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第18話ー2

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「アリーチェ様、第5子ご懐妊でーす」

 フラヴィオが33歳の誕生日を迎えた約2週間後――8月末。

 宮廷オルキデーア城の1階から4階まで、使用人たちの明朗とした声が行き交った。

 第5子となれば、その知らせを聞く方もそれなりに落ち着いている。

 擦れ違う皆という皆に「おめでとうございます」と言われながらアリーチェが向かうは、夫フェデリコがいる『中の中庭』。

 1階の廊下から出て中に入るなり、優しい笑顔で抱き締められる。

 フェデリコの腕の中、アリーチェは「ふふっ」と嬉しそうに笑った。

「レオナルドかしら」

「ああ、きっとレオだ。ちなみにカテリーナ――女でも良い」

 中の中庭で武術の鍛錬に励んでいた一同が、2人に祝福の言葉を贈る。

「ありがとう」と笑顔で返した2人だったが、アドルフォの顔を見たときにそれが薄れてしまう。

「ベラはきっと授からなかったんだろうが、2人ともそんな顔をしないでくれ。本当におめでとう、良かったな」

 とアドルフォは笑顔で言ってくれるが、その心の内を察した一同が掛ける言葉もなく、俯いたときのこと――

「――ドドド、ドルフ様っ!」

 ベルの叫び声が聞こえて来た。

 間髪入れず、ヴィットーリア、ヴァレンティーナの声も聞こえてくる。

「ドルフや! これ、ドルフや!」

「大変よ、ドルフ叔父上! きっとジルよ、ジルベルトよ!」

 そして、家政婦長ピエトラの天を衝くような声が鳴り響いた。

「ベラドンナ様、第一子ご懐妊! ベラドンナ様が、ご懐妊です!」





 ――その頃のレオーネ国にて。

 瓦屋根と白い壁で出来た宮廷の庭園の中。

 王太子マサムネの四男坊ムサシ(9歳)が、風呂敷を背負い、愛用の弓を手に、矢筒を腰に装備して、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

 その心は弾み、姉であるアヤメと同じように、緑の黒髪を持つ母スミレ――マサムネの正室――の周りをぐるぐると回って遊んでいる。

「あちらのご両親の下でも良い子にしているのですよ、ムサシ」

「はい、母上! ムサシはこれからも毎日かならず書を読みまする。弓矢の練習もしまする。テレトラスポルトで、母上にも会いに来まする」

 そこへ、テレトラスポルトでマサムネとタロウ・ハナが現れた。

 その傍らには、紅い巻き髪と若草色の瞳を持つ女もいる。

 深々とお辞儀をするその女を見ながら、スミレが少し困惑したようにマサムネを見た。

「何も、今日ルフィーナさんを連れて行かなくても良いのでは」

「やっぱ止めようよ、マサムネ。今日はムサシをベラさんに贈るだけで良いじゃないか」

 とハナも続くと、タロウも「そうだよ」と同意した。

「アドぽんは何も知らないんだし、いきなり『側室』を突き出されたって困るでしょ。ベラさんとも初対面なんだしさ」

「分かっとる分かっとる」

 と、マサムネが3人を宥めた。

「今日はあくまでも紹介するだけや。ムサシを向こうに手渡したら、このルフィーナはこっちに連れて帰って来る」

 ムサシがマサムネの袴を引っ張った。

 その糸目で、糸目の顔を見上げる。

「父上、カプリコルノ国は、あんこでコニッリョと人間の距離がぐっと近くなったでござりまする。拙者がベラ様の養子になるかわりに、ドルフ閣下に『側室』をとのことですが……近々コニッリョが仲間になってくれるやもしれませぬ。そうしたら安全でござりまする。もう少し待たれてみては」

「ほな、おまえもベラちゃんの養子になるのまだ先になるで?」

 とマサムネが言うと、ハナがその額に手刀を入れた。

「もういいじゃないか、ムサシはベラさんにあげれば! 可哀想なことするなよ!」

「そうです、あなた。ベラさんが、これまでに子を授からぬ苦しみにどれだけ涙されたことか……!」

 とスミレが眉を吊り上げると、マサムネが「わ、分かった」と言いながら一歩下がった。

「せやけど」とスミレに怯えながら続ける。

「やっぱ不安やん、アドぽんの力受け継いだバケモノ並に強い子ほしいやん。それにコニッリョはこれから人間語覚えて、その後に魔法書を読んで魔法を覚えるんやで? すぐちゃうやん、時間かかるやん。今すぐ魔法使えるのが常にひとりおれば、安心やん。このルフィーナは、ばーちゃんがガット・ティグラートのメッゾサングエやし……たぶん。耳も尻尾もなくて見た目は完全に人間やし、あと顔も向こうに馴染むやん? 父親がカプリコルノ人やから……たぶん」

 タロウが「えーと」と言いながらルフィーナを見た。

「祖母がティグラートで祖父がレオーネ人、その半々のメッゾサングエの娘とカプリコルノ人とのあいだに出来たのが、ルフィーナさんでいいの?」

「た……たぶん」

 と、ルフィーナが恥ずかしそうに赤面した。

「母が小さい頃に祖父母は亡くなったようで母の記憶があやふやですし、その母は母で奔放なテレトラスポルト旅商人なもので、カプリコルノ・サジッターリオ・アクアーリオの三国のうちのどこかの男が父親だと思うんだけど、たぶんカプリコルノだろうとのことです……」

「その自由過ぎるおかんは今どこやねん」

 とマサムネが問うと、ルフィーナが尚のこと赤面した。

「大陸のどこかでぼったくり商売していると思うのですが……たぶん」

 マサムネとスミレ、タロウ・ハナが思わず苦笑したとき、ムサシが「あっ」と言って駆けだした。

 8月の半ば頃まで庭園に咲き乱れていたヒマワリの花が一輪だけまだ残っていて、それを摘んで持って来る。

 マサムネが八重歯を見せておかしそうに笑った。

「なんやねん、ムサシ。ベラちゃんに花やるん? おまえな、ベラちゃんには肉の方がええで」

「ヒマワリは、ベラ様の明るい笑顔に似ているでござりまするよ。肉ならいつも一緒に狩ってまする。あ…でも、たしかにベラ様はよろこばないかもしれないでござりまする……」

「そらそーや」

「困ったでござりまするね。今はこんなに美しくても、ベラ様に差し上げたとたんに陰って見えてしまいまする……」

 ハナがムサシを指差してスミレを見た。

「誰の子?」

「どう見てもワイの子やっちゅーねん」

 とマサムネが口を尖らせる傍ら、スミレがおかしそうに含み笑いした。

 微笑ましそうに四男坊を見つめる。

「ムサシはきっと、ベラさんに恋をしているのでしょう」

 きっとベラドンナは喜ぶからと、そのヒマワリを贈ってやるよう言うと、ムサシが「はい」と笑顔で承知した。

 それから間もなく、この場にいる皆でカプリコルノ国へとテレトラスポルトで移動した。

 次の刹那、辿り着いたのはいつものテレトラスポルト場所――北の砂浜。

 すぐにタロウ・ハナの黒猫の耳が動いた。

 今日はずいぶんと宮廷が騒がしいことに気付く。

 そしてその声を聞き取り、状況を理解した2匹が「えっ!」と驚愕して声を上げた。

「ベラさんがご懐妊!?」

 続いて「えっ!」と声を上げた一同を引き連れ、ハナがすぐさま宮廷の北門前にテレトラスポルトした。

 人にぶつからぬよう、細々とテレトラスポルトを繰り返し、向かった先はフラヴィオたちの声が聞こえる『中の中庭』。

 フラヴィオたち一同が囲っている中央、抱擁しているアドルフォ・ベラドンナ夫妻がいた。

 マサムネが「ベラちゃん!」と叫ぶように呼ぶ。

 振り返ったその顔をみるなり、タロウ・ハナの言ったことが間違いでないことを確信する。

 涙で濡れたその顔は、幸福で満ちていた。

 2人を見つめる一同の目にも、涙が浮かんでいる。

「ちょちょちょ、おめでたかいな! ベラちゃん、おめでたかいな! ついに、アドぽんの子を授かったんかいな!」

 ベラドンナが「ええ」と微笑すると、マサムネがその糸目を見開いて「おおお!」と声を上げた。

「おめでとう、ベラちゃん! アドぽん! おめでとう、ほんまにおめでとう!」

「ありがとう、ムネ殿下。フェーデとアリーも第5子を授かったのよ」

「おお、ほんまか! 2人もおめでとう! この国、ほんま今年はええことだらけやな! なんか最近、新しい工芸品――カンメーオでさらにボロ儲けしとるみたいやし! 今夜は赤飯やで!」

 スミレやタロウ・ハナも興奮してアドルフォ・ベラドンナを祝福している中、ムサシひとり呆然とした様子で俯いていた。

 ベラドンナに呼ばれて、はっとして顔を上げる。

 目前に、膝を付いたベラドンナの顔があった。

「あのね、ムサシ。実はさっき、ドルフと話していたんだけどね――」

「おめでとうございまする!」

 と、ムサシがベラドンナの言葉を遮った。

 笑顔を作り、手に握りしめていたヒマワリの花を差し出す。

「そうだと思って、お祝いにベラ様の笑顔のような花を摘んで来たでござりまする」

「あら、ありがとうムサシ。綺麗ね、嬉しいわ。それでね――」

「では拙者はこれで」

 とお辞儀したムサシが、逃げるように一階の廊下へと駆けて行った。

「えっ、ムサシ……!?」

 タロウの黒猫の耳が動いた。

「僕が行ってくるよ、呼ばれたから」

 とタロウもムサシの後を追って1階の廊下へと駆けていく。

 動揺した様子のベラドンナを見て、マサムネとスミレが顔を見合わせた。

「あんな、ベラちゃん。今日のムサシ、ベラちゃんへの贈り物やったんよ。――って、アドぽんは知らんかったな」

「つい先ほど聞きました」

 と、アドルフォ。

「養子の件は驚きましたが、俺もムサシが息子になってくれるなら嬉しく思います」

「だから、お腹の子のお兄ちゃんになってくれる? って、訊こうと思ってたのに……」

 ベラドンナがはっとしてマサムネ・スミレ夫妻の顔を見た。

「ご…ごめんなさい、図々しいことを言いました……。ムサシは、ドルフが側室を迎える代わりにっていう条件だったのに……」

「いいえ、ベラさん。そのことはもう、お忘れください」

 と、スミレがベラドンナに微笑を向けた。

 マサムネが続く。

「もうええよ、ベラちゃん。アドぽんの子供授かってもまだムサシが欲しいって思うなら、もらったってや。あいつ、ほんま今日という日をめっちゃ楽しみにしとったから。ただ、あいつ……」

 マサムネの言葉の続きを察したハナが、「うん……」と頷いた。

「まだ小さいのに、自分のことより人のこと考えるからさ、ムサシは。血の繋がった本当の親子の中に自分が入ったら邪魔だって、駄目だって、思ったんだと思うよ」

「そんな、ムサシ……!」

 とベラドンナが駆け出そうとすると、アドルフォが慌てて止めた。

「走っては駄目だ、ベラ!」

「そうだよ、ベラさん。お転婆でも、しばらくはおとなしくしてた方がいい。それに」

 と、ハナの黒猫の耳が動いた。

「タロウにテレトラスポルト頼んでもう帰ったみたいだから、また次に連れて来るよ」

 ベラドンナが「分かったわ」と消沈した様子で返事をした後、フラヴィオが「ところで」とルフィーナに顔を向けた。

 一同も向ける。

 馴染みのない顔がいることは、当然気になっていた。

 ルフィーナが慌てて頭を下げる。

「挨拶が遅れてしまい、申し訳ございませんでしたっ…! わたしはルフィーナと申しますっ……! しかし、その、もうお役御免みたいなので――」

「なぁ、そなた……」

 とフラヴィオが言葉を遮ると、ルフィーナがぎくりとしたのが分かった。

 フラヴィオがルフィーナの顔を覗き込む。

「もしかして、昔――」

「おっ、お邪魔しました!」

 とルフィーナがテレトラスポルトでその場から消えると、カプリコルノ一同が目を丸くした。

「おお、メッゾサングエだったか」

「そやねん。あれのばーちゃんがティグラートっぽい。せやから人間の血の方が濃いねんけど、半々のメッゾサングエくらいの魔力持っとるんよ。たぶん、ばーちゃんがティグラートの中でも魔力高かったんやと思う。実際魔法使わせてみても優秀でな」

「もしかして、彼女を俺の側室にしようとお考えだったのですか?」

 とアドルフォが問うと、マサムネが頷いた。

「父親がこの近辺の国らしくって、この辺の顔しとったやん? 猫耳も尻尾もないし、国民が受け入れやすいと思ったんよ。さすがにベラちゃんほど美人ちゃうけど、かわええ顔しとることやし。まぁ、貴族とかやなくて、テレトラスポルト旅商人やけど」

「だよな、商人だよな」

 とフラヴィオが言うと、その顔に注目が集まった。

「いやな? 当時、彼女はまだ少女だったのだが、母子でこの国に売りに来ていた時があったのだ。ちなみに母君の方も人間の耳だったし尻尾もなかったから、余は人間だと思っていた。紅い髪に緑の瞳は、この近辺の人間にもいることもあってな。で、商品がまったく売れなくて、困っていたようだったのだ。だから可哀想だと思ってな?」

 突如、補佐その3の声が低く響いた。

「何を、いくらでお買い上げに?」

「うん?」

 と返したフラヴィオが、突如口を閉ざした。

 そしてそのまま、石像になったかのように硬直する。

 真下から突き刺さって来る視線と無言の圧力に、フラヴィオの額に冷や汗が滲みだす傍ら。

 アドルフォがベラドンナの肩を抱いた。

 さっきまではあんなに喜んでいたのに、ムサシを心配して俯いてしまっている。

「ベラさん」

 スミレが口を開いた。

「このまま少し、ムサシと距離を置いてみるのも良いかもしれません」

「距離……ですか?」

 と鸚鵡返しにしたベラドンナの顔が困惑する。

 スミレは「はい」と頷くと、こう続けた。

「もう少し経てば、ベラさんはお腹に我が子がいる実感が湧きます。すると、尚のこと愛しくなり、さらに日を追うごとに愛おしさが増し、やがて世界一のものになることでしょう。その後、お腹を痛めて産み、血の繋がった我が子を初めて腕に抱いたとき、この上ない悦びと幸せに包まれます。そのときになっても未だ尚、ムサシを養子として迎えたいと思われたのなら……どうぞそのときは、あの子を宜しくお願い致します――」


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