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第6話ー2

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「あと2階にはね、中級使用人の庭師長とか、食品貯蔵庫長や調理補助員長、パンパーネ職人、菓子職人、馬車の御者の部屋があるのよ。それからね、宮廷楽士さんたちのお部屋もあるの。図書室や美術室にいると、綺麗な音色が聞こえてくることがあるわ」

 残りの1階に降りていく。

 そこは朝昼晩と忙しい厨房と、3桁を超える下級使用人たちが集団で寝泊まりする部屋。

 それから中庭で訓練に勤しむ将兵も使う広い浴室や、医務室がある。

『上の中庭』に面している一番北――突き当り――は宝石加工職人の部屋になっているのだが、それにしては付近からトントンカンカンキンキンと不自然な音が頻繁に聞こえてくる。

 その理由は、城の外――『上の中庭』にある鍛冶場だった。
 
金属加工職人たちが日々籠りっぱなしで武器や防具、兵器といった軍用品の他、硬貨の鋳造や金銀細工、生活用品の製造に勤しんでいる。

 それ故、城の1階の廊下は中庭からの賑やかな勇ましい声に紛れ、頻繁に金槌の音がしていた。

 ヴァレンティーナが、下の中庭にある城の出入り口脇の部屋――一番南の部屋――にベルを連れて入って行く。

 ここは客間で、ベルがこの城へ連れて来られてきた日に泊まった部屋でもある。

 またピエトラが言っていたのだが、他国からオルキデーア石を買い付けに来る商人は大抵が裕福で、より大粒で質の良いものを求めることが多く、その場合ここでフラヴィオが直接取引することも多いらしい。

 ピエトラは、「陛下は器が広くてね」と溜め息を吐いていた。

 それは感嘆の溜め息などではなく、『呆れ』だったのが引っ掛かるところ。

 尚、この部屋の壁の一角には、フラヴィオの大きな肖像画が飾られている。

「ねぇ、ベル。この絵の父上、おヒゲがあるでしょう? 今のおヒゲがない父上と、どっちがいいと思う?」

「どちらでしょうね。どちらもお似合いです」

「母上や叔母上たちはね、おヒゲ派みたい。その方が、より国王らしく見えるのだって。フェーデ叔父上もこの頃、おそろいのおヒゲがあったのだけれど…………痛くって」

「え?」

「おヒゲあるとね、バーチョされたときにちょっと痛いの。だから私は無い派なの」

 そういえばフラヴィオがそんなことを言って嘆いていたことを、ベルは思い出す。

 本当はフラヴィオは髭を生やしたいらしいのだが、ヴァレンティーナに「父上お髭いたーい」と嫌がれる故に泣く泣く処理しているという。

 またフェデリコも同様らしい。

 ちなみにアドルフォに髭を生やす生やさないの選択肢はなく、毎朝必ず処理している。

 何故なら、剛毛過ぎて凶器になりかねない故に。

 またその銀の頭髪はまだ柔らかさがあるものの、それでも汗で濡れようが湯に入ろうが元気に逆立っている。

 ヴァレンティーナは1階の客間から出ると、すぐ傍にある城の出入り口へと向かって行った。

 そこを出ると下の中庭で、民間から集められた兵士が訓練している。

「ベルも知っているでしょう? 成人――15歳になった男の人は、一部のお仕事以外は、みーんな兵士にならなきゃいけないこと。でも、普段はみんな他にお仕事してるから、ここに訓練に来るのは週に1回から3回くらいみたい」

 そう言ったヴァレンティーナが、下の中庭で訓練していた兵士に向かって愛らしく手を振った。

 その途端、それまで掛け声と共に走り込みをしていた兵士たちが魂を抜かれたように崩れ落ちる。

 こんな光景はもはや日常茶飯事なのか、ヴァレンティーナは何ら驚いた様子なく話を続ける。

「みんながそうしなきゃいけないのは、敵さんが来たときのためなんだろうなって分かるのだけど……」

 と、ヴァレンティーナの顔が悲しそうに沈む。

「そういうとき、『戦争』をしているってことでしょう?」

「そう……ですね」

「私は戦争をこの目で見たことはないけれど、戦争のたびに誰かが悲しい想いをしているのは分かるわ。だって、私はとても悲しくなるもの」

 ベルの胸が少し締め付けられる。

 ヴァレンティーナは外見だけでなく、中身も純粋無垢な天使のようだった。
 
その穢れを知らぬ真っ白な心を、きっとフラヴィオたちは守ろうとしているのだろう。

 その気持ちも分かる一方で、ベルはふと不安にも駆られてしまう。
 
ヴァレンティーナをひとりにした途端、魔の手に掛かってしまわぬだろうかと。

(私が、お守りしなければ)

 スカートゴンナの上から、太ももに装備している短剣とコルテッロを確認する。

 すぐに武器を取れるようにゴンナを短く切ってしまおうか。

 ベラドンナに習った弓矢も持ち歩くべきだろうか。

 もうっそのこと、中の中庭にいるフラヴィオたちに紛れて一緒に武術の鍛錬でもしてみようか。

 そんなことを黙考するベルの手を引っ張り、ヴァレンティーナは下の中庭にある厩舎と武具庫のあいだを通って裏庭の方へと向かって行く。

「見て見て! すごいでしょ!」

 そこには、宮廷庭師たちが丹精込めて作り上げた庭園がある。

 木々や季節の花々で彩られたそこは、特にヴィットーリアやベラドンナ、アリーチェのお気に入りらしい。

 そしてヴァレンティーナも同様のようだった。

「お庭をながめながら、ここでお茶をするのよ」

 と、庭園の中央付近に置かれた円卓に着く。

 他にもいくつか円卓やベンチパンカが置かれているが、ここだけは大きな日傘も設置されている。

 本日ヴァレンティーナが家庭教師の下で勉強する昼下がり、ベルはヴィットーリアの命でここへ茶を持って来ることになっている。

「座って、ベル。見つかったら怒られちゃうわ」

 その意味が分からずベルが小首を傾げた時、上方から「これ!」とヴィットーリアの声が聞こえて来た。

 見上げると、4階の窓からヴィットーリアとベラドンナ、アリーチェがこちらを見ていた。

「早く日陰に入るのじゃ、ベル!」

 ベルは「スィー」と返事をするなり、少し狼狽して椅子に座った――日傘が作っている日陰に入った。

「天使は、ふだんはなるべく日焼けしちゃいけないのだって」

 と言ったヴァレンティーナに対し、それは何故なのかとベルが問う前に、今度はアリーチェの声が聞こえてくる。

「ねぇ、ベル。いつものお茶、わたしとベラちゃんの分もお願いしてもいいかしら?」

 昼下がりの話らしい。続け様にベラドンナの声も聞こえて来た。

「いや、待って。ベル、ワタシはいつものお茶じゃなくて、紅茶がいいわ」

 またヴィットーリアの「これ!」という声が聞こえた。

「駄目じゃ、ベラ」

「だぁーって、お姉様……あのお茶、美味しくないんだもーん」

「文句言うでない」

「そうよ、ベラちゃん。ちゃんと飲まないと。でもたしかに美味しくはないし……ベラちゃんが飲みやすいように、いつものお茶に紅茶も加えてみるのはどうかしら、お義姉様?」

「それなら、まぁのう……分かった、それでも良いぞベラ」

「いやそれ、余計に飲みたくないから!」

 一体誰に対して「スィー」の返事をすれば良いものか。

 3人のやりとりは数分のあいだ続き、最後に勝ち残ったのはやはり王妃――ヴィットーリアのようだった。

「という訳でのう、ベルや? いつもの茶を3人分……いや、そなたの分も入れて4人分持って来ておくれ」

 どうやら、昼下がり、このベルも一緒に茶をするらしい。

「スィー、王妃陛下。お茶菓子は如何致しましょう?」

パンケーキふわふわトルタ

「いいや、素焼きナッツノーチェじゃ」

「そんなお姉様――」

 ベラドンナの不服そうな声が途切れる。

 日傘でその顔は見えないが、ヴィットーリアかアリーチェが窓を閉めたのだろう。

 いつもの茶を4人分と、茶菓子は『素焼きノーチェ』が命らしい。

 もう3人には聞こえないが、一応「畏まりました」と返事をしたベルに、ヴァレンティーナが小声でこう言った。

「気を付けてね、ベル。オルキデーア軍のみんながフェーデ叔父上に、プリームラ軍のみんながドルフ叔父上に対してそうであるように、私たち『天使』が絶対逆らっちゃいけない相手が『女神』なのよ。母上の言うことをおとなしく聞かないと、こわぁーいお仕置きされちゃうんだから」

「なんと……王妃陛下は女神様であり、そして天使軍の元帥閣下であらせられましたか。しかし、ティーナ様がお仕置きされることはあるのですか?」

「もちろん、あるわよ」

 ベルは少し意外に感じたが、ヴィットーリアはヴァレンティーナの母親であることを思えば当然だった。

 しかし頭の中、すぐにフラヴィオたちがヴァレンティーナを庇いにやって来る図が浮かぶ。

「父上や叔父上たちが止めてくれようとするのだけど、結局最後は私と一緒に正座してお説教されているのよね」

「なんと……王妃陛下がフラヴィオ様と同等の身分であらせられることは存じておりましたが、王妃陛下というよりは『女王』陛下ですね」

 とベルがつい畏怖の念を抱いていると、ヴァレンティーナが問うてきた。

「そういえば、女王だけの国ってあるって聞いたことがあるんだけど、知ってる? 父上と母上みたいに陛下が2人いるんじゃなくて、女王ひとりで統治してるのだって」

「そのような国もあるようです。その場合は、結婚した相手の男性は陛下とはならず、あくまでも『王配』という身分だそうですが」

「そうなのね。マストランジェロ王家はずっとずっと、必ず男の王がいて、王妃がいてっていう形だったから不思議。女の人だけでも、国を守れるものなの?」

「スィー、おそらくは。誰しもがフラヴィオ様のように『力の王』ではありせんから、個々のやり方で国を築いておられるのでしょう」

「そういえば、ランド兄上が言っていたわ。自分は、将来『力の王』と称されるほどの力は受け継がなかったって」

「オルランド様が……?」

 王太子オルランドは、ベルが図書室でよく顔を合わせるひとりだった。

 ヴァレンティーナはフラヴィオ・フェデリコ兄弟の金髪碧眼を持って生まれて来たが、王子たちは皆、濃淡の違いはあれど茶色の髪をしていた。

 黒茶の髪と瞳を持つオルランドが最も母ヴィットーリア寄りで、また13歳ながら落ち着いた佇まいも、天真爛漫なフラヴィオよりも母譲りに見えた。

 と言っても、廊下などでふとベルと鉢合わせになると「おお、天使よ」と言ったりするところは、紛れもなくマストランジェロ一族の男といった感じだが。

 図書室でベルの隣にフェデリコがいるのを見つけると、授業内容によってはベルを挟む形で座り、共に勉強している。

 それは大抵が『復習』のようだが、それでも真剣にフェデリコの授業に耳を傾けていた。




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