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第14話ー1 酒池肉林王の補佐

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 ――1488年9月9日。

 本日は、小さな宝島カプリコルノの国王フラヴィオ・マストランジェロの7番目の天使――ベルこと、ベルナデッタの15歳の誕生日だ。

 王侯貴族の誕生日のように、王都オルキデーアで絢爛豪華なパレードパラータを開催し、祝福したかったフラヴィオだったが、等の主役に断られてしまった。

「私は農民の生まれです。そんなことに国庫金を使うべきではありません」

 この国ならではの国王の寵愛する『天使』は、民衆は当然、貴族にも守られるような身分だ。

 しかもベルは先日この国の英雄になったのに、相変わらずだなとフラヴィオは思う。

 といっても、以前ほどベルの自己評価は低くないように感じているが。

 このフラヴィオと出会って約1ヶ月が経つが、その当初よりは明らかに、また、長年奴隷にされているうちに忘れていた『笑顔』をほんの僅かに取り戻し、さらにフラヴィオの『補佐その3』となった先日からは、より輝いて見えるようになった。

「止めませんよ、フラヴィオ様」

 時刻は現在、早朝5時ちょっと前。

 朝の厨房を手伝いに行くベルが起床する前に、そのベッドレットに潜り込んでいたフラヴィオの口が尖る。

「寝起き開口一番に言わなくても良いではないか」

「申し訳ございません。おはようございます、フラヴィオ様」

「うむ。誕生日おめでとう、ベル」

 と、本日0時を回った瞬間にも贈った祝福の言葉を改めて口にし、頬にキスバーチョしてきたフラヴィオに、「ありがとうございます」と返したベル。

 続けざまに、またこの台詞を突き付けて来る。

「私は、止めません」

「増掘は何ら構わないし、そなたが『お風呂屋さん』になってみたいなーと思うのなら、なってみれば良い。――が、なぁ……ベル?」

 とフラヴィオが口を尖らせてベルの頬をつつくと、ベルから3度目の「止めません」が返って来た。

 何の話かというと、ここカプリコルノ島の南に位置する『温泉』のことだ。

 フラヴィオとフェデリコ、アドルフォが、ベルに誕生日に欲しいものを訊いたら、この国の同年代の女たちがそうであるように、宝石やドレスヴェスティート、花束、甘いケーキトルタといった可愛い返答を期待していたのに、『南の温泉の増掘許可および改装費、そして経営権』なんて返って来た。

 その後、思わず苦笑してしまったフラヴィオの顔を見て、ベルはこう続けた。

「我が主の脳内はいつでも好景気でございます故、日頃の散財が激しく、ベルナデッタは寒心に堪えないのです」

 ベルの脳内は、すっかりこのフラヴィオの『補佐』だった。

 そのとき「そうだな」と同意した補佐その1フェデリコや、その2アドルフォ、さらには国庫の管理担当である家政婦長ピエトラにもよく叱られるが、実際このフラヴィオは無駄遣いが多いらしい。

 お陰でベルは、普通の15の少女のように、純粋に誕生日を楽しむことが出来ないようだ。

 とりあえず許可や経営権はフラヴィオが出したし、ベルが国庫金はなるべく使いたくないとのことで、改装費はフェデリコとアドルフォが出すことになった。

 昨日から始まったアドルフォ・ベラドンナ夫妻の別邸の建設に続き、南の温泉は明日から工事が始まることになっている。

「そんなこと言わないで考え直してくれ、頼む」

 と、フラヴィオはベルの頬をつつき続ける。

 これまで南の温泉は『混浴』だったのだが、この新入りの補佐その3は、『男女別』にすると言って聞かない。

 それはフラヴィオとしては正直残念極まりなく、抵抗があった。

 以前から、温泉を利用しない女たちの理由の上位に『混浴』があったことから、補佐その1とその2は大いに賛成していたが。

 ベルが溜め息を吐く。

「フラヴィオ様……お金と破廉恥、どっちが大切なのですか」

 と問われるや否やに、フラヴィオが返した「破廉恥」は、ベルの頭を直撃、痛打してしまったらしい。

 完璧ペルフェットかつ真面目な使用人であるはずのベルの頭から、『朝の厨房の手伝い』という任務を、空の彼方まで吹っ飛ばしてしまったようで、こんな早朝から30分に渡り早口淡々説教を食らうことになった。

 しかも気付けば、レットの上に正座して向き合っている。

「フラヴィオ様の最大の財産であるこの国の今後の課題のひとつに、『増兵』が決まったではありませんか。兵士が増えれば増えるほど、出費も増えるのです。さらに、大陸の大国カンクロと戦ということになったら、莫大な費用が掛かるのです。これから、どんどん国庫金を増やして行かなければならないのです」

「うむ……しかし、温泉大国のレオーネ国とは違い――」

「この国の温泉はひとつしかなく、収入は微々たるものだから大した差はないと仰りたいようでしたら、今一度冷静にご確認いただきたく存じます。塵も積もれば山となるのです。今までそう仰って、本来収入が期待できたはずの温泉を無料開放し、一体どれだけの損をして来たことでしょう」

 と呆れ口調で言われ、「すまん」と謝ったフラヴィオだったが、この酒池肉林王、『混浴』という楽園は捨てがたく。

 この補佐その3を、なんとか説得しようと試みる。

「しかしだな、ベル? 今まで無料だったにも関わらず、通う者が少なかった。それを有料にしてしまったら、尚のこと皆の足が遠のくに違いないと、余は思う。いや、温泉経営してみたいならすれば良いが、男女別改装の費用は無駄になるような気がしてくる」

「その理由として、国民の女性に関しては『混浴』であることが大きく、それを解決するのが今回の改装であり、また他国の商人・観光客の方々としては王都オルキデーアからも隣町プリームラからも『遠い』という理由が挙げられましたが、それも此度、町から馬車を出すことにしましたので解決出来ましょう。ちなみに未来はコニッリョを雇い、テレトラスポルトでの送迎を予定しております」

「たしかにそれは便利だ。しかし、南の温泉は、自身や家族が病気になったときだけ思い出してもらえる程度の存在なのだ。ほら、先日も言ったが、飲泉療法というやつでな。正直、我が国民はレオーネ人ほど温泉好きではなく、テレトラスポルト送迎が実現できぬうちは、常日頃から馬車で数時間も揺られてまで足繁く通いたいものではない」

「集客には宣伝が大切に存じます。フラヴィオ様のこの国には優秀な人材がたくさんいらっしゃるのですから、使わせていただくべきです」

「宣伝? 人材? ああ……国民皆に愛されて止まないヴァレンティーナの絵と共に、『天使の湯』とでも書いた紙を町に貼って宣伝するとか、そういうことか?」

 ベルが「いいえ」と首を横に振った。

「もちろんティーナ様も考えましたが、人間『希少価値』に魅了されるということを考えたら、こちらが最善でございます」

 と、レットから机の方へと向かって行ったベルが一枚の紙を取り、フラヴィオに向かって広げた。

 そこにはヴィットーリアの絵と共に『珠の湯』と書かれている。

「ティーナ様も珠のようなお肌をお持ちですが、さらなる希少価値を考慮した場合は王妃陛下でございます」

「肌? ああ、10歳の肌が美しいのは珍しいことじゃないからな」

「そうです、王妃陛下は世間一般の『大台』とされる30歳を超えていらっしゃいながらも、目を見張るような珠のお肌をお持ちなのです。これこそが、真の希少価値というものなのです。女性は皆、いつまでも美しくありたいと願うもの。また、女性たちが恋し愛して止まないフラヴィオ様やフェーデ様がひょっこり現れる王都オルキデーアの女性たちは特に美意識が高く、常日頃から美容に力を入れている心象を抱きます。つまり、この広告に食い付かないわけがないのでございます」

 ここで「あー」と言って納得してしまったフラヴィオは、はっとして「待て待て!」と声を上げた。

 このままでは補佐その3に混浴楽園が破壊されてしまう。

「オルキデーアどころか、他国からの商人・観光客も含めてヴィットーリアに憧れる女たちは多く、人気は出よう。そう、人気だ、大人気だ。そうなったらなったで、今度は湯が混み合って大変だろう? 増掘して広げるとはいえ、男湯と女湯に分けてしまったら、やっぱり狭くなるわけで――」

 ベルが「ノ」と言ってフラヴィオの言葉を遮った。

「その辺は馬車を出す時間で調節しますし、そもそもそんなに心配はいりません。湯の温度は、43℃なのですから」

「うん?」

「温泉に慣れ親しんでいるレオーネ人はそれくらいでも平気な方々がいらっしゃるようですが、この国の民衆にとってはまるで熱湯、釜茹で刑気分です。まず長湯などしていられません。つまり、とても速いのですよ……利用客の『回転』が!」

「前世は商人か?」

 と苦笑してしまったフラヴィオの手前、興奮気味の補佐その3は新たな紙をフラヴィオに向けて広げた。

 そこにはグラスビッキエーレを傾けるヴィットーリアの絵と共に『一日一杯』と書かれている。

「こちらは、脱衣所内に設ける飲泉売り場に貼る広告でございます。尚、男湯の飲泉売り場にはこちらを」

 と、ベルが続いて見せて来た紙には、腰にタオルアッシュガマーノ一枚姿のアドルフォがビッキエーレを傾けている絵と、またもや『一日一杯』の文字。

「ヴィットーリアはともかく、何だそのゴツすぎる広告は」

「ドルフ様は、男性人気が大変高いとお聞きしたもので」

「そうだが、2人とも一日一杯も飲泉していないだろう。一日一杯の飲泉で、ヴィットーリアやドルフのような肌や身体になれるのだと、皆が勘違いしてしまうではないか。詐欺というのだぞ、そういうのは」

 ベルが「詐欺?」と鸚鵡返しに問い、飲泉売り場用の2枚の広告紙を見つめた後、再びフラヴィオに顔を戻した。

 これはきっと、ほくそ笑んでいる。

「私はこのお二方の絵に『一日一杯』と書いただけで、このお二方が『一日一杯の飲泉』なんて、どこにも書いておりません」

「なんて悪い子なのだ」

 とフラヴィオが声高になったとき、戸口の方から哄笑が聞こえて来た。

 振り返ると、扉が少しだけ開いていて、そこに補佐その1とその2――フェデリコとアドルフォ――の顔がある。

 ベルに「誕生日おめでとう」と言いながら入って来て、どちらも手には贈り物のヴェスティートを持っていた。

 アドルフォがベルの頭を撫でる。

「大丈夫だぞ、ベル。俺が実際に、一日一杯の飲泉を始めてやるからな。詐欺になんてならないぞ」

「それにきっと、美意識の高い義姉上も始めてくれることだろう。以前、レオーネ国の温泉宿の女将は皆、肌が美しいと絶賛していたからな」

 と、続いてベルの頭を撫でたフェデリコが、フラヴィオの顔を見て「というか」と失笑した。

「『破廉恥』な誰かさんに、悪い子呼ばわりされたくないよなぁ?」

「う……」

 と、フラヴィオはベルに顔を向ける。

 悪い子と言ってしまったことで俯いてしまい、無表情ながら悄気ているのが分かる。

 フラヴィオは「悪かった」と言って立ち上がると、ベルを抱っこしてレットの縁に腰かけた。

 するといつものごとく、ベルの手は膝の上で行儀良くそろった。

 そしてフラヴィオを見、不服そうな語調でこう言ってくる。

「フラヴィオ様は先日、コニッリョも入浴が好きなようだと仰っていたではありませんか。男湯の方は、日々鉱山で汗水たらして働く鉱員の方々が時間に関係なく利用しますが、夜は馬車を出しませんから女湯の方は人が来なくなります。その時間帯を、コニッリョに開放しようと思うのです」

 フェデリコとアドルフォが「あー」と声を揃えた。

 コニッリョが南の温泉に入っていたという目撃情報は鉱員から何度か聞いているのだが、それはすべて人気ひとけのない夜中とのことだった。

 また、これまで南の温泉には、脱衣所はあっても浴槽の周りには壁や仕切りなどが一切なく、周りから丸見えで、人間の姿が目に入った途端に脱兎の勢いで逃げていくと聞いていた。

「あの臆病なコニッリョにとっても、壁や仕切りは是非とも欲しいところだろうな」

 とフェデリコが言うと、アドルフォが同意して頷いた。

 なるべく早くコニッリョと融和し、仲間に引き入れたい現在、やはり男湯と女湯に分けるべきだと、3人の補佐が束になってフラヴィオに圧力を掛けて来る。

 今までの補佐2人だけだったなら、笑いながら嫌だと一蹴して済ませていたところだが、新しい補佐を入れたことでそうも行かなくなってしまった。

 その卑怯なほどに繊細で愛らしい顔立ちの、睫毛の長い綺麗な二重の栗色の瞳が、『許可』を求めて物欲しそうにフラヴィオを見つめている。

 観念することにした。

「分かった分かった、もう……好きにするが良い」

「ありがとうございます」

 と、栗色の瞳が煌めいた。

 フラヴィオは、さも愉快そうににやついている補佐その1とその2の顔面に枕を投げつけた後、「ただし」と口を尖らせながらベルの頬をつついた。

「この『条件』を呑んでくれないのならば、駄目だぞ?」


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