上 下
91 / 303

第18話ー4

しおりを挟む
 ――宮廷の2階にある図書室の中。

 ベルが「分かりました」と言って、本を閉じた。

 視線の先にいるのは医者で、それは大変顔色が優れなかった。

「この本――人体解剖図鑑はお借りしていてもよろしいですか?」

 とベルが問うと、頷いた。

「私は他にも持っていますから、どうぞ宮廷天使様に差し上げます」

「ありがとうございます。尚、当日はお手伝い頂けますか? 私はあくまでも素人ですから、お医者様に付き添って頂くと大変心強いのですが」

 困惑した様子の医者に、ベルがこう続けると『スィー』の返事がようやく確認できた。

「あくまでもベラ様のお腹を切り、お子を取り出すのは私です。お医者様は、何ひとつ責任を負わなくてよろしいのですよ」

 医者が図書室から出て行った後、ベルは斜め向かいに座っている家政婦長ピエトラと、先ほどテレトラスポルトでやって来て隣に座った友人――ハナの顔を交互に見た。

「ピエトラ様も、ハナも、当日そうなってしまった時はお手伝い頂けるとありがたいのですが」

「ああ、もちろんだベル。私は、この城で誰かがお産をする際は、必ず手伝っているからね。というか、医者よりも私が子を取り上げることの方が大半さ」

 と、ピエトラ。

 ハナも、うんと頷いた。

「あたいも付き添うよ。治癒魔法はナナ・ネネに任せるけど、腹を切るとなったら闇魔法もいるんじゃないかと思うんだ。察してると思うけど、麻痺魔法さ。痛みが減ると思うんだよ」

 頷いたベルが、最後に正面に座っているヴィットーリアに顔を向ける。

 ピエトラとハナは少し緊張した様子だが、ヴィットーリアは穏やかな顔をしていた。

「王妃陛下は当日どうされるのですか?」

「うむ、ベラに立ち会うつもりじゃ。ベラは時々、弱気になることがあるからのう」

 と言いながら、ヴィットーリアがやはり穏やかな様子で笑顔を見せる。

 それをベルが少し不思議に思っていると、ハナが「なぁ」とベルの顔を見た。

「麻痺魔法で痛みが無くなるか、試してみておいた方が良いんじゃないか?」

 ベルは「そうですね」と頷いて同意すると、袖をまくってハナに差し出した。

「では、ここに麻痺魔法を掛けてください」

「腕だけにか? 無理無理、あたいらガット・ネーロが得意の麻痺魔法かけたら、身体全体に掛かっちゃうんだ」

「では、私の身体全体に掛けてくれて構いません。そしてピエトラ様は、お持ちの短剣で私の腕を少し切ってみてくれませんか?」

 ピエトラが「いいだろう」と承知して、太腿に装備している短剣を取り出す。

 それを確認した後、ハナがベルに手をかざして「パラーリズィ」と言った。

 ベルがふと身体を動かすことが出来なくなると、ピエトラがベルの様子をうかがいながら、短剣の切っ先をベルの腕に押し付けた。

 無反応な栗色の瞳を見たあと、3cmばかり切ってみる。

 赤い線が出来ると、ハナがすぐに手を当てて治癒魔法を掛けた。

「どうだった、ベル? って、麻痺したままじゃ喋れないか。でも解く魔法もないからさ、自力で解いてくれ。どうやってって? 要は、心の力で破壊するのさ。実際掛かると大抵は錯乱しちゃって解けないんだけど、フラビーたちには一瞬で解かれちゃってさぁ。あたいもタロウも大得意なのに……強いな、守るものがある人間は」

 とハナが苦笑するや否や、ベルの麻痺が解けたのが分かった。

「痛みはありませんでした」

「うぉい、解いちゃったのか」

 と、ハナの目が丸くなる。

 ヴィットーリアが「ほほ」と笑った。

「そうじゃろうて」

 ピエトラがもう一度ベルに確認する。

「本当に無いんだね、痛みは?」

「何も感じないわけではなく違和感はありましたが、痛みはありませんでした」

「そうかい。でも、最初からベラ様の腹を切るわけじゃないんだろう?」

「スィー、あくまでもお子が――ジル様が出て来れそうになかったらの話です。脅かしてしまわぬよう、ベラ様にはお伝えしない方がよろしいと思うのですが……」

 とベルがヴィットーリアを見ると、それはやはり穏やかな様子で「うむ」と言った。

「そうじゃな。お産が近付くにつれ、今はあっけらかんとしているベラが、怖くなってしまうということも考えられるからのう」

 ピエトラがヴィットーリアに「そうですね」と同意の返事をしたあと、ベルの顔を見た。

「まずは私がベラ様のお産を手伝ってみるよ。それで無理そうだったら、ベル、あんたに任せたからね?」

 ベルは「スィー」と返事をした。

 ヴィットーリアの顔を見る。

 やはり、穏やかな表情だ。

「あの……王妃陛下はベラ様がご心配ではないのですか?」

「心配はしておるよ。でも、いざというときはそなたがベラの腹を切り、子を取り出してくれるのじゃろう? ならば私は、心配以上に安心じゃ」

「たしかにベルは信頼あるよなー、『歌』以外は」

 とハナが言うと、ベルが赤面した。音痴がまったく、直らない。

 ヴィットーリアが感慨深そうに続ける。

「私が幼き頃から手を焼いて来たベラも、ついに母親になるときが来たんだと思ってのう……。北隣のサジッターリオ国とはもうコラードの婚約で、また東隣のアクアーリオ国とも近いうちにティーナの婚約で友好関係が築かれ、きっと『増兵問題』は解決するじゃろう。また、今年の7月でオルランドは成人じゃ。これでいつだって国王になることが出来る。先日ランドが完全に諦めた様子でベルを口説いているのを見たし、近々アヤメと婚約が決まり、レオーネ国ともより絆が深まることじゃろう。さらに言えば、今やベルという優秀な宰相もおる」

 と、一呼吸置いて「ほほ」と笑った。

「なんだか私は、この世に思い残すことが無くなったように思えてのう」

 ベルが声高に口を挟む。

「お言葉ですが、それは違うように存じます。何故なら、フラヴィオ様が――」

「ああ、分かっておる」

 と、ヴィットーリアがベルの言葉を遮った。

「何も私は、これでいつでも逝けると言っているわけではない。私の最後の仕事は、あの男を膝枕で永久の眠りにつかせてやることなのじゃから」

「そうですか……」

 と安堵の溜め息を吐いたベルに、ヴィットーリアが「ちなみに」と続けた。

「私は、そなたのことも少し気に掛かっておる。そなたは天使の中で、誰よりもフラヴィオに忠誠を尽くし、誰よりもフラヴィオのために生き、誰よりもフラヴィオを愛しておるじゃろう?」

 ベルは「スィー」と返した。自信がある故に。

 すると、ヴィットーリアがこう続けた。

「ベラのお産が無事に終わり、ティーナの婚約も決まって落ち着いたら……そなたは、フラヴィオの側室になるが良い」

「――え?」

 思わず、ベルは耳を疑う。

 ヴィットーリアは、フラヴィオに妾100人出来る覚悟で結婚した大人物であることを、知っていたとはいえ。

「そなたは今年で17になる。王侯貴族の娘でなくとも、女は結婚し始める年じゃ。それにそなたはきっとまだ、女として生まれて来たことの悦びを知り尽くしてはおらぬ。私は娘のように思っているそなたに、それを知って欲しいと思う」

「いいじゃないか、ベル! 賛成だぞ、あたい!」

 と興奮したハナの顔を見た後、ベルは困惑してヴィットーリアに顔を戻す。

「フラヴィオ様は、王妃陛下だけを妻にする約束をしたと伺いました」

「大丈夫じゃ。そなたが望み、私がそうすべきだと言えば、あの男はそうする」

「なりません。側室とはいえ、私はフラヴィオ様の妻には相応しくありません」

「まーだ、そんなこと言っておるのか? 最近はずいぶんと自信が付いたように思っていたのだがのう?」

「フラヴィオ様に相応しい女性など、王妃陛下以外には存在しないのです」

「分かった分かった、では『妾』と言えば気が楽か?」

「それは、多少はそうですが……」

 とベルが俯く。

 ハナが隣から顔を覗き込むと、それはどうしたら良いか分からないようで、栗色の瞳を動揺させていた。

 ヴィットーリアが「ベルや」と声を掛ける。

 顔を上げると、そこには記憶の中の母のような、とても優しい微笑がある。

「無論、無理にとは言わぬ。そなたは天使軍の優等生で、フラヴィオの優秀な補佐じゃ。仕事も大切ではあるが、女としての幸せも、そろそろちゃんと考えてみるが良い」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...