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最終章 そこに踏み入るには

第232話 双方が動く

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◆◆◆


 外套の合わせ目を引き寄せて、光太朗は真っ白な息を吐き出した。
 隣に居るアゲハは、見上げるほど大きな龍の姿だ。彼は首をゆっくりと下ろし、光太朗へと頭を擦り寄せた。

『コタロ。体調はどうだ?』
「ん。大丈夫、いける」
『……怪しいものだ。限界がくる前に言うのだぞ』
「分かってる。……最善を尽くそう、アゲハ」

 アゲハの額に自身の額をくっつけ、光太朗は目を閉じた。

(……よっしゃ、本番だ。……どっかで高みの見物してる神様。……見てろよ)

 光太朗は挑戦的に笑うと、仮面を付けた。アゲハの上へと乗り込むと、ふわりとした浮遊感の後、ぐんぐんと上昇していく。

 雲に手が届くまで上昇すると、眼下に海が見える。
 いつの日かリーリュイと行った、港町を思い出す。飲んだ果実酒の味だって、鮮明に思い出せた。
 光太朗は腹に手を当てると、クツクツと笑う。

「……お前が生まれるまで、酒はお預けだなぁ」

 上空の空気はかなり冷えて、光太朗はアゲハの身体にしがみつく。
 アゲハが小さく鳴き声を上げ、目的に向かって空を滑り始めた。


                                        
 ◇◇◇

 小高い丘に馬を走らせ、リーリュイは眼下に広がる景色を見た。
 荒れた土地にぽつりとあるのは、リガレイア国に占領された村だ。

 かつて貧困に喘いでいた国境の村に、健やかな人の営みが見える。人々が活き活きしているのが、遠目でも見て取れた。

(……クジロは今日も……居ないようだな……)

 リーリュイは国境まで足を運んでは、この丘に登って村の様子を窺っていた。そして人々の生活を見ると、リガレイア国の真意がますます分からなくなっていく。

 『占領』という言葉が間違いであるほど、村の暮らしは良くなっている。与えるばかりで搾取は一切していない。リガレイア国に利点がないのだ。

 リーリュイの頭に、仮面を付けた男の姿が浮かぶ。村の人々の彼に対する態度を見ても、彼が善人だという事は分かっていた。
 
(………この村の人々にとっては、我々こそが悪人だろうな……)


 ザキュリオはずっと、リガレイア国と同盟を結ぶことを拒んできた。以前は小国だったリガレイア国を、王と王妃は未だ下に見ているのだ。
 しかし今やリガレイア国は、国力も戦力もザキュリオよりも遥か上だ。

(……王妃は誰の意見も聞き入れず、誰も逆らおうとしない。……それももう限界ではないか? 今こそ、リガレイア国に歩み寄るべき時ではないか?)

 今日は王の間で定期報告会がある。王妃が皆の前に顔を出す唯一の機会だ。
 リーリュイは馬を引くと、王都のラグロへ向けて走り出した。


____

 定期報告会は王の間で開かれ、各機関の長が出席する。
 リーリュイの横にはエイダンが並び、通路を挟んだ向かいにはオーウェンとウィリアムの姿もあった。


「___ 今、何と言ったの? リーリュイ」

 リーリュイは王妃へ身体を向け、視線を下げた。

「先ほど申した通りです。我が国は……リガレイア国と同盟を結ぶべきです」  

 後方からザワザワと、戸惑い囁き合う声が聞こえる。否定的な反応が読めていたリーリュイは、さして慌てもせず王座を見つめ続けた。

「何度も言ったはずよ。同盟だけはありえない。あの国は我が国の領土を奪ったのよ!」
「……奪いはしましたが、村民は豊かに暮らしています。……リガレイアからは、過去にも同盟国の誘いがあったはずです。あの時同盟を結んでいたら、飢える民も減ったのではありませんか? 貴重な兵を失うこともなかったでしょう」

 王妃が立ち上がり、手に持っていたグラスを投げた。それはリーリュイの足元に落ち、赤い酒を撒き散らしながら砕け散る。

「王の決定に異を唱えると言うの? 例え皇太子と言えど、許されない言葉だわ」
「現状を鑑みて物を言っています。あちらの戦力は計り知れません」

 王の間が一瞬で張り詰める。
 同時にリーリュイの頭が割れるように痛んだ。

 あまりの痛みに頭を押さえると、こつりと甲高いブーツの音が聞こえる。
 視線を上げると、白いローブが視界に入った。

 聖魔導士のウィリアムはリーリュイの斜め前に立ち、王座に向かって頭を垂れる。

「恐れながら王妃様に、進言がございます」
「……何? あなたも同盟を結べと言いたいの?」

 ウィリアムは微笑みながら頭を振った。

「いいえ。同盟など何の意味もありません。……王妃様、今こそ国境の村へ攻め入り、領土を取り戻すべきです」
「……どういう事?」

 ウィリアムはリーリュイへ視線を移し、口端を吊り上げる。
 痛みで片目を眇めたリーリュイは、その挑戦的な笑みに喉を鳴らした。しかし激しい痛みに、声を出すことも出来ない。

 ウィリアムは王座に居る王妃に向かって、そして王の間にいる全員の耳に届くよう、声を張り上げる。

「リガレイア国の副将であり、例の異世界人ですが……腹に子がいる事が分かったそうです」
「……っ!」


(……クジロに……子が……?)

 リーリュイの全身がぞっと粟立ち、心臓がどくどくと音を立て始める。頭の痛みも忘れるほど、身体中がじんわりと痺れた。
 ウィリアムの言葉は尚も続く。

「新しい異世界人もリガレイア王と同じく、子を孕める男性体だったようです。しかし男性体の妊娠期間は身体への影響が大きく、ほとんど寝たきりになると聞きます。……これを踏まえ、国境は今が攻め時だと考えられます」 
「そんな情報、どこから……」

 問うたのはオーウェンだった。ウィリアムはオーウェンを振り返ると、肩を竦めて微笑む。

「この間、脱走兵のふりをさせて間者を送り込みました。途中あなたの伴侶殿に捕まりそうになってひやひやしたんですよ」

 オーウェンがさっと顔を青くし、眉根を寄せる。ウルフェイルが脱走兵を連れ戻しに行き、大蛇に襲われた事が頭に過ったのだろう。
 あれが全てウィリアムの策略だったのだ。ウルフェイルはそれに巻き込まれた事になる。

「まぁ結果、リガレイア国は彼を持ち帰ってくれました。……あちらの副将は情に厚いようですね。……まぁこちらの皇太子殿下も、同じように甘い考えをお持ちのようですが……」
「……っ」
「情報によると、今は峨龍将軍も南の首都へ滞在しているとの事。……正に今かと思います」


(……そうか……。だからあんなに、体調が悪そうにしていたんだな……)

 腕の中にいたクジロの姿を思い出し、リーリュイの心が締め付けられるように痛む。
 あの時、確かに自分の腕の中に居たあの人が、別の男のものだった。その事実に、自身でも驚くほど動揺している。

 同時にリーリュイは、自分が今置かれている状況に身震いした。身体が弱ったクジロを、この国は攻撃しようとしているのだ。
 
(……あのクジロを、討つというのか……)

 続く頭の痛みを抑え、リーリュイはウィリアムの肩を掴んだ。

「……っそんな卑怯なやり方……騎士道に反する……! お互いに万全な状態で戦わなければ、後に必ず怨恨が残るぞ……!!」

 言葉を絞り出すと、ウィリアムはリーリュイを振り返る。小さく鼻を鳴らして笑い、少しだけ首を傾げた。

「……ほんと、お優しいですよねぇ、皇太子殿下は。でもそれでは、国は守れませんよ」
「……奇襲など、私は認めない……!」
「あなたが認めずとも、王妃様が認めれば良いのです」

 ウィリアムが言うと、その隣へエイダンが進み出た。

 北軍との戦いで右目を失ったエイダンだが、国軍の指揮官として復帰している。彼の残った左目が、リーリュイを挑戦的に睨み上げた。
 立ち上がったままの王妃へ、エイダンは深々と敬礼する。

「母上。……ここはエイダンにお任せを。国境の村々を取り戻し、異世界人の首を取って参ります」
「……そうね……。正に今が好機だわ」

 耳障りな王妃の声が、リーリュイの耳に届く。同時に頭の痛みが増し、リーリュイはその場に片膝を付いた。その姿を見て、王妃が舌打ちを零す。

「……相変わらず、思い通りにいかない男ね」

 王妃が呟くと、ウィリアムがリーリュイに向けて手を翳した。地面に陣が浮き上がり、リーリュイを囲む。
 緊縛魔法だ、そうリーリュイが思った時には遅かった。身体を拘束され、エイダンに武器を奪われる。
 頭上からウィリアムの冷たい声が降ってくる。

「王妃様に逆らう者は、皇太子殿下であろうと許しません。……王妃様、ここはエイダン殿下に任せましょう。どうやら皇太子殿下は、己の立場を理解しておられないようですから」
「……そうね。……今なら、リーリュイなしでも異世界人を打ち取れるわ」

 王妃はリーリュイへ視線を移した。瞳には偽りの慈悲を浮かべ、まるで子供を宥めるかのように口を開く。

「今回はお留守番よ、リーリュイ。真にリガレイア国を打ち取る時、あなたには活躍してもらうわ。……そうだ、あなたにもう一つ、耳環を授けるわ」

 リーリュイに使用人が近付いて来て、手に持っていたトレイを差し出す。そこに載せられていたのは、濁った琥珀色の宝石が付いた耳環だ。


『____その耳のやつ、嫌いだ』

 クジロの声が脳に蘇ると、目の前にある耳環が、酷く禍々しいものに見えた。
 

「……私にお任せを。耳環に強化魔法を掛けます」

 ウィリアムの声と感触が、同時に耳に届く。耐え難い頭痛が襲ってきて、リーリュイの視界は闇に呑まれていった。
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