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第39話ー1 記憶
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遡ること約1ヶ月と半月前――1491年8月上旬のカンクロ国。
国王ワン・ジンが愛犬――カーネ・ロッソのリエン――と共に、宮廷の敷地内にある外朝から後宮へと帰ってくると、自室の中に母――王太后がいた。
「明日のカプリコルノ国との石材貿易取引には私も行くわ」
ワン・ジンが「え」と刹那の硬直を見せると、華やかな衣装の裙(スカート)から出ている赤犬の尻尾が不機嫌そうに空気を叩いた。
「何よ」
「あ、いえ……俺も取引に行くんですし、母上には宮廷の留守をお願いしようかと思っていたのですが」
「別に大丈夫よ。留守のあいだに悪事を働きそうなあの人の側室は、私がみーんな処刑したんだし」
あの人――王太后の夫でありワン・ジンの父である先王ワン・ファン。
母が相手故の、ワン・ジンの控えめな叱責が響いた。
「人間の女を殺すことを禁じたでしょう」
「冗談でしょう、ジンジン? あんなに、あーーーんなに、人間の女を嫌っていたのに。ここ最近、ジンジンに何があったのかしらねぇ?」
「別に何も……」
と目を逸らした息子を見ながら、「そう」と涼しい声で返した王太后は、このときすでにある程度のことは見抜いていた。
そして、翌日のカプリコルノ国との貿易取引で確信した。
一目で分かった。
「お初にお目に掛かります、王太后陛下。私はカプリコルノ国で宮廷使用人をしておりますベルナデッタと申します」
と恭しく会釈をした人間のその女に息子は心を奪われていて、この女こそが息子をおかしくさせた根源なのだと。
小柄で華奢で、繊細な顔立ちを持つ人形のような女だった。
裾に少し刺繍が入っただけの簡素な黒のカプリコルノ服を着ていたが、宮廷使用人ではなく、もっと何か大きな責任を担っている身分であることは感じ取れた。
またその笑顔は愛らしくありながらも、胡散臭さが滲んでいた。
それにも関わらず、息子はまるで気付いていなかった。
人間の女に憎悪の念を抱いて育ってきたはずなのに、その女の笑顔をとても澄んだ瞳で見つめ、その女がまるで天女かの如く恍惚としていた。
ただの馬鹿に見えた。
人間の血を半分も混ぜてしまったことを後悔した。
カーネ・ロッソは食べ物さえ与えれば懐くと馬鹿にしている人間もいるが、笑顔なんて自身の血肉にならないものをもらって胸をときめかせる人間は意味不明の上に、遥かに馬鹿に見えた。
「あれ? 予定よりも取引価格が高くないか?」
「はい。陛下はカンクロ国をより支援して差し上げたいと」
「元からアクアーリオより2割増しの価格だったのにか」
とは言うが、その元の取引価格はずいぶんと安く、真偽を問いたくなるものだった。
(この子、きっと何もかもこの女に騙されてるわ……)
そしてカプリコルノ国の東隣にあるアクアーリオ国に出向いて調べてみたら、案の定だった。
「いやいや、それは酷い取引価格だ。すっかり騙されましたな。え? 宮廷使用人? とんでもない! その女ならばカプリコルノの宰相です。力の王の右腕です。とてもとても恐ろしい女です」
その言葉通りにアクアーリオ国王は戦慄していた。
「カンクロ国との戦だって、あの宰相が軍師を務めたと聞いておりますぞ」
それを聞くや否や、あまりの怒りに魔力が爆発し、アクアーリオ国の宮廷に地震が起きた。
その他諸々カプリコルノ国のことを聞き出した後、帰国してすべてを息子に伝えた。
しかし、それは信じようとはしなかった。
「エミが宰相? いえ、それはありません。エミは宮廷使用人です。エミ本人がそう言っていたんですから間違いない。アクアーリオ国王は勘違いしています。大敗を喫した遠征では、カプリコルノ国王が策のためにエミを使っただけのこと。エミは奴隷だったところをカプリコルノ国王に救われているので、逆らうことが出来ないんです。エミは何も悪くない」
魔法でその頭上に岩を召喚して落としてみたが、元には戻らなかった。
エミは悪くないの一点張りだった。
しかし、この話には反応を見せた。
「9月10日にカプリコルノ国王が再婚するらしいわよ。大方、あの女が相手じゃないの」
「それはありません。このあいだ、エミはその予定は無いと言っていました」
とワン・ジンが「なぁ?」リエンに話を振ると、それも頷いて「言ってタ」と答えた。
「カプリコルノ国王と結婚するノ、きっとエミじゃないヨ。嘘を言ってるようにハ、見えなかったシ」
「実際嘘じゃなかったとしても、それいつの話よ? あなたたちにそう話した後に結婚が決まったのかもしれないじゃない」
「それは……」
と否定できずに閉口したワン・ジンに、少し動揺が見えた。
そこへ、レオーネ国に密偵の仕事にやっていたカーネ・ロッソが戻って来てこんなことを言った。
「今レオーネ国に、カプリコルノ国王がいます。どうやら旅行しているようです」
3人で「旅行?」と声をハモらせると、それは「はい」と言ってこう続けた。
「ひとりの女と一緒なのですが、レオーネ国の民衆が言うには、その女はカプリコルノ国の宰相だそうです」
その女について訊くと、エミことベルナデッタの特徴と一致していた。
「ほら見なさい。やっぱり宰相だったじゃない。カプリコルノといちゃいちゃのレオーネ国の情報は信憑性が高いわよ? あと一緒に旅行って、新婚旅行なんじゃないの?」
「そ、そんなわけはっ……」
と動揺するワン・ジンの手を、リエンが引っ張った。
「直接見に行けバ、きっと分かるヨ」
3人でレオーネ国へテレトラスポルトした。
王都ジラソーレや観光地をテレトラスポルトで飛び回っていれば、2人は容易に見つけられた。
人間は当然のこと、きっと野生の人型モストロの目にも2人は愛し合っている男女なのだと一目で分かるものだった。
再び「ほら見なさい」と言おうとした王太后だったが、2人を呆然と見つめる息子の顔を見るなり言葉を飲み込んだ。
言っていたら、純血カーネ・ロッソのものよりも可愛らしい牙で噛み付かれていたように思う。
それでもまだエミを信じたかったのか、ワン・ジンが連日レオーネ国に行こうした。
それ故、3人で7日連続レオーネ国を訪れて愛し合う2人を遠目に眺めていた。
「リエン、知らなかっタ……カプリコルノの国王っテ、小遣い制だったんダ。しかも金貨や銀貨じゃなくて銅貨……」
「宰相がカプリコルノ国の財布を握ってるってことね。なんて女なのかしら。宰相っていうか女王だわ」
「カプリコルノ人っテ、しょっちゅうチュッチュするネ。野生のカーネ・ロッソは接吻すらしないから不思議だヨ」
「ていうか、この暑い季節によくあんなにくっ付いていられるわね。一瞬でも離れたら死ぬ魔法でも掛ってるのかしら」
女2人は驚きの連続といった感じで少し楽しんでいるところがあったが、ワン・ジンは日に日に殺意を募らせていた。
遠くて2人の会話は聞き取れなかったが、見ていて分かったことがある。
エミがこのワン・ジンにくれた笑顔は、ほとんどが作りものだったということだ。
作りものでも胸を締め付けられるほど愛らしかったのに、カプリコルノ国王の前で見せる笑顔はあまりにも輝いていて、自身の知らない別人にさえ見えた。
己はエミからあんな笑顔をもらったことも無ければ、あんなに忠誠に満ちた瞳を向けられたことも無い。
あんな風に口付けられたことも無ければ、あんな風に愛おしそうに見つめられたことすら無い。
エミが主であるカプリコルノ国王を慕っていたのは知っていたが、分かっていたつもりだったが、認識が甘かったことを思い知らされた。
せめて好色で有名な酒池肉林王にとっては単なるお遊びであればマシだったのに、それはエミに瞳を奪われ、心を奪われ、まるで他が見えていないように盲愛していた。
まるで己を見ているようだった。
2人のあいだに入り込む隙間など、微塵も無かったのだ。
「もういい、よく分かった。俺のものにならないなら、エミを殺す……!」
王太后が歓喜の高笑いを上げた一方で、リエンが困惑して「待って!」と声を上げた。
「リエン覚えたかラ……ちゃんト、『オブリーオ』覚えたかラ!」
そう、オブリーオ――記憶喪失魔法でエミの中からカプリコルノ国王を消失してしまえば良いと、ずっと思っていた。
でももうまるで効く気がしなく、ずっと騙され手の平で転がされていたと分かったら殺意の方が大きくなっていた。
でもリエンは必死だった。
「リエンは分かるヨ! ご主人様ハ、エミを殺したら後悔するヨ! だかラ、殺したら駄目だヨ! 大丈夫、リエン本当にちゃんとオブリーオ使えるかラ! もう28人も実験しテ、みーんなみんな記憶喪失にしたかラ! カプリコルノ国王のことだけ忘れさせるとカ、そういう難しいことは出来ないかラ、エミの記憶全部消すことになるけド……でモ――」
「お黙り」と、王太后がリエンの言葉を遮った。
「あの女を王妃にするつもりだったんでしょう、ジンジン? 私は絶対に許さないわよ、人間の女が王妃だなんて。あなた世界一の大国カンクロの主だってことちゃんと分かってる? その半分を人間の女のものにするっていうの? 止めてちょうだい、反吐が出る。しかもあの女はあなたを大敗させて、カンクロを貧乏にして、さらにあなたの大切な父上の死期を早めたのよ? どう考えても仇討ちすべきでしょう?」
「駄目だヨ、待っテ!」
とリエンが口を挟むと、王太后が再び「お黙り」と言った。
「私はね、リエン。優秀で可愛いあなたを王妃にしたいの。あなただって、ジンジンの妻になれたら嬉しいでしょう?」
「そうだけドっ……リエン、ご主人様が後悔する姿なんテ、見たくないヨ! 殺しちゃったラ、魔法使ったっテ、何したっテ、もう会えな――」
三度目の「お黙り」は語勢が強く、声高だった。
「9月10日――カプリコルノ国王の結婚式が良い機会だわ。町はパラータとかいうので人込みになるっていうし、レオーネ国のガットたちも集まるみたいだし、向こうの格好をして紛れていれば怪しまれずに上手いこと身を隠せるでしょう。でも3人でいると目立つかもしれないから、私がひとりでカプリコルノに行って、隙を見つけて殺すわ。その後はカプリコルノ国王にバレる前に海にポイで、証拠隠滅っとね」
「いいえ、母上。俺とリエンで行きます。あの女は、俺の手で殺さないと気が済まない」
「そうね、分かったわジンジン。ああでも、大丈夫? 今はカプリコルノにも魔法があるみたいだし、考えてみたらあの女にバッリエーラが掛かっていてもおかしくないんだわ。そうなったら殺すのに手間取るし、まずはテレトラスポルトで人気の無いところに連れ去るべきだけど、そんなに殺意を持って近寄ろうしたら弾かれてしまうわよ?」
「俺はそうかもしれませんが、リエンなら……」
とワン・ジンがリエンを見ると、それは涙ぐんでいた。
「駄目だヨ、ご主人様…! エミを殺したら駄目だヨ……!」
「なるほど、リエンなら弾かれなさそうね。じゃあリエンのテレトラスポルトで攫って、ジンジンの手であの女を殺して恨みを晴らしなさい」
そういうことになった。
――でも、殺せなかった。
国王ワン・ジンが愛犬――カーネ・ロッソのリエン――と共に、宮廷の敷地内にある外朝から後宮へと帰ってくると、自室の中に母――王太后がいた。
「明日のカプリコルノ国との石材貿易取引には私も行くわ」
ワン・ジンが「え」と刹那の硬直を見せると、華やかな衣装の裙(スカート)から出ている赤犬の尻尾が不機嫌そうに空気を叩いた。
「何よ」
「あ、いえ……俺も取引に行くんですし、母上には宮廷の留守をお願いしようかと思っていたのですが」
「別に大丈夫よ。留守のあいだに悪事を働きそうなあの人の側室は、私がみーんな処刑したんだし」
あの人――王太后の夫でありワン・ジンの父である先王ワン・ファン。
母が相手故の、ワン・ジンの控えめな叱責が響いた。
「人間の女を殺すことを禁じたでしょう」
「冗談でしょう、ジンジン? あんなに、あーーーんなに、人間の女を嫌っていたのに。ここ最近、ジンジンに何があったのかしらねぇ?」
「別に何も……」
と目を逸らした息子を見ながら、「そう」と涼しい声で返した王太后は、このときすでにある程度のことは見抜いていた。
そして、翌日のカプリコルノ国との貿易取引で確信した。
一目で分かった。
「お初にお目に掛かります、王太后陛下。私はカプリコルノ国で宮廷使用人をしておりますベルナデッタと申します」
と恭しく会釈をした人間のその女に息子は心を奪われていて、この女こそが息子をおかしくさせた根源なのだと。
小柄で華奢で、繊細な顔立ちを持つ人形のような女だった。
裾に少し刺繍が入っただけの簡素な黒のカプリコルノ服を着ていたが、宮廷使用人ではなく、もっと何か大きな責任を担っている身分であることは感じ取れた。
またその笑顔は愛らしくありながらも、胡散臭さが滲んでいた。
それにも関わらず、息子はまるで気付いていなかった。
人間の女に憎悪の念を抱いて育ってきたはずなのに、その女の笑顔をとても澄んだ瞳で見つめ、その女がまるで天女かの如く恍惚としていた。
ただの馬鹿に見えた。
人間の血を半分も混ぜてしまったことを後悔した。
カーネ・ロッソは食べ物さえ与えれば懐くと馬鹿にしている人間もいるが、笑顔なんて自身の血肉にならないものをもらって胸をときめかせる人間は意味不明の上に、遥かに馬鹿に見えた。
「あれ? 予定よりも取引価格が高くないか?」
「はい。陛下はカンクロ国をより支援して差し上げたいと」
「元からアクアーリオより2割増しの価格だったのにか」
とは言うが、その元の取引価格はずいぶんと安く、真偽を問いたくなるものだった。
(この子、きっと何もかもこの女に騙されてるわ……)
そしてカプリコルノ国の東隣にあるアクアーリオ国に出向いて調べてみたら、案の定だった。
「いやいや、それは酷い取引価格だ。すっかり騙されましたな。え? 宮廷使用人? とんでもない! その女ならばカプリコルノの宰相です。力の王の右腕です。とてもとても恐ろしい女です」
その言葉通りにアクアーリオ国王は戦慄していた。
「カンクロ国との戦だって、あの宰相が軍師を務めたと聞いておりますぞ」
それを聞くや否や、あまりの怒りに魔力が爆発し、アクアーリオ国の宮廷に地震が起きた。
その他諸々カプリコルノ国のことを聞き出した後、帰国してすべてを息子に伝えた。
しかし、それは信じようとはしなかった。
「エミが宰相? いえ、それはありません。エミは宮廷使用人です。エミ本人がそう言っていたんですから間違いない。アクアーリオ国王は勘違いしています。大敗を喫した遠征では、カプリコルノ国王が策のためにエミを使っただけのこと。エミは奴隷だったところをカプリコルノ国王に救われているので、逆らうことが出来ないんです。エミは何も悪くない」
魔法でその頭上に岩を召喚して落としてみたが、元には戻らなかった。
エミは悪くないの一点張りだった。
しかし、この話には反応を見せた。
「9月10日にカプリコルノ国王が再婚するらしいわよ。大方、あの女が相手じゃないの」
「それはありません。このあいだ、エミはその予定は無いと言っていました」
とワン・ジンが「なぁ?」リエンに話を振ると、それも頷いて「言ってタ」と答えた。
「カプリコルノ国王と結婚するノ、きっとエミじゃないヨ。嘘を言ってるようにハ、見えなかったシ」
「実際嘘じゃなかったとしても、それいつの話よ? あなたたちにそう話した後に結婚が決まったのかもしれないじゃない」
「それは……」
と否定できずに閉口したワン・ジンに、少し動揺が見えた。
そこへ、レオーネ国に密偵の仕事にやっていたカーネ・ロッソが戻って来てこんなことを言った。
「今レオーネ国に、カプリコルノ国王がいます。どうやら旅行しているようです」
3人で「旅行?」と声をハモらせると、それは「はい」と言ってこう続けた。
「ひとりの女と一緒なのですが、レオーネ国の民衆が言うには、その女はカプリコルノ国の宰相だそうです」
その女について訊くと、エミことベルナデッタの特徴と一致していた。
「ほら見なさい。やっぱり宰相だったじゃない。カプリコルノといちゃいちゃのレオーネ国の情報は信憑性が高いわよ? あと一緒に旅行って、新婚旅行なんじゃないの?」
「そ、そんなわけはっ……」
と動揺するワン・ジンの手を、リエンが引っ張った。
「直接見に行けバ、きっと分かるヨ」
3人でレオーネ国へテレトラスポルトした。
王都ジラソーレや観光地をテレトラスポルトで飛び回っていれば、2人は容易に見つけられた。
人間は当然のこと、きっと野生の人型モストロの目にも2人は愛し合っている男女なのだと一目で分かるものだった。
再び「ほら見なさい」と言おうとした王太后だったが、2人を呆然と見つめる息子の顔を見るなり言葉を飲み込んだ。
言っていたら、純血カーネ・ロッソのものよりも可愛らしい牙で噛み付かれていたように思う。
それでもまだエミを信じたかったのか、ワン・ジンが連日レオーネ国に行こうした。
それ故、3人で7日連続レオーネ国を訪れて愛し合う2人を遠目に眺めていた。
「リエン、知らなかっタ……カプリコルノの国王っテ、小遣い制だったんダ。しかも金貨や銀貨じゃなくて銅貨……」
「宰相がカプリコルノ国の財布を握ってるってことね。なんて女なのかしら。宰相っていうか女王だわ」
「カプリコルノ人っテ、しょっちゅうチュッチュするネ。野生のカーネ・ロッソは接吻すらしないから不思議だヨ」
「ていうか、この暑い季節によくあんなにくっ付いていられるわね。一瞬でも離れたら死ぬ魔法でも掛ってるのかしら」
女2人は驚きの連続といった感じで少し楽しんでいるところがあったが、ワン・ジンは日に日に殺意を募らせていた。
遠くて2人の会話は聞き取れなかったが、見ていて分かったことがある。
エミがこのワン・ジンにくれた笑顔は、ほとんどが作りものだったということだ。
作りものでも胸を締め付けられるほど愛らしかったのに、カプリコルノ国王の前で見せる笑顔はあまりにも輝いていて、自身の知らない別人にさえ見えた。
己はエミからあんな笑顔をもらったことも無ければ、あんなに忠誠に満ちた瞳を向けられたことも無い。
あんな風に口付けられたことも無ければ、あんな風に愛おしそうに見つめられたことすら無い。
エミが主であるカプリコルノ国王を慕っていたのは知っていたが、分かっていたつもりだったが、認識が甘かったことを思い知らされた。
せめて好色で有名な酒池肉林王にとっては単なるお遊びであればマシだったのに、それはエミに瞳を奪われ、心を奪われ、まるで他が見えていないように盲愛していた。
まるで己を見ているようだった。
2人のあいだに入り込む隙間など、微塵も無かったのだ。
「もういい、よく分かった。俺のものにならないなら、エミを殺す……!」
王太后が歓喜の高笑いを上げた一方で、リエンが困惑して「待って!」と声を上げた。
「リエン覚えたかラ……ちゃんト、『オブリーオ』覚えたかラ!」
そう、オブリーオ――記憶喪失魔法でエミの中からカプリコルノ国王を消失してしまえば良いと、ずっと思っていた。
でももうまるで効く気がしなく、ずっと騙され手の平で転がされていたと分かったら殺意の方が大きくなっていた。
でもリエンは必死だった。
「リエンは分かるヨ! ご主人様ハ、エミを殺したら後悔するヨ! だかラ、殺したら駄目だヨ! 大丈夫、リエン本当にちゃんとオブリーオ使えるかラ! もう28人も実験しテ、みーんなみんな記憶喪失にしたかラ! カプリコルノ国王のことだけ忘れさせるとカ、そういう難しいことは出来ないかラ、エミの記憶全部消すことになるけド……でモ――」
「お黙り」と、王太后がリエンの言葉を遮った。
「あの女を王妃にするつもりだったんでしょう、ジンジン? 私は絶対に許さないわよ、人間の女が王妃だなんて。あなた世界一の大国カンクロの主だってことちゃんと分かってる? その半分を人間の女のものにするっていうの? 止めてちょうだい、反吐が出る。しかもあの女はあなたを大敗させて、カンクロを貧乏にして、さらにあなたの大切な父上の死期を早めたのよ? どう考えても仇討ちすべきでしょう?」
「駄目だヨ、待っテ!」
とリエンが口を挟むと、王太后が再び「お黙り」と言った。
「私はね、リエン。優秀で可愛いあなたを王妃にしたいの。あなただって、ジンジンの妻になれたら嬉しいでしょう?」
「そうだけドっ……リエン、ご主人様が後悔する姿なんテ、見たくないヨ! 殺しちゃったラ、魔法使ったっテ、何したっテ、もう会えな――」
三度目の「お黙り」は語勢が強く、声高だった。
「9月10日――カプリコルノ国王の結婚式が良い機会だわ。町はパラータとかいうので人込みになるっていうし、レオーネ国のガットたちも集まるみたいだし、向こうの格好をして紛れていれば怪しまれずに上手いこと身を隠せるでしょう。でも3人でいると目立つかもしれないから、私がひとりでカプリコルノに行って、隙を見つけて殺すわ。その後はカプリコルノ国王にバレる前に海にポイで、証拠隠滅っとね」
「いいえ、母上。俺とリエンで行きます。あの女は、俺の手で殺さないと気が済まない」
「そうね、分かったわジンジン。ああでも、大丈夫? 今はカプリコルノにも魔法があるみたいだし、考えてみたらあの女にバッリエーラが掛かっていてもおかしくないんだわ。そうなったら殺すのに手間取るし、まずはテレトラスポルトで人気の無いところに連れ去るべきだけど、そんなに殺意を持って近寄ろうしたら弾かれてしまうわよ?」
「俺はそうかもしれませんが、リエンなら……」
とワン・ジンがリエンを見ると、それは涙ぐんでいた。
「駄目だヨ、ご主人様…! エミを殺したら駄目だヨ……!」
「なるほど、リエンなら弾かれなさそうね。じゃあリエンのテレトラスポルトで攫って、ジンジンの手であの女を殺して恨みを晴らしなさい」
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――でも、殺せなかった。
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