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第33話ー1 誓い

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 ――1491年4月1日。

 カプリコルノ島の南西に位置するマストランジェロ王家の霊廟の中。

 アラブのテレトラスポルトでやって来たフラヴィオが、亡くなった妻――王妃ヴィットーリアの柩の傍らへとやって来た。

「ヴィットーリア」と優しく明るい声で話し掛けながら、宮廷の裏庭から摘んできたシャクヤクの花を柩の上に置く。

「そなたに一番似合う薔薇の花はまだ咲いていなかったのだ、申し訳ない。でも、そなたはこれも好きだったろう。レオーネ国から伝わってきて以来、裏庭で大切に育てていた」

 ふとヴィットーリアの笑顔が見えた気がして、フラヴィオが微笑する。

「そうか、喜んでくれるか。うん……大輪で、八重咲きで、花の中でも華のあるシャクヤクも、そなたによく似合う。でもまぁ、シャクヤクの方は恥じらって俯いてしまいそうだけどな」

 フラヴィオは「それから」と話を続けながら、片手に持っていた小皿も柩の上に置いた。それにはレモンリモーネで作った揚げ菓子が乗っている。

「これも受け取ってくれ。信じられるか? 余が作ったのだ。7番目の天使に教わりながら。まぁ、はねた油でちょっと火傷したりはしたが」

 またヴィットーリアの笑顔が見えた気がした。

「ふふふ、そうか。上出来か。余も我ながらそう思う」

 霊廟の外から、アラブの声が聞こえて来る。

「陛下……じゃなくてフラヴィオ様、そろそろ町の鍛冶屋が開店した頃かと。指輪を取りに行きましょう」

 フラヴィオは霊廟の戸口に向かって「分かった」と返すと、ヴィットーリアの柩に顔を戻した。

「愛している、ヴィットーリア」

 それは永遠に変わらない想いだ。

「余は弱いから、草葉の陰から見ていて心配だったか? 以前、大丈夫だと言ってみせたが、あんなボロボロの姿では不安だったろうな。済まなかった」

 と一度軽く頭を下げてから、「それとも」と続けた。

「そなたは分かっていたか? 7番目の天使が居れば大丈夫だと。そなたはいつも、7番目の天使を天使軍の優等生だと言って、褒めていた。ああ、そうだな、そうなんだ。7番目の天使が、あの強い心と、か細い腕で、余を包み込むように支えてくれている。今までも、これからも、ずっとずっとだ。だから今こそ、もう一度心から伝えにきた」

 と、フラヴィオの顔に、真夏の太陽のような明るい笑みが浮かんだ。

「愛している、ヴィットーリア。草葉の陰から、欠伸が出るほど安心して眺めていてくれ。余はもう、大丈夫だぞ――」





 ――庶民ごっこ中のフラヴィオ・ベルの邸宅前。

 レオーネ国から猫4匹と共に駆け付けたマサムネが、そこに集まっている顔馴染みのカプリコルノ国一同を見回すなりに突っ込んだ。

「なんやねん、皆めかしこんで。ベルはただ花嫁衣裳の『試着』なんやろ? リコたんなんて、イーゼルカヴァッレットキャンバステーラまで持って来て……まるでフラビーとベルの結婚式本番みたいやん」

「めかしこんでって、ムネ殿下には負けますな」

 と、アドルフォ。

 誰に言われたでもなく、自主的に着飾って集まった一同の中で、マサムネが一際ド派手だった。その袴なんかも派手だが、羽織りが特にキランキランだ。

「べ、別に? ワイが派手好きなのはいつものことやろ? てかリコたん、『試着』やってば『試着』」

「ええ、存じていますよムネ殿下。ベルはただの『試着』です、花嫁衣裳の『試着』。あくまでも『試着』ですから、今日は別段特別な日というわけではありません」

 と言う割には、フェデリコはフラヴィオと同じ碧眼を煌めかせて、せっせと絵具を作っている。

 それから少しすると邸宅の中から「にゃあぁぁぁあん!」とハナの泣き声が聞こえて来て、兄タロウが心配した様子で「どうしたの?」と声高に問うた。

「綺麗だよベル、綺麗だあぁぁぁっ!」

「大袈裟だなぁ」

 とタロウは苦笑してしまうが、そんなことは無いらしい。

 邸宅の中には、ハナの他に天使たちや家政婦長ピエトラ、数名の使用人、花嫁衣裳を作った服飾職人などの女たちが着替えや化粧を手伝っているのだが、ベルが仕上がったようで、興奮気味の声が飛び交っていた。

「お、あとはフラビーを待つだけなんやな」

 と言った後、邸宅の角に顔を向けたマサムネ。

「こっち来たらええやん」

 と手招きした相手は、そこに隠れているルフィーナ。

 それは「いえいえ」と手を振った。

「わたしがいるのがバレてしまったら、お二人に気を遣わせてしまう気がするので。ここから、こっそりベルさんの晴れ姿を眺めていることにします。あ、いえ、『試着』なのは分かっていますが」

 そう言った後、ルフィーナが「あっ」と顔を引っ込めた。

 邸宅近くに、フラヴィオがアラブのテレトラスポルトで現れた故に。

 その手には、この季節、宮廷の裏庭に咲いている釣鐘状の可憐な白の花――鈴蘭のブーケが持たれている。

 ナナ・ネネが「来たぞー」と邸宅の戸口に向かって言うと、中に居るベルを除く女たちがぞろぞろと外へ出て来た。

「あれ?」とフラヴィオが一同を見回す。

「ずいぶんと集まってるなぁ? なんか洒落こんでるし」

「『試着』なのは分かっているのですが」

 と、フラヴィオのすぐ傍らにいるアラブも、言われてみれば洒落ている。

 こっちへ来てからはこっちの服を来ていたが、ヴィルジネ国の王女アーシャ――マサムネの第二夫人――の近衛を務めていたことから、その方が馴染みあるようで、本日はヴィルジネ国の正装のようだった。

 詰襟で膝丈の上衣は高価な絹で、華やかな刺繍が入っている。

「父上、早く早く!」

 とヴァレンティーナが、フラヴィオの手を引っ張って邸宅の戸口前へと連れて行った。

「準備はよろしいですか、酒池肉林商人様」

 と、家政婦長ピエトラが玄関の右扉に、

「お待たせいたしました。花嫁衣装をご試着された、ベル様のお披露目でございます」

 と、服飾職人が左扉に手を掛けると、一足早くそれを見ている女たちが、「わー」と拍手で盛り上げた。

 フラヴィオの鼓動が高鳴っていく。

「ベル?」

 と、呼んだ。

「スィー」の返事が聞こえると、扉が開かれていく。

 その姿が見えるなりフラヴィオが息を呑み、ずっと邸宅の外で待っていた一同がどよめきの声を上げる。

「なっ、ななな、なんて可憐なんだベルさん! 真っ白……え、真っ白なんですコッチの花嫁衣裳って!?」

「せやで、アラブ。色付いたのもあるみたいやけど。うちの国――レオーネ国やって、白無垢っちゅーて真っ白な花嫁衣裳あるやん」

「ああ、そういえば! ヴィルジネ国はハデハデなんで、ちょっとびっくりしました! なんて可憐なんだ!」

「ああ、可憐やな、めっちゃ綺麗やな、ベル!」

 拍手と讃辞を辺りに響かせる一同の中、ひとり忘我したように立ち尽くしているフラヴィオが居た。

 細い腰から、ふわっと広がる、純白のスカートゴンナ

 その可愛らしい印象に似合う、純白のフリルヴォラント

 可憐で繊細な、純白のレースメルレット

 長く優美な、純白のヴェールベーロ

 それらを纏う、輝くような白い肌。

 そして、

「フラヴィオ様」

 小さな顔に浮かんだ幸福の微笑。

 フラヴィオの碧眼に映るその姿は、まるで天上界から降臨した本物の天使のようだった。

「――…美しいな、ベル……」

 胸が締め付けられるような感覚がして、鼻の奥がつんと痛みを上げる。

 そしたら、もっとよくこの天使を見つめたいのに、視界がぼやけていった。

「兄上……?」

 と、動かないフラヴィオの顔を覗き込んだと思ったフェデリコが、突如瞼を手で押さえた。そして声を詰まらせながら「済まない」と言って、後方に下がっていく。

「もう、涙もろいわねぇ」

 と妻アリーチェは、フェデリコの瞼にハンカチファッツォレットを当てる。

 ひとりが涙を零してしまうと、マストランジェロ一族の男は連鎖反応が起きるようになっているもので、フェデリコに続いて王子たちやその従兄弟たちが一斉に瞼を押さえていく。

 お陰で女たちは、「もー」と呆れながらファッツォレットを持って回るはめに。

「アホちゃうか、ただの『試着』やのに」

 と、突っ込んだマサムネも鼻を啜っているし、ムサシはファッツォレットで鼻をかんでいるし、アラブは鼻血を噴いている。

「やれやれ」と笑ったアドルフォとタロウが、手でベルを指しながらフラヴィオを見た。

「さ、酒池肉林商人殿。いつまでも突っ立っていなさんな」

「純白の天使が待ってるよ?」

 黙って頷いたフラヴィオが、ベルへと歩み寄っていく。

 真正面で立ち止まって、またベルの頭の先から爪先まで見つめた。

「美しいな。本当に天使だ」

 と感嘆の言葉が出ると、ベルが「ありがとうございます」と頬を染めてはにかんだ。

 その前に、鈴蘭のブーケが差し出される。

 よく見たら、ブーケをまとめてあるリボンナストロに、2本の金の指輪が括りつけられていた。

「申し訳ない、ベル。余は嘘を吐いていた。オブリーオに掛かったことは掛かったのだが、それはほんの一瞬だったのだ」

 一同が静まり返ってフラヴィオを見た。

「忘れられぬものだな……庶民だったのは一瞬で、すぐにこの国を担う国王であることを、その責任を思い出した。でも、忘れた振りをした。申し訳ない。責任を放棄したのではなく、余がメッゾサングエの後妻を迎えねばならぬ明確な日が分かったら、少しのあいだ夢を見たくなったのだ」

 と、フラヴィオが涙を飲み込んだ。

「もし余が庶民で、そなたと夫婦だったならば、どれだけ幸せだったのだろうかと知りたかった。ただ普通の夫婦のような生活を満喫して、『力の王』として戻らねばならぬ日が来たら戻ろうと考えていた。そこへ偶然にも、そなたにとても似合う花嫁衣裳を見つけた。途端に着せてみたい欲が出て来て、抑えきれなくなった。そなたを妻に迎えられる日が決まっていないのにも関わらず、余はただの『試着』ならば問題ないだろうと、自身を正当化したのだ。それだけでなく、永遠の愛の誓い――結婚指輪まで欲しくて堪らなくなってしまった。どこまでも勝手な男で、申し訳ない」

 ベルが微笑して「いいえ」と言った。

「庶民ごっこはとても楽しく、とてもとても幸せな時を送ることが出来ました。フラヴィオ様のお陰で、私は今、幸せの絶頂にいるように存じます」

 と、ベルがブーケのナストロを解こうと摘まむと、その手をフラヴィオが握って制止した。

「こんなことを訊いて申し訳ない。いや、そなたの答えは分かりきっているのだが、改めて訊く。申し訳ない」

 ベルが「スィー」と返事をすると、フラヴィオのいつもの優しく明るい笑顔と、真剣な碧眼が返ってきた。

「愛している、ベル。余はもう、そなた無しには考えられぬから、これからも共に生きてはくれまいか?」

「スィー」と答えるなり、栗色の瞳に涙が浮かぶ。

 今はフラヴィオと結婚は決まっておらず、今着ている花嫁衣裳は単なる『試着』だ。

 でも、今日という日――1491年4月1日――が、フラヴィオとの結婚式で、夫婦になった日以外の何にも思えなかった。

「7番目の天使ベルナデッタはフラヴィオ様と共に生き、フラヴィオ様を愛し、フラヴィオ様の癒しとなり、フラヴィオ様の助けとなり、フラヴィオ様のためにいつまでも美しくあり、フラヴィオ様のために生きることを、今一度ここに誓います」

 フラヴィオが握っているベルの手を引くと、ナストロが解けていった。

 落ちていった2本の金の指輪を、フラヴィオのもう片方の手が受け止める。

 わらわらと寄って来た一同に囲まれながら、フラヴィオがベルの左手を取った。

 オルキデーア石の指輪が嵌められている薬指に、もう1本金の指輪を通していく。

 一度、わっと拍手が起きた。

 次に、フラヴィオの指に嵌める金の指輪を受け取ったベルが、一度その顔を見上げた。

「どうしたのだ、アモーレ? 余にも早く指輪を嵌めてくれ」

 まだかまだかと、新しい玩具を待ち切れない子供のような表情があった。

「スィー」と答え、フラヴィオの左手を取る。

 そしたら、歓喜や幸せといった感情の中に、戸惑いが混じってしまった。

 それ故に、またフラヴィオの顔を見上げる。

「ほ、本当によろしいのですか?」

 フラヴィオの口が尖っていく。

「ここに来て、一体何を戸惑っているのだ? ついさっき、今一度永遠の愛を誓ってくれたではないか」

「だ、だって、現在のフラヴィオ様の薬指には何もありません」

「3日前にヴィットーリアとの結婚指輪を外したからな」

「そ、そこに私がこの指輪を嵌めてしまったら、まるでフラヴィオ様が私のもの……みたいな。私はフラヴィオ様のものですが、その逆は厚かましいと申しますか……」

 フラヴィオだけでなく、そこにいる一同が揃って笑い出す。

 口々に「それが望みなんだから」と説得され、「分かりました」と覚悟を決めたベル。

 もう一度、フラヴィオの顔を見上げる。

「7番目の天使ベルナデッタは、永遠にフラヴィオ様を愛すること誓います」

 ともう一度宣誓した後、そっとフラヴィオの左手薬指に金の指輪を通していった。

 再び拍手喝采が起こる中、碧眼を爛々と輝かせたフラヴィオがベルを抱き上げる。

 そして「アモーーーレッ!」と感極まった様子で声高になると、小さな唇に激しく吸い付いていった。


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