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第12話ー5

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 ――その頃の、レオーネ国にて。

 時刻は、カプリコルノよりも8時間早い午後7時過ぎ。

 急遽、英雄ベル・ハナの祝宴をと、マサムネの第二夫人が提案し、宮廷ではてんやわんやとなって準備が行われていた。

 その間、英雄のためにと、とある温泉を貸し切りにしてくれるとのことで、ベルとハナはお言葉に甘えてその湯に浸かって疲れを癒していた。

 ハナの方はさっきまで満身創痍だったが、ナナ・ネネに治癒魔法を掛けてもらったことですっかり治っていた。

 また、意地悪をしてしまったアヤメにきちんと謝って、仲直りもした。

「いやぁ、いいなー英雄って。まぁ、海賊から奪回したのはヴィルジネの財宝だし、ここレオーネじゃなくてヴィルジネの英雄になるけどさ、あたいら。それから、もちろんカプリコルノの英雄だ!」

 と、ハナが桶に乗せられて湯に浮いているマタタビ酒を、満足そうに呑んだ。ベルもレオーネ酒の水割りを呑む。

「今日はこれからあたいらの祝宴で、明日はカプリコルノの王都オルキデーアで凱旋パラータだろうな。ちょっと忙しいけど、嬉しいな。あ、後、あたいらのパラータ用の着物も!」

「スィー」

「今、ティーナとアヤメが一緒に考えてくれてるんだよな。なんか、カプリコルノとレオーネの着物を合わせたような、お揃いの着物にするって言ってたぞ! 楽しみだな!」

「スィー」

 ハナは口を尖らせてベルの顔を覗き込む。

 ベルはさっきからどうも空返事だった。

「嬉しくないのか? あたいとお揃いの着物」

「それは嬉しいのですが……」

 と俯くベルを見て、ハナは小さく溜め息を吐く。

 今ベルの頭の中が、誰の姿で一杯になっているか容易に分かった。

「フラビーのことばっかだな、もう」

 小さく頷いたベルの顔が沈んでいく。

「ムネ殿下はフラヴィオ様と王妃陛下をお迎えに行きましたが、フラヴィオ様の方は来て下さるのでしょうか」

「来るさ。あたいだけでなく、7番目の天使の祝宴なんだから」

「そうですが……」

 ベルの脳裏に、フェデリコの言葉が蘇る。

 ヴィルジネ国の財宝を積んだハナ号でレオーネ国へと戻っている際、ハナはマサムネとタロウに撫で回されて称賛されていた。

 だがその傍らで、ベルはフェデリコからこんなことを言われていた――

「天使が自ら危険を冒し、手を汚したことを、兄上が喜ぶと思っているのか」

 その碧眼には、怒りと悲しみが浮いていた。

 フラヴィオの反応を先回りして見ているようだった。

「褒めたれや!」とマサムネがフェデリコをどついたが、フェデリコはマサムネには一瞥もくれず、レオーネ国に到着するまでの間、俯くベルを黙って見つめていた。

 桟橋に着くと深く溜め息を吐き、ベルの頭を撫でて「待っていろ」と言った。

「なるべく兄上を落ち着かせてから、連れて来る」

 ――つまり今現在、フラヴィオは落ち着いていないらしい。

 激昂しているのだろうか。

 悲嘆しているのだろうか。

 もうこのベルの顔など、見たくないと思っているのだろうか……――

「ベルっ……!」

 ハナが慌ててベルの目元を擦る。

 その栗色の瞳から、涙がぽろぽろと零れ落ちて来た。

「きっと私はもう、フラヴィオ様の天使ではなくなりました」

 このベルに、あの優しく明るい笑顔を向けてくれることも。

 あの優しく穏やかな声で名を呼んでくれることも。

 あの優しく大きな手で頭を撫でてくれることも。

 あの優しくあたたかい膝の上に抱っこしてくれることも。

 あの優しく力強い腕で抱き締めてくれることも。

 もう二度と無くなってしまったのかもしれない。

 そう思ったら溜まらなく悲しく、寂しく、胸が張り裂けそうな痛みに襲われる。

「でも、後悔はしていないのです」

 フラヴィオの財宝や大切な国民の命を奪った悪党を、成敗することが出来たのだから。

 全てではないものの財宝も奪回出来たし、ヴィルジネ国出身のマサムネの第二夫人から謝礼にと、ヴィルジネ国の財宝をたんまり頂くことだって出来たのだ。

 天使として、ちゃんとフラヴィオの助けになったのだ。

「大丈夫だ、ベル。ちゃんと『ごめんなさい』すれば、フラビーなんだから許してくれるさ」

「出来ません」

 ただ『ごめんなさい』と言うことだけなら出来る。

 しかし、それは嘘になる。

 何故ならベルは、再び今日みたいなことが起これば、自身はまた同じことをすると確信しているからだ。

「だから私はフラヴィオ様にお許しいただけません、もうフラヴィオ様の天使ではありません、もうフラヴィオ様に愛されていません。でも、良いのです」

 と言いながら嗚咽するベルの涙を、ハナは「ああもう!」と必死に手で拭う。

「全然良くないじゃないか! でも大丈夫だ、フラビーなんだから! 今回のことは少なからず怒られるだろうし、ごめんなさいしないとなればもっと怒られると思うけど、なんだかんだこんなに愛してくれる天使を捨てられるわけがないんだ!」

「そうじゃのう」

 と、ハナの黒猫の耳に、突如ヴィットーリアの声が聞こえて来た。

 脱衣所の方からだ。

 耳を澄ませてみると、隣の男湯の方からはフェデリコとマサムネ、それからオルランドの声がする。

 少しして脱衣所の引き戸が開くと、そこに真珠のネックレスコッラーナだけを身に着けたヴィットーリアが立っている。

「ベルや、似合うかのう?」

 振り返ったベルと、またハナもぽかんと口を開けて忘我してしまう。

 ベルの涙が引っ込み、湯の中に入っているのに全身に鳥肌が立っていく。

 そこに、珠の肌の上に珠をまとった珠の女神が立っていた。

 その頭の先から爪先まで見つめ、最後に顔を見つめて2人が頬を染める。

 ヴィットーリアがおかしそうに「ほほ」と笑って真珠のコッラーナを外した。

 それを脱衣所の籠の中に入れ、浴場へと入って来る。

 並んで座っていたハナとベルは、狼狽してしまいながら「どうぞ!」とヴィットーリアの入られる隙間を空ける。

 浴槽は広いので、そんなことをする必要も無かったのだが。

 ベルとハナのあいだで、ヴィットーリアがご満悦そうに「気持ち良いのう」と言いながら手で肩に湯を掛ける。

 肌の上を水の玉が転がり落ちていった。

 普段ヴィットーリアの入浴を手伝うこともあるベルはその都度思うが、その肌はまるで陶器で出来ているようだった。

「ベルや」

 とヴィットーリアに呼ばれると、ベルははっとして「スィー!」と声を裏返した。

 記憶の中の母のような、優しい手がベルの頬を包み込む。

「此度のこと、見事じゃった。そなたはまこと天使軍の優等生よ。私は誇らしい」

「あっ……ありがとうございますっ……!」

 とつい湯の中で正座して姿勢を正したベルに続いて、ヴィットーリアの黒茶色の瞳に捉えられたハナも同じようになってしまう。

「ハナも、よくぞ天使を守ってくれた。そなたの力あってこそじゃ。まこと頼りになるのう。ありがとう」

「そ、そんな、当たり前なんだっ……ベルはあたいの友達なんだから。でも……」

 ハナが「にゃはは」と照れ臭そうに笑った。

「マサムネに褒められるより100倍は嬉しいな」

 男湯から、「ヘブッ」なんて変なクシャミと、マサムネの声が聞こえて来た――

「誰やねん、ワイの噂しとんの」

 ヴィットーリアが話を続ける。

「しかしのう、ベルや。そなたは、天使の仕事である『国王の癒しになること』からは程遠いことをしてしまった。今、失神しておるのじゃぞ」

 と、ヴィットーリアが男湯の方を指差すと、ベルは小首を傾げた。

 ハナの黒猫の耳には男湯からの会話が聞こえてくる――

「兄上、起きて下さい、兄上」

「湯に沈めれば起きるやろ」

「や、やめてくださいムネ殿下! 父上がお亡くなりになってしまいます!」

 ハナが「あれ」と言いながら、ベルを見た。

「本当だ。フラビー来なかったんじゃなくて、気失ってるみたいだぞ」

 それを聞いたベルが「えっ」と声を上げて湯から出ようとすると、ヴィットーリアが「大丈夫じゃ」と言って引っ張り戻した。

「マストランジェロ一族の男から見た女というのは、とてもか弱い生き物なんじゃ。実際はベラなんかは逞しい腕力をしているんじゃが、マストランジェロ一族の男がどんなに殴られたところで、猫にやられた程度で済んでしまうからのう。そしてベラが猫ならば、そなたは子ネズミじゃ。……ん? リスの方が愛らしくて良いかのう」

 ほほほ、と笑ってベルの頭を撫でるヴィットーリアの一方、ハナは納得して、うんうんと頷いていた。

 ガット・ネーロというモストロの中でも最強の部類に入るハナから見ても、ベルは当然、人間の女であるベラドンナの力もたかが知れている。

「それからマストランジェロ一族の男――特にフラヴィオは女のこととなると、とにかく心配性で、それが天使のこととなったら尚更じゃ。そなたがそのか弱い子リスのような身体で、何か危険を冒すのではないかと、今朝からずっと心配しておった。一時はドルフに宥められて落ち着いたようじゃったが、すぐにまた荒れ狂うて、まこと大変だったのじゃぞ?」

 そしてそこへフェデリコとマサムネから案の定の報告により、フラヴィオが失神に至ったと聞き、ベルは動揺せずにはいられない。

 フラヴィオがこのベルのことで、そんなことになっていたとは思いも寄らなかった。

 居ても立ってもいられなくなって、また湯船から出て男湯へと行こうとしたベルを、ヴィットーリアが引っ張り戻して「だから」と話を続ける。

「分かったの、ベルや? そなたはそなたが思っていた以上に、フラヴィオに大切にされている、寵愛されていると。私はそなたをとても優等生だと思っておるが、フラヴィオからすれば問題児なのじゃぞ?」

「だろうなぁ」

 と、ハナが苦笑した。

「でもさ、ヴィットーリアさん。ベルのフラビー愛って凄まじくってさ。ベルに『国王の癒しになる』仕事は、普段はいいかもしれないけど、難しい時もある」

 それは分かっているという風に、ヴィットーリアが「うむ」と頷いてベルを見つめた。

 ベルの目前に、天使軍元帥の真剣な顔がそこにある。

「ベルや。これまでの天使の仕事は、国王を愛し、国王の癒しとなり、時に――今日のそなたのように――国王の助けとなり、国王のために美しくいること、じゃった」

 ベルは「スィー」と返事をしながら、零れ落ちて来る涙を拭う。

 フラヴィオが今どんなことになっているか知り、罪悪感で押し潰されそうだった。

 やっと心からの『ごめんなさい』を言う気になる。

「そしてこれからは、そこにもうひとつ――『国王のために生きること』じゃ」

「――『生きること』……?」

 鸚鵡返しにベルが問うと、ヴィットーリアが「そうじゃ」と頷いた。

「そなたは少し、自身の命を軽んじておるな」

 そうかもしれないと、ベルは思った。

 正直、フラヴィオのために命を捨てることは惜しくない。

 例えばホンファのように、自身は主を守って死ぬのだと思えば、幸福と、自尊心というものでいっぱいの最期だろうと思う。

「私は勇敢なそなたを咎めないし、そなたも自身を止められないことじゃろう。しかし、フラヴィオからすれば溜まったものじゃない。それから天国のお父上、お母上だって泣いておるぞ? だから約束しておくれ、ベル。今日のようなことがあっても、『生きること』を忘れないと。危なくなったら引き、必ず生きて帰るのじゃ。主の――フラヴィオの下に。大切な天使が生きていること、それはフラヴィオにとっての幸せでもあるのじゃから。あの日、そなたを守るために救ったフラヴィオの想いを無下にしてはならぬ。『国王のために生きること』――それが、これからのそなたの何よりの仕事じゃ」

 ベルは湯の中できちんと正座し、「スィー」と誓った。

「このベルナデッタ、フラヴィオ様を心から愛し、フラヴィオ様の癒し……は、時にティーナ様あたりにお任せすることになってしまうような気がしますが」

「まぁ良い、それで。人には向き不向きがあるし、実際、ティーナが最適じゃしのう」

「これからもフラヴィオ様の助けとなってご恩を返し、そしてフラヴィオ様のため、懸命に、一心不乱に、意地でも……『生きること』を、誓います」

 そう言った後に一呼吸置き、もう一度ベルが「誓います」と声高に宣誓すると、女神が優しく微笑した。

 母のような腕が、ベルの身体を抱き締める。

「今日はまこと頑張ったのう、ベルや。そなたもハナも、我が国の英雄じゃ。3年前に虐殺された者たちの遺族もやっと報われるじゃろうて。凱旋パラータはオルキデーアで明日朝9時――こっちの明日夕方5時からじゃ。良いな、ベルや? ハナや?」

 2人が声を揃えて「スィー」の返事をしたちょうどその時。

 ハナの黒猫の耳に、目を覚ましたらしいフラヴィオの声が飛び込んで来た――

「ベル……! どこだ、ベル!」

 ハナが男湯の方を指差してベルに「起きたぞ」と言うと、今度こそベルが湯船から上がって脱衣所へと駆けて行った。

 脱衣所に入ったあと、すぐにまた引き戸の開閉音が聞こえて来たことを考えると、用意してある浴衣を着ることはもちろん、身体すら拭かずに男湯に行ってしまったらしい。

「あーあ、もう」

 とおかしそうに笑いつつも、ふと涙を零したハナを見て、ヴィットーリアが小首を傾げた。

「どうしたのじゃ、ハナまで泣いて」

 にゃはは、とハナが笑って涙を指で拭った。

「なんだかベルのフラビー愛って、見てると胸が締め付けられるっていうか……誰かのために必死に生きてる人間って凄く強くて、凄く純粋で、凄く綺麗だな。あたいも頑張って生きることにする。生きて、強くなって、魔法もいっぱい練習して、懸命に生きる友達を――ベルを、守るんだ」

「ああ……そなたはまこと心優しきモストロじゃ。ベルは掛け替えのない、素晴らしい友人を持った。しかし、ハナや? そなたがまず守らねばならぬのは、ムネ殿下ではなかったかえ?」

「あっれ、そうだっけ」

 再び「ヘブッ」と変なクシャミが響いた男湯では――

 湯から飛び出したフラヴィオをフェデリコとマサムネ、オルランドが3人掛かりで羽交い絞めにしていた。

 3人に取り敢えず落ち着くよう言われるが、フラヴィオの脳内はベルのことで支配されて言葉をいまいち理解出来ず、また出来たとしても無理があった。

 今ここがどこかも分かっていないが、国王の威厳たっぷりに「下がれ!」と怒号し、3人まとめて湯船にぶん投げて脱衣所の方へと向かって行く。

 上手く力加減が出来ずに開けた引き戸が、まるで銃声のような大音声を立てて開くと、隣の女湯ではハナが「にゃあ!?」と猫の声を上げて飛び跳ねた。

 そしてフラヴィオが脱衣所に一歩出た刹那、その胴体に白いタオルアッシュガマーノが巻き付けられた。

 視界に入っていなかった真下を見ると、そこにベルのものと分かる栗色の頭と、濡れた肩があった。

「――」

 息を呑み、怒声を上げようとしたフラヴィオよりも先に、その胸にしがみ付いているベルが口を開く。

「ごめんなさい……フラヴィオ様、ごめんなさい…ごめんなさい……!」

 ああ……大切な天使が震えている、泣いている……――

 フラヴィオの中から憤怒の感情が、するすると引き抜かれていった。


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