7 / 190
ルブラン王国
7 トラス侯爵家
しおりを挟む目覚めた翌日、レティシアの右側頭部にあった深い傷が塞がっていたため、バーナードが卒倒しそうなくらいに驚いていた。
記憶がなくても、トラス侯爵家では快適な日常生活が保証されている。レティシアは、日増しに心と身体が一つになりつつあるのを実感しながら邸内で穏やかに過ごす。
邸の使用人たちは、すっかり様子が変わってしまったレティシアに気付き始めているものの、接し方は概ね今まで通り。
トラス侯爵と侯爵夫人は、17年間育てた娘のレティシアがもうこの世に存在しないと知った後、三日間寝込んでいる。
初日、レティシアに拒絶されて落ち込んでいた兄のジュリオンは、レティシアが深く詫びてから毎日会いに来るようになっていた。
♢
「私のことは“レティシア”でいいのですが、私が“お兄様”とお呼びするのは少々抵抗が…“ジュリオン様”ではどうでしょう?」
今のレティシアは中身が28歳、20歳のジュリオンよりかなり年上となる。
「あぁ、それは構わないよ。そうか…もう私は兄でなくてもいいんだな…」
「…いえいえ、そういう意味で言ったわけでは…」
(どちらかといえば、弟なんです!)
「…うん…」
ジュリオンはどこか吹っ切れたような表情で『いいんだ』と、ポツリと呟いた。
「ところで“レティシア”と呼ばれるのは…嫌じゃない?」
「改めて、この間は大変申し訳ありませんでした。今後はそう呼んでいただいて大丈夫です。勿論、違和感はありますが…それは、周りの方たちも同じでしょうし…他に呼びようがないですよね。
私は、この身体が“レティシア”であるという事実から目を逸らしてはいけないと…そう思ったので…」
(どう生きていくのかは、また別の話だものね)
「なら…レティシア、いくつか質問をしても?」
「はい、どうぞ」
こうしてジュリオンと交流することで、侯爵夫妻とレティシア双方の情報が間接的に伝わり合い…互いに歩み寄れた部分はとても大きかった。
──────────
─ レティシアが目覚めて一週間 ─
記憶喪失のお嬢様=明るいレティシアは、身の回りの世話をしてくれる若いメイドたちとすっかり打ち解け…仲良くなっていた。
「レティシア!」
いつも私室で食事をするレティシアは、カミラが提案した『侯爵家の奥庭でピクニックランチ!』を楽しんでいる真っ最中。
口を大きく開けてサンドイッチにかぶりついていたその時、ジュリオンが翡翠色の瞳を輝かせながら走って来る。
「…んぐっ!…ジュ、ジュリオン様?!」
「私の可愛いレティ…ここにいたの?」
ジュリオンは、レティシアの膨らんだ頬に…全く躊躇せず…チュッと口付けた。
♢
ジュリオンは、妹のレティシアを“溺愛”している。
「幼いころから、レティシア様をずっと可愛がってきたジュリオン様は…もう甘々のベッタベタなんですよ」
そんな話を、事前にカミラから聞かされていたレティシア。
最初の数日は部屋で手を握りながら話をする程度、時間こそ長いが特別気にはならない。
ところが、徐々にジュリオンから熱い抱擁や、髪、手指へ優しく触れる口付けなどを受けるようになり翻弄されていく。
(これが外国の貴族っぽいといえば…そうなんだけど。…ベッタベタ…コワイ…)
毎日繰り返される濃厚なスキンシップに、転落事故以前のレティシアはどう対応していたのか?カミラに問えば、一切抵抗していなかったとの答えが返ってきた。
そもそも幼少期よりこの状態なのだから、愚問である。
『人間は慣れる生き物だ』と、どこかで耳にした言葉を思い出す。
レティシアがそれを身を以て体感している一方で、ジュリオンの溺愛ぶりは加速し続け留まるところを知らない。
人目を気にせず恋人のように振る舞う姿は、今のレティシアからすれば“異常”と言わざるを得なかった。
♢
青空広がる晴れた日の木陰の下、敷物の上でサンドイッチや飲み物を広げて食べていたレティシアは、ジュリオンからの突撃を受け、頬にキスまでされて目を丸くする。
「…な…なぜここに…?」
「探したよ?…ふーん…楽しそうだね…」
そう言って、レティシアを後ろから抱き込んで座ると…右腕をスルリと腰に回し、左手でミルクティー色の髪を弄った。
「…ジュリオン様…」
(今日も捕まってしまったぁ…でも、現世のレティシアを可愛がっていた兄を…無下にはできない…)
ジュリオンは背が高く、所謂“細マッチョ”のイケメン。レティシアはスッポリと胸の中に収まってしまう。
ドクドクと…背中側から早い鼓動が響いてくる。
レティシアの顔を覗き込むジュリオンの額は少し汗ばんで、前髪が張り付いていた。
(…あれ…私を探して、本当に走り回っていたの?)
ジュリオンの前髪を整えようと、無意識に手を伸ばす。
「…レティ…何?」
「あ、髪がちょっと…」
遠巻きに二人を眺めていたメイドたちは、見つめ合う美男美女のラブラブカップルでしかない…その甘い空気に頬を染め微笑む。
(はっ、つい。変に誤解しないで!私たちは兄妹でーす!!)
「ジュリオン様、そんなにくっつかれては食事ができません」
「レティが部屋から逃げ出すからいけないんだよ?…また…私の前からいなくなるつもり?」
「…にっ、逃げ出すだなんて…今日は外でランチを…」
「代わりに食べてあげる」
「…へ?」
ジュリオンは、食べかけのサンドイッチを持つレティシアの手首を掴んで引き寄せ、パクリと口に入れてしまった。
タマゴと野菜のサンドイッチと、レティシアの指を。
「……!!!!……」
「…………ん…すごく美味しいね…」
一体何の味に満足をしたのか…赤い舌でレティシアの指をペロリと舐め、ジュリオンは恍惚とした表情をする。
(……変…態……)
レティシアは完全にキャパオーバー。
白目を剥いて、そのままジュリオンの胸にぶっ倒れた。
「キャー!レティシア様!!」
兄妹の憩いのひと時を邪魔しないように距離を取っていたカミラたちが、慌ててレティシアの側に駆け寄って来る。
ジュリオンは涼しい顔をして、そのままサッとレティシアを抱き上げた。
「レティシアは私が部屋へ運ぶ、お前たちはここを片付けておくように。カミラ、残った食事は下げ渡す。レティシアには同じものを新しく用意して、部屋に届けて欲しい」
トラス侯爵家の後継者…当然ではあるが、使用人たちを前に毅然とした態度を示すジュリオン。
レティシアの側にいる時とは、顔つきがガラリと変わる。
「は…はい。畏まりました、ジュリオン様」
「心配しなくても、ちゃんと休ませておくよ」
0
お気に入りに追加
212
あなたにおすすめの小説
瞬殺された婚約破棄のその後の物語
ハチ助
恋愛
★アルファポリス様主催の『第17回恋愛小説大賞』にて奨励賞を頂きました!★
【あらすじ】第三王子フィオルドの婚約者である伯爵令嬢のローゼリアは、留学中に功績を上げ5年ぶりに帰国した第二王子の祝賀パーティーで婚約破棄を告げられ始めた。近い将来、その未来がやって来るとある程度覚悟していたローゼリアは、それを受け入れようとしたのだが……そのフィオルドの婚約破棄は最後まで達成される事はなかった。
※ざまぁは微量。一瞬(二話目)で終了な上に制裁激甘なのでスッキリ爽快感は期待しないでください。
尚、本作品はざまぁ描写よりも恋愛展開重視で作者は書いたつもりです。
全28話で完結済。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
女官になるはずだった妃
夜空 筒
恋愛
女官になる。
そう聞いていたはずなのに。
あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。
しかし、皇帝のお迎えもなく
「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」
そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。
秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。
朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。
そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。
皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。
縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。
誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。
更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。
多分…
生まれたときから今日まで無かったことにしてください。
はゆりか
恋愛
産まれた時からこの国の王太子の婚約者でした。
物心がついた頃から毎日自宅での王妃教育。
週に一回王城にいき社交を学び人脈作り。
当たり前のように生活してしていき気づいた時には私は1人だった。
家族からも婚約者である王太子からも愛されていないわけではない。
でも、わたしがいなくてもなんら変わりのない。
家族の中心は姉だから。
決して虐げられているわけではないけどパーティーに着て行くドレスがなくても誰も気づかれないそんな境遇のわたしが本当の愛を知り溺愛されて行くストーリー。
…………
処女作品の為、色々問題があるかとおもいますが、温かく見守っていただけたらとおもいます。
本編完結。
番外編数話続きます。
続編(2章)
『婚約破棄されましたが、婚約解消された隣国王太子に恋しました』連載スタートしました。
そちらもよろしくお願いします。
帰らなければ良かった
jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。
傷付いたシシリーと傷付けたブライアン…
何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。
*性被害、レイプなどの言葉が出てきます。
気になる方はお避け下さい。
・8/1 長編に変更しました。
・8/16 本編完結しました。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
夫に離縁が切り出せません
えんどう
恋愛
初めて会った時から無口で無愛想な上に、夫婦となってからもまともな会話は無く身体を重ねてもそれは変わらない。挙げ句の果てに外に女までいるらしい。
妊娠した日にお腹の子供が産まれたら離縁して好きなことをしようと思っていたのだが──。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる