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第30話ー3

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 下描き用の紙や木炭をいそいそと用意しながら、ベルが「フラヴィオ様」と呼んだ。

 分かっていると言わんばかりに「うむ」と返事したそれは、次の刹那には全裸になっている。

「着てください?」

「ヌードの描きっこだろう?」

「違います」

 と答えたベルが、フラヴィオに下を穿かせたところでその手を止めた。

 フラヴィオが小首を傾げる。

「上は裸のままで良いのか?」

 ベルは「スィー」と返した。

 マストランジェロ一族の男の恵まれた体格は芸術品のようで、それこそ描かないのは勿体無いことに気付いた故に。

「立っている方が良いか? 座っている方が良いか?」

「ご自由にして頂いて構いません。しかし私の場合、フェーデ様のようには行かず時間が掛かるかもしれないのですが」

 とベルが言うと、フラヴィオが「では」とイーゼルカヴァッレットを持って明るい窓辺へと向かって行った。

 窓枠に少し斜めに、寛いだ姿勢で座る。

「これで良いか?」

 ベルは「スィー」と答えると、カヴァッレットに画板を置いた。その上に紙を重ね、右手に木炭を持つ。

 さて描こうと思ったがその前に、フラヴィオの視線はどうしよう?

「あの」

「こうか?」

 とその碧眼が、ベルの栗色の瞳を捕える。

 どきっとしながら、ベルが「スィー」と返事をした。

 毎日見ているし見られているのに、改めてこうしてその少し鋭い碧眼に射貫かれると、胸が波打ってしまう。

「では、あの、描かせていただきますっ……」

 とは言ったものの、いきなり不安に駆られる。

 フェデリコから絵画を習ってそれなりになれたつもりだが、こんなの自身に描けるだろうか。

 今日は下描きをするだけだからまだマシで、いざ油絵具で塗るときどうしよう。

 たとえば、少し癖のあるその高貴な金の髪。

 陽に当たっている左半分が白銀のごとく光り輝き、またガラスのように透き通っている。

 絵画にそのまま残したいのに、この神秘的な美しさを描写出来る気がしない。

 澄み渡った紺碧の空のような瞳は、曇りなく描けるだろうか。

 ベルを見つめているそれは無邪気な子供のように穢れなく、活き活きとしている。

 同じくらい美しいものと言ったら最上級のオルキデーア石が思い浮かぶが、生命力に満ちたこちらを描写する方が、ずっと至難だ。

 内から漲り、溢れ返っている国王らしき気品や自信だって、どうやったら完璧に表現できるだろう?

 分からない。

 それに中身は34歳『児』にも関わらず、若い男には無い色気と、酒池肉林王ならではのやたらと性的なこの雰囲気――

(一体、どうすれば……)

 分からな過ぎて、降参してしまいそうになる。

「アモーレ?」

「も、申し訳ございませんっ……」

 降参してはいけない。

 この世で誰よりも何よりも愛しているこの男を、自身の手で描きたいのだ。

 困惑と忘我で硬直していた手を動かし、出来る限り見たままを木炭で描いていく。

 双子のように瓜二つのフラヴィオ・フェデリコ兄弟の子供たちの中で、一見して顔立ちがそっくりなのはフェデリコの四男レオナルドだ。

 しかし顔以外を含めると、王女ヴァレンティーナの方が兄弟をよく受け継いでいるように思う。

 この金の髪を長く、また女の子ならではの柔らかさを加え、ヴィットーリア譲りの穏やかな目元に、この碧眼をはめ込んだのがヴァレンティーナだ。

 ヴァレンティーナの髪で隠すことが惜しい輪郭や、上品に筋の通った鼻も――両親どちらに似ても美しいことには代わり無いが――どちらかと言ったら、フラヴィオの方に似ている。

 ただかたちは似ていれど、当然男であるフラヴィオの方が骨がしっかりしていて、男っぽい顔立ちをしている。

 またヴィットーリア譲りの白い珠の肌をしているヴァレンティーナに対し、年中外で鍛錬している『力の王』の肌は――アドルフォと並ぶと白く見えるが――少し褐色掛かり、健康的な艶がある。

 常に付けている左耳のオルキデーア石のピアスは、穏やかで冷静、寛容な気分になれるといった理由から、フラヴィオは基本的には『青』を付けている。

 しかし、本日を含め宴会を開いているあいだは来賓に他国の国王夫妻を招待していることもあって、最も高貴とされる王族の色――『紫』になっている。

 ちなみに防衛戦中は、戦いの色とも言える『赤』だった。

「あ、ヒゲを付け加えておいてくれ。その方が国王っぽくて格好良いから」

「私のヌードを描くとき、胸元に『おまけ』してくださるのなら考えましょう」

「むぅ」

 と尖った唇が元に戻るのを待っているあいだ、身体の描写に取り掛かることにした。

 マストランジェロ一族皆に共通していることに、首が長めで美しいということがある。

 こうして見ると、その色気は首筋の辺りからより漂っている気がした。

 ふと、ベルよりもずっと低くて優しい声を出す喉ぼとけが動いて、ちょっとドキッとしてしまう。

 骨格に恵まれ、広い肩幅に、大きな肩。

 脂肪の付かない筋肉質な身体は全体的に直線的だが、鍛えられた大胸筋なんかは少し丸みがあって、くっきり浮き出ている腹筋は鋼の鎧に見えて来る。

 いつも守ってくれる優しい腕は、まるで武器のようで、真逆の印象さえ受ける。

 女には見られない筋っぽい前腕にもまた、異性ならではの魅力を感じてドキドキしてしまう。

 ベルに触れるとき優しい手も、一見優しさとは掛け離れて見えるかもしれない。

 骨っぽくてとても大きく、ベルが手の平を合わせてみると指先が第二関節にも届かない。

 でも、子猫を愛でるように優しいのだ。

「そろそろ描き終わったか?」

 と問われてその顔に目を戻すと、尖っていた唇が元に戻っていた。

「もう少しです」

 薄過ぎず、厚過ぎず、小さ過ぎず、大き過ぎずの、均整の取れた唇。下唇の方が気持ち厚みがある。

 毎日しているバーチョは、優しかったり、少し強引だったり。

 羽のように軽かったり、海のように深かったり。

 ケーキトルタをハチミツ漬けにしたくらい甘ったるかったり、飢えた獣に貪食されている錯覚が起きたりする。

 いずれにせよ感じるのは、この男に愛されているということだ。

「――あの……?」

 もう少しで描き終わりそうなときに、手が止まる。

 描いていた唇の口角が動き、上がって、真っ白な歯が見えた。

 もう少し上にある碧眼を見たら、からかうような愉快げな色が浮かんでいた。

「バーチョして欲しいのか?」

 すっかり顔に出やすくなってしまったのだろうか。

 頬が熱くなるのを感じながら小さく「ちょっと」と答えたら、その目尻がたちまち下がっていった。

「よしよし」とベルに腕を伸ばす。

「おいで」

「ちょ、『ちょっと』ですから大丈夫です。あと少しで描き終わるのです、お口を先ほどと同じようにしてください」

「戻らん」

 らしい。

 白い歯を見せたままの満面の笑みで、2人を隔てているカヴァッレットを邪魔者のように避けた。

 長い腕を伸ばしてベルの脇の下に手を入れ、膝の上に抱っこする。

「甘えん坊だからな、アモーレは」

「『ちょっと』でございますっ……」

「分かった分かった」

 と頬にバーチョされた後、唇にもされる。

 本当に今は『ちょっと』して欲しいと思っただけだったのに、奪われているうちに結局甘えたくなる。

 それに今日は何だか、いつもよりも動悸がした。

 常日頃から『主』というだけで誰よりも格好良く、神々しく思っていたが、改めて再認識した。

 自身はなんと凄まじい男に拾われているのか。

 容姿がこうでなくても忠誠を誓っていたし、今と変わらず愛していたし、なんというか幼児ぶりや破廉恥ぶりの方が目立って忘れがちになるが、フラヴィオは世界で5本の指には入りそうな絶世の美男だ。

 さらに国王で、自身の恋人だというのだから驚く。

(実は夢なのでは……?)

 なんて思って、唇を離してその端整過ぎる顔を覗き込む。

 誰もがアラブには負けるが、フラヴィオも近くで見ると睫毛が長い。

(夢でないのなら、作りもの……?)

 とその顔に、小さな手でぺたんと触れてみる。

 あたたかい。作りものではなさそうだ。

「なんだ?」

 と問うてきたフラヴィオは、じれったそうにしていた。バーチョを中断したからだと分かる。

 またその手が、ベルのヴェスティートを脱がそうとしているのも分かる。

「お待ちください」

 と言って、ベルは室内の時計に顔を向けた。時刻は午後0時を回っている。

 そろそろ使用人たちが扉を叩く頃だった。

「一旦、昼餉のお時間です――」





 ――1時間半後。

 昼餉を終えて円卓から立ち上がったベルが、胸元を押さえてフラヴィオから後退っていく。

「や、やっぱり描き足します、おヒゲ! 描き足しますから、私に『おまけ』をくださ――」

「いーや、ヒゲの描き足しはもういい。もういいから、余も『おまけ』しない。余の愛したそのままのそなたを描く」

「し、しかしやはりベルナデッタの貧相な身体をそのまま描くというのは――」

「良い加減に腹を決めるのだ、アモーレ。これは命令だ。良いな? 今から1秒以内にだぞ?」

「え」

「はい、ゼロ」

 ベルのヴェスティートが、宙を舞っていった。


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