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最終章 そこに踏み入るには

第231話 番の役割

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 お腹に子供がいると分かってから、光太朗は離れから一色の屋敷へ居を移した。

 以前から一色は、事あるごとに光太朗へ終雪殿で暮らすよう言ってくれていたのだが、毎回光太朗は丁重に断っていた。こちらの都合で押しかけた身分で、王宮に住むことは流石に憚られたからだ。

 しかし今となっては、もう断れない。カディールと一色、そして峨龍によって、半ば強制的に引っ越しをすることになった。


  終雪殿には中庭がある。
 中庭に向けた縁側に腰掛け、光太朗は持っていた書物を開いた。神獣の受胎から出産までについて、医師が纏めた資料だ。
 峨龍に貸してもらったもので、所々書き込みや傍線が引いてある。
 頁を捲るたびに、峨龍の一色への愛情が推し量れ、光太朗は頬を緩ませた。同時に少しだけ、心が疼く。

 光太朗の傍らには、黒柴姿のアゲハが居る。その背を撫でた後、自身の腹に手を当てた。

(……リュウ……。あんたと俺の子だってさ、信じられないよな……。もしも、記憶がある時に言っていたら、喜んでくれたか?)

 誰も気付かなかっただけで、肆羽宮で暮らしていた時には、光太朗の腹の中に子供が居た。
 リーリュイの記憶があるうちに受胎が分かっていたら、どうなっていただろうと、光太朗はぼんやりと思う。
 しかしそれを考えるのは不毛でしかなく、加えて自分を追い詰める事にしかならない。

 カディールの話によると、神獣の受胎から出産までの過程は、人間の妊娠期間と大きく違うらしい。しかしそれも、母体が神獣だった場合の話である。
 今回のように人間が神獣の子を孕むのは、過去にも一色一人。まだ分からないことが山積みなのだという。

 資料の文字を指でなぞりながら、光太朗は短く息を吐く。

(……神獣の力は胎児と言えど強力で、母体には大きな影響が出る。養分や気力なども胎児に奪われるため、番となる神獣が側に寄り添い、共に胎内の子供を成長させる必要がある……。んんん、意味がわからん……)

 光太朗が首を捻っていると、廊下の向こうから一色が現れた。今回は着流し一つではなく、下衣も身に付けている。
 一色は光太朗を見つけると、大げさに顔を歪めて溜息を吐く。

「……ったく、九代屋。そこは冷えるだろう、資料だったら部屋で読まんか」
「一色さん、おはよう。ちょうど良かった。聞きたいことが」

 一色はやれやれといった風に苦笑いを浮かべると、光太朗の隣に胡坐をかいた。光太朗は持っていた資料を指さす。

「……ここなんだけど、神獣の子を産むには番の存在が必要って書いてある。母体だけでは、子供は産めないって事?」
「いや、母体だけで子を産んだ前例もある。しかしその母体たちは高い確率で、出産後亡くなっている。子供に力を与えすぎたせいだ」
「……なるほど……」
「加えてそれらの例も、神獣の血を引いた母体のものだ。人間が母体の場合どうなるかは、未だ例がない。どちらにしても神獣の子を孵すには、番の協力があったほうが良い」

 光太朗は頷きながら、資料にある書き込みに目を落とした。峨龍の武骨な文字が、丁寧に書き綴られている。光太朗はその部分を、声に出して読んだ。

「えっと……『番の役目は、母体に寄り添う事。肉体的な接触も効果があるが、一番効果的なのは情を交わす事だ。情が通じ合っていれば神獣でなくとも十分効果があった。現にシキはカディールでも……』」
「く、九代屋、待て待て。声に出すな、恥ずかしい」
「峨龍さんは、一色さんをシキって呼ぶんだな。……これ読んでると、峨龍さんの愛を感じるよ」
「……止めてくれ。俺はそういうのが一番苦手なんだ……」

 耳まで赤く染めた一色が、そっぽを向いて咳ばらいを落とす。

「……よ、要は、身体を作り変えられているあの時と一緒だ。番でなくても神獣であれば、側に寄り添うだけで僅かに効果が得られる。淵龍兄ぃがいて良かったな」
「ほんと、ありがたいよ……」
「淵龍兄ぃだけじゃなく、この国には神燐一族がいる。……カディールも、俺が腹の大きかった期間の事については、峨龍と同様に詳しい。何かあったら直ぐに頼れ」

 一色の言葉に、光太朗は苦笑いを浮かべながら頷いた。
 既にカディールからは、注意事項を嫌というほど教え込まれている。
 神獣の子は受胎から出産までの期間が定まらない事。その為いつでも気が抜けない事や、体調面の変化など。お陰で一通りの事は理解している。 

「体調管理も、この子の為にも気を付けないとなぁ」
 
 ぼそりと言うと、一色が顎に手を当てた。髭もないのにすりすりと、唇の下を親指で擦る。

「う~ん……やっぱり九代屋は本当に切り替えが早いなぁ」
「そりゃ、これが俺の性格……ですから」


『____ 君の切り替えの早さに、危うさを感じる。過去の事もそうやって、無理をしてきたのではないか?』

 ふと頭に甦ったリーリュイの顔と声に、心が鈍く痛む。離れていても、こうして少しのきっかけで彼を思い出してしまう。追い出すのは当分無理だ。

 光太朗は胸から腹までごしごし撫でて、眉を鋭く吊り上げた。

「こうなったら、絶対産んでみせる! 俺とリュウの子だし、きっと強い子だ。俺と一緒に、父ちゃんを救おうな!」
「危ういほど前向きだな……。言っておくが、無理はさせんからな」

 一色にぴしゃりと言われたが、光太朗は曖昧に笑い、また資料を熱心に読み始めた。
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