それはルフィーナの予想通り乳母の部屋からだった。

「一体どうされたのです」

 とベルが乳母の部屋に入ると、泣きじゃくっているレオナルドが腰に抱き付いて来た。

 とりあえずフラヴィオに怒られたのは分かった。

「フラヴィオ様、良い子のレオ様が何をしたと仰るのです」

 ベルがレオナルドを抱き締めてやりながら、少し眉を吊り上げてその顔を見上げる。

 そこにもまた、涙目があった。

「余を怒るんじゃない! トーレの離乳食の野菜がやわらかく煮えるまでのあいだ、時間が勿体ないからトーレにチュッチュしようと思って来たら、レオこいつがチュッチュしていたのだ! しかもまさかの唇だ! トーレのファーストキスプリーモ・バーチョだ! 2歳児のくせに、なんて油断も隙もない奴だ! 信じられん! チュッチュ癖は誰を見て覚えたというのだ!」

 ベルが「誰です?」とレオナルドに問うと、それはベルの腹に顔を埋めたままフラヴィオを指差した。

「何を言っているのだ、レオ! 余がいつトーレの唇にチュッチュしたというのだ! 大切なプリーモ・バーチョは奪ってはいけないと思って、余は懸命に堪えていたのだぞ! ジルの奴もティーナのプリーモ・バーチョ奪ったとかいうし、そういう面ではおまえら2人はもう信用しないからな!」

 ベルが溜め息交じりに「フラヴィオ様」と言うと、その頬が膨れ上がった。

「何なのだ、アモーレ! 何なのだ、余が悪いみたいなこの雰囲気!」

「子供同士のことですし、レオ様は今はトーレが好きでも、将来はきっと変わっていますから」

「そうかもしれないが、トーレの気持ちになって考えてみろ! なんて可哀想なのだ! 男にトーレのプリーモ・バーチョ奪われるくらいなら、余がしていたのに!」

「それこそトーレの気持ちになってみてください? フラヴィオ様はお父上にプリーモ・バーチョを奪われたかったのですか?」

「え?」

 少しのあいだ頭の中で想像を巡らせたフラヴィオが、「オエェェェ」と口を手で塞ぐ。

 ベルが「ほら」と言うと、口を尖らせながら「分かった」と言ってレオナルドを抱っこした。

「怒って悪かった、レオ。小さい余が小さいアモーレにバーチョしているみたいで悪くない光景だったが……でもおまえたぶん、見た目だけじゃなく力の方も余とフェーデをしっかり受け継いでいるんだよな」

 ベルが「そうですか」と口を挟んだ。

「レオ様も成長が早いと存じていましたが、それほどにまで優秀でいらっしゃいましたか」

 フラヴィオが「ああ」と頷いた。

「マストランジェロ一族の男は3つから『中の中庭』で鍛錬が始まるのだが、実際のところはそのときになってみなければ分からないが……でも、恐らくそうだ。よく一緒にいるジルがああだから、比べると少しか弱そうに見えるかもしれないし、どうやら中身はアリーの虫一匹殺せない優しい心を受け継いでしまっているようだがな。つまり余は何が言いたいかというとだな、レオ?」

 とその顔を見ると、一見、自身や弟フェデリコの幼少の頃そっくりな顔がある。

 でもよく見ると母親譲りの優しい目元の、緑と茶の入り混じった榛色の瞳が伯父の顔を見つめていた。

「余もおまえの父上も、おまえには必ず子孫を残して欲しい。一方で、カンクロ王太子のトーレも子孫を残さなければならない。でもおまえとトーレは男同士で、子は出来ないから――」

「今はまだ難しい話かと」

 とベルがフラヴィオの言葉を遮ると、「そうだな」とフラヴィオが話を中断した。

 ちょうど「離乳食が出来ました」とやって来たアラブからその皿を受け取り、レオナルドに渡す。

「おまえがトーレに『あーん』してみるか?」

 それは嬉しそうに「はいスィー」と返事をすると、専用の小さな椅子に座って待っていたサルヴァトーレの下へ。

 赤ん坊専用の小さなスプーンクッキアイオで離乳食をすくい、「あーん」とその口の中に運んでいく。

「おいしい、トーレでんか?」

「そりゃ美味いよなぁ、トーレ? 何せ、料理の出来る男である父上が作ったのだか――」

「うーん、そうでもないね」

「レオ、おっっっま」

「落ち着いてください、フラヴィオ様?」

 そこへ、背後から「伯父上」と声が聞こえた。

 振り返ると、部屋の中にフェデリコの長男リナルドがいた。

 その隣には、今年5月にリナルドが成人すると同時に結婚する婚約者のマヤ――サジッターリオ国王太女――がいる。

「あけましておめでとうございますカプリコルノ陛下、カンクロ女王陛下。それからサルヴァトーレ殿下、レオナルド様。あと濃いお方」

 と、上品な仕草でスカートゴンナを持ち上げてお辞儀する。

 マヤは王女らしい王太女で、いつ見ても茶色い髪は華やかに纏められており、ドレスヴェスティートは豪奢で、身体のあちこちに装着した宝石でキラキラと煌めている。

  母であるサジッターリオ国女王シャルロッテは美人顔だが、こちらはどちらかと言ったら可愛い系の顔。

 ちなみにそれは、幸いリナルドの好みでもあった。

 ベルとアラブが「あけましておめでとうございます」と返す一方、フラヴィオが「おー」と明るい笑顔になってマヤの頭を撫でた。

「あけましておめでとう、マヤ。そなたは見る度に綺麗になっていくな」

「もう、頭を撫でないでくださいましカプリコルノ陛下。マヤは今年で19歳ですの、すっかり大人の女ですのよ」

「そうだな、悪かった。そうだ、レオーネ国でいう『お年玉』やるぞー?」

「ですから、子供扱いしないでくださいましっ」

「いらないのか?」

「いりますわ!」

 とマヤが、「でも」とふんぞり返る。

「マヤは大人の女ですから、お年玉ではありませんの! 今日こちらへお邪魔したのは新年の挨拶が第一だけれど、もうひとつ目的があって」

 それは何かとフラヴィオやベルが思っていると、マヤはこう続けた。

「あの、カプリコルノ陛下? マヤにお年玉ではなくて、ヴァイオリンヴィオリーノをくださらない?」

 フラヴィオが「ヴィオリーノ?」と鸚鵡返しに問うた。

「あれは余の父上の時代にうちで作られた楽器ではあるが、もうサジッターリオにもたくさんあるだろう?」

「そうだけれど、本当に素晴らしいヴィオリーノはやっぱり本場のこっちにあるのではと思うのですわ」

「たしかにうちのヴィオリーノ職人は素晴らしいが……」

 と、フラヴィオがベルと顔を見合わせると、それは「そうですね」と同意してからマヤに問うた。

「マヤ殿下がヴィオリーノを演奏されるのですか?」

「いいえ、女王陛下。マヤではなくて、マヤのお気に入りの――」

「あけましておめでとうございます」

 と、レオナルドに言葉を遮られたマヤ。

 絶世の美幼児必殺・破顔一笑が炸裂した途端、真っ赤になり、「あらぁー!?」と腰を抜かして床に尻を付く。

「すまんな、マヤ。レオは罪作りな奴でな。大丈夫か?」

 とマヤがフラヴィオに立たされる一方、リナルドがベルの顔を見てマヤの言葉の続きを口にした。

「マヤ殿下のお気に入りの宮廷楽士にあげるんだって。どうやら天才ヴァイオリニストヴィオリニスタが去年入ったらしいんだ」

「そうですか」

 そこへ、「ただいま」と今度は乳母の部屋にマサムネとその猫4匹が入ってきた。

 町や村にアレッサンドロとシルヴィアの誕生を知らせに行っていたのだが、民衆の反応がどうだったのかはその苦々しい表情を見れば分かった。

「あかんわ。アレックスとシルビーのお披露目パラータ、せん方がええで。バッリエーラがあれば大丈夫やけど、ルフィーナの精神的にあかん」

 マヤが「そうでしたわ!」とフラヴィオを見た。

「第6王子アレッサンドロ殿下と第2王女シルヴィア殿下のご誕生おめでとうございます、カプリコルノ陛下。うちのコラード陛下の弟妹だし、うちの国でもお披露目パラータしたらどうかしらって母上がちょっと提案していたけど、止めた方がよろしくてよ。ルフィーナ王妃陛下もアレッサンドロ殿下もシルヴィア殿下も危ないわ」

 フラヴィオが「だろうな」と呟く。

 ルフィーナの評判はここカプリコルノだけでなく、サジッターリオでも同様に良いとは言えなかった。

 ベルを見てお披露目パラータを「止めよう」と言うと、それは少しのあいだ黙考した後マサムネたちを見た。

「メッゾサングエの場合は、いつ頃になったらお披露目パラータ出来るでしょうか」

 ハナが腕組みして「うーん」と唸った。

「そうだなぁ……1ヶ月もすればしっかり首が据わってるだろうし、人間の赤ん坊みたいに細々と乳を飲まないで飲み溜めするし、それくらいで問題ないと思うけど。――ってパラータを開催する気か、ベル? ルフィーナさんが可哀想だから止めた方がいいって」

 ベルが「いいえ」と返した。

「私も一時は悩みましたが、アレックス様もシルビー様も列記としたカプリコルノ国の王子と王女です。ならば、お披露目パラータを開催すべきです。ただしルフィーナさんではなく、私がパラータに参加致します」


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